涙の雫~兄の胸に秘められた過去を…~
それまで、ただ力なく横たわっていたジルヴェスターだったが、一気に警戒モードにスイッチを切り替え、気配を消し、状況を確認する。
その足音は、ゆっくりと、しかし確実にこちらに近づき、そして、止まる。
静かに目を開くと、目に映ったのは…、最愛の兄、エドヴァルドの姿だった。
「やっぱりここにいたか…。」
エドヴァルドはそう言うと、ゆっくりと私を抱き上げ、誰もいない、静まり返った家の中に入っていく。
そして、ベッドに私を静かにおろし、椅子に座ると頭を抱え、しばらく考えてから、私に治癒術をかけ始める。
その姿は、師団長として悠然と構える、あれほどまでに憧れていた兄の姿とは程遠く…、魂が抜けてしまったかのように小さく見える。
そんな兄に、私は消え入りそうな声で話しかける。
「兄さん…。」
私の声に驚いたのか、一瞬体をびくっとさせ、ゆっくり頭を上げ、こちらを見るその表情は、それを見る側の心をも苦しくさせるほど、暗く沈んだものだった。
先ほどの朔の家でのやり取りから、相当な精神的ショックを受けたのだろう…、水分を摂る事さえ忘れていたのか、その乾ききった唇を見て、その憔悴ぶりが見て取れる。
そしてその唇を噛んでから発した言葉は、悪に飲まれ、完全なる敵となった私に対する言葉ではなく、弟としての私を心から心配する言葉だった。
「ああ、ジルヴェスター…。
話せる…のか?
顔も血の気が引いて…。
ああ…、こんなにも、
弱ってしまうなんて…。」
私の顔を見て、両手で顔を覆い、涙を流す兄エドヴァルド。
あれほど、私の事を可愛がってくれていた兄…。
そんな私を悪にのまれる状況まで追い込んでしまった事を、目の前の私の痛ましい姿を見て、嘆いている。
「兄さん…。
来てくれたんだね…。
………。
石との契約には、成功したけど、
制御出来ないみたいだ…。
ハハ…。
逆に…、自分のエネルギーも、
全て、石に奪われて…。」
話す事すらやっとの状態で、状況を説明すると、兄は立ち上がってベッドに座り、自分の胸を背もたれになるようにして、右腕で私の肩を抱え、水を飲ませてくれる。
その残った水を、兄は飲み干してから…、自分の思いを話し始める。
「さっきも話したが…、
俺は、お前に、
謝っても謝り切れない程の事を、
してきてしまった…。
お前がこの状況になったのも、
全て俺のせいだ…。
今更なのは分かっているが…、
本当に…、本当に…、
……、
すまない。」
兄は、私を抱えながら頭を下げる。
「兄さん、さっきも言ったけど、
謝ってもらっても、もう手遅れだよ…。
一度でも、悪に飲まれた身は、
もうそれから逃れることは出来ない。
再び悪に心を占領され、
おそらく自我を失うだろう。
ここでさよなら…なんだよ…、
兄さん。」
いよいよ、兄との別れの時が近い事を、自分の発した言葉で自覚した私の目から、自然と涙が溢れ出る。
その言葉に兄は、
「何を言ってるんだ。
俺がそうはさせない。
頼むから、罪を償わせてくれ…。」
兄の目からも、さらに涙が溢れる。
「こんな風にならないとさ、
気づけない事って…、
きっと世の中には、
たくさんあるんだろうね…。
きっとどうにかなる、
大丈夫って…、
最悪の事態になるまで、
みんな自分に言い聞かせて…、
やり過ごしてさ…。
その結果がこれだよ…。
あの時、兄さんに、
もっと働きかければ…、
よかったのかもしれない…ね。」
「お前は悪くない…。
全て俺が…。」
兄は言葉を詰まらせ、さらに大粒の涙を流しながら、
「お前には本当に辛い思いをさせた。
お前だけには…、
そんな思いをさせたくないと、
それだけを思ってきたのに…。」
声を震わせながら話すその姿に、兄の中の私への謝罪の気持ちが、嘘偽りないことを感じる。
そして兄の目から溢れた涙が、私の手の甲に雫となってこぼれ落ちる。
その瞬間、私の脳内にある光景が映し出される。
それは数年前からの、兄エドヴァルドの記憶だった。




