【恋の自覚 ~静かに始まる壮大な悲劇~
家に帰ると、すでに凱は自分の家に帰っていたあとだった。莉奈と母はリビングで話をしているようだったが、私はそのまま部屋に戻る。家を出る前より気持ちは落ち着いてるが、河川敷で会った少年の言葉が気になってしかたがない。
『どうやったら、ああいう思考になるんだろう…。』
私には到底理解できない考え方だ。排他的で、自暴自棄で…。聞いていて、私の心までもどんどん沈んでいくような感覚。ネガティブループに引きこまれる…という言い方があっているのかもしれない。今まで出会ったことのないタイプの考え方。きっと一生相いれないだろう。でも…、なぜか気になる。会いたくないが、その反面、また会って、話してみたいと思う自分もいる。
『もしかしたらまた会うだろう…。いや会うに違いない』
自分でも理解できない確信がそこにはあった。その確信がどこから生まれるかは分からないまま、うとうとして朝を迎える。その日は、凱の目覚ましも聞きたくないと思い、早朝に家を出て、一日ネカフェで過ごす。そして日曜を迎える。
私が気付いた時には、すでに凱と莉奈は出かけていた。
「おはよう。お母さん。」
「おはよう。莉羽、大丈夫?」心配そうに私を見る。
「うん…大丈夫っていえば大丈夫だけど…。」と言いかけたところで母が、
「莉奈…どうしたのかしら?今までの引っ込み思案な性格とはまるで別人みたいになって…。」怪訝な顔で母が言う。
「ほんとに別人って言葉がぴったりだね…。なんか、莉奈が莉奈じゃないみたいで怖い…。」
そう、「怖い」これが本音だ。まさか実の姉に向かって「怖い」という言葉を使うなど、思ってもみなかったので、自分でも驚く。
「大学に入ってから、雰囲気も華やかになって、いろんな男の子から声をかけられてるみたいだし、恋愛に興味を持ち始めたのだとしても…、ちょっとあの変わりようは心配だわ。大学に刺激の強いお友達でもできたのかしら…。あんなに積極的な莉奈を見たことがないし、凱に執着するなんて…。あなたの気持ち分かってるはずなのにね。」
「え?私の気持ち?」私は母の言葉に困惑する。
「え?莉羽?何言ってるの?え?違うの?」
「え?何が?」母は驚きつつ、少しため息をついて、
「気付いていないとしても、私が言うことじゃないわね。しかし、凱のほうも、莉奈のあの様子にだいぶ戸惑ってたわね。今日も困ったような顔で出かけて行ったわ。迷惑じゃなければいいんだけど…。」
「ははは。迷惑ってことは…、ないでしょ…。あ~、なんか甘いもの食べたくない?お母さん、駅前にできたケーキ屋さん行ってくるけど、何か買ってこようか?何がいい?」私は面倒になって話題を変える。
「ケーキなんて久しぶりね。お母さん、モンブランがいいかな~。」嬉しそうな母。
「了解!行ってくるね。」
「うん。気を付けるのよ。」母はそう言うと、ソファに座り、莉奈の突然の変化と私の鈍さに頭を悩ますのだった。
家から駅前のケーキ屋までは歩いて15分ほど。歩きながら、私は莉奈と凱のことを考えていた。
『二人でどこに行ったんだろう…。莉奈は体が弱いからあんまり遠くには行けないはずだし…。お買い物かな…。どこに行ったのかすごく気になる。ああ、もう考えてもしょうがないけど…。何か違うこと考えよう。』そう思い、他の事、他の事…と探すがなかなか二人の事が頭から離れない。
『ああ、もうヤダ…。』
私は様々なショップが立ち並ぶ通りを歩きながら、店のガラスに映る、今にも泣きそうな自分の顔を見て、さらに気持ちが重くなるのを感じ、慣れないこの感情を何とか持ち上げようとしながら歩く。
『こんな気持ちになったことないよなぁ。なんだろう、この変なもやもやは…』
考えながら歩いていると、本屋のポスターに目が行く。
【恋】今週デビューするアイドルの曲のタイトルが、私の目に刺さる。
『【恋】かぁ…。恋ねぇ…。えっ?もしかして、私のこの感情が…「恋」?なの?今まで友達の恋バナは聞いてきたりしたけれど、これが?』
ふと自分の恋愛事情を振り返ってみる。
『え?うそ、ほんとに一個もない…?。マジか…。普通の女子高生って、もっといろんな恋愛してる…よね?それに比べたら、私って…。』なんだか自分が情けなくなって、何も考えないように、
『モンブラン、モンブラン…』繰り返しながら、ケーキで頭を埋め尽くす。
ひとまずケーキを買い、帰りながら自分の頭の中を整理してみる。
『昨日からの私のこの気持ちを…「恋」と位置付けると、私が莉奈に対して感じているこの気持ちは…、おそらく「嫉妬」?なの?なんかよくわかんない…。もしかしたら、大親友を取られたっていう嫉妬かもしれないし…。圧倒的経験値の乏しい私がどう考えたって、足掻いたって、何の解決にもならない。疲れた…。ああ、もう、いいや…』
この気持ちに解決の糸が見出せない私は、最後は投げやりになって、
『もう、どうでもよくなってきた。おそらくこれは「恋」ではない。「恋」って、もっと胸がぎゅっと締め付けられて、どうしようもなくその人に会いたいって思ったり、触れたいって思ったりすること。だって漫画ではそんな感じで描かれてたし…。私、今それほど凱に会いたいって思ってないし、むしろ会いたくない。私の心はケーキに完全にシフトしてるし…』
これが完全に自分に言い聞かせている状況なんて、この時の私は全く分からず無意識に遠くを見る。すると目の前で…
ちなが凱に抱きついている
一瞬時が止まる。持っていたケーキの箱が手からすべり落ちる。胸がぎゅっと締め付けられ、心が痛い。どうしようもなく痛い。立っているのも辛い…。早く帰ろう。そうだ早く、視界からこの光景を排除しなくちゃ…。いやだ、こんなの見たくない!落ちたケーキの箱もそのままに、私は家に向かって走り出す。凱が一瞬振り向いたように見えたが、もうどうでもいい…。私は一目散に家へと走る。そこからのことは全く覚えていない。
とにかく思考を停止することにした…。あの少年が言ったように…。考えること、感じることを意図的にやめる。私が私自身を守るために…。
家に着き、部屋に飛び込むように入り、倒れこむ。天井をぼーっと見ながら、私はとうとう自覚する。
『私は、凱に恋している。それもどうしようもなく…』
胸がぎゅっと締め付けられるように苦しい。そして会いたい、抱きしめられたい、ほかの誰でもない…凱に…。涙がこぼれ落ちては、またあふれ出る。止めることができない。あえてしない。ただこの、どうにもならない感情を解放しよう。私は今、凱に恋をして、その嫉妬に飲まれている、この状況を頭で考えるんじゃなく、体で感じよう。恋している自分を受け入れよう。涙も拭かない。これが今の私。そう、苦しい、切ない、心が壊れそう…、莉奈が凱に抱きつく場面が、何度も何度も頭の中に浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返す。今考えるべきは、行き場のないこの感情のやり場を探すこと…。でもそんなこと簡単にできない…。どうにもならない気持ちに布団にもぐり、声を殺して泣く。するとふと…、
「…そうだ。行こう。行ってみよう…。」
私は涙を拭いて走り出す。全力で。きっといる。あそこにいる。私は自分の心を守るために、その人のもとに向かう。
「やっぱり来たね。」
「…。」
「苦しいの?」
「…。」
「苦しければ抗わない。苦しさを受け入れればいい。抗うから苦しいんだ。」
「…。」
「涙は出るだけ流せばいい。何も考えずにね。でもね、思考をとめると、自然に涙は出なくなるんだよ。だから…、この前も言ったように、無になれば苦しさなんて感じないし、涙も出ない。」
「…。」
「理解できない?難しい?」
「うん …。」ボソッとつぶやいて、どこまでも透き通る青空を見つめる。
「世界は…、傷ついた僕らが、いくら時を戻したい、時を止めたい、やり直したいって思っても、無情に進んでいく。着地点のない流星のように、僕たちは燃え尽きるまで苦しむ以外に為す術はないんだ。だから思考を止める。苦しさを自覚しないくらいに…。」
それから何時間経っただろうか。涙が止まった私を確認して、
「お姉さんはまた来るだろうと思ってたよ。でも…、僕の考え方嫌いでしょ?」私は泣き腫らした目でその少年を見ながら、
「うん。君の考えは聞いていると辛い。」
「でもお姉さんは、ここに来たよ。」
「そうだね、自分でも分からない。」
「あははは。正直でいいや。落ち着いたんなら今日は帰りなよ。どうせお姉さんとはまた会える。その時僕の歪んだ思考について、教えてあげるよ。知りたいんでしょ?」お見通しとでも言わんばかりの表情で彼は言う。
「歪んでるって…、自覚してるの?」
「ははは、もちろん。僕はお姉さんの思考と相いれないと思う。だからお姉さんは僕の思考を歪んでるって思うだろうなって。」
「うん。聞いてると、なんか、むかむかする。」
「ほんとに正直だね。じゃあ、お互い嫌い同志ってわけだね。」少年は笑いながら言うと、
「嫌いとかっていう負の感情の繋がりってね、限りなく深いもので、底がないんだよ。どこまでも、どこまでも深い場所まで沈んでいく。まっ、作られた世界では、どんな感情も意味はないけどね。」
「作られた世界って?何言ってるの?」
「まだ、わからないよね?でもね、きっと僕の言葉の意味が分かる時がくるよ。その時また会おう!じゃあね、お姉さん。」少年は手を振って茂みの中に消えて行った。
取り残された私は、少年の言葉に再び背筋が凍り付くような感覚を覚え、家への歩みをより一層早めた。
泣き切ったことで、自分の感情にある程度の整理がついた私の足取りは、はるかに軽くなっていた。あの少年の考え方はほんとに嫌いだ。でもなぜかわからないながら、気が楽にもなり、恐怖も感じる。この感覚は何だろう…。
家に帰り、泣きつかれた私はそのままうたた寝をしてしまう。
リビングのテレビが、この星アースフィアで始まった「大量拉致事件」のニュースを伝えている事も知らずに…。




