【第5夜 ~夢の狭間の傷の痕~動き出した運命~】
暗闇の中、ぼやけた先に人らしき姿が見える。その人影は怒ったような表情で私に向かって何かを話している。でも声が聞こえない。
「何?なんですか?」すると突然、頭の中にその人物の声が響いてくる。
『お前は、目覚めるな。お前が目覚める事で、あの人の逆鱗に触れる。何も知らぬ、何も出来ぬままでいるのだ。そうでなければ…、世界が崩壊する。絶対に足を踏み入れるんじゃない』
語気を荒めてそう言い放つと、その人影は持っている剣で私の体を切りつけてくる。私は必死に逃げようとするが、剣が伸びたその瞬間、鬼の形相をしたその人物の顔が、私の目前に突如現れ、
『戦いをやめろ。真の敵が何者かも分からぬお前が何をしようとしているのだ。無駄な戦いだ。この戦いで、お前はお前の最も大切なものを失う。早く手を引け。そしてこの世界の事は忘れるのだ。』そう言い残し、その人物は消える。
その老人が消え去ったことで、私は緊張から少し解放されたがその直後、目の前に映ったのは、傷つき横たわる凱とそれを見下ろす莉奈の姿だった。
また声が脳内に響く。
『お前の出る幕じゃない。人が死ぬ。脅しなんかではない。たくさんの人が命を落とす…やめろ。やめろ。やめろ。
そう言ってその声は消え去った。
【はあ、はあ、はあ】
荒い呼吸で目が覚める。体中が恐怖で強張り、異様に汗をかいている。乱れた呼吸がなかなか元に戻らない。私は今にも見知らぬ人物に殺されそうだった。気を抜いたら、きっと殺されていただろう。本気の殺意の目。思い出しただけで背筋に緊張が走る。
『そうだ、さっき切られそうになったところ…。』私は慌てて胸のあたりを確認する。右肩から左の脇腹に向かって振り下ろされた剣の軌跡。パジャマがきれいに切られ、インナーが見えている。サーっと血の気が引くのを感じて私はそのまま意識を失った。
※※※
迎えた祭り当日。私はマグヌスと共に、村の東の護りを担当している。たくさんの蠟燭は、村の中央にある広場から東西南北に放射線状に飾られ、人々を柔らかい光で照らしだす。大人たちはいつになく緊張感に満ちた顔で、何も知らない子供たちは無邪気に祭りを楽しむその様子が、騎士団の多くの目には、あまりに対照的に映っている。
村の祭りは一年に一度行われ、その時期に収穫された食物と、その年の新酒が振舞われ、村中の人々が歌い、踊り、一年の苦労を労い、次年のための祈りを捧げる。
例年、村全体が祭りの会場になっているが、今年は拉致事件の警護のため、会場は村の中心に限られ、住人全てが参加し、騎士団の視認可能な範囲内に収まることが義務付けられた。全員参加が強制されることで、守られる命もあるが、泣き叫ぶ新生児や幼子、体の不自由な老人なども祭りに参加するために、村の中央に向かわねばならないという弊害も生まれた。
そんな人たちの様子を見ていられない私は、泣いている子供をあやしたり、老人の歩行の補助をしたり、本来なら楽しむべきはずの祭りが、嫌な思い出にならないように精力的に動いていた。それを見ているマグヌスが、
「莉羽の思いが伝わっているせいか、莉羽が接した人たちの笑顔が、格別輝いて見える。皆からほんとに愛されてるな。泣き叫ぶ子供にもすぐ笑顔が戻るし、遊んでくれと言わんばかりに子供たちが集まってくるし。魔物の襲来を不安に思う人々の心を、みんなに楽しんでもらいたいと願う、莉羽の気持ちが和ませているように感じるよ。周りを笑顔にする天才だな、莉羽は。」豪快に笑うマグヌスを、私は人をほめる天才だなと思いながら、
「あははは。それは褒めすぎですよ!でも…、年に一度のお祭りなんですから…、村のみんなには楽しんでほしいなとは思ってます。それだけですよ。」と言って笑いかけると、目の前で母親に抱かれた赤子が泣き始める。私はマグヌスの噂話が本当なのか、無性に試してみたくなって、
「あっ、赤ちゃんが泣いてますよ!マグヌスさん、お願いします!」と笑顔で言うと、マグヌスが困ったように、
「人が悪いなぁ、莉羽…。君も俺を試そうって?全く…。」そう苦笑いしながら、赤子に近づくと、
それまでの無表情から、おもむろに、ニコっと笑いかける。すると、さっきまで泣き叫んでいた赤子が、一瞬泣くのをやめ、マグヌスの顔をさわりたそうに手を伸ばしてくる。母親は嬉しそうに、赤子をマグヌスに渡すと、赤子はキャッキャ、キャッキャと笑い始め、マグヌスもそれにつられて微笑み全開になる。
私は、いかついマグヌスの、噂通りの【泣いてる赤子さえも笑顔にする、スマイルキラー】ぶりに感心して思わず拍手をする。
「凄すぎます!マグヌスさん!マジ、かっこいい!私、マグヌスさんと担当が一緒になれてよかったです。元気もらいました。ありがとう、マグヌスさん。」あまりに私が絶賛するので、マグヌスは顔を赤らめ照れながら、
「そうか、それならよかった。とにかく…、このまま無事に祭りが終わることを祈るのみ、だな。」そう言って手を合わせるマグヌス。
「はい、そうですね。本当にそう思います。」私もマグヌス動揺、祭りで何事も起きないよう心の中で祈っていた。
そんな中、ふと凱と莉奈の様子が気になって目をやると、先日会議で会った時とはまた違った笑顔で話す莉奈の姿が目に入る。そんな莉奈に、微笑みながら答える凱の様子に、私は胸がまたちくっとするのを感じる。
『何?この気持ちは…。』
そのあとも、凱と莉奈が、2人で歩きながら祭りを楽しむ様子がどうしても目に入ってきてしまい、私は訳の分からぬ苛立ちを感じていた。
「どうした?莉羽。」さっきの上機嫌とは打って変わって、苛立っている私に何事かと声をかける。
「ううん。なんでもないです。ちょっと疲れただけなので…、大丈夫です。」
「さっきまで元気いっぱいだったのにな…、少し休むか?」
「いえ、まだ祭りが始まったばかりですし…、弱音吐いてちゃいけませんね。」そう言う私の笑顔は、おそらく引きつっていたに違いない。心配そうに私を見るマグヌスに、
『ごめんなさい。マグヌスさん!』と心の中で謝る私の心は、引き続き、もやもやとした感情が渦巻いていた。
祭りもいよいよ終盤に差し掛かったところで、莉奈に村人1人が近づき、それに気づいた凱がその場を少し離れるのが見える。二人は真剣な面持ちで話し込んでいる様子だった。しばらくして話を終えたその男は、その場を離れようと歩き出すが、その歩調に違和感を覚え、私がその男の後を付けようと歩き始めた途端に、遊んでくれと言わんばかりに近づいてきた子供たちに引っ張られ見失ってしまう。
『あの男の歩き方、何かに操られているみたいに不自然な歩き方だった。』そう感じたものの、しばらくするとその出来事は私の頭から消え去っていた。
そして、祭りは何事もなく無事終了し、私と凱とこの村出身の団員以外の騎士団は、王宮へ帰還する準備を始める。
※※※
【コンコン】【コンコン】【ドンドン】窓を強くたたく音が聞こえ、私はなかなか開かない瞼を何とか開けようとしながら窓を開ける。
「おい、大丈夫か?」凱は焦ったような顔で私を見る。何度叩いても、私が窓を開けなかったのを心配してくれていたようだ。
「おはよう。変な夢見て…、そのあと覚えてない。」目をこすりながら話していると、凱は一瞬顔をしかめて、
「ちょっといいか?」と言い、窓を伝って部屋に入ってくる。
「え?何?どうしたの?部屋汚いって言ったじゃない。」私が凱の突然の動きに驚いていると、
「ちょっとごめん。」と言って、凱が私の胸元にその場にあったタオルをかける。
「え?何々?」私が事態を飲み込めずにいると、
「俺戻るから、早く着替えろ。で、着替えたら呼べ。」そういって窓を閉め、自分の部屋に戻る凱。
全く状況が飲み込めない私は、胸元にかけられたタオルを外す。
「え?」パジャマと中のインナーが切れていて、胸が半分露わになっている。
「え?え?」そこで昨日の夢を思い出す。確かに見知らぬ人物に剣で胸を切られる夢を見た。でもなぜその場所と同じ場所が切れているのか、私は訳が分からず声を出すことができない。パニックを起こして後ずさりして壁に体をぶつけると、莉奈がドアの向こうから声をかけてくる。
「朝早くからどうしたの?莉羽。」私はとっさに胸を隠し、声が出るのを確認する。
「あっ、ごめん。莉奈。起こしちゃった?」
「うん。声響いたから~。」
「なっ、何でもない。ごめん。また寝て~、おやすみ~。」
「莉羽は遅刻しないようにね~。おやすみ~。」そう言って、また自分の部屋に戻る莉奈。
隠していた胸元を再び見ると、やはり刃物で切られたような跡がある。そしてまた夢を思い出し、切りつけられた時の恐怖を思い出す。その人物の殺意むき出しの表情、そして剣による攻撃。私は力が抜け、立っていることができずにその場にしゃがみ込む。体が震えだし、涙が自然にあふれてくる。
『どうして…何これ?…怖い、怖いよ。凱。』そう心の中で凱を無意識に呼ぶ。
すると突然、【ガラッ】と窓が開く。凱は部屋を見回し、泣いている私を見るなり、血相を変えて部屋に飛び込んでくる。そして、
「大丈夫か?」私の肩に両手を置き、恐怖で顔を上げる力も入らない私の青ざめた顔を覗き込んで確認すると、右手で私を抱き寄せ、次に左腕で私の体を優しく包み込む。
「俺が傍にいるから…、大丈夫だ。」私はされるがままに凱に抱きしめられる。その胸の暖かさで、心に小さな灯がともり、恐怖の呪縛が少しだけ解ける。
「うん。…凱…怖い、怖いよ。何が起きてるの?」私は震える体を何とか抑えようとするが、思いと反して震えはなかなか収まらない。凱は私の不安を感じ取って、震えが収まるよう、体をさっきよりも強い力で抱きしめ、
「落ち着くまでしばらくこのままでいよう…。」と、優しく私の頭を何度となく撫でてくれる。
「ありがとう。凱。でも私…、怖い。」私はそのままゆっくりと目の前がぼんやりしていくのを感じる。その後、気を失ったのか、そのあとのことを何も覚えていない。
『少しは効いたろう…これでここに来ることはなくなったはずだ。』
辺り一面に置かれた、数多ある天秤の傾きの微妙な変化を見ながら男は続ける。
『お前は危険だ。主に気づかれる前に…』銀色の髪の毛の隙間から見える瞳は、殺意と、ほんの少しの安堵の色が見えた。