楽園を自ら出た蛇
ニオへ送られたデータは、池袋駅近辺に向かうよう記されていた。新宿から多少距離はあるが、アダムが渡した数列があるからか、機械兵たちはカイムたちを襲わない。
慣れないが向かうと、すっかり寂れた池袋駅へとたどり着く。
「駅のどこかにいるんだな」
「みたいだね。正確な場所はわからないから、歩いて回ることになるけど」
それだけの価値はある。カイムは駅の中へ入ると、ニオが顔を覗き込んできた。
「どうした」
「ん? ああいや、さっきの二人について聞きたくてさ」
純粋な人間と話したかったそうなので、ニオは同席を断られた。ニオもあの二人について単純に気になるだけだと思うので、「そうだな」と言葉を探す。
「――人形みたいな奴らだったな」
人形? と聞き返すニオを目にし、アダムとイヴを重ね合わせてみた。
「おそらくお前と似た造りなんだろうな。人間が生まれながら持っている感情だとかをデータとして頭に入れていた。男の方――アダムがやけに丁寧な口調だったのは、そういう喋り方が正しいと、造った本人からインプットされてたんだろう。女のイヴは、どこか不完全だったがな。そういう意味では……」
ニオへ目をやると、キョトンとしていたが、そういう仕草一つをとっても、あの二人とは違う。
「お前の方が人間らしいな」
冗談を言い、色々な顔を見せ、嫌なことは嫌だとハッキリ言う。実は、カイムはもしかすると、ニオを造ったのは神なのではないかと考えてもいる。だとしたら、ずいぶんと人間について学んでいるが。
「まぁ褒められているみたいだからいいけど、あの二人はアダムとイヴって言うのか。ちなみに誰が元になったか知ってる?」
いくら記憶がないとはいえ、それくらいなら常識だ。
「聖書かなんかに出てくる神が創った人間だろ」
「正解! だけど、聖書に出てくるのは神様とアダムとイヴだけじゃないのは知っているかな?」
「……知らない」
カイムはどうにも悔しかったが、知らないものは知らないのだ。ニオは新しい玩具を見つけたようにはしゃいでいたが、その頭をポンと叩いて、答えを急かす。
「一々叩かなくてもいいじゃないか。ま、答えは簡単。言葉を話す蛇だよ。そしてこの蛇こそが、人間と神とを分けた原因かもね」
「蛇が悪さでもしたのか」
「悪さというか、そうだね……神様がアダムとイヴに食べちゃダメって言ってる果実を食べちゃいなよって唆したってところかな」
「なるほど、それでアダムとイヴは食べてしまったわけか」
「それも正解! 楽園の中心にあった果実を食べたことで、結果的に怒った神様がアダムとイヴを楽園から追放して、蛇は一生地べたを這わなきゃいけなくなったってわけさ」
「……どこの神も、身勝手だな」
うん? と首を傾げたニオへ、「そもそも」とカイムは言う。
「その果実とやらを創ったのも神だろ。食べられたくないなら隠せばいいのに、わざわざ楽園とやらの真ん中に置いていた。それで食べられたら怒って追放とはな。自分には一切非がないつもりか」
ニオはうーんと考えると、肩をすかしてみせた。
「そういうところから、神様気取りとかいう言葉が生まれたのかもね」
自分勝手な話だ。ため息をつきながら頭を掻いていると、ニオは「でも」と口にする。
「神がいなかったら、アダムもイヴも、なんなら他のなにもかもが生まれなかった。神様だけは特別扱いされて当たり前なんじゃないかな」
「俺は、特別扱いなんてしないがな」
なにせ殺す予定の相手だ。アダムの情報から人類軍も怪しいが、確かに聞こえた神の声は忘れられない。
カイムはどちらにせよ、いるならいるで、なぜあんなことを言ったのか問いただすつもりだ。殺すかどうかは、現時点ではその後だろう。
「とはいえ、君の体にナノマシンがあったとはね。ボクでも気づかなかったよ」
「そんなにわかりにくいものなのか」
「うーん……君の血液を採取すれば見つかるかな。だからこればかりはボクのミスだ」
ミス? と聞き返すと、スキャナーに甘えていたと返した。
「自作のスキャナーだよりにして、アナログな注射とかを考えていなかった。そういうミスだよ」
なにかと小難しいことだ。そういうのはニオへ任せることにして、アダムの渡したデータの主を探す。
そうしてしばらく駅の中を歩いていると、物陰からガチャガチャと音がする。一応ブレードの柄に手をやって見れば、機械兵が姿を現す。
ただの雑魚かと気を抜いたが、機械兵は「カイム、ニオ、コッチダ」と言葉を発した。
「罠……ではないな」
「わからないよ? アダムとイヴが実は騙してたとか、データの誰かさんは君に敵意を持ってるとか」
「だったら斬るだけだ」
乱暴なことで。やれやれと言った様子のニオを連れ、機械兵の方へと歩く。物陰にはひび割れたコンクリートの床があるが、機械兵が近寄ると、床が発光した。
続いてコンクリートが開いていき、地下への階段が続いている。
「明らかに、ここに居ますって感じだね」
「そうでないと困る。行くぞ」
念のためカイムが先を行く。地下への階段は薄暗い照明が続くばかりで、なかなか下へたどり着かない。いい加減に長いと愚痴の一つでもカイムの頭によぎる頃になって、開けた場所へ出る。
大型モニターがいくつも壁に飾られ、機械兵の入る培養タンクが並んでいる。その最奥に、椅子に座って背を向けた人影がある。
その人影は振り返らず、「ようやく来たか」と、ハスキーボイスを投げかけてきた。
「アダムとイヴに接触したら来るとは思っていたけど、やけに早いじゃないの」
「アダムがこのまま行けと言ったからな。新宿からここまで歩いて来た」
「そいつはまたご苦労様なことで。お茶なり酒なり出してやりたいんだが、ちょっとばかし問題があって、今は無理なんだなこれが」
妙に癖のある喋り方をする。カイムはまるでニオのようだと思いながら、ズンズンと歩み寄った。
「俺の体に流れるナノマシンとやらをどうにかしてくれると聞いて来た。早くやってくれ」
「ちょいと待ちなっての。今私とお前さんが顔をあわせると、色々と不都合が……」
「不都合が、なんだ」
人影へ、カイムは大股で向かっていた。てっきり離れていたと思っていたのか、ハスキーボイスの女性は両手を振った。
「……あーあ、こまったこまった」
なんのことだ。カイムが訊こうと顔を見た瞬間、頭が爆発するように血液が集まっていく。
目が見開かれ、呼吸が荒くなる。震える手はブレードへ伸び、目の前の女性を殺さなくてはと、激情が沸き上がる。
「はい、ちょっとばかし眠っててもらうね」
カイムがブレードを引き抜こうとした瞬間、ハスキーボイスの女性はカイムの額に手を当てた。カイムの体が痙攣し、一瞬にして意識を失う。
「カイム!」
ニオが駆けよると、脈はあった。寝息のようなものも立てており、意識がないだけのようだ。
しかし、ニオは声を荒げる。罠に嵌めたのか、と。
「なにが目的だい! あとボク一人だからって甘く見ない方がいいよ!」
Iドロイドを手に取り、周囲の機械兵らのハッキングをいつでもできるようにする。だが、ハスキーボイスの女性は「違う違う」と両手を振った。
「私はカイムの味方であり、誰よりもニオちゃんの味方だよ」
「ボクの、味方?」
「そこいらへんも話すから、ささ、椅子にでもお座りなよ」
ニオが倒れたままのカイムと目の前のハスキーボイスの女性を見比べる。敵意はないようだが、警戒を解かず座った。それを見てか、「まずは」と前置きをした。
「私の名前は改良型プロト。アダムとイヴの元になったプロトを造った後に、神が二人を造る前にサポート役として造られたってところだね」
ただ。改良型プロトを名乗った女性は、この名前が気に入らないと口にする。
「アダムとイヴが神の楽園を離れたのなら、私はスネークを名乗ろうかね」
これで呼び合える。スネークと言い改めた女性は笑っていたが、ニオには一つ、疑問があった。
「神って、なにかな」
「あらら、聞いてないのね。それもそーか。神の奴が、カイムに話させないようにしたからね」
どこから話したものか。スネークは考え込むと、その名の通りと言った。
「私含むアダムとイヴ、プロトを造り、マギアを生み出し、カイムのデータを欲している。そんな奴さね」
「もしかして、カイムが殺す相手とか言ってたのも……」
「神なんじゃないの? アダムとイヴに会ったのなら、誰を殺すか揺れてるかもしれないけど」
ニオはここに来て、カイムの敵を漠然とだが知れた。カイムは神すら殺すのだと、倒れている姿を見る。
「色々背負ってるわけだ……それで、ここに来たからには、ナノマシンは排除できるんだよね」
「そのとーり。だけど私一人じゃ無理だ。まさに今目の前にいる、ニオちゃんの助けがいる!」
指を突き付けられたニオだが、首を傾げるばかりだ。そんな様子を察してか、スネークは一つずつ説明した。
「そもそも私は神の考えが嫌だから離反した。世界を乗っ取るとかなんて、見果てぬ夢だしね。でも怒った神は、カイムに私を視認したら殺すように命令が下るよう仕込んだ。ここまではオーケー?」
頷くニオへ、スネークは続ける。正面から戦ったらカイムに勝てる可能性はないと。
「カイムに見つかっても殺される。バックアップデータは残せるから死なないけど、除去するためのデータが破損したら元も子もない。だから地下に籠ってるわけだけど、そうすると、カイムの体内にあるナノマシンを除去できない。さて、どうしたらいいかわかるかな? ヒントは、私が人類軍を自由自在にハッキングできるってところだよ」
まるで自分と話しているようなニオだが、それが答えへと導いた。
「別の誰かにナノマシンを除去するためのデータを託す――ああ! だからボクが必要なのか!」
ニオの中で、二つの謎が解けた。一つはナノマシン消去のためのデータを託されていたこと。もう一つは、なぜカイムのパートナーに選ばれたのかということ。
「除去データを持たせたボクをカイムのパートナーにさせて近くに置いて、この時を待った! そういうことだね!」
「正解! 流石は私の分身だね」
「……分身?」
「ああそれもかー。いや、ね……神から逃げる時に、アダムやイヴを造るためのパーツをごっそり盗んで、前々から造っておいたここに運び込んだのよ。それで、ニオちゃんの体を造った。でも人類軍に紛れ込ませる時に自我データがないと困るでしょ? だから私の自我データをコピーしたのよ」
どうりで似たような口調のわけだ。ニオは困惑こそあれ、ある程度納得した。
「さぁて、説明も済んだし、カイムのナノマシンを無力化しちゃいますか」
グイっと体を伸ばしたスネークだが、ニオはまだ一つ訊きたいことがあった。
「どうして、カイムの味方をするのかな」
神から離反し、アダムとイヴとも離れた。世捨て人のようなスネークが、どうしてこんなややこしいことをしてまでカイムに味方するのかがわからなかった。
「そりゃ、神とやらが君を狙っているのはわかるよ。でも、いくらでも逃げる方法はあったはずだ」
人類軍のサーバーをハッキングできるのなら、やろうと思えば人類軍そのものに守らせることもできたはずだ。それをせず、いつ殺されるかもわからない危険を背負ったまま、カイムがここに来るのを待った。
スネークはしばらく黙り、クククと笑った。
「神の最終目的を防ぐためだよ」
ニオは黙ったまま聞くと、スネークは続ける。
「マギアを創り、操り、アダムとイヴみたいな手足を造って世界征服……もうとっくに、地上は人間が住めないのに、未だにそんなことを考えている。なんだかそれが、空しいのよね」
「もしかして、カイムに引導を渡させるつもりかい……?」
「最終的には、そうなるといいね……どんな悪党でも、親は親だ。妄執にとりつかれたまま、あの手この手で延命して無様に生き延びるなら、死なせた方がいい。それだけだよ」
ニオは思う。人工的に創られた自分たちと、カイムのように自然に生まれた命。その片方が住めなくなった世界で、自分が造った機械兵やスネークのような命を統べるだけの人生に、意味はあるのか。
その意味を知るのは、文字通り神のみぞ知るのだろう。見当もつかないが、今はカイムからナノマシンを除去するのが先だ。
「なら、始めてくれるかな」
ニオの言葉が切っ掛けで、スネークは準備に取り掛かる。カイムと隣同士寝かされたニオは、神の手のひらで踊らされていたパートナーを、純粋に不憫に思った。
(せめて、ボクだけは味方でいるからね)
それこそが、自らの命に相応しい。自らの命の役割だと、ニオは認識した。