エピローグ
お嬢様との平穏な日々が戻ってきたのも束の間、私はチェリーナから手紙で呼び出された。
新しい婚約者が決まったから挨拶に来いという。
お嬢様に自慢するのは諦めて、標的を私にしたようだ。
クラリオン伯爵のことで騙したことへの、仕返しかもしれない。
なんにしても、私はメイド。
ご令嬢のご自慢には、いくらでも付き合います。
お嬢様を守ることにもなるし。
半日お休みをもらい、お嬢様とかつて住んでいたお屋敷を訪ねた。
ジメジメしていると嫌った屋敷に住むことになっているとは、チェリーナも気の毒な人だ。
……私が気の毒がる必要があるほど、弱い令嬢?
めげずに何か、企んでいるかも……
チェリーナ夫妻への警戒心が湧いてきた。
ジルベルトさんに来てもらいたくなった。
けれど、いきなり呼びつけるのはお仕事に差し障るし……用を済ませて早く帰ろう。
馬車を降りると使用人の男性が出迎えて中に通されたが、人の気配はない。
懐かしい客間に入ると、チェリーナと青年が待っていた。
仲睦まじく寄り添って立っている。
チェリーナの夫である青年は――
一瞬、人形か? と思うほど意外にカッコいい人。
おお!? っと目を丸くした私にチェリーナはフフンと笑い、青年にしがみついた。
「よく来たわね。さっそくご紹介するわ。こちら、プラチド・バローネ子爵。私の婚約者よ。ご挨拶なさい」
言われなくとも……とつい内心反抗しつつ、私は恭しくお辞儀した。
「バローネ子爵様、ラナロ伯爵家のメイドのソフィアと申します」
顔を上げると、チェリーナの歯ぎしりするような顔が一瞬目に入った。“伯爵家”が気に触ったのだろう。
「よろしく……」
肝心の子爵はそれだけ、小さな声で言った。
メイド相手になんと返せばいいか戸惑うのもわかるが、それにしても、なんだか全体的に覇気のない方だ。
最初人形っぽく見えたのも、見間違いではなかったんじゃないかと不安になってしまう。
「フフ、いいでしょ。私のプラチドをよく目に焼き付けて、帰ったら、あの娘にたっぷり伝えるのよ」
私の不安などお構い無しで、チェリーナは得意げにバローネ子爵のご自慢を始めた。
操り人形になってしまうと思うくらい相槌を打ち、おめでとうございますとお羨ましいですを言ってやっと解放された。
その間、子爵はじっとしていた。
チェリーナが言っていた“気弱”というよりは、自我がない感じがする人だ。
なんだか心配だが、これ以上チェリーナには関わりたくないから、さようなら。
おふたりのことは、お嬢様とクラリオン伯爵にお任せしよう。
相手はどうあれ、人の物を横取りしたのではなく、チェリーナが自ら見つけた人のようだし、幸せを願おう。
屋敷に帰り、まずは母に報告した。
母の部屋でお茶を飲みながら、子爵の容姿を教えると母は驚き、寄り添う姿からふたりは仲良さそうだったと感想を言うとニコニコした。
「よかった。そんな方がいてくれたなんて。それに、バローネ子爵家のお屋敷はここからもクラリオン伯爵家からも遠いところにあるのよ。これからは、簡単に会わずに済むわね」
母は目を赤くして涙をハンカチで拭いた。
「やっと、チェリーナ様の幸せに心からおめでとうございますと言えるわ」
私も安堵と嬉しさを感じて、笑顔でうなずいた。
「バローネ子爵家って、どんな感じかしら?」
「さぁねぇ……聞いたことがないかもしれない。悪い話も聞かないけど」
「よかった」
とりあえずほっとしてお茶を飲んでいると、扉がノックされた。
出ると、執事のルカさんだった。
「ソフィアさん、セグレト氏が来ましたよ」
「セグレトさんが?」
頬が赤くなりそうで、少し顔を伏せた。
「あら、セグレトさん? よろしくお伝えしてね」
「は、はい」
ニコニコの母とルカさんに見送られて、急いで廊下を歩く。
今日は会う約束はしてなかったけど、どうしたのかしら?
彼はいつものように、広い裏庭の芝生に立っていた。
チャコールグレーのスリーピースが似合っていてカッコいい。つい、小さな女の子のように駆け寄ってしまう。
「ジルベルトさん」
彼は優しい笑顔でむかえてくれた。
「突然すまない、今大丈夫か?」
「はい」
ジルベルトさんは私の私服を珍しそうに眺めた。濃紺のシンプルだが仕立てのいいハイウエストワンピース。
「似合っている」
「ありがとうございます」
お気に入りなので喜びも倍増だ。
他にもジルベルトさんは、お嬢様が気にかけてくれるおかげで手入れの行き届いた黒髪を、絹のようだとか、少し明るいだけの茶色い目を、太陽のように輝いて見えるとか褒めてくれる。
いつもつい無表情になってしまって、感情が伝わっていないのではないかと気にして聞いた時も「微妙な変化がわかるようになってきたし無表情も美しい」なんて言ってくれた。
あっさり言ってのけるのに、声色から真剣さが伝わってきてとても胸にくる。
「ジルベルトさんも、似合ってますよ」
「ありがとう」
照れたような笑顔が可愛い。
それはそうと。
「急にどうされたんですか?」
「旦那様の使いで、この近くに来たものでね。少しでも会おうと……」
嬉しさにまた顔が赤くなってしまい下を向いた。
「使いの途中でこんなことはよくないと思ったんだが、君が気になったんだ」
チェリーナ様に会いに行ったばかり。虫の知らせというもの?
「なにも変わりないか?」
真剣な顔で見つめてくる。
これは、話さないといけない。
「私はなにも変わりありませんけど、チェリーナ様がご婚約なさいました」
「チェリーナ様が。それは、めでたい」
ジルベルトさんは驚きに目を見開いてから、静かにそう言った。
「それで、婚約者を紹介してくださると言うので、さっき、会いに行ってきました」
「君が? 子爵のお屋敷に行ったのか?」
ジルベルトさんの顔つきが険しくなった。
怒らせてしまったかと、不安でビクビクしてしまう。
「屋敷に行くなら、教えてほしかった」
顔は険しいままだけど、声に悲しみがにじんでいた。
「ごめんなさい、教えようか迷ったけど……」
屋敷についた時に、ジルベルトさんにいてほしかったのを思い出した。うつむく私の頬をジルベルトさんの手が包み撫でた。
「私は、頼りにならないか?」
「そんなこと、ありません。私、人に頼ることがなくて……慣れてないんです」
「私には頼ってくれ。なにも心配しなくていいから」
顔を見上げると、いつもの優しい笑顔をむけてくれていた。
思わず、彼に近づいて腕に触れた。すると、ギュッと抱き締められた。
「よかった、無事で」
「……ありがとう……ジルベルトさんも、私に頼ってくださいね」
「ありがとう……」
……………いや、まずい。
私はセグレトさんから、体を離し向き合った。
「私に頼るのは、よくないかもしれません。私は、復讐するような、恐ろしい女ですから……」
恐る恐る顔を伺うと、ジルベルトさんは驚いていたが、小さく笑った。
「君のことを恐ろしいとは思わない。実は、君がチェリーナ様にやり返した話を聞いた後で旦那様にお会いした時、私も今までのお返しにぶん殴ってやろうかと思ったんだ」
「え!?」
「だが、もう旦那様には関わるなという、君の忠告を思い出して思いとどまった」
よかった。
「君も、私の忠告を聞いてくれ。もう復讐しないでほしい」
向けられた瞳をまっすぐ見つめ返した。
「はい」
答えたものの、心配は消えなかった。
「ジルベルトさんは、お嬢様と同じく大切な人です。もしも、なにかあったら……」
「フフ、では、なにかないように気をつけて生きないとな」
うう、それしかない。心配だ。ジルベルトさんはお嬢様と同じで優しいから。
「フム、その顔だとまだ心配か。それなら……」
少し考えてからジルベルトさんが笑顔をみせた。
「もしも、なにかあった時は、復讐以外の解決法をふたりで考えよう」
!! ふたりで? 嬉しい!
「はい!」
ジルベルトさんの腕に抱きしめられて、幸せを噛みしめる。
お嬢様の復讐は、独りで悩み決めたこと。
辛くて苦しくて悲しかった。
もう、あんな思いしなくていいんだ。
私は感謝と愛情を込めて、ジルベルトさんの唇にそっとキスをした。彼は強くキスを返してくれた。
ジルベルトさんを見送って、メイド服に着替えた。
気持ちを切り替えて、お嬢様の部屋に向かう。
お嬢様にはチェリーナ様の自慢話は程々に、お幸せそうだったと伝えた。
「よかった」
喜ぶお嬢様にほっとしたのも束の間、胸にまた不安が生まれた。
あの自我のなさそうなバローネ子爵が操り人形になって、ふたりで問題を起こさないといいけど。
「お嬢様、チェリーナ様とバローネ子爵のことも、あまり気になさらないでください」
ラント子爵の時と同じ心配に、お嬢様は可笑しそうに小さく笑った。
「大丈夫よ……皆様、お幸せに……」
窓から空を見上げて微笑むお嬢様の、芯のある姿と慈悲深い言葉に胸がいっぱいになった。
それから、お嬢様はクラリオン伯爵家に嫁ぐまで、堂々としてそれでいて幸せそうになさっていた。
ただ、私との最後の日に
「ソフィアが居ないと心細い、寂しいわ」
とおっしゃって、大粒の涙を流された。
私も涙を隠さず、お嬢様にお伝えした。
「お嬢様の身の上になにかありましたら、必ず参ります」
そして、大事に両腕で抱きしめた。
お嬢様が体を預けてきて、ほっとなさったのが伝わり、私は喜びと自信に胸が熱くなった。
「お嬢様のメイドでいられて、幸せでした」
「ありがとう、ソフィア」
お嬢様のまっすぐな明るい笑顔。
お屋敷を後にする、美しい後ろ姿。
しっかりと目に焼き付けて。
誇り高く、役目を終えることができた。
予期せぬ波乱があったけど、幸せなメイド人生だった。
私もこれからは、ジルベルトさんと支え合って生きていく。
お嬢様と同じ日とはいかなかったけど、結婚式でそう誓った。
お嬢様以外の主人は考えられないから、私もメイドはきっぱり辞めようと思うの。
いつも行ってた喫茶店が店員を募集してるから、今度はメイドさん達にお給仕するのもいいかもね。
「ジルベルトさんに相談してから、決めよう」
もう、独りで思い悩み決断する必要はないんだから。
ビアンカに手紙を書きながら微笑むソフィアの指には、セグレトが指輪にしてくれた絆石が輝いていた。
いつまでも。
永遠に。




