第三十二話 自然の脅威
11月1日。
英雄は遅れて登場するものだけど、たまには早めに来てもいいのではないだろうか。
そんなことを考えながら、俺は夜間攻撃の準備をしているマグドリア軍を見ていた。
マグドリア軍とアークレイム軍は小規模な攻撃を昼夜問わず続けて来た。
小規模といえど、見過ごすことはできないため、毎回毎回指揮を取るはめになる。
おかげで体がボロボロだ。
それはレイナも同じだろう。
兵士たちの士気が高いことが、唯一の救いだが、それも敵が意図していることであることを考えれば救いはないに等しい。
時間は順調に過ぎている。
あと数日でエルトが来る可能性もある。
だが、その前にこちらが決壊してしまいそうだ。
「敵の兵力は?」
「およそ三千といったところですね」
セドリックの言葉を聞いて、俺は天を仰ぐ。
またこちらよりも少ない兵力だ。
一気に攻撃してきてくれれば、それに対応するだけで済む。
だが、小出しにされると一々、総攻撃のタイミングを窺わなければいけない。
それが俺の精神を摩耗させる。
「そろそろ何か仕掛けてきそうなもんだけどな」
「ええ、私もそう思います。ただ、私が思うに……何か起きるとすればこちら側ではないと思います」
「その根拠は?」
対峙するマグドリア軍から視線を逸らし、後ろを向く。
そちらにはレイナがアークレイム軍と対峙している。
報告によれば、向こうも一進一退だ。
レイナが何か手を打つ前に、敵が撤退していくらしい。
つまりボクシングでいえば、ジャブを打って嫌がらせをしているってことだ。
ただし、ジャブも受け続ければダメージが蓄積する。
それにストレートに相当する主力、ヴォルター直属のアークレイム軍はまだほとんど動いていない。
レイナと戦っているのはヴォルター率いるマグドリア軍なのだ。
「そろそろレイナ様にも焦りが出ているはずです。そういうときの攻撃は意外なほどに効きます」
「確かに。けど、対岸の俺たちにも余裕はない」
マグドリア軍は数千を小出しにして、攻め続けている。
俺たちはそれを撃退してはいるものの、被害も小さくない。徐々にではあるが、戦える兵士や騎士が少なくなってきている。
向こうにも打撃を与えているだろうが、マグドリア・アークレイム連合軍の本命がアークレイム軍なら、マグドリア軍の目的は戦力を引き付けること。
それは十分に達成されている。
「守りの戦ってのは本当に厄介だな……とにかく長い」
「そうですね。忍耐力が不可欠です。騎馬隊での突破が持ち味の公子からすれば、苛立つ展開でしょうが我慢してください」
「そう、我慢だ。我慢が大事だ。問題はその我慢で力尽きないことだ。我慢のあと、いかに反撃するかを考えておかないと」
「正論ではありますが、そこまでの余力は残念ながらありません。砦の弱点を突かれた上に、使徒の挟撃。しかも兵力に倍以上の差があります。加えて、どちらの使徒も切り札を切ってはいない」
まったくもってその通り。
レクトルもヴォルターも切り札である神威を使っていない。
レクトルは狂戦士を多少送り込んできているが、その気になれば軍レベルの狂戦士を送り込める奴だ。
まだまだ全力じゃない。
それにヴォルターも水の神威を見せてはいない。
川の水を利用して、津波を起こすことだってできるはずなのに。
「……ん?」
そこで引っかかりを覚えた。
ずっと小出しの部隊と戦っていて、注意は正面に向いていたけれど。
なにもジャブのあとにストレートが来るとは限らない。
死角からフックが来る可能性だってあり得る。
「セドリック! 奥の敵兵はどれくらいいる!? お前の目ならわかるだろ!?」
「奥の敵兵ですか? そう言われましても、二万もいますし、この明るさでは正確な数はなんとも」
「つまり……少数部隊が抜けても気づけないってことだな?」
「数によります。五千も抜ければさすがに気づけます。ただ、二千ほどなら気づけないでしょう。もちろん、移動を見つければ気づけますが……」
「断続的に攻めたのは、目線を向かってくる敵に向けるためか!」
奥の敵が移動しても、攻め込まれていればさすがに気づけない。
それに二千程度の部隊だとしても、両側から集まれば四千。
十分すぎるほどの数だ。
奇襲部隊としては。
なぜ気づかなかった!
馬鹿か俺は!?
真っ先に警戒すべきだった。
いや、警戒はしていた。
昼夜を問わず襲ってくる敵に気を取られすぎたか。
「敵は川を渡って、横から攻める気だ! セドリック! ここの指揮は任せるぞ!」
「お待ちを! その根拠はなんです!?」
「勘だ!」
そう返しつつ、俺は城壁を下りる。
門の傍には騎馬が用意されていた。
敵への奇襲用に用意していたものだ。
「千人ついてこい! 川の様子を窺いに行く! 敵がいれば防ぐぞ!」
指示をしながら、俺も馬に跨る。
できれば勘違いであってほしい。
けれど、ここまで時間をかけてこちらの注意を逸らしたんだ。
待っている奇襲はそれに見合うもののはず。
「急げ! 俺についてこい!」
焦燥にかられながら、俺は千騎を率いて川方面の城壁と向かった。
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ナルヴァ要塞が鉄壁を誇ったのは、左右に天然の防御壁があったからだ。
傾斜の険しい山に、流れの急な川。
どちらも突破は難しい。
だが、相手が水の神威を持っているとなれば話は別だ。
「頭ではわかっていたんだけどなぁ……」
川側の城壁にたどり着いた俺が見たものは、二つに割れた川だった。
そして、整然とそこを通り抜ける数千の兵士たち。
自然の防御壁は完全に無効化されていた。
こちらは一千いるが、敵は四倍近い。
しかも、ヴォルターがいる。
「司令官自ら奇襲とは……チャンスと見るべきか悪夢と見るべきか」
ヴォルターを討てば敵に大打撃を与えられる。
だが、ヴォルターは司令官ではあるが、敵最強の兵士でもある。
討てる保証はない。
だが、戦わないという手はない。
「矢を放て! 近づけさせるな!」
川を越えた兵士たちが城壁に近づいてきたため、俺は指示を出す。
幸い、今夜は月明りが少しだけある。
高所を取っているこちらが有利に立ち回れる。
上手くすれば、この数でも奇襲部隊を食い止められるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたとき。
敵の反撃が来た。
「ぐわぁ!?」
俺の横にいた騎士が真後ろに吹き飛ばされる。
まるでハンマーに殴られたかのような吹っ飛び方だ。
けれど、驚くべきなのはそこではない。
腹部に風穴があいていたのだ。
鎧を着ているにも関わらず、だ。
普通の弓ではこうはならない。
バリスタならあるいはとも思うが、周辺に矢は見当たらない。
「これは……水?」
騎士の近くには水が飛び散っていた。
血にも混ざっている。
それで合点がいった。
ヴォルターが水を飛ばしたのだ。まるで水鉄砲のように。
「全員、水による攻撃に気を付けろ! 鎧も貫くぞ!」
警戒を促しつつ、場所を変える。
ヴォルターのことだ。声を出している指揮官を狙っているはず。
同じ場所にいたら的だ。
しかし。
「あ、あれはどう避ければいいのでしょうか……?」
一人の騎士が引きつった顔で訊ねて来た。
見れば、人間の頭くらいの大きさの水の塊がいくつも浮かんでいた。
軽く千は超えているだろう。
月明りが反射して、幻想的な光景を生み出している。
それが自分たちの命を脅かす凶器でなければ、見惚れていたかもしれない。
「伏せろー!!」
だが、あれは脅威だ。
鎧を軽くぶち抜く弾丸。
掠っただけでも致命的だ。
盾で受け止めても、危ういかもしれない。
できることは、伏せながら物陰に隠れることだけだ。
俺の声と同時に水の塊は射出される。
反応の遅れた騎士たちの腕や足、運の悪い者は頭が吹き飛んでいく。
どうにか物陰に隠れられた者も、ガリガリと城壁を削っていく水の塊に怯えることしかできない。
使徒のこういうところが嫌いなんだ。
理不尽極まりない行動を、ほぼリスクなしで行ってくる。
使徒には使徒を当てるというのが、常識化するのも無理はない。
まぁ、ヴォルターのこの攻撃は地の利があるからだろうけど、今はそれを言ったところで何の解決にもならない。
なにせ、利用できる水はいくらでもある。
自然が奴の味方なのだ。
一瞬、攻勢が止む。
それに気づき、物陰から頭を出した騎士が吹き飛ばされた。
数撃ちゃ当たる戦法から、精密射撃に切り替えたらしい。
こうしている間にも奇襲部隊は城壁を上る準備をしているだろう。
「さて、どうするか」
ない頭をフル稼働させようとしたとき、敵側から悲鳴があがった。