9 エピローグ 亡くなった者は生き返らない
さーっと風が吹き、庭園のあちこちで咲くバラの甘い香りが東家にまで漂ってくる。
木々の揺れる葉音と小鳥たちの囀りが聞こえる中、侯爵令嬢のハイディはティーカップに手を伸ばし、ぬるくなった紅茶を口に含んだ。
マーベル子爵夫人と青年のヘイズも、そっとカップを傾ける。
集まった三人、鎮魂のような長い沈黙が続き、しばらくしてふっと息を吐いたのはハイディだった。
「──最後の最後でこうなることを選んだのは、あの男自身ですわ」
彼女は揺るぎない口調で言った。
「ええ、そうですわ、主はきちんと見ておられた。あの獣に制裁を加えてくださったのです」
マーベル夫人は、神に感謝を捧げるように両手を胸の前で組んだ。
「そのとおりです。助かる道もあった。しかしそれを選ばなかったのはあの男です」
同情の余地など一切ないとでも言うように、ヘイズが確固たる口調で言う。
ハイディはふたりの顔を交互に見て、深く頷く。
彼女らにとって、ウィート伯爵は愛する者を死に追いやった憎き相手だった。
けれど憎いからといって、その命を奪う権利が自分たちにあるのだろうか。
じつのところ、迷っていた。
ハイディが復讐を決意したとき、ウィート伯爵を社交界から追放できれば十分だと思っていた。
伯爵としての威厳を失ったひとりの男にできることはたかが知れている。そうなれば、母のような犠牲者が出ることもないだろうと思った。
そして同時に、これまでの罪を認めて改心することがもしあるのならば、その道は残しておいたほうがいいのではないか、そう考えていた。
マーベル夫人もハイディの意見に同調を示した。憎き相手であっても、人の生死を天秤にかける行為には抵抗があった。
しかしふたりの意見に反対したのが、ヘイズだった。
彼はウィート伯爵が改心することには懐疑的だった。
それもそのはず、ウィート伯爵家の執事だったヘイズの父はウィート伯爵を更生させるべく苦心していたにもかかわらず、その言葉は受け入れられず、あろうことか罪をなすりつけられ、解雇させられたのだ。
ウィート伯爵に良心の欠片でもあればとうの昔に改心しているはずだと、ヘイズは譲らなかった。
三人で何度も話し合いを続け、そして出した結論こそ、神に審判を委ねるというものだった。
選んだ場所は、ホテル・ザ・ロワイヤル。
表向きは我が国屈指の老舗名門ホテルだが、数年前から密かに違法賭博や密売などの非合法なことが裏で行われるようになっていた。
ホテルのオーナーは複数いて、その中のひとりにウィート伯爵が偽りの身分で名を連ねているようなのだ。
ホテルの現支配人はじつは伯爵の息がかかっている人物で、これまで水面下で行われる伯爵のさまざまな悪事に関して幾度となく便宜を図ってきた形跡があった。
あの夜、ハイディたちはホテルを爆破するという偽の脅迫状を送ったあと、ホテルのクラブラウンジの裏部屋に置かれた置き時計の中に阿片が隠されているという嘘の話を、偶然を装ってウィート伯爵の耳に入るよう仕向けた。
伯爵が強欲さを出すなら、自ら取りに来る可能性は高いと思われた。
ただしもし万が一来なかった場合、これ以上自分たちのような犠牲者を出さないようこれまでの悪行を公にし、伯爵は社交界から追放して破滅に追い込むが命までは奪わない、そう三人は決めていた。
しかしウィート伯爵はやはりというべきか、三人の予想を裏切ることなく、自ら死への階段を上ってきたのだった。
置き時計が保管されてある物置部屋に仕掛けていたのは、爆弾ではない。
どこにでもある小麦粉だ。
爆弾ではないため、あとで現場を調べても火薬類が見つかることはない。
小麦粉などの可燃性の粉塵が充満している部屋の中で着火でもしようものなら、引火して粉塵爆発が起こる。
それを利用した。
ただし必ず爆発するという保証はなく、爆発するためには酸素と着火源があり、可燃性の粉塵が一定の濃度で空気中に舞い上がっているなどの条件が揃わなければならない。条件次第では爆発しない。
小麦粉は爆破予告でホテルから客を避難させたあと、あらかじめヘイズが集めていたウィート伯爵の被害に遭った者たちの協力を得て仕掛けた。
爆破予告をしたあの夜、幼い男の子が逃げ遅れてホテルに取り残されてしまったのは偶然で、気づいた直後にホテル内にいた計画の協力者たちが急いで男の子を避難させるために向かおうとしたが、その前にウィート伯爵が自ら探しに行くと申し出たのだ。
協力者の彼らはウィート伯爵の行動を見極め、男の子の無事を確認してから、自分たちもホテルから出たと聞いている。
ただ予想外の事態の発生で、当初の予定よりも準備に時間がかけられず、焦るあまり小麦粉が入っていた袋をひとつ回収し損ねたかもしれないと協力者のひとりは真っ青になっていたが、爆発が起こったことにより跡形もなく燃えてしまっているだろう。
当初ハイディは、ラウンジの天井裏にはガス管が配置されているので、ガスを利用する手も考えていた。
だがあらかじめガス管を破損させるにも、ガスを持ち込むにも準備するこちら側に大きな危険が伴うし、ラウンジは煙草などの火の気がある場所なので、もし誤ってホテル客が全員避難する前に爆発が起きてしまえば無関係の人を巻き込んでしまう。
それにそもそも、ガスが漏れていればガス特有の不快な刺激臭がするので、早い段階でウィート伯爵が気づいて引き返す可能性があった。それでは意味がない。
警察側では『爆弾を仕掛けた』と爆破予告があり、実際に爆発が起こったにもかかわらず火薬類が見つからなければ、爆発の原因はガス管が破裂し漏れたガスに引火した可能性も視野に入れるだろう。
ウィート伯爵が喫煙家なのは誰もが知るところだ。不幸にもガス漏れに気づかず無意識に煙草に火をつけ、爆発が起こったのでは、と推測する者がいてもおかしくない。
そうなればより一層事態は複雑化する。
ウィート伯爵の数々の悪行が綴られた文書とそれを裏付ける証拠が入った封書は、安全な場所で厳重に保管してある。
一か月後には、高級紙から大衆紙まで大小さまざまな新聞社、雑誌社宛てに届くよう手配済みだ。
封書の差出人には、ウィート伯爵と闇の部分で深くつながっていた判事の名を拝借した。
本人は先月病ですでに他界している。
だからハイディはその判事がいかにも言いそうな言葉を使い、『ウィート伯爵の裏の顔を知っていたが、死を目前に判事としての良心に耐えかね、遺言状を残して死後に罪を明らかにすることにした』という筋書きにしておいた。もし文句があったとしても、あの世から訴えることはできない。
封書のサインから中身の文書まですべて、その判事の筆跡やクセ、言い回しなどを精巧に真似て書かせた。
筆跡鑑定をしたとしても、そうそう見破れはしないはずだ。
もう間もなく、英雄と呼ばれた男の偽りの仮面は剥がれ落ち、自らの虚栄心と欲望のために他者を犠牲にしてきた偽善者だったということが世間に知れ渡る。死後も破滅は免れない。
ウィート伯爵の死は自殺か、はたまた他殺か、さまざまな憶測が駆け巡るだろう。
伯爵の被害に遭った数多くの被害者家族、そこに含まれるハイディたちにも捜査の手は及ぶはずだが、自分たちや計画の協力者たちにはアリバイがある。警察が真相にたどり着くことは容易ではない。
それでももし何かあれば、ハイディは自分がすべて負う覚悟でいる。
あのとき、ホテルラウンジの物置部屋にウィート伯爵が来て火をつけるかどうか、爆発が起こるかどうかは、神のみぞ知ること。
そして、審判は下った──。
「それにしても、あっけないものですわね……」
マーベル夫人がぽつりと漏らす。
その視線の先、丸いガーデンテーブルの上には、確認し終えたばかりの広げられたいくつもの高級紙、大衆紙がある。
ハイディとヘイズも、マーベル夫人の視線を追い、同じことを思った。
愛する者を奪った憎きウィート伯爵を葬ったというのに、三人の胸に残っているのは虚しさだった。
あの男の所業を思えば、罪悪感はない。
一方で、やり遂げた高揚感もなかった。
──亡くなった者は生き返らない。
ハイディは心の中で思った。
背後の木から小鳥が飛び立つ羽音がかすかに聞こえた。
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