8 英雄の死の真相2
ウィート伯爵はひとり、ホテルの中へと足を踏み入れた。
高い格式に相応しい豪奢な内装のホテルは、つい先ほどまで紳士淑女が語らう声で溢れていたが、今や別世界のようにシーンと静まり返っている。
ウィート伯爵は出入り口すぐの階段を上り、朱色の柔らかな絨毯が敷かれた廊下を進みながら辺りをきょろきょろと見回す。
何度か右折左折を繰り返したところで、彫刻像の脇にうずくまっている小さな人影を見つけた。
「坊や、立てるか?」
近寄り声をかけると、幼い男の子が涙でぐしゃぐしゃになりながら驚きの表情でこちらを見上げる。
子どもの手には汽車のおもちゃが握られていた。
体格や髪の色、瞳の色などを確認すれば、先ほど母親から聞いた容姿で間違いなさそうだった。
男の子はどこかけがでもしているのかと思ったが、ただ迷子になって不安に駆られていただけのようだ。
「お母上が心配されていた。さあ、私と一緒にここから出るんだ」
そう言うとウィート伯爵はこくりと頷く男の子の体に触れ、小さな体を背負った。
くるりと向きを変え、急いで出入り口を目指す。
階段を降りてあと数歩行けば、そこはもうホテルの出入り口だった。
しかしなぜかウィート伯爵はぴたりと歩みを止め、そっと男の子を下ろす。
「ここを真っ直ぐ行けば、外に出られる。私はもう一度、中に戻らねばならない。ひとりで行けるか?」
ウィート伯爵は出入り口の方向を指差し、男の子に語りかける。
男の子は伯爵の顔と出入り口を交互に見たあとで頷く。
「よし、いい子だ。さあ、行きなさい」
ウィート伯爵は男の子の背中を押す。
男の子が歩き出すのを確認したあとで、彼は急いでホテルの奥へと引き返し始めた。
ウィート伯爵は絨毯の上を小走りで進む。
しばらくしてからたどり着いたのは、ホテルの二階奥にある会員制のクラブラウンジだった。
煙草の紫煙が漂う中、紳士たちは酒を酌み交わし、ときに商談を行い、ときに雑談に興じる場所だ。
爆破予告で避難する直前まで、ウィート伯爵もこの場にいた。
大勢の紳士が集っていたことを示すように、細かな寄せ木細工が施されたテーブルの上には飲みかけのグラスや食べかけのナッツ、火が消えた煙草などが放置されたままだった。
客はよほど大慌てで避難したのか、ところどころ倒れた椅子があり、絨毯には転がったグラスから漏れたウィスキーが濃いしみを作っている。
ウィート伯爵はふむ、と顎に手を当て、ぐるりとラウンジの中を見渡す。
ラウンジの奥の一角で目を止めると、ニヤリと口端を持ち上げる。
その表情には、紳士の品格や高潔さなど微塵も見当たらなかった。
朱色の重厚なカーテンが引かれているところに目を止め、ガバッと勢いよくカーテンをめくり、人目を避けるように配置された廊下を進む。
廊下の奥、左にそれた突き当たりには古いドアがあった。
「ここか……」
ウィート伯爵は目をすがめた。
『じつは先ほどクラブラウンジに大事なものを置いてきてしまったのだ。詳しくは話せないが、誰かの手に渡っては困るものだから、自分で取りに行きたい』
ホテルに入る前に、ウィート伯爵が警部にささやいた言葉だった。
その言葉に嘘はない。
「ああ、そうさ、大事なものがある」
ククッと薄ら笑いを浮かべ、ウィート伯爵はつぶやく。
「これから私のものになる、大事なものがね──」
阿片だ。
つい先ほど、庭園の木立の中で男たちの話を立ち聞きしたとき、もとより警察に通報する気などさらさらなかった。
どうやってホテルの中へ入ろうかと考えていたのだ。
そこへ子どもを探す口実ができたのは、絶妙のタイミングだった。
あの母親と子どもには感謝せねば──。
伯爵はクツクツと笑いながらそっとドアを開け、廊下からの光を背に受けて、中を覗き込む。
ぼんやりとだが、部屋の奥の壁際に置き時計らしきものが置かれているのが見えた。
犯人はホテル内に爆弾を仕掛けたと言っているらしいが、正直なところ本当かどうか怪しいものだ。
仕掛けたと嘘を言って騒ぎを起こしている可能性もある。
万が一仕掛けられていたとしても、そもそも会員制で人の出入りが制限されるラウンジ内にあらかじめ仕掛けておくことは難しいだろう。
伯爵は室内に体を滑り込ませると、念のため誰にも見られないよう明かりも点けず、ぴったりとドアを閉じた。
あまり使われていない部屋なのか、やけに埃っぽかった。
ゴホゴホッと軽く咳をしながら、暗闇の中を壁伝いに手探りで進む。
置き時計の中にある阿片を手に入れれば、莫大な金が手に入るだろう。
これで借金を返済できる。
はははっと高笑いしそうになるのを堪えながら、ウィート伯爵は一歩、また一歩、部屋の中へと進み入る。
ふと床に置かれていた何かにつまずいてしまい、より一層埃が舞う。物置とはいえ、ろくに掃除もしていないのかと苛立つ。
「──ゴホッ。クソッ、暗いな、何も見えん」
壁伝いに置き時計のそばまで来たが、明かりがないのは予想以上に暗く、ほとんど見えなかった。
ちっと舌打ちする。はやる気持ちを抑えながら懐に手を入れ、取り出したマッチを擦った。
その瞬間──。






