控え室
リィカは必死になって歩いていた。
そもそも、最初にエスコートの話を聞いたときには、申し訳ないから断った方がいいのだろうかと思ったのだ。けれど、ドレスを着た女性は一人で歩くものではなく、必ず男性が付き添うのだと言われたら、拒否できるはずがない。
だから、アレクに言ったのだ。「迷惑かけてすみません」と。しかし、それを言ったら、なぜかアレクが不機嫌になってしまった。
時々、アレクはこうして不機嫌になる。多少は慣れてきたつもりでも、貴族への苦手意識がなくなるはずがなく、こうなるとリィカにはどうしたらいいのか分からない。
なので、ユーリに会ったときにコソッと聞いてみた。すると、なぜか大笑いされた。
『大丈夫ですよ。リィカに怒っているわけじゃありませんから。気にしないで普段通りにしていて下さい』
それができたら苦労しない、と思うアドバイスをもらっただけで終わってしまったのだが。
だが、アレクの不機嫌が持続していることはなかったし、何かあれば今のように助けてくれていることも確かだ。だから、言われたように可能な限り気にしないようにしていた。
※ ※ ※
一方のアレクは、できるだけ腕の感覚を気にしないようにしながら、ゆっくり歩いていた。
チラリとリィカを見ると、アレクの腕にがっちり掴まって、必死の形相で歩いている。だから、おそらく気付いていないんだろう。
リィカの胸が、アレクの腕に当たっている。腕にしがみついているのだから、当然といえば当然なのかもしれないが、好きだと気付いたばかりの今の状況で、この感触はキツイ。リィカに何も意図することがないのは分かるが、変なことを考えてしまう。
(大体、なぜこんな歩きにくい靴を用意したんだ?)
アレクもそんなに詳しいわけではないが、歩きにくそうなヒールの高い靴ではなく、もっと違う靴もあるはずなのだ。慣れていないリィカに、王妃やレーナニアがなぜこんな靴を用意したのかが分からない。
アレクはため息をつきたかった。腕の感触を気にしないようにと思っても、時々リィカの体がグラリと傾くので、そういうときには腕を動かしてフォローしている。それを察知するためにも、しがみついているその感触を、完全に無視できないのが辛い。
「あっ! アレク、リィカ、こっちだよー!」
だから、暁斗の姿と控え室が見えた時には、アレクは心からホッとしたのだった。
※ ※ ※
リィカは名前を呼ばれて、顔を上げた。そこにいたのは暁斗だ。歩くことにとにかく必死だったが、どうやら控え室に着いたらしい。
とりあえず一休みできそうだとホッとしたとき、不思議そうな暁斗の声がリィカの耳に飛び込んだ。
「ねぇ、なんで腕組んでるの?」
「っっっ!」
リィカの顔が真っ赤になった。腕を組んでいるというかしがみついているというか、とにかくリィカの方がアレクにくっついているようにしか見えない。
慌てて手を放して……そのまま体がぐらついた。
「リィカっ!」
アレクが叫んで、その腕がリィカの体を支える。
「いいからしっかり掴まっていろ。――アキト、女性がドレスを着たときの靴は、歩きにくいんだ。リィカは慣れていないから余計にな。だから手を貸していただけだ」
「あ、そうなんだ?」
暁斗はやはり不思議そうにしている。「そんなにムキにならなくていいのに」とつぶやいていた。
控え室の中に入ると、泰基やバル、ユーリが思い思いにソファに座って休んでいた。リィカに視線が集まるのだが、やはり歩くのに必死なリィカは気付かない。
「リィカ、座れ」
一息ついたのは、アレクに促されて一人がけのソファへ座ったときだ。ホッとして背もたれに寄り掛かる。安定しているって最高だと思う。
「ほら、これでも飲んで休んでろ」
控え室に置いてあったジュースを、アレクが差し出してきた。一瞬、リィカは固まる。平民がソファへ座って、王子が動いてジュースを手渡すとは、完全に立場が逆だ。反射的に立ち上がろうとしたが、その瞬間に足元がぐらつく。
「……ありがとうございます」
結局立つことは諦めて、リィカは素直に受け取った。アレクが自分からやってくれたことを、後から文句を言ってくることはないだろう。苦手意識はあっても、それでもリィカの知っている「怖い貴族」と違うことくらいは分かっている。
ジュースを飲んで落ち着いてくると、リィカもようやく周囲の状況が見られるようになった。
今日のパーティーの主役は、勇者一行だ。こういう場合、主役というのは最後に会場入りするものらしく、そのために主立った貴族たちが集まるまでの間の待機場所として、この控え室が用意されている。よって、声が掛かるまでは、ここで待っていればいいらしい。
時間がどれだけかかるかも分からないため、飲み物も食べ物も用意されていて、皆はそれらを口にしつつ、くつろいでいるようだ。
「暁斗、食べるならエプロンするぞ」
「ええー、大丈夫だよ」
「駄目だ、汚したらどうする気だ?」
泰基が不満そうな暁斗に、しかし強引にエプロンをつけている。そんなものまであるんだとリィカは感心したが、実は泰基が言ってわざわざ用意してもらったものだ。前面をほぼ覆っているから、たしかに汚れる心配は少ない。
そう。リィカがドレスを着ているのだから当たり前だが、他の皆も正装しているのだ。
暁斗や泰基は黒のタキシードだ。いや、男性の衣装に詳しいわけではないので、多分としかリィカには言えないが。襟や肩、袖や裾などに入っている金糸の刺繍が、とても豪華に見える。
バルが纏っているのは濃い茶色、ユーリは薄いグレーだ。やはりそれぞれ刺繍があって豪華だが、泰基や暁斗に比べると、その豪華さは多少落ちるように見える。
そしてアレクは紺色の衣装だが、色はやや黒に近い色で、金糸での刺繍が映える。バルやユーリより豪華に見えるのは、やはりアレクが王子だからなのだろうかと、ボンヤリ考える。だが、難しいことは分からず、リィカの口から出た感想は、こんなものだった。
「……みんな、カッコいいなぁ」
それぞれタイプは違うものの、皆そろってイケメンだとは思っている。だからなんだという話ではあるのだが、それが事実だ。そんな皆がそれぞれに正装していると、余計に格好良く見える。
果たして自分はこの面子の中に一緒にいて良いのかと、ふとリィカは不安になるが、ため息交じりの声がした。
「リィカにそう言ってもらえるのは、嬉しいんですけどね」
ユーリだ。どういうことだろうと思ったが、気付くと皆がリィカを凝視している。いや、暁斗だけはその口がモゴモゴしているが。
「説得力がねぇよな」
「自分のことは無自覚か」
「……無自覚というか、興味がないんじゃないか?」
バル、アレク、泰基の順に言われたが、何のことか分からずにリィカは首を傾げる。
「オレはリィカ、すごくキレーだと思う!」
口の中の物を飲み込んだ暁斗が、何のてらいもなくそう告げる。泰基がブッと吹き出し、アレクが暁斗を睨む。
言われたリィカは驚いた顔をしたが、すぐに照れくさそうに笑った。
「うん、ありがとう、暁斗。暁斗もすごく素敵だよ」
まぁ今はエプロンを着けているので、微妙ではあるが。だが、リィカの言葉に暁斗は「へへへ」とニカッと笑うのだった。
一方、その様子を見てムッとしたアレクが、リィカの前に片膝をついて左手を取った。
「アレクシス殿下……?」
不思議そうにしているリィカだが、暁斗と話しているときには見られない怯えの色が見られる。それが、アレクには腹立たしい。
「リィカ、俺たちはもうすぐ旅に出る」
「え? は、はい」
リィカは戸惑いつつうなずく。すでに決まっている予定であり、今さらわざわざ口にされた理由が分からない。
「それでだ、旅の間、殿下と敬称で呼ばれると困るんだ。だから今からは、俺のことを『アレク』と名前で呼んでくれ。敬語もいらない」
「……え」
「ついでに、あっちは『バル』と『ユーリ』だ。ほら、呼んでみろ」
「…………え」
リィカが固まる。アレクの背後では「おれたちはついでかよ」とバルが文句を言っているが、リィカの耳には届かない。
「ほらリィカ、さっさと呼べ」
「え……、えと……なんで……」
アレクの催促に、リィカは回らない頭を必死に動かす。なぜ急に、そんなことを言われるのかが分からない。
「街の中なんかで『殿下』とか呼ばれて身分がバレたら、騒ぎになって面倒だろう? 俺たちの目的は、身分を振りかざしての豪遊じゃない。魔王討伐のために前進しなければいけないんだから、余計な騒ぎを起こす必要はない」
至極真っ当な理由だ、とリィカは思った。だが理屈では分かっても、骨の髄まで染み込んだ身分の差が、リィカを強張らせる。
だが、アレクは笑った。何かイタズラを思いついたかのような笑みだ。
「――だったら、リィカが呼んでくれるまで、口付けをし続けようか」
「え……って……!」
リィカの顔が赤くなる。アレクが、手に取ったリィカの左手の甲に、口付けをした。
先ほどはそれに驚いて後ろに倒れてしまった。今はソファに座っているから、倒れる心配はない。けれど、アレクが前にいて逃げることもできない。反射的に手を引こうとしたが、アレクが掴んでいるから、それもできない。
「ほら、リィカ」
またも落とされた口付けに、リィカはもうどうしていいか分からなかった。こんなことに免疫などないのだ。この状況から逃れる手段は、たった一つ。
「……………………アレ、ク」
うつむいて小さな声だが、それでも言われたとおりに名前を呼ぶ。その声は確かにアレクにも聞こえた。
「ああ。――これからよろしくな、リィカ」
その嬉しそうな声に、リィカは顔を上げる。すると、声を裏切らない笑顔のアレクと目が合って、リィカは激しく動揺したのだった。




