切断の崩壊
森を抜けて村に戻った俺は、その場で立ち尽くしていた。
「ハァ……ハァ……」
瓦礫と化した家々はその戦いによって地面にひしゃげている。
俺の視線は広場の先の、民家の壁の前に立つボスに向いていた。
ボスは、俺に背を向け溜息さんを壁に押さえつけるようにして締め上げていたが、やがてその手を離し、こちらに振り返る。
「戻ってくるとはな。意外だ」
ボスの声。詩道さんの作ったクレーターを挟んで、俺とボスは向かい合っていた。
壁をズルズルと引きずって、溜息さんはその場に倒れ込む。
彼女にはもう呼吸も、心音も、なかった。
「……死んでる」
「ああ」
俺の呟いた言葉にボスが相槌を打つ。
溜息さんは……殺された。間に合わなかったのだ。
いや……。まだだ。
心肺停止の状態とはいえ、救命措置を行えばまだ助かるかもしれない。
だけどボスがそれをさせてくれるとは思えない。
猶予は数分だ。なら……。
先に殺すしかない――
そう思って一歩を踏み出すと、ボスは懐からナイフを取り出し、それを溜息さんの首にストンと振り落とした。
「……!」
ナイフは彼女の首に深く突き刺さり、血溜まりが小さく広がる。
あれは……間違いなく死んだ。
「これは良い勲章になる」
ボスは潰れた片腕を押さえて言った。指先からは次々に血が流れ落ちていく。
それに伴って生じた目眩。俺は顔半分を押さえつけ、フラついた体をなんとか立たせた。
……こんなことになるのなら、俺は一体何のためにここに戻ってきたのだろう。
「溜息さんは……組織のためにずっと働いてきたんですよ」
無駄だ。そんなことを言っても意味はない。
俺は頭痛と吐き気を堪えながらボスを睨む。
「それは俺が一番よく知っている」
そう、ボスも分かっていることだから。
ああ……クソ。これじゃいくらなんでも溜息さんが、可哀想だ。
だけど……悲しみや怒りより同情が先に来るのはなぜだ?
薄々、溜息さんがボスに勝てないことくらい分かっていたからか?
いや違う。それは、この時点で俺が……自分の命を優先しているからだ。
でも、その割にはいつもよりやけに冷静でいられる。
「我ながら、血も涙もない」
ボスは言った。
合わせて深呼吸を一つする。
頭痛と目眩は収まってきていた。
溜息さんが生きていればまだ分からなかったが、俺が正面からボスに挑んでも勝てるわけがない。
ならどうするか?
対話に持ち込むか、一旦隠れるか。
選びたいのは後者だが、辺りはすっかり平地になってしまって隠れられる場所なんてどこにもない。
わざわざ姿を現すなんて、あまりにも無思慮すぎた。
「まだ懺悔がしたいなら、俺が付き合いますよ」
こんな挑発じみたセリフを吐いたのは、俺も気がおかしくなっているからなのだろうか。
戦闘になれば仕方ない。やるしかない。
これまでの傾向を見るに、ボスは近接攻撃による殺しを行う。
溜息さんも直接絞め殺したみたいだし、ナイフの投擲等は警戒した方がいいが、歪曲音を周囲に展開していれば、接近時の能力使役は潰せる。
「あっちは終わったらしいな」
ボスは視線を流す。空蝉さんと千薬さんの向かった方向だ。
響いていた彼らの戦闘音はいつしか止んでいて、察するに勝負はついたらしい。
「懺悔と言ったな、死音」
腰を曲げて、溜息さんの首からナイフを引き抜くと、ボスは俺に視線を戻した。
「ええ」
「中々に的確だ。 死音、お前は自分の犯した罪悪を思うたびに、誰かに許しを請いたくはならないか?」
「なりませんよ、今じゃもう」
ボスと、Anonymousが俺をこうした。
悪でいなければ生きていけないことを俺に教えたのだ。
「そう、最初は誰かのせいにしたくなる。
お前はここで死ぬことになるが、生きていれば分かる時が来たはずだ」
「ボスは、なるんですか?」
「ああ。時にはな」
笑えない。
「笑えませんよ、そんなの」
ボスがそうであったなら、罪の意識を振り切って悪に徹した構成員達は余りに報われない。
「それだけは聞きたくありませんでした」
言うと、ボスは笑って目を瞑り、ゆっくりとこちらに向けて歩いてきた。
俺もふうと息を吐き、無理やり顔に笑みを貼り付ける。ホルダーのナイフに手を掛け、ボスを静かに見据える。
ボスを相手にすれば、先手も後手も変わらないだろう。
だが、歪曲音は敵の意表を突くことのできる技だ。先に動く。
――無音世界
一瞬だけでいい。
なんとか……、なんとか耐えろ、俺。
音の消失は、世界の停止を錯覚させる。
しかしそれはほんの一瞬。
ボスが静かにナイフを構えた。まだ遠い。
だが、無音世界の中では射程圏内だ。
――歪曲音
ピタリと、ボスが足を止め目を見開いた。
瞬間、俺は走り出す。
ズキンと頭が痛む。
駄目だ、もう少し。もう少しだけ、ボスとの距離を詰めなければ。
それまで、無音世界は解けない。
数十メートルの距離は数秒で詰まる。俺の接近に合わせて、ボスも地を蹴った。
この距離なら、素で歪曲音が届く。俺は無音世界を解き、さらに距離を詰めた。
世界に音が戻る。
俺はボスの潰れた腕の方に回り、ナイフを振りかざした。
地を強く蹴って、跳びはねるようにその首を狙う。
完全に虚を突いた。
次の瞬間、火花が散る。
穿ったナイフはボスのナイフによって相殺されていた。
「……っ!」
不味い……!
反撃に備えて俺はバックステップし、距離を置く。だが、ボスの追撃は凄まじく速かった。
ギリギリの反応。俺はナイフをパッと手放し、射出機に手を伸ばす。
その時、ボスの体がブレる。
追撃に見せかけてボスが後退していたのだ。
「しまっ……!」
歪曲音の射程範囲から出たボス。
速すぎる。体術も達人クラスだ。
そして妙な虚脱感が俺を襲う。
直感で時間が盗まれたのが分かった。
全人類に与えられた唯一の権利を侵害する能力。時間という平等の迫害。
……この人には、勝てない。
視界が暗転するような感じ。いや、暗転したのではない。すぐ目の前に、ボスが現れたのだ。
そのラグによる感覚のズレの修正は間に合わない。体勢を崩しながら、手を前に伸ばすと、ボスが突き出したナイフが俺の右手を貫いた。
「ぐぅ……!」
そのまま倒れ込んでいく。すると、背後にはなかったはずの壁があり、俺の手はそのままナイフで壁に固定された。
ナイフを放し、ボスは俺の首に手を添える。
そこでピタリと、動きが止まった。
「おかしいな」
言って、ボスの瞳が左に移動する。
釣られて俺もそちらに視線を移した。
そこには一人の男が佇んでいた。
やつれた顔をしており、やけにボロボロな服装。髪も伸び、肌も少し焼けているが、俺はひと目でそいつが誰だか分かった。
「お前を招待した覚えはないぞ、御堂弦気」
「私が招待したんだ、ハイド」
女の声だった。
ボスの視線が今度は右に移る。
「なるほどな」
フッと笑い、
ボスは俺から離れ、振り返った。
反対側から現れた人物に、俺は見覚えがあった。
透き通った白髪……。
彼女は……観測者の部屋に現れた少女だ。
「やっと会えたな、ハイド」
「予想よりかなり早いが……お前が現れることだけは予定調和だ。夢咲愛花……いや、観測者。
また俺の邪魔をしに来たか?」




