24. 野良猫の「またね」と、子供すぎた魔法使い。
「あ、またその本読んでるの?」
背後から覗きこまれる気配と、子供特有の甲高い声。
肩越しに振り返ると、今日も愛想のない表情で立つ緑髪の少年の姿があった。
「ちび、またきたのか」
「そうだよ。悪い?」
ツン、とそっぽを向きながらも、少年はいそいそとウィード・セルの隣に腰を下ろし、彼の手元に広げられた本に視線を落す。
――― 最初に出会った日から、はや3カ月。
あれから毎日のように、少年はウィード・セルの元を訪ねるようになっていた。
仮にも、城住まいの貴族の子息だろう。
こんなに頻繁に出歩いて大丈夫なのかと問うと、「だれにも気づかれやしないよ」とスカした口調で返されたので、それ以上追及はしていない。
深く関わるのは危ないし、面倒だから。
「ウィセルってさ、よくあきないよね。まいにち、おなじ童話ばっかりよんでてさ」
その日、しばらく姿を見せていなかった少年が、ふらりとやって来るなり、そう宣った。
抱え込んだ膝に顎を置いたまま覗き込んでくる少年に、少々呆れ気味な口調でそう言われてしまい、ウィード・セルはムッと両目を眇めた。
最初に出会った日の翌日、愛読書『~二つの太陽~』を読んでいる現場を目撃されてしまったウィード・セルは、年甲斐もなく童話を読み耽っていたこと馬鹿にされるのではないかと、ひどく焦った。
しかし、当の少年が「ああ、ぼくもその本、まえにもってたよ。けっこう、いいはなしだよね」と、暢気に言って来たので、それ以来、隠すことなく堂々と広げることにしている。
という話はどうでもいいが、
「ウィセルゆーな」
今日も、教えたはずの名前ではなく愛称で呼んできた少年を、ウィード・セルはギロリと睨んだ。
毎日繰り返される、この応酬。
またかと言わんばかりに、少年が大きく肩を竦めた。やれやれ、といった様子に、なんだかイラリとする。
「ウィセルって呼んだって、別にいーじゃん。あんたのおじさんもそう呼んでるじゃないか」
「それでも、おまえはよぶな」
子供とはいえ、貴族は貴族。
基本的に、貴族は嫌いだ。だから、必要以上に慣れ合うつもりは毛頭ない。
「なんだよ、けち」
ウィード・セルの素っ気ない扱いに、少年はむーっと唇をへの字に曲げた。
その小さな口元と丸い頬、そして右目の上には、相変わらず真っ白なコットンとガーゼを当てられたままだ。
「ん、これ?」
ウィード・セルの視線に気付いた少年は、子供らしからぬ、ちょっとだけ苦味を含んだ笑みを浮かべて、ガーゼに触れた。
「もうほとんどなおってるんだけどさ、まだアザがのこってるから貼っとけって。おとなって、おおげさだよね、ほんと」
誰にやられたのか。
あれからそれとなく訊いてみたこともあったが、彼はだんまりを決め込んだまま、答えようとしない。
だが、貴族の子である彼をこうなるまで害したにも関わらず、相手が何の処罰も受けていないということは、首謀者はきっとかなり身分の高い人間――― 貴族だ。それだけは間違いないだろう。
まったく、吐き気がする。
というか、自分の子供があんな怪我をさせられたというのに、親は怒らないのか。
無意識のうちにそうぼやくと、
「ぞうだなー。少なくとも、ちちおやは何もいってなかったけど」
と、本人が特に気にした様子もなく宣ったので、ウィード・セルも気まずくなって口を閉じるしかなかった。
自分とは異なれど、こいつもいろいろと複雑な環境にあるのかもしれないと思いつつ。
「ねぇ、ウィセルってさ」
懲りもせず愛称で呼ぶ少年に、先ほどまでの回想と気遣いの思いを吹き飛ばしたウィード・セルは眦を吊り上げた。
が、少年は一向に気にした様子もなく、ウィード・セルが開いていた童話の1ページ――― 精霊の娘が、少年に洋服を差し出す場面を描いた挿絵に、指を当てる。
「あんたさ、こういうおんなが好みなの?」
銀色の髪を垂らした、白い面の美少女として描かれている、精霊。
淡いパステル調のその横顔から少年へと視線を戻すと、真っ赤な顔をした彼に、ギロリと睨まれた。
「あのな。そんなに照れるなら、きくなよ」
「う、うううるさいなっ! どうなんだよ」
「どうって、なー。うーん……まあ、そりゃ、すきだよ」
「ほんとか!? ほんとに、ぜったいだな!」
「ウソいって何になるんだよ。てか、こわいよ。近いし」
「あ、ごめん」
乗り出していた身を引きながら、少年は額にかかった自分の前髪をはらった。
はらい際に、指先で摘まんだ髪の束を眺めて、ひとつ小さな唸り声を洩らしている彼を、ウィード・セルは半眼で眺める。
「なんなんだよ、おい」
「んー、いや。ただ、すきなのかなーっておもって」
「好きでわるいか」
「そんなことないよ。むしろ、たすかる……かな?」
「は?」
「こっちのはなしー。きにしないで」
少年はそう言って、にんまりした表情でニヒヒと、得体の知れない笑い声を立てた。
へんなヤツ。
そう思いながら見据えていると、ふと、彼の上着の胸の部分、繊細に施された手刺繍の糸が解れて緩んでいるのが目に入った。
ここは王宮だ。出入りを許された貴族である少年には、それなりの侍女が付けられているはずで、衣装も家に恥じない上質な品が用意されるはず。
(……またか)
初めて会った、怪我をしていた日に比べれば、何の外傷もないようにみえるが、今日も誰かに何かされかけたのだろうか。
「チビ、ちょっと上着脱げ」
「えー」
眉根に皺を寄せて渋るので、ほら、と急かすように手を差し出すと、少年は唇を尖らせながらも、濃紺の上着を脱いで渡してきた。
「そんなほつれ、だれもみないよ」
「んなわけないだろ。ここをどこだと思ってるんだ。高慢貴族どもの伏魔殿だぞ? どうやって、他人のあげあしをとるかってことばかり考えてる連中のなかを歩かなきゃいけないのに、乱れたところをそのままにしてるヤツがあるか」
大きめの縫い針と糸を裁縫箱から探りつつ、ウィード・セルは言い聞かせる。
「いいか? よく、『人はみかけじゃない』っていうけどな、みかけも大事なんだよ。たしかに、着かざるばかりがぜんぶじゃないけど、身形をととのえたりきれいにしたりするのは、〈せけん〉にたいする礼儀だ」
これから対面する人間に対し、着飾る価値があると示す行為。
一番最初に、師匠に教えられた概念だ。
「べつにいいよ。あんなやつらに、れいぎなんてはらわなくても」
「ま、そう思うなら勝手だけどな。ただ、じぶんを価値がないとあつかうやつに、礼儀をはらってくれるやつはいないと思うぞ」
「そんなこと、のぞんでないし」
「ふうん。……チビさ、大事なひとっていないの?」
「え?」
「たとえばさ、おれだったらルーシス叔父さんだな。たったひとりしかいない家族だし、育ててくれたひとだし。たぶんおじさんは、おれが誰かに馬鹿にされたり傷付けられたりしたら、すごーく悲しい顔をすると思うんだよな。おれは、そんなの絶対にやだね」
「………」
少年は黙って俯いてしまった。
大事な人がいないのか、という台詞は、ひどく残酷だったかもしれない。
だが、ウィード・セルには確信があった。
(こいつ、たぶんすっごい大切に育てられてる)
いま、この王宮に置かれた環境は、決して恵まれたものではないだろう。
しかしながら、ここに来るまでは愛され、慈しまれて育てられたんだろうという気配が、彼からは感じられるのだ。
どうしてここに来る羽目になったのかは知らないが、それまでこの少年を大切にしてきた人たちが、今の状況を知ったらどう思うだろう。それを思うと、人事なはずなのに、ウィード・セルの腹の底で沸々としたものが湧き上がる。
「洋服はな、一種の鎧だ」
そう言いながら、ウィード・セルは上着を改めて手に取った。
「ああ、あんまりひどいほつれじゃないな」
よかった。
言い出しといて直せなかったら決まり悪かったなと、安堵の息をこっそりと吐く。
まず、ウィード・セルは大きい目の縫い針に刺繍糸を通し、さらにもう一度糸を穴に通し、糸のループを作り出した。
その針を、慎重にほつれた糸の傍に突き通し、ループ状の糸をほつれた部分の糸に引っ掛け、そのまま生地の中にスッと引き込んでいく。
「……すごい」
いつの間にか、少年が身を乗り出し、間近で手元を覗き込んでいた。
キラキラした大きな左目。先ほどの会話など忘れてしまったかのような、夢中そのものの表情に、ウィード・セルは吹き出しかけたが、なんとか我慢する。
「ほら、直ったぞ」
手渡してやると、少年はわあぁぁっ、と歓声を上げてそれを広げた。
ひとしきりクルクルと裏返したあと、こちらを見て満面の笑みを浮かべる。
「すごいっ! すごいよ、ウィセル!」
「そ、そうか? それほどのことでも……」
「君、まるで本物の〈精霊の仕立て屋さん〉みたいだ!」
その言葉が耳に入った瞬間、顔面に熱が上った。
「ば、ばか言ってないで、さっさと着ろっ!」
「うんっ」
元気良く頷いた少年は、いそいそと上着を着込み、ぬふふと怪しい笑い声を洩らしている。
「これ、一生だいじにするよ」
「いや、そこまでしなくていいから」
針と刺繍糸を丁寧に仕舞いながら、ウィード・セルは、口元を緩めたままで言う少年にツッコミをいれた。
「それよりも、身なりはきちんと整えること。なにを着ていても、だ」
「……まだいうの?」
「まあ、そんな顔するなよ。いやなヤツに礼儀をはらわせるってのは、なかなかスカッとするもんなんだぞ?」
とたんに口をへの字に戻した少年に、たたみ掛けるようにして言葉を繋げる。
「おれは、しょうらい自分で服をつくれるようになりたいからな。どうせ着てもらうんなら、きれいに着てほしい。おれが作ったものを着た人には、自信を持って立ってほしいって、どうしても思っちゃうからな」
「そうしてくれると、ウィセルがうれしいの?」
「あったりまえだろ。さっきな、その童話に出てくる精霊みたいな子が好きかって聞いたよな、チビ」
「うん」
「おれは、精霊みたいにキレイなこもきらいじゃないけど、おれの服をきちんと大切に着てくれるこのほうが、もっと好きだね」
「!」
少年は左目を見開いて、こちらを見上げてきた。
その時初めて、彼の短い髪は濁った緑色をしているが、瞳は澄んだ青をしていたことに気付く。周りの傷にばかり視線がいってしまったため、今まであまり気にしたことが無かったのだ。
もしも髪がもっと明るい色ならば、白い生地の洋服がさぞかし瞳に映えるだろうにと、ウィード・セルは少し残念に思った。
「じゃあ、じゃあさ!」
そう言いながら、興奮した面持ちで少年が身を乗り出してくる。
「もし、セイレイみたいにきれいで、いつもきちんとしてるおしゃれなオンナのコがいたら、どうする!?」
「どうするって」
一体どうしろと。
「すきになる?」
「んー、わかんないけど。そうなるかもしれな……」
「なるんだね?」
「いや、だからわかんないけど、そうなることもあるかなーなんて」
「わかった!」
何をだ。
そう尋ねかえしたかったが、
「よしっ!」
と少年が両手でガッツポーズを作り、さっさと立ち上がって駆け出してしまったため、タイミングを逃してしまった。
「おい、チビ――――、」
庭木の群の向こうに消えかけた少年の背中に、寸でのところで声を掛ける。
「なにー?」
「いや、その……」
――― 明日も来るのか?
そう問いたかったが、言葉を音に出来ない。
だって、それじゃあ、自分が少年の訪れを心待ちにしているみたいじゃないか。
貴族なんて嫌いだ。毎日来られても迷惑だ。そう思っていたはずなのに。
(なんで呼びとめたりしたんだ、おれのバカ)
声を上げた時に伸ばしかけた手の収め方も分からない。
そんなふうに、自分を罵りながら逡巡し続けていると、ふいにウィード・セルの耳に、堪え切れなくなったような笑い声が届いた。
「じゃあ、またね。ウィセル」
ひらひらと振られる細い腕。
木漏れ日の中で形作られた笑顔は、これまで見てきた中で一番無邪気で。
別れ際にはいつも、あしたね、と言っていた少年。
ウィード・セルがあの庭で彼に会ったのは、それが最期だった。
今思えば、初めての友達だったのに。
+ + + + + + +
「ぐえっ」
腹に衝撃を受けて、ウィード・セルは飛び起きた。
その拍子に、腹の上から転がり落ちたアルダと目が合い、うんざりする。
「やぁっと起きた!もう夕方よ。早くしてくれないと、お祭始まっちゃうわよぅ!」
寝台の縁に両手を突いて身を乗り出したマリー・ベルが、彼の胸元に櫛を押し付けてくる。
そこでやっと、夜に備えて宿屋の部屋で昼寝をしていたのだと思いだした。
「うーんと可愛くしてね、スタイリストさん?」
最悪な目覚めをくれたお姫様が、小首を傾けてうふふと微笑う。
はいはい、と頭を掻きながら寝台から下りたウィード・セルの頭からは、もうあの少年との思い出の夢は消え失せていた。




