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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
23/43

22. 夜の魔法使いの、青い外套。

 その朝、彼は石積みの塔の内部に渦巻く、螺旋の階段を上っていた。

 今滞在しているこの領主の砦にある中で、最も高い塔。立場上、普段からそれなりに身体を鍛えているのだが、長い時間こうして登り続けていると、さすがに疲れてくる。

 だが、彼の前を行く年若い従士には、1ミクロンの苦にもなっていないらしい。音程はずれな歌声とひたすらに軽い足音が、絶えず耳に届く。


「とぉちゃーくっ」


 そりゃっ、と無駄に元気な掛け声とともに目の前で弾けたのは、澄み渡る青空。

 扉を潜ったヒースは、手の平を目元に翳して、沁みるような青を仰いだ。

「本日は、晴天なり~っ! 風向きりょーこーっ!」

 半円状のテラスの縁に立ったアルフェンが、天に向けて片手を挙げ、目を閉じる。

「あ、あの者は、何をしているのだ?」

 遅れてやって来たノイ・クレスが、入口の壁に凭れながら、息も絶え絶えに訊いてきた。

「風を読んでいる」

「風? どうしてそんなことを……。それより、早く次の街へ立つ準備をしてはどうだ。王都を出てから、どれだけ無為な時間が過ぎたことか!」

 いまにも奇声を上げて頭を掻きむしり始めそうなノイ・クレスを、無表情なままに、面白おかしく眺めながら、ヒースは腕を組んだ。

 ノイ・クレスには、非常に感謝している。

 王弟である彼が付いて来てくれたおかげで、捜索の旅は当初の予定よりも遥かに捗った。

 アルフェンが以前から行ってみたいと騒いでいた遊園地(テーマ・パーク)の優待券も貰えたし、予約がなかなか取れないことで有名な、温泉リゾートのスイートにも宿泊。さらには、期間限定発売の地方都市名物を、長蛇の列に並ばずしてゲット出来てしまった。

 全ては、王子の顔パスによる成果。

 感謝してもし尽くせないとはこのことだ、ありがたい。


「ヒース王子~」


 パタパタと足音を立てて、アルフェンが駆け寄って来る。そのベルトの横で揺れる、オレンジ色のモコモコとしたキャラクター人形を目で追ったノイ・クレスが、苦々しく顔を顰めた。

 ちなみに、あれはヒースが遊園地で買い与えた〈ボヘミニー〉とかいう名のマスコットだ。気に入って貰えたみたいで、何より。

「王子、そろそろ“呼ぼう”と思うんですけど、いいですか?」

「ああ、頼む」

「お、おい。何を呼ぶ気だ?」

 胸元から銀色のホイッスルを取り出したアルフェンに、ノイ・クレスが恐るおそるといった様子で声を掛けた。

 吹き口を咥えたままアルフェンが振り返ると、彼はひっと青ざめた悲鳴を上げる。

 この間、アルフェンが「なんだか、僕、王子に怯えられてるみたいなんですー」と愚痴っていたが、どうやら本当のことらしい。何故だろう。

「じゃあ、いきますよ」

 その声掛けにヒースが頷きを返すと、アルフェンは目一杯ホイッスルに息を吹き込んだ。

 色の無い音色が、広い空に響き渡る。

「……何も起こらないではないか」

「良く見ろ」

 首を捻るノイ・クレスにも分かるよう、ヒースは遥か遠くの地平線、街を囲む森の上空を指差した。

「ッ! あれは」

 白い霞みを帯びた青の中、ぽつぽつと現れ始めた、いくつもの点のような黒い染み。

「おぉい、こっちですよーっ!」

 両手を広げたアルフェンが、短い紅茶色の髪を風でくしゃくしゃにしながら跳ねる。


 ひらひらと舞い降りる、濃茶の巨大な羽。


 風を切り、空を駆けてきたそれらは、やがてヒースらの頭上で旋回を始めた。

「――― 王子、“影”からの伝令です。〈銀の月〉の在り処が分かりました」

 振り向きざま、小首を傾げた従士の上を、複数の影が行き交う。

「まっすぐに向かいますか?」

「ああ。まぁ、のんびりな」

 早く行き過ぎて無駄に頑張るのも、めんどくさい。

 羽ばたき、降下の姿勢をとった軍用グリフォンの群を見上げながら、ヒースは気だるげに両目を閉じた。







 + + + + + + +







 ウィード・セルは、本日何度目にか、眉間に皺を刻んでいた。

「ね、これなんていいんじゃない?」

 ぐいっと胸元に当たられた服の陰から、マリー・ベルの満面の笑みが覗く。

 ……どうもなにも。

 押し付けられるように当てられたその外衣の色に、魔法使いは口元を歪めた。





「さ、古着屋に行くわよ!」


 お馴染みの拳を突き上げるポーズを取ったマリー・ベルがそう宣ったのは、〈ベル・ローズ〉で給料を貰い、賑やかな打ち上げを愉しんだあとの帰り道のことだった。

「この上、新しい服を買う気かよ」

 明日は祭。この村に滞在する最期の日……にする予定だ。

 それというのも、本来の目的だった魔女の情報収集のことを、二人がすっかり忘れていたためである。



 気が付いたのは、先ほどの打ち上げの最中。



 仕事に没頭しすぎてだなんて、こんなアホな理由があるかと、ウィード・セルは本気でへこんだ。呪われているのは、彼自信だというのに……有り得ない。

 とりあえず、近くに座っていたマルティナに、遅すぎる聞き込みをしてみる。

「え、この辺りに住んでる魔女? カルツ、知ってる?」

「んー……、聞いたことがあるようなないような。でも、噂程度だね。くわしくは知らないな。本当に居るか、怪しいものだし」

「そうだよねー」

 顔を見合わせて笑うマルティナとカルツの言葉を、ウィード・セルは不思議に思った。

「ここは、幻獣や薬草の宝庫って言われてる〈黒い森〉だぞ? 魔術の材料調達に便利だから、魔女の一人や二人、住んでたって不思議じゃないだろ」

 そう言ってみると、テーブルに頬杖をついたカルツが、面白がるように目を細めて低く笑う。

「あのね、ウィセル君。君、魔導士なんだよね」

「ああ、まぁ、一応」

「だから、ここに来る前の設営現場で、とっても重宝されてただろう?」


 ――― 彼らの話によると、この村には魔導師になれるほど強い魔力を持った人間が、全く居ないのだそうだ。


 居ても、幼すぎる子供のみ。一定の年齢を過ぎると、村から学費を出して大きな街の学院に送るというのが、代々のしきたりなのだそうで。

「だから、こんな辺鄙な田舎に、わざわざ好んで住んでる魔女なんて居ないと思うよ。ははは」

「魔術材料だって、村の人がギルドに売ってるから、通販で簡単に手に入るらしいしね。うふふ」

 またもや、魔導ギルド……どれだけ手広くやってんだ、恐るべし。



 ――― という話は、ともかく。



「なによ、気に入らない?」

「そういう訳じゃないけど……」

 じゃあ、次はねー、と自らが選び出した外衣を突き付けてくるマリー・ベルの上機嫌振りに、ウィード・セルはこめかみを押さえた。

“古着屋に行く”

 そう言い出したから、てっきり彼女自身の服を買おうとしているのだと思ったのだが。

 もうこの村を出るのに、この上服を増やすのかと文句を言うと、

「そんなわけないでしょ。あなたの服を買うのよ」

 と、彼女はにっこり笑って言った。

「ほんとはカルツさんのお店で買ってあげたかったんだけど。上から下までってなると、わたしのお給料じゃ足りなくなっちゃうしー」

「おや、お嬢ちゃんがその髪を売ってくれるなら、高級衣料店で新品を買えるだけの金くらい、ワシが用立ててやるぞ?」

 唸りながら、給料を入れた革袋を覗き込むマリー・ベルに、店主が冗談半分、本気半分といった口調で提案してくる。


 ここにきて初めて知ったのだが、マリー・ベルのような煌めきを宿した4原色に近い髪は、〈星髪〉と呼ばれる非常に珍しいもので、(かつら)の原料や魔術材料として高額取引されているらしい。


 どうだい? と迫る店主に、マリー・ベルは小さく舌を出して笑った。

「いやよ。髪は乙女の命なのよ、おじさま。いくら積まれても、これだけは手放せないわ」

「はは、残念だなぁ」

 気が変わったら、いつでも言ってくれ、と朗らかに言い残し、店主は別の客の元へと移動してゆく。

 その後ろ姿を見送ったあと、ウィード・セルは振り向きざまに、呆れを含んだ視線を王女に送った。

「……あんた、全身揃えて買う気かよ」

「もっちろん! ほら、なんでも好きなもの選びなさいよ。わたしの奢りなのよ、わ・た・し・の!」

 鼻息も荒く、胸を張って踏ん反り返ったお姫様を見下ろしながら、ウィード・セルは明日の天気の心配をせずには居られなくなった。せっかくの祭なのに、嵐だと困るだろう。

 しかし、

「……どうせ、あともう少しの間のことだぞ」

 魔女を見つけて、骨牌(カルタ)の呪いを解いたら〈演劇儀礼〉に戻らなければならない。

 このお姫様に戻る気があるかどうかは知らないが、大勢の国民の命に関わる問題だ。無理やりにでも連れ帰るつもりでいる。

 それまでは、別に今のままでもいいのに、とウィード・セルは自分の服――― キリルから譲り受けたお下がりの洋服を見下ろした。

 初めてあの宿に泊った日、汚れてしまった服の代わりにとユマがくれたものだ。流石に、あの儀礼コスプレ服では暮らせまいと困っていたところだったので、本当に助かった。

 だから、儀礼に戻るまでは、別にこの服のままでいいと彼女にも伝えたのに………。



「ああ、これ! この服がいいわよ。うんっ」

 一枚の外套(マント)に目を留めたマリー・ベルが、パッと色付くような声を上げた。

 ……確かに。

 デザインは悪くないし、余計な飾りも付いていない。シンプルな服を好むウィード・セルからみても、望ましいと思う。

 生地を見る限り傷みも見当たらないので、比較的新しい品でもあるようだ。

 だが、問題はそこじゃない。


「これって、青じゃないか。僕は、〈夜の魔法使い〉だぞ?」


 おいおいとばかりに突っ込みを入れると、マリー・ベルはそれがどうしたという面持ちで首を傾げてきた。

「まあ、そうね。でも、あなたには黒より、こっちの色の方が似合ってると思うけど。ていうか、黒似合わない」

「そんなこと言われてもな!」

 色々と拙いだろう。

 誓約に縛られた身の上で役目を放棄し、未だ逃亡を続けている現状。その上、儀礼で定められた規定すら犯すともなれば、罪悪感も増すというもの。



『ヴォロンディの一族は、演劇儀礼の為にその存続を赦されている』


『お前は、儀礼というお役目を果たすためだけに生まれてきた』



 幼い頃から、繰り返し耳に捻じ込まれてきた言葉。

 一族に唯一の直系として生を受け、夜の魔法使い“ウィード・セル”の名前を与えられた彼は、母から生まれ出た瞬間から誓約魔術の印を胸に抱えていた。

 王家に無断で国境を越えることが有れば、その者に確実な死を与えるという、誓約とは名ばかりの白い聖布で包まれた呪い。

 ――― この国に逆らってはならない。

 ――― ただ、与えられた場所で、言われた通りに生きればいい。

 己の境遇を諦め切った大人たちが、幼子の頭を撫でながら諭すように言い聞かせる。


 大嫌いだ。


 この国も、この身体に流れる血も、何もかも。

 何より、それに甘んじることしか出来ない、無力な子供でしかない自分が。

 でも、逃げられない。

 誓約の力で命を絶たれること、そのことが恐ろしかったからだけじゃない。

 待ち望んだ五十年。解放の可能性を秘めた一瞬を間近に控えた今、もし彼を――― 夜の魔法使いを失ったならば、この国は何をする?

 その身の在り方に悲嘆すら浮かべなくなった親族たち。何の謂われもなく、ただ罪人のようにこの国に囚われた、哀れで愚かしい血を同じくする人々。


 それを情けないと忌ながらも、ウィード・セルは彼らを愛していた。


 中でも、叔父は誰より大切だった。

 幼くして両親をうしなった彼に、無償で与えられてきた愛情も、頭を撫でてくれる温かな手の平も、何もかもが大切だった。


 ――― このままじゃ、あんたは死んじゃうよ?


 師匠に出会った日、指先で押された胸の部分が痛む。

(でもさ、師匠……)

 例え自分の感情を生涯殺し続けることになってしまったとしても、自分のせいで大切な人たちが害されるよりは、きっとマシだと思う。

(……俺は、〈夜の魔法使い〉で在り続けなくちゃいけない)


 だから、断ろうとした。

 

 夜の名を持つ魔法使いに相応しい、黒を。決められた衣装を選び直すと。

 


 ――― なのに、






「わたしは、やっぱりこっちの方が好き。あなたらしくて、素敵だわ」




 何の飾り気もなく、ただ自然に零れ落ちたかのように、そんなことを言うから。

 向けられた笑顔を、莫迦みたいに、食い入るように見つめてしまう。

 すると、その視線にたじろいた彼女が、らしくもない気弱な視線を寄こしてきた。

「……やっぱり、嫌?」

 返事をしない彼を不満に思いながらも、気にいらないのかと不安に感じているらしい、小さな声。

 ウィード・セルは思わず吹き出した。

「いや、別に嫌じゃないけど」

 そう言って、さっきから同じような台詞しか口にしていなかった自分に気付き、可笑しくなって笑いが止まらなくなった。

「なによ、もう」

 髪の色に負けないくらいに顔を赤くして怒るマリー・ベル。

 嫌味で生意気で、悪知恵ばかり働かせる、とんでもない王女だと思う。

 なのに、素直な心をペロリと口にしてしまうような、そんな純真さを見せたりもする。


 彼女にも、可愛いところがあるらしい。

 それも、思っていたより、沢山。


 そう思うと堪え切れず、ウィード・セルはまた笑い出した。

 腹を抱えてまで笑う彼のことを、マリー・ベルが目を丸くして見ている。だが、ふいに視線を逸らせると、彼女は拗ねたように唇を尖らせた。

「別にいいわよ、無理しなくても。他に黒いのを―――」

 青い外衣を棚に戻そうと伸ばされた腕。それを遮って、ウィード・セルは彼女の手から外套を奪い取る。

「な、なにするのよっ」

「これにする」

 愉しさが押さえ切れない声でそう言い、ウィード・セルは店主の方へと歩き始めた。

「ちょっと。ほんとにいいの?」

 外套の重みを失った両手をあたふたさせながら、王女が後を追ってくる。

 そんな彼女を肩越しに見やり、ウィード・セルは照れを誤魔化すように、口早に言った。

「いいんだ。これが、気に入ったから」




 ――― 少しだけ、今の自分が好きになれそうな気がする。




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