19. ちびっこだった魔法使いと、女王様じゃなかった女王様。
ひとつのものと、他のなにか。
それらを組み合わせることで、新しいものが生まれる。
それが、とても素晴らしいと、純真に見つめることが出来ていた、あの頃。
あの頃の毎日が、きっと一番喜びに満ちていた。
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“二つの太陽”
あの童話を読んでからというもの、ウィード・セルは糸と針を使う練習を始めた。
御伽噺に出てくる精霊の女の子に憧れて、なんて理由だとは、周りの大人に知られたくなかったから、隠れてこそこそと。……子供にだって、男心はあるのだ。
だからその日も、王宮の片隅――― ヴォロンディ一族に与えられた敷地にある、お気に入りの小さな庭で、針修行に励んでいた。
「へェ。あんた、なかなかいいセンスしてるじゃん」
東屋から離れた人気のない木陰。
いつものように、手芸道具を広げるのにちょうどいい大きな石の上で、チクチクと布を縫う練習をしていると、急に手元が暗くなった。
人影だと気付いてハッと顔を上げれば、こちらを覗き込んでいた見知らぬ女と目が合う。
「だれだよ、おまえ!」
隠すように両腕で周りの材料を掻き集めながら、幼いウィード・セルは彼女を睨み上げた。
ここは閉鎖されたヴォロンディの庭だ。
貴族を含め、一般の人間は滅多に近寄らない。別に禁じられているわけではないのだが、誓約魔術で縛られた特異の一族に進んで関わろうとする者がいないだけだ。
「初対面の淑女をお前呼ばわりとは、躾のなってないガキんちょだねー」
言葉の内容とは裏腹に、面白がっている様子の女。その身形や雰囲気から、彼女が貴族であることは間違いないようだ。
だが……なんというか、風変りな女だった。
「……おまえ、なんでそんなかっこうしてんだよ」
何でここに居るのかと問うより先に、そう口にしてしまったくらいには奇抜に見えた装い。
「そんな格好って、これ?」
白手袋の両手で摘まんでいるのは、自らが着ている濃紺の上着――― 男物の、しかも騎士の装いに似た衣裳だ。
小首を傾げた彼女の肩で、ひと括りにされた真っ直ぐな濃緑の髪が揺れた。
「いいだろ? あたしが自分で作ったんだ」
「おまえが?」
どことなく野性味を帯びた顔が、にたりと自慢げな笑みを描く。
今思えば、その時の彼女は花も盛りのお年頃だったはずなのだが。しかし、子供の眼線から見たせい……だったのかどうかは定かではないが、彼女の笑顔は悪戯好きの苛めっ子少年にしか見えなかった。
――― 怪しい人に出くわしたら、一目散に逃げるんだよ?
日々、言い聞かされている叔父の言葉。
それに倣うべき場面かもと、女の胡散臭さを嗅ぎ取ったウィード・セルは身を引きかけた。
だが、それでも年相応の好奇心だけは押さえられない。
「ほんとに、ほんとに、おまえがつくったのか?」
「そう言ってんだろ。どうだい、もっと近くで見てみなよ」
彼女の誘いに躊躇いがちに頷いたウィード・セルは、石から下りて、彼女が差し出した袖口の刺繍を間近で覗きこんだ。驚きに両目を見開かせながら、彼女の周りをぐるぐる回って、全身を食い入るように何度も見廻す。
サイズといい仕立てといい、どこからどう見ても、職人が作ったものと比べて全く遜色ない。いや、むしろデザインは、この城の騎士が身に付けている制服より遥かに優れていると言っていいだろう。
「なぁ。おまえ、きぞくだろ?」
「ああ、貴族も貴族。深窓のお姫様ってとこだ。跪いて、薔薇を差し出して貰っても構わないよ」
「しねーよ、そんなこと! だいたいな、きぞくのおひめさまは、ふくなんかつくったりしないぞ」
「あたしんちはね、洋服を作るのが世界一上手いって評判なんだよ。だから、余所のお姫様の家とは違って、深窓の内側が被服作業場だったするわけだー」
あははと豪快に笑う彼女は、やはりどう角度を変えて見ても、お姫様には見えなかった。
――― しかし、もし、この衣裳を自分で作ったという話が本当ならすごい。
なみ縫いから始め、返し縫い、かがり縫いをマスターし、ようやくまつり縫いの練習にまで漕ぎ着けたばかりのウィード・セルにしてみれば、神にも勝る領域のように思えた。
だが、それを素直に認められないのも、男の子心というもの。
「ふ、ふん。おまえ、おんなだろ。おとこの服作るなんてヘンなのっ」
「あたし、ドレスってあんまり好きじゃないんだよねー。ほら、なんか窮屈じゃん。針使ってる時に、ひらひらしてると邪魔だし。まぁ、他の女の子のために作るのは大好きだけど」
「だからって、なんできしの服なんだよ」
「え? そりゃ、」
仮にも貴族の姫だと名乗るのであれば、それ相応の服を纏うべきだ。
そう責める意味で口にしたにも関わらず、女の答えは実に明快で、あっけらかんとしたものだった。
「あたしが着たいと思ったからに決まってんじゃん」
……彼女は、その答えをただ単純に、率直に口にしただけだろう。
だがそれは、ウィード・セルにとっては、彼から次の言葉を奪うだけの力を持っていた。
「なによ。他になんの理由があるってのよ?」
黙ったまま自分を見つめる彼を不思議に思ったのか、彼女の方から逆に訊ねてくる。
その目が余りに澄み過ぎていて、なぜか痛く感じてしまったウィード・セルは、視線を俯け、自分が着ている黒い服の裾を握った。
「……すきだからって、かってにきめちゃだめなんだぞ」
「なんで?」
「だって、みんなにめいわくがかかるから」
「かけちゃいなよ。かければいいじゃん、ガキんちょなんだから」
「いいわけないだろ、すきかっていうな」
「言っちゃいますー。てかさ、王宮のこんな隅っこであんたが何したって誰も構いやしないって。今まで、あたし以外の誰かとこの庭で会ったことがあったわけ?」
「……ないけど」
会ったことはない。だが、いつ王宮の人間に見られているか分からない。
ウィード・セルは、ヴォロンディ主家の嫡男に生まれた。心臓の上には、死んだ父と同じく〈誓約の紋章〉が刻まれている。
大きくなったら、演劇儀礼で魔法使いを演じるのだという彼は、王族を刺激することなく、大人しくして暮せと言い聞かされて育った。王宮の外に出たことすらない。
己には自由が与えられていないのだと、子供ながらに知っている。
「……おまえに、おれのきもちがわかるもんか」
ウィード・セルは震える声で吐き捨てた。
初対面の知らない女に、泣きそうになった表情なぞ見られたくない。そのまま、その場を立ち去ろうと、ウィード・セルは顔を勢いよく背けようとして―――、
「ぶっ」
「このあたしを放っておいて、勝手に行こうとしてんじゃないよ。ガキんちょ」
涙を堪えようと力を込めていた唇を容赦なく指で抓まれ、そのまま力づくで、無理やり身体ごと向き直された。
「ひ、ひひゃい~」
引っ張られた口元を押さえて蹲ったウィード・セルを見降ろし、女はふんっと鼻で嗤う。
「何が“わかるもんかー”だっつーの。青春小説の主人公か。お子様には早過ぎだね」
「お、おひょひゃまひゅーにゃ」
「あぁん? お子様にお子様って言って何が悪い? お子様だから、そうやって自分の世界を閉じる術しか知らないことになんだよ」
女の薄い水色の双眸が、冷やかな火を灯して細められる。
微かな怒気を孕んだその笑みに、ウィード・セルの身体が無意識に後退の体をとった。だが、女はそれを許すことなく、じりじりと間合いを詰めてくる。
背に、石が壁となって当たった瞬間、カッ、と鋭く鳴らされた踵の音。砕けたらしき石の破片が、パラパラと肩に当たった。
女の影に閉じ込められるように追い詰められたウィード・セルは、耳元を――― 自分の頭の真横へ伸ばされた、背の石を蹴り上げた彼女の足を、恐るおそる見やる。
「あんたさ、」
ビクリとする間もなく、再び抓まれた唇でもって、ぐるりと顔を正面に回された。
猫の様な形の目に納まった水色の瞳の中、怯えた表情の自分と対面する。
「このまま拗ねていじけて閉じこもり続けて、挙句、人に当たるしか能のない人間になりたいか?」
「………」
「自分がちゃんと“生き”られる世界が欲しくないか?」
このままじゃ、あんたは死んじゃうよ?
ここが、先にね、と人差し指でウィード・セルの胸元を押しながら、彼女はそう予言した。




