18. 借りてきた天使と、ちょっぴり嬉しい偽夫。
「はい。これが新しい仕事。期待してるよ、頑張って」
両手一杯に材料を手渡されたウィード・セルは、狐男の満面の笑みをウンザリした表情で睨んだ。
作業部屋から一時撤退したウィード・セルは、逃げ込んだ休憩室のテーブルに、ヨロヨロと突っ伏した。
「済まないね、ウィセル君。またカルツに無理難題を押し付けられたんだろう?」
温かな紅茶のカップを差し出しながら、店主でありカルツの父であるフィルツが困った顔で笑う。
その柔和な丸顔と、どんぐり眼の目尻に刻まれた皺。
「……カルツさんって、店長とあまり似てないですね」
常に優しい笑顔を絶やさないフィルツは、まるでこの紅茶のようだと思う。ウィード・セルはカップで手の平を温めながら、ぼんやりと言った。
「ああ、よく言われるよ。あの子は、妻の伯父の弟の従姉妹にそっくりだからね」
「え? ………あ、そ、そうなんですか」
はははと笑い声を立てるフィルツに合わせて、曖昧に笑ってみせる。
奥さんの、伯父の……なんだっけ? 前々から、この慈愛満ち溢れた男を片親に誕生したのがあの狐なら、母親はどんな女性だったのだろうと、すごく気になっていたのだが。
「僕の妻はね、訳あって、離れて遠くで暮らしてるんだ。もともと王都に住んでいた人でね、僕が洋裁の勉強に出向いたときに出逢ったんだよ」
「へぇ、王都で」
ウィード・セルは相槌を打ちながら、先ほどフィルツがオーブンから出してくれたばかりのビスケットを齧った。練り込まれた木の実が香ばしくてとても美味い。
「僕みたいな田舎者を相手にしてくれたことが不思議なくらい、センスが良くて洗練されていてね。…… とっても綺麗で、頭が良くて。誰より優しい素敵な女性だったよ。って、惚気にしか聞こえないかな」
照れながら頬を掻くフィルツを、ウィード・セルは微笑ましく思った。
きっと、今でも奥さんを心の底から愛しているのだろう。訊けばきくほど、息子を形成する因子の出所が不明になっているような気がしないでもないが、その愛情に免じて目を逸らすことにする。
ついでに、さっきからひどくカルツのことを、心の中で貶し続けている自分からも目を逸らす。
ものすごーく、疲れ果てているのだ。働き過ぎの原因を目下作り続けている男を、少々胸の内でこき下ろしても、お天道様は許してくれるに違いない。
「あ。妻のことと言えば、君の奥さん」
自分のカップに紅茶を注いでいたフィルツが、ふと思い立った様子で口にした。
「マリカちゃんも、だいぶ職場に慣れてきたみたいで良かったね。みんなとも打ち解けてきたみたいだし」
「そうですか?」
「ここにきた当初は大丈夫かなぁって、ちょっと心配してたんだけど。彼女、とっても内気で恥ずかしがり屋さんだもんねぇ」
そう言ったフィルツは、髭を生やした口元に紅茶を運びながら、からかいを含んで笑んだ。
「やっぱり、旦那さんが近くに居てくれると安心するのかな? あんなに綺麗で儚げな奥さんだと、君もいろいろ大変だね」
+ + + + + + +
だぁれが内気だ?
だぁれが儚げだ?
と、突っ込みたいが、どうやら事実らしいのだから仕方がない。
「ちょっと見てみて、マリカちゃんの手! すっごくスベスベよーっ」
「ほんとっ。指先なんて、チャシャの木の花びらみたい。どこのお店の膏薬使ってるの?」
「あ、あの、その、べつに何も使ってないけど……」
「えーっ! それでこの美肌ってどういうことぉ!? 羨ましすぎるー!」
「肌だけじゃないわよ。髪だってサラサラ! 近くで見るとめちゃくちゃキラキラしてるし」
「わぁ、なんでなんで? 美少女のキラキラパワーは、髪まで輝かせちゃうわけ?」
「てゆーか、マリカさんっていつも髪型かわいいですよね。ご自分でここまで上手に結えるなんて凄いです」
「え、こ、これはね、その、ウィセルが……」
「えぇぇ~ッ! これ、旦那が結ってくれてるの!? どんだけ器用なのよ、あの男」
「しかも、毎朝ですか。もう、胸やけがするほどラブラブですねー。なんだか焼いちゃいます」
「ら、らぶ?」
「まあ、ウィセルの気持ちもわかるけどねー。こぉんなに綺麗で可愛い愛妻がいるんだもの。イチャイチャもしたくなるって」
「い、いちゃ!?」
「確かに……って、やだ、マリカちゃん照れてるぅ。顔真っ赤よ」
「うっ。ちょっと、そのキュートさは犯罪級でしょ。もぅ、食べちゃいたいーっ」
「無理ですよ。毎晩ウィセルさんに食べ尽くされちゃって、余ってるところなんて無いですから」
最期の台詞から一呼吸後、キャーッと奇声を上げて盛り上がる乙女たち。
際どい会話を続ける彼女らに周囲を固められて腰かけているマリー・ベルは、茹であげられたみたいな顔色でカチコチに固まっている。今日は編み込みお下げにしてやった赤毛と相まり、赤い置物のようだ。
いつもの毒舌も暴力もなく、慌てながら首を横に振ったり、はにかみながら頷いて見せる王女は、どこから借りてきた天使だと尋ねたくなるほどに愛らしい。
(…… 別人過ぎるだろ、ほんと)
作業部屋に戻って来たウィード・セルは、目の前で繰り広げられている、もうすっかり見慣れてしまった見慣れぬ光景に肩を落した。
「マリカちゃん、すっかりみんなのアイドルね」
席に着くと、隣でレースを編んでいたマルティナが、くすくすと笑いながら話しかけてきた。
「ありゃ、アイドルってゆーか、おもちゃだろ」
この職場に初めて連れて来られた日。
他の女子職員の中で弄られ――― もとい、可愛がられていたマリー・ベルの姿を目にして、ウィード・セルは唖然とした。
内気で繊細な、精霊の如き儚い美少女。
彼女に対する工房内での評価がそれだと教えられた時、ついつい「冗談が過ぎる」と口に出してしまったが、実際にそうとしか見えない彼女がそこに居るのだから、信じる他ない。
「うーん。まぁ、許してあげて? こんな田舎だから、みんな同世代の同類に飢えてるの。おまけに、あんな美人さんだしねー。あたし、あんな可愛い子ほかに知らないもん」
まあ、それもそうだろう。なんか癪に障るので、同意を言葉にしたりはしないが。
「すてきよねー。きっと、王都にはあんな美少女がゴロゴロしてるんだよねー。行ってみたいなぁ」
んなわけないだろ。
いつもの調子で間髪なく突っ込みを入れたくなったが、はふぅ、と桃色がかった吐息を洩らしているマルティナの夢を壊すのもナニなので、ウィード・セルはぐっと我慢した。
あんな化け物級の美しさ、そうそうあって堪るものか。
贅を凝らした壮麗なる王宮で育ち、煌びやかなものを数多く目にしてきたウィード・セルだとて、あの夜彼女に出会うまで、あれほどの美貌を目にしたことがなかった。今は毎日顔を合わせているから、前ほどはあまり気にならなくなったけれど。
……だから、そんな見て呉れのことよりも。
(俺には、アイツのあんな表情の方が珍しいけどな)
相変わらず、身を固くしたまま、少女たちの餌食になっているマリー・ベル。
どうやら、彼女は同世代の人間と素で接することが、ひどく苦手らしい。
旅に出てからというもの、少し歳の離れた大人や老人としか関わっていなかったから、全然気が付かなかった。
工房で働く少女たちと居る日中は、常にあの置物状態。
やはり、本人もそれが物凄く疲れるらしく、夕刻を過ぎて、残業するウィード・セルと彼女の二人だけになったときには、いつもの王女様に戻りながらも、ぐったりとしている。
実は、とんでもなく内弁慶でした――― って、どういうことだよ、おい。
そう呆れつつ、彼女の反省会に付き合ってやるウィード・セルだったが、ある時、自分にだけ素を見せるということは、それなりに気を許されているんじゃあ……などと思い至ってしまい、なんだが妙な気持ちになった。
初対面の他人を呪い、散々振り回して置いて、誰よりも気を許す。
……なんだ、そりゃ。
(ほんと…… ワケのわからん女)
ぼんやりとその姿を眺めていたら、「見惚れてるの?」とマルティナにからかわれたので、そんな訳ないと素気無く言い払い、ウィード・セルは作業を再開した。




