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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
18/43

17. ブラコンな王太子と、アンチ・シスコンな王子さま。

 ディ=エルドレンは、精霊に愛された国。


 自国のみならず、他の国にもそう周知されてきたこの国の王宮は、まさにそれに相応しき、幻のごとく優美な城として名高い。

 中でもその謁見の間は、各国の使者たちが死ぬまでに一度は足を踏み入れてみたいものだと望むほどで、仄かに輝く白壁に、随所ふんだんに紫魔水晶を用いた、神秘的かつ荘厳な麗さを湛えるものであった。

 幾つか設けられた白亜の段上を、煌めく粒子を宿した星水の流れが、左右対称の複雑な紋様の路を描く。

 ささやかに水が歌う情景は、まさに感嘆の吐息を誘うものであったが、今は重々しい緊張感と怯え、そして、怒りの感情に空間全体が張り詰めていた。




「まだ王女とヴォロンディの小僧の行方は掴めぬのか!」

 荒々しく叩き突かれた杖先が、甲高い音の反響を生んだ。

 報告のため、王座に向けて跪いていた家臣は、君主の怒声に身を竦ませる。

「もう奴らが姿をくらませて10日になるのだぞ。未だに潜伏先の特定すら出来ていないとは、どういうことだ!」

 無能共め、とヒステリックに吐き捨てた王座の男――― この国の王太子は、手前に垂れた紫紺のマントを背に払った。イライラしすぎて布が手に絡まり、なかなか払い切れずにもたつく姿は結構笑えるものだったが、皆空気を読んで笑わない。

 王太子の憤怒収まらぬ様子を目にした貴族や騎士、魔導士たちが息を詰めている様に、また新たな苛立ちが沸き起こる。



 ――― なぜ、このような事態になったのか。



 数えで29歳になる彼は、今回の儀礼が無事に終了し次第、新王として正式に即位する予定だった。

 現王の引退は高齢によるものとされているが、そうでないことは周知の事実。

 その昔、想いを寄せた一人の侍女を事故(、、)によって失って以来、王は心を壊してしまった。そんな惨状を補うために、政治の采配を王太子である彼が掌握してから、もうそれなりの年月になる。

 苦労の連続だった青春時代。

 その心労が祟ったのか、この歳にして、すでに頭頂部の薄さが気になり始めていたりするのは、本人と御付きの従士のみの極秘事項である。

「ときに、あの隣国の王子はどうしておる」

 幾分か気分と声音を落ち着けて問えば、家臣の列の中から、一人の男がまろびそうになりながら進み出てきた。

 濃紺の長衣(ローブ)に、金色の星を散らしたベールを纏うこの男は、確か、儀礼開始のあの夜、庭園で総指揮を執っていた魔導師団長だ。鄙びた辺境の出らしいが、なかなかの実力を持つ男だと記憶していたのだが……。

 このような事態を引き起こした責任の一端を負う者。

 忌々しい思いを見下す視線に込めている王太子の前で、魔導師団長は長衣の裾を合わせる儀礼的な礼をとり、報告を始めた。

「ヒーセリジオ王子に於かれましては、これ以上、城に留まることで演劇儀礼の物語に歪みが生じてはいけないという御配慮から、独自に王女の行方を捜索なさりたいとのこと。幸い、少数ではありますが、王子直属の師団を連れていらっしゃるそうで、そちらを率いて城を出る許可を頂きたいと仰せなのですが……如何致しましょう」

「……うむ。本来ならば、他国の兵団が自由に国土を廻るなど在り得ぬこと。しかし、今は非常時だ。それに、王子の言う儀礼の歪みに関する懸念も頷ける」

「では」

明日(みょうにち)、準備が出来次第出立するよう、彼の者に伝えおくが良い」

 無論、その一行を監視する手の者も付けよ。

 口にはしないが、送った視線だけで魔導師団長は迷わず察したらしい。先の失敗に新たなる失点を重ねまいと、彼はしっかりその役目を果たすことだろう。

 御意、と返し、深々と下げられたフード頭を見下ろしながら、王太子が息を吐こうとしたその時。


「兄上」


 下がろうとした魔導師団長と入れ替わりに、声が上がった。

「なんだ、ノイ・クレス」

 王太子である自分が立っている王座より、一つ下の段――― 王族専用の椅子に座り、共に報告を耳にしていたはずの同母弟に、彼は視線を向けた。

 自分と同じ、母から譲り受けた茶色い瞳と青銅色の髪を持つ弟。

 第5王子であり、将来の己の片腕として見込まれている彼は、アーモンドのような双眸を一度だけ瞬かせて言った。

「テリゼードの王子の件、私にお任せ頂けないでしょうか」

「そなたに?」

 意外だ。この弟が、こんなことを自ら申し出るとは。

 驚く王太子とは裏腹に、ノイ・クレスは頷きを返してきた。

「はい。王族である私が同行すれば、国内外への体面も傷が少なくて済みましょう。他国の彼らだけでは、行程の中でいろいろと不都合な事態が起きるでしょうし」

「なるほど」

 確かに、家臣ではなく王族である弟が同行した方が、関所などの身元確認が必要とされる場所でも、速やかに通過の許可が下る。その分、調査も時間を掛けずして捗るだろう。

 だが。

「しかし、そなたを外に……しかも他国の者と同行させるのは、あまり気が進まぬ」

 今年18歳になった歳の離れた弟王子を、王太子が過保護なまでに可愛がっているという事実は、王宮では有名な話だった。そのベタ甘具合ときたら、妻である王太子妃が嫉妬するほどである。

 可愛い子は屋内でうんと甘やかせ、が彼のモットーだ。旅に出すなどもっての他だと、首を横に振る。

「やはり、駄目だ。許可など出来ぬ。そなたはこのまま城に留まった方が……」

「それに、何より」

 糖分テンコ盛りな兄の言葉。続けられるその先を見越してか、ノイ・クレスが仄暗い声音を被せた。


「あの、王家の恥さらしたる愚かな小娘を、この手で引き摺って帰らねば気が晴れません」


 そう告げた一瞬で、彼は秀麗な鼻筋に皺を刻むほど、憎々しげに表情を歪ませた。

 噛締めた奥歯が欠けそうなほどに憎悪を滾らせる弟を見つめながら、王太子は何とも言えぬ思いを抱く。

(……賢い子なのだがなぁ)

 小さな頃から自分に懐いてくれている弟を、王太子は何より愛おしく思っているし、信頼もしている。

 勉学に励み、治世の何たるかを学び、「はやく兄上のお役に立ちたいのです」とはにかみつつ、人一倍努力する頑張り屋さんでもある。

 だが、とある一点に関してのみ、「この子、大丈夫だろうか」と心配になるくらい、弟は愚かさを極めていた。


 決して、ノイ・クレスが“妹”と呼ばない、あの娘――― 異母妹(マリー・ベル)に関してだけは。


「どうかお許しを、兄上!」

 黒い炎を宿した双眸で、必死に許可を乞う弟。

 脅す時にも似た異様な迫力を前に、怯みそうになる自分を踏み止まらせつつ、王太子は諸悪の根源である王女の顔を思い起こした。


 最高権力者たる王が、時の佳人を得るのは世の常。


 その理に則ったかの如くこの国の正妃に納まった、当時、社交界の薔薇と謳われた元侯爵令嬢たる母に、ノイ・クレスはよく似ている。

 絶世の美男子とは言い難くも、「王子様よ! きゃあ、カッコイイッ! ステキーッ!」と、街娘に絶えず黄色い声を上げて貰えるほどには、容姿に恵まれている。兄の贔屓目を捨てても、そう断言出来るレベルだと思う。

 ――― でも、 やはり“そこそこ”は、そこそこなのだ。

(いい加減、気付けばよいのだが……)

 あの娘の異質なまでの美しさと、人の範囲に収まった己の容姿を比較することが、如何に残酷なのかという事実に。

 ただのナルシストであったならば、叩いて正気に戻してやるだけで済んだが、問題の根源は親の世代にあるというのだから、救いようがない。


 父王の心を根こそぎ奪った、あの妹の母たる女。

 そして、夫に見向きもされなくなり、悲嘆にくれた王妃。


「いいだろう、許可する。行って来るが良い」

 声音を低くしてそう告げると、弟は嬉しそうに礼を述べて深々と頭を下げた。

 此度の演劇儀礼が無事に成就されれば他国に嫁ぐ異母妹と、この国に残る弟が顔を合わせる機会は、ほぼ無くなるだろう。――― いや、もしかすると一生無いのかもしれない。

 だとすれば、出来るだけ遺恨のないように。

 いつまでも、過ぎた憎悪を胸の内に住まわせておくべきではない。何がきっかけになるかは知れぬが、これを機に、少しばかりにでも弟の胸に掬う暗い澱が、浄化されれば良いと願う。

 そう考えるのは、あの妹王女のためではなく、あくまで弟の為。

 王太子の自分だとて、母を貶めたあの端女の娘を、心底憎んでいることは変わりないのだから。



「……あぁ、そうだった。待て、ノイ・クレス」

 さっそく隣国の王子を焚き付けに行くため、謁見の間を辞そうとした弟を、王太子は呼び止めた。

「済まぬ。重々分かっているとは思うが、一応、念押ししておかなければと思ってな」

 楽しみを邪魔された子供のような表情で振り返った弟を微笑ましく思いつつ、兄は慈しみを持って笑み、告げる。


「最悪の場合、儀礼さえ達成されるのならば、他の何か(、、、、)がどうなっても構わぬ。だが、ヴォロンディ(、、、、、、)だけは、絶対に無傷で取り置くことを忘れるな」


 儀礼の成就。

 古い誓約の(かなめ)

 守られるべきそれらを、初めてお使いにいく子供にするかのように並べた兄に対し、弟は――― 、


「重々、承知しておりますよ。兄上」


 懐かしい、母と同じ笑顔でもって応えた。




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