命の砂時計
シリアスな感じの男女比ものを思いついてしまったので書いてみました。
世界中のすべての女性は、生まれながらにしてその身に「器」を宿している。
その器を満たすのは、奇跡を起こすための不可視の水――「魔力」。
生まれ持った器の大きさは人それぞれだが、世界には絶対に覆らない、たった一つの残酷な法則があった。
『使ってしまった魔力は、二度と元の量には戻らない』
指先から小さな火を灯すだけの些細な魔法でも、数ミリリットルの命が不可逆的に削られる。そして何より恐ろしいのは、魔法を一切使わずとも、ただ呼吸をし、生きているだけで、魔力は砂時計のようにサラサラと勝手に減り続けていくという事実だった。
器が空っぽになった瞬間、女性の心臓は停止する。
魔力の枯渇は、そのまま「死」を意味していた。
この呪いのようなシステムから逃れるための、唯一の「救済」。
それが、【子どもを産むこと】である。
自らの魔力を削り、「具現化」という形で新たな命を造り出せば、その代償として器の魔力は大きく回復する。しかし、具現化には莫大な魔力の前払いが必要であり、途中で魔力が尽きれば母子ともに命を落とすという、極めて生存率の低い死のギャンブルだった。
そうして命がけで具現化される子どもの九十五パーセントは、同じように呪われた魔力を持つ「女」である。
残りのわずか五パーセント。奇跡のような確率で産まれてくるのが、魔力を一切持たない存在――「男」だった。
魔力を持たない男は、女性たちにとって「究極の救済」にして、唯一の希望である。
男性と通常の方法で肉体的な交わりを持てば、この世界では【百パーセントの確率で受精し、命が宿る】。
そうして妊娠・出産を経ることで、女性は「具現化のための魔力消費」を一切行うことなく、ノーリスクで子どもを産むことができるのだ。そればかりか、妊娠中は魔力減少の呪いが完全にストップし、出産後には元の最大値を遥かに超えるほど魔力が引き上げられる。
産まれた子どもは、母親自身の手で愛されると同時に、国境を越えて組織された女性たちの合同コミュニティ(通称:揺り籠)によって手厚く保護される。社会全体で豊かに子どもを育てるシステムが確立されているため、女性は命を繋いだ後、再び自分の人生や仕事へと戻っていくことができる。
だからこそ、男の愛情を勝ち取り、その種をその身に受けることは、女性にとって「死からの永住権」を得ることに等しかった。
朝の通勤ラッシュ。
行き交うスーツ姿の群衆の中で、社会に出たばかりの青年・ハルは、静かに息を吐いた。
特別な力など何一つ持たない、ただの平凡な新社会人。
しかし、彼がひとたびオフィス街を歩けば、すれ違う女性たちの視線が、見えない糸のように彼に絡みつく。
『彼と結ばれれば、死の恐怖から解放される』
『彼に抱かれれば、明日も生きていける』
誰もが心の中でそう叫んでいる。
生存本能が「彼を押し倒して既成事実を作れ」と狂ったように命じている。
しかし、ハルが路上で襲われることはない。
いくら死が迫っているとはいえ、彼女たちは理性を失ったゾンビではないのだ。同意なき交わりは重罪である以前に、「人間としての尊厳を捨てた獣の行為」として社会的に強く蔑まれる。
他者の命を無理やり貪る浅ましい獣になど、なりたくない。
だから女性たちは皆、必死に「隙のないキャリアウーマン」や「良き隣人」の仮面を被っている。
ハルは知っている。
満員電車で涼しい顔をしてスマートフォンを見つめる女性の髪の毛先が、魔力枯渇のサインである「白濁」に染まり始めていることを。彼女が、夜な夜な死の恐怖で泣き叫びたいのを堪え、血が出るほど唇を噛み締めて「一人の自立した人間としての誇り」を守り抜いていることを。
尊厳と、死への恐怖。
その狭間で静かに擦り切れていく彼女たちのギリギリの均衡の上に、ハルの「平和な日常」は成り立っている。
「……おはようございます、ハル君」
会社のフロアに入ると、いつも通り完璧なメイクと笑顔を作った先輩社員が声をかけてきた。
その瞳の奥に、隠しきれない怯えと、祈るような切実さが揺れているのを、ハルは見逃さない。
彼にあるのは、ただの青年としての心と、たった一つの重い覚悟だけだった。
それは、関わった相手の人生を背負い、確実な命を宿すことで、彼女たちの尊厳を守り、死の淵から救い出す覚悟。
残酷なこの世界で、一人の普通の青年が紡ぐ、命の物語が開かれようとしていた。
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