敗北
【セレナ・ローゼン】
指揮所の入口に立つ人影は、五人だった。
全員が騎士団の外套を纏っていた。装備も、外観も、正規の騎士と変わらない。ただ、その立ち方が違った。指示を待っている姿勢ではなく、何かを防ごうとしている姿勢だった。
エルンストが念話を繋ごうとした時点で、術式が展開されていた。念話の周波数を乱す妨害の術式だ。専用の道具が必要な精密な術式で、即席で用意できるものではない。事前に準備してきた。
「念話を妨害するために来た人間だ。騎士団ではない」
エルンストが静かに言った。
「そうなるね」
セレナが杖を構えた。声は落ち着いていた。
ティオが無言で剣を抜いた。刃を正眼に構え、人影の動きを見ていた。
五対三だ。数では向こうが上だ。
だが、状況の整理は既に終わっている。ルグが裏口から抜け出すための時間を作る。それだけが今の仕事だ。
「エルンスト、妨害術式の術者を特定できるか?」
「既にしている。左から二番目だ。最も魔力の密度が高い。術式を展開しているのはあの個体だけだ」
「分かった」
人影の先頭が動いた。踏み込みは速い。騎士団の訓練を受けた動き方だ。あるいは、騎士団の動き方を模倣できる人間だ。
ティオが前に出た。
先頭の一人の剣を、正面から受け止めた。
重い。体重が乗っている。ただ剣を合わせるだけでは押し切られる。ティオは受けた瞬間に体を横に半歩ずらし、相手の剣の軌道を流した。相手がつんのめった隙に、柄頭を顎の下に打ち込んだ。
鈍い音がした。相手が後退した。
「後ろ」
セレナが短く言った。
ティオは振り返らず、左に跳んだ。後方から来ていた二人目の剣が、ティオがいた場所を通過した。
セレナが杖を振った。水の塊が、二人目の腹部に直撃した。石造りの壁まで吹き飛んで、そのまま崩れた。
「三人目、左から来てる」
エルンストが言いながら、指揮所の机の端から紙束を手に取っていた。何をしているのか、と一瞬思うかもしれないが、エルンストがそれをするということは、道具として使う気でいるということだ。
三人目が左から回り込んできた。
セレナが杖を向けた。水の弾を連続で三発撃った。最初の一発を盾で弾かれた。二発目も弾かれた。三発目が盾の縁に当たって跳ねた瞬間、エルンストが手元の紙束に素早く術式を書き込んで投げた。
紙が三人目の足元に張り付いた。
「光の縄、発動」
光の縄が紙から展開した。三人目の足首を拘束した。体勢が崩れた。セレナがすかさず水の弾を顔面に叩き込んだ。
三人目が崩れ落ちた。
「残り二人だ。術者は動いていない」
エルンストが告げた。
術者の位置は左から二番目で固定されている。残り二人のうち一人は術者で、もう一人は護衛として術者の前に立っていた。
「護衛を先に」
ティオが言い、前に出た。
四人目との鍔迫り合いが始まった。四人目は防御に徹していた。術者を守ることが目的で、ティオを倒すつもりはないらしい。剣を合わせ、押し返し、また合わせる。位置を変えながら、術者の前を空けようとしない。
「エルンスト」
セレナが声をかけた。
「分かっている」
エルンストは術者の方を観察していた。術者は動かない。妨害術式を維持するために集中を保っている。術式を展開している最中は、身動きが取りにくい。攻撃の隙はある。だが、護衛が前に立っている。
「護衛に向かって正面から撃つ。盾で弾いた瞬間、術者が一瞬見える。そこに当てる」
「了解」
セレナが杖を正面に向けた。大きな水の弾を構えた。
護衛が察して盾を前に出した。
セレナが撃った。弾が護衛の盾に直撃し、盾が大きく弾かれた。その衝撃で、護衛がよろけた。術者が一瞬、視界に入った。
エルンストが術式を書いた紙を術者に向けて投げ当てた。
「光の縄、発動」
術者の腕と胴体を、光の縄が巻き付いた。術式の集中が乱れた。妨害術式が揺らいだ。
念話の周波数が、戻ってきた。
「繋がった」
エルンストが言った。
「じゃあ急いで」
セレナがガルシア王への念話を繋いだ。
セレナ(こちら指揮所側です。ヴァルドの組織の人間が念話を妨害していましたが、対処しました。エルンストからの情報があります)
念話の向こうで、ガルシア王の声が繋がった。
エルンストが静かに情報を伝え始めた。ヴァルドが外に出てこない理由。睡眠薬事件との繋がり。外側は陽動で、本命は別にある可能性。セラフィナに近い場所にヴァルド本人がいる可能性。
念話が繋がっている間、ティオが四人目の護衛と向き合い続けていた。
護衛は術者の拘束を見て、少し動きが変わった。目的を失いかけている動き方だ。それでもまだ剣を構えている。
「止めろ。術者は拘束した。お前の役目は終わった」
ティオが静かに言った。
護衛は少しだけ間を置いて、剣を下ろした。
ティオも構えを解かなかった。解けるとは思っていない。ただ、状況が変わったことを認識させることが先だ。
「エルンスト、連絡は」
「伝えた。ガルシア王が対処する」
「セラフィナへは」
「繋いでいる。もう少しかかる」
念話の向こうで、何かが動き始めている音が聞こえた。騎士団が方向を変えている音だ。
セレナが術者を見た。光の縄で拘束されたまま、地面に座っている。妨害術式はもう展開されていない。
「この人たちをどうする?」
「拘束したまま騎士団に引き渡す。動かすな」
エルンストが言い、また術式を書き込んだ紙を追加で貼った。
「半日は解けない」
「エルンストって、こういう時は頼りになるよね」
「実験に活かしているだけだ」
「それでいいんだけどさ」
セレナが杖を下ろした。指揮所の中が静かになった。
外から、王都の方角で何かが動いている気配がした。音ではない。空気の変化だ。
「セラフィナとの念話は繋がったか」
ティオが聞いた。
「繋いだ。ただ」
エルンストが少し間を置いた。
「返答がない」
セレナとティオがエルンストを見た。
「返答がない、とは」
「念話が繋がったはずだ。でも、応答が来ない。何かに集中している状態か、あるいは」
「あるいは?」
「動けない状況にある」
三人の間に、少しの間、沈黙が落ちた。
外で何かが動いている。
セレナが杖を持ち直した。
「行こう」
ティオが頷いた。
「エルンスト、拘束した者の監視は」
「騎士団が来るまでここに留まる」
「一人でいいのか」
「残りの二人は意識を失っている。術者と護衛を合わせても、一人で十分だ」
「分かった。何かあれば念話する」
「ああ」
セレナとティオは指揮所の外に出た。
王都の石畳が、朝の光を受けていた。
どこかで何かが起きている。その確信だけがあった。
セレナが先に走り始めた。ティオがすぐに続いた。
「セラフィナはどこにいると思う?」
走りながらセレナが聞いた。
「市街地の中心部だ。念話が繋がった瞬間の方角から見て、南の路地の方向だった」
「じゃあそっちに向かう」
「急いだ方がいい」
「分かってる」
二人は走り続けた。石畳の音が響いた。王都の朝の喧騒の中に、その足音が溶けていった。
【セラフィナ・フォン・オルディナシス】
二人は向き合ったまま、しばらく動かなかった。セラフィナは剣に手をかけていた。ヴァルドは腰の長剣に触れていなかった。ただ立っていた。
「何をしに来たの?」
「お前に用がある」
「私に?」
「そうだ」
セラフィナはヴァルドを見た。
「外の組織の動きは陽動ね」
「そうだ」
「最初から、内側に入っていたの?」
「ああ」
「だったら、本命は私、ということかな?」
「そうだ」
「随分と手の込んだことをするのね」
「必要だったから」
セラフィナは少し息を吐いた。
「ルグ先生が言っていたことが本当だったわね。ヴァルドは正面からの力押しは好きじゃない、って」
「正確には、勝てる戦い方を選ぶ、だ」
「結果は同じじゃない?」
「違う」
ヴァルドが少しだけ口の端を動かした。笑ったのかもしれなかった。笑っていないかもしれなかった。
「お前は今、どうするつもりだ?」
「どうするつもりって、戦うに決まっているじゃない」
「そうか」
「そうよ。あなたの組織が外で何をしているか、父上はもう把握しているわ。この作戦は失敗に終わる」
「外が失敗しても、内側が成功すれば意味がある」
「内側を成功させるつもりなの?」
「そうだ」
「何が目的? 私を攫う気なの?」
ヴァルドは答えなず、ただ黙り込んでいた。その通りだったのだろう。
そう思った瞬間に、セラフィナは剣を抜いた。
「そうはさせないわよ」
「別の手がある」
その言葉の意味を、セラフィナは一瞬で理解した。
内側に人間を置いていた。情報を集めていた。それだけではなく、こちらの会話の一部まで把握していた可能性がある。
「一つだけ聞いていいかしら?」
「何だ」
「ヴァルドが前線に出てこないことを、エルンストたちが不思議がっていた。ヴァルドは戦いが好きなはずなのに、って。でも、今は違うの?」
ヴァルドは少しだけ間を置いた。
「弱者を守ることが目的だ。俺が前に出ることより、目的が達成されることの方が重要だ」
「でも、最終的には前に出てきた」
「お前が相手なら、俺が来る必要があった」
「それは、どういう意味?」
「お前を気絶させるのに、他の者では不確実だ。お前の実力は知っている。正確にはその装備品だが」
セラフィナは少しだけ目を細めた。
「褒められてるのか貶されてるのか分からないわね」
「褒めている」
「そう」
二人の間に、一瞬だけ静けさが落ちた。
それで終わりだった。
ヴァルドが動いた。
踏み込みに予兆がなかった。圧倒的な風圧をその剣に感じられた。
剣が来た。受け止めたが、衝撃が右腕を通り抜け、骨が軋んだ。
間合いを取るために、一度後退した。
ヴァルドが続けた。
追いかけてくる。間合いを開かせない。剣が来て、それを弾く。何回も何回も損攻撃が襲い掛かって来た。何回も受けていると、少しずつ、体制が崩れていく。体制を治そうとした矢先、剣が襲い掛かった。今度は弾ききれなかった。刃が左腕を浅く削いだ。
熱い感触が走った。
「っ」
声が出そうになった・・・いや、出さなかった。
傷は浅い、それが分かった。
魔法を使う、と言うが選択肢として頭に浮かんだ。でも、MPが少ない。下手に使うと疲労で倒れてしまう。
じゃあどうする。
考えながら動いた。路地の壁を蹴って高さを取ったりと。ヴァルドが追ってきたため、空中で剣を合わせた。
ヴァルドの力が圧倒的に上だった。一気に押し切られた。地面に落ちた瞬間、体勢が崩れた。
そこだった。ヴァルドの剣の柄頭が、顎の下に入った。
意識が、揺れ、膝をついた。視界が歪んだ。立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。剣を杖代わりにして、体を支えた。
「やめろ、セラフィナ」
ヴァルドの声が、上から来た。
「・・・まだ、終わっていないわ」
「終わっている」
「終わっていない」
「お前は今、剣で体を支えている。立てていない」
「立って・・・いるわ」
「立っていない」
セラフィナは歯を食いしばっって、立とうとした。もう一度、力を入れた。だが、膝がまた折れた。剣が地面に落ちた。石畳に手をついた。冷たかった。
「くそ……」
「終わりだ」
ヴァルドが近づいてきた。首の後ろに、正確な圧力が加えられた。意識が遠くなった。
遠くなりながら、セラフィナは思った。
父上への念話が、途切れてしまった・・・
それだけが、頭の中に残った。
【リュート・アルス】
市街地の南側を歩いていたリュートが、立ち止まったのはそれより少し前のことだった。嫌な感じがした。
説明はできない。ただ、何かが引っかかっていた。胃の奥に何かが落ちてきたような、そういう感触だ。市街地の防衛に回っていたが、この感触は無視できない種類のものだった。
念話を繋いだ。
リュート(ルグ先生、聞こえますか?)
ルグ(聞こえます。どうしました?)
リュート(セラフィナへの念話が繋がらないと、エルンストから聞きました。指揮所は対処済みと念話が来ていたましたが、セラフィナの応答は戻ってきましたか?)
ルグ(・・・まだです。繋いでいますが、応答がない)
リュートは少し止まった。
リュート(方角は分かりますか?)
ルグ(エルンストによれば、南の路地方向だと言っています)
リュート(向かいます)
ルグ(気をつけてください)
念話を切り、走り始めた。
南の路地方向。狭い道が入り組んでいる区画だ。人通りが少ない時間帯でもある。内側に潜んでいた人間が動き始めたとして、人目を避けて移動するなら、こういう場所を使う。
走りながら、頭の中で計算していた。
ヴァルドが外に出てこなかった。本命は内側だった。内側で何を狙っていたか。セラフィナに最も近い場所に何があるか。
いや、本命はセラフィナ本人だ。
睡眠薬事件。かつて、セラフィナが狙われた。その時はルーベルトのおかげで未遂で終わったが、今回は正面から仕掛けてきた。
路地が見えた。そこに、人が二人いた。一人は地面に倒れていた。白金色の長髪が、石畳に広がっていた。
セラフィナだった。その傍に、一人が立っていた。長身。緑髪。腰に長剣。
ヴァルドだ。ヴァルドがセラフィナを抱え上げようとしていた。
リュートは足を止めた。止まった瞬間に、ヴァルドが顔を上げた。
二人の目が合った。
「久しいな」
「そうだな」
リュートは剣を抜いた。肩が鈍く痛んだが、動いた。それだけで十分だ。
「邪魔をする気か?」
「する」
ヴァルドはセラフィナを地面に戻した。戦闘態勢を取る以上、両手が必要だという判断だ。
「何のために来た?」
「セラフィナを攫わせないために来たって言ったら、どうする?」
「止められると思っているのか?」
「思っていないけど、やる」
ヴァルドは少しだけ、リュートを見た。
「・・・お前は面倒な相手だな」
ヴァルド、リュート、二人が同時に動き出し始めた。
剣が合わさった。衝撃が、肩を貫いた。痛みで視界が一瞬白くなった。それでも弾いた。
今回は、受けるだけじゃない。
一合目の後退で間合いを作り、そこから踏み込んだ。ヴァルドが受け流そうとした。
読んでいた。
受け流される軌道に合わせて、刃の向きを変えた。
浅い。でも、当たった。ヴァルドが少し動きを変えた。今のが効いた、というより、この相手の読みが深いと判断した顔だった。その変化が見えた。
「・・・やるじゃないか」
「まだ終わっていない」
「そうだな」
また来た。今度は前回より、明らかに速かった。余裕を消した動き方だ。本気に近い。
リュートは受けた。一合、二合、三合。
四合目で、遅れた。剣が右肩の傷口に当たった。包帯の下が、熱くなった。骨に響く痛みが来た。膝が折れた。
「・・・だるいな」
立て直そうとしたが、間合いが一瞬で詰まっていた。ヴァルドの柄頭が、こめかみに入った。
白くなった。音が遠くなった。石畳が近くなった。
……倒れた。
視界の端に、石畳が見えた。セラフィナの長髪が見えた。頭の中に、計算式の紙が浮かんだ。
ルーベルトに、説明できていなかった。
それだけが、遠くなる意識の中に残った。ヴァルドが二人の傍に立っていた。
路地は静かだった。




