卒業
レティシアが学校に戻ったのは、夕方だった。この日は、ラズロイが教員室にいた。珍しく、酒瓶が机の上になかった。
「先生」
「ああ。話がある。座れ」
全員が集まった。6人、揃っていた。ラズロイは全員を見渡してから、口を開いた。
「学校側から、正式な通達が来た。ヴァルド・ハルウスによる一連の事件について、担任教員である俺が監督責任を問われた。結果として、俺はこの学校を去ることになった」
誰も、すぐには声を出さなかった。
「追放と、教員資格の剥奪だ。決定は覆らない」
「先生のせいじゃないよ・・・」
セレナが言った。
「俺の責任だ」
「でも・・・」
「責任を取ることと、責任があることは別の話だ。俺が担任だった。それだけで十分だ」
ラズロイは立ち上がった。
「一つだけ言っておく。お前たちは何も悪くない。ヴァルドも、ある意味では悪くない。ただ、世界がそれを認めるかどうかは別の話だ」
「先生は、これからどうするんですか?」
クロカワが聞いた。
「昔から仲のいい冒険者パーティーがある。ヴァルドの件が落ち着いたら、そこに戻る。僧侶として、村を回りながら動く予定だ」
「僧侶として、ですか?」
「昔やっていた仕事だ。教師になる前の話だが。ちょうどいい機会だと思っている」
ラズロイは机の引き出しから酒瓶を取り出した。一口飲んだ。
「お前たちの担任で、良かったと思っている。それだけだ」
それ以上は言わなかった。
翌週、新しい担任が来た。
ラズロイとは全く違うタイプだった。整然とした身なりで、授業はラズロイと同じく分かりやすい、生徒への対応も丁寧だった。おまけに、授業中に酒は飲まない。悪い教師ではなかった。
ただ、ラズロイではなかった。それだけのことだったが、それがしばらくの間、教室の空気を少し重くした。
それからの日々は、静かに過ぎていった。
ヴァルドの件は、学校全体に影響を与えていた。他の生徒たちの目線が、6人に向かうことが増えた。同情と、好奇心と、わずかな警戒が混じった目線だった。誰も何も言わなかったが、何かが変わったことは誰の目にも明らかだった。
授業は続き、課題は続いた。
エルンストは相変わらず実験を続けていて、クロカワは相変わらず実験体にされていた。その光景が妙に安心できると、セレナが言った。全員が頷いた。
ルグは静かに医術の研究を続けていた。合間に、ヴァルドの情報を集めていた。騎士団の動向を確認し、目撃情報を整理し、絶魔教団の規模を把握しようとしていた。感情的には動かなかった。ただ、着実に情報を積み上げていた。
ティオとセレナは課題の合間に、ヴァルドの足取りを追い始めていた。ギルドを通じて情報を集め、目撃情報があれば確認しに行った。見つからなかった。でも、止めなかった。
レティシアは封印者としての役割を続けながら、卒業後の進路を決めていた。故郷のヴァルゼン帝国に戻ること。帝国の聖騎士団に入ること。団長になること。そこから、他国を動ける立場を得て、ヴァルドを探すこと。
計画を立てながら、頭の中では別のことも考えていた。ヴァルドが言っていた言葉が、まだ消えていなかった。
止まりたくなる、という言葉が。
考えても、答えが出なかった。出ないまま、日々が過ぎた。
クロカワがある日、何の前触れもなく「ギルドの仕事、少し手伝ってくる」と言って出かけた。戻ってきた時には、ギルドの冒険者ギルド副総帥という謎の肩書きを持って帰ってきた。全員が困惑したが、クロカワは「色々あった」とだけ言った。
エルンストとルグは、卒業後の進路について話し合っていた。二人とも、教師になりたいという夢があった。エルンストはオルディナシス公国の魔法学校を候補にしていた。ルグも同じ方向を考えていた。二人が同じ場所を目指すことについて、特に誰も驚かなかった。なぜかそうなる気がしていた。
そして、卒業の日が来た。
卒業式は、簡素なものだった。
新しい担任から修了証を受け取り、各自が今後の方針を報告し、それで終わりだった。
式が終わった後、六人は学校の正門前に集まった。春の光が、石畳に当たっていた。
誰も最初に話し出さなかった。
しばらく、六人で立っていた。
「行くか」
ティオが言った。
「うん」
セレナが答えた。
「私たちは冒険者として動き続けるね。ヴァルドを探す。見つけたら、連絡する」
「私も探す。帝国の聖騎士団から動く。他国も通れる立場になってから、本格的に動き始める」
レティシアがそう言い、セレナが頷いた。
「クロカワは?」
「ギルドの方で色々あって、しばらくは動けないかもしれない。でも、情報は集め続ける。何か分かったら全員に伝える」
「いつの間にそんな立場になったんだ」
「色々あったんでね」
「それ以上説明する気がないのか。」
エルンストが口を開いた。
「俺とルグはオルディナシスに向かう。教師になることが先だ。ただし、情報が入れば動く」
「二人とも、教師になるんですね」
クロカワが言った。
「そうだ」
「エルンストが教師、というのは少し想像しにくいですが・・・」
「何故だ?」
「実験体の問題があります」
「教え子を実験体にすることは考えていない」
「本当に?」
「今は考えていない。」
「やっぱエルンスト危険だわ。」
「もしかしたら、教師になるの、エルンストだけかもしれませんね。」
「ルグ、すまないがその保証はできない。」
ルグが少し口の端を動かした。笑ったのかもしれなかった。
セレナが全員を見渡した。その目が、少しだけ赤かった。
「また会えるかな」
「会える」
ティオが言った。迷わなかった。
「根拠は?」
「お前たちが全員、しぶといから」
「俺たちは虫か何かか?」
セレナが少しだけ笑った。
「ヴァルドも、また会えるかな」
全員が少しだけ黙った。
「会える」
「レティちゃん。理由は?」
「私が探すから」
セレナはレティシアを見た。
「レティちゃん」
「何?」
「好きだよ」
「・・・私も」
「素直じゃないな~」
「素直に言った。」
「もう少し言い方があるでしょ。」
「ない。」
セレナが笑った。今度は、目から少し滲んだ。
「行こうか」
ティオが言い、全員が動き始めた。
それぞれの方向に、それぞれの速度で歩き始めた。
振り返らなかった。
全員、振り返らなかった。
場面は変わる。どこかの広場。
日が傾きかけた時間に、人が集まっていた。
全員が黒い外套を纏っていた。数は三十人ほど。目線が、中央の一点に向いていた。
台の上に、一人が立っていた。
ヴァルドだった。
顔が静かだ。感情を抑えているのではなく、感情が既に別の場所に収まった人間の顔だ。
「集まってくれたことに感謝する。絶魔教団にようこそ」
声が、広場に響いた。低く、落ち着いた声だった。
「我々の目的は一つだ。未熟な魔法使いが弱者を傷つける状況を、終わらせること。そのために動く。方法は各自が判断する。ただし、弱者を傷つけることは絶対にしない。それだけが絶対の条件だ」
全員が頷いた。
「動き始める。各自、持ち場に戻れ」
それだけだった。
長い演説ではなかった。飾りもなかった。ただ、目的と条件だけを言った。
それで十分だった。人が散り始めた。ヴァルドは台から降り、夕暮れの空を一度だけ見た。
どこかの街道で、少し言い過ぎた言葉が、まだ頭の中に残っていた。
消えなかった。消えないまま、動いていた。
【ルグ・ハルフェン(27歳)】
オルディナシスにある『王立オルディナシス中高一貫校』の休憩室にいた。ルグは起きた。
とても長い夢を見ていたような気がした。
外を見ると、夕方になっていた。
夕日の光が、校庭の石畳に当たっていた。生徒たちが帰り始めていた。
教師になって、三年が経っていた。
エルンストは隣の教員室にいる。今日も何かを研究している音がしている。たまに小さな爆発音がする。それがいつものことになって久しい。
机の上に、一枚の紙があった。
セレナからの手紙だった。定期的に来る。今回は短かった。
『絶魔教団(ヴァルドが作った組織)が、此処に攻め込むことが分かったから、私とティオも参戦する。あと、規模が大きくなっているから、油断はしないでね。でも、本人の居場所はまだ分からない。レティちゃんは聖騎士団の団長になったって。すごいよね。クロカワは知ってると思うけど、相変わらず謎な立場にいる。ルグは元気にしてる?エルンストは?また手紙書く。』
ルグは手紙を机の端に置いた。
バルガファルイス養成学校での日々が、記憶の中に浮かんだ。迷界虫の廃豪邸。カレーを食べた食堂。朝の訓練場。砦の地下。街道の服屋。路地の実験。カフェの苦い飲み物。
そして、ヴァルドが台の上に立っていた光景。あの時、止められたかどうかを、今でもたまに考える。
答えは出ない。
出ないまま、今日も授業をして、手紙を受け取って、窓の外を見ている。それでいいと思っている。答えが出ない問いを持ち続けることが、今の自分にできることだと思っている。
「ルグ先生」
廊下から、生徒の声がした。
「はい・・・君はリュート君か」
「俺で悪いか?」
「いいえ」
まだやることがある。今日も、明日も。答えが出ない問いを持ちながら、それでも今日の仕事を続ける。
それが今のルグに、できることだった。
窓の外で、夕暮れが深くなっていた。どこかで、それぞれが動いている。
レティシアが帝国で動いている。
セレナとティオが街道を歩いている。
クロカワがギルドで動いている。
エルンストが隣の部屋で研究している。
ヴァルドが、どこかで演説をしている。
全員が、それぞれの場所で、それぞれの方向に向かっている。同じ方向ではない。でも、同じ時間の中にいる。
それだけは、変わらなかった。ルグは生徒の方を向いた。
「それで何の用ですか?」
「実は・・・」
これで、過去篇は終わりです。設定資料集を書いた後、ヴァルドとの戦闘をメインに書いていきます。




