3-10.魔性
ログバーンに言われ、ルナーティア達は周囲を見回した。
蝶はさっきまでと変わらず、はちみつの染みたキッチンペーパーにずっと食い付いているから、違うだろう。
だとすれば、この蝶をエサにする魔物か。
「へぇ。こんな場所に、何か珍しいのがいるじゃねぇか」
突然、小さな竜巻が起き、ルナーティア達の前に何か現れた。
風が消えてそこに立っていたのは、ルナーティアとそう変わらない背丈の少年。だが、もちろん人間ではない。
青白いを通り越し、薄青と言えるような肌の色。つり上がった目は、赤い。エイクレッドの目も赤いが、エイクレッドがワインレッドなのに対し、少年は赤黒い。
その目から連想するのは、血の色。
薄い金色の長い髪に、口の両端から覗く先の尖った牙。
「面倒なのが現れたな」
今まで魔獣であるログバーン以外、パラレル魔界で見たのはずっとレベルの低い魔物ばかりだった。言葉を話す魔物もいたが、片言よりちょっと上、という程度。
今、目の前にいる少年は、それとは明らかに気配のレベルが違う。
相手をするには一番厄介で危険な、魔性だ。
「まさかまさかとは思うが、そいつ、竜だよなぁ」
鋭く長い爪が伸びる指で、ルナーティアの肩にいるエイクレッドを差す。
「竜がこの魔界にいるなんてな。しかも、ずいぶんちっちぇじゃねぇか」
「ちっちゃいって言わないでよっ」
小さいことは事実。だが、初対面の相手から目の前でそう言われると、エイクレッドもかちんとくるようで、怒りをあらわにする。
明らかに見下した口調だから、なおさらだ。
「ルナーティア、結界!」
レシュウェルに言われ、ルナーティアは自分に結界を張る。同時に、レシュウェルも自分とルナーティアに張った。
その直後、ガラスが割れるような音が響く。レシュウェルが張った結界に、大きく亀裂が走った。
「ちっ。俺様の攻撃を阻みやがったか」
飛び掛かってエイクレッドを捕まえようとした魔性だが、レシュウェルの結界でルナーティアにもエイクレッドにも魔の手は届かなかった。
それでも、衝撃はかなり大きい。
その音を聞いて、ようやく危険が近くにあると悟ったらしい虹色蝶達は、急いでその場から飛び立った。
そのうちの一頭が、ちゃっかりとはちみつの染みたキッチンペーパーを持っていたが、ルナーティア達はそんなことに気付かない。気にしていられない。
魔性が手を伸ばして来た時、ルナーティアはナイフの切っ先を向けられたような気になった。そんなものが複数だから、恐怖も倍増する。
「お前に用はない。さっさと消えろ。まだやるつもりなら、俺も攻撃するぞ」
レシュウェルが魔性を睨み付ける。
「けっ。お前、人間だろ。偉そうなこと言いやがって。その竜の心臓を喰ったら、お前らも順番に喰ってやるよっ」
エイクレッド狙いだと思っていたが、この魔性は人間も食料にするつもりだ。
「宣戦布告と受け取ったぞ」
再びルナーティアに飛び掛かろうとする魔性へ向けて、レシュウェルが風の刃を放つ。
ルナーティアはさらに結界を強化し、肩にいたエイクレッドをポケットの中へ隠した。
「……うっとうしいな、お前」
怒りの色を浮かべ、魔性がレシュウェルを睨む。
「お前もな」
魔性の頬には、風の刃でできた細い傷ができていた。黒に近い赤の血が、じわりとにじむ。
「竜の心臓を喰う? 俺達がそれを許すと思うのか」
「うるせぇっ。さっさとそのちびを渡しやがれ!」
懲りずにルナーティアへ襲い掛かろうと、構える魔性。レシュウェルがそんな魔性の足下に風を起こし、そこから竜巻ができる。風の渦が、魔性の身体の半分近くまでせり上がった。
「こんな竜巻くらいで、俺様がどうにかなると思ってんのかよ」
現れた時、竜巻が起きていた。この魔性も、風を操るくらいは簡単なのだ。さっきできた頬の傷も、もう消えている。
「さっきの風の刃は、軽い挨拶だ。ログバーン」
呼ばれた炎馬が、火を放つ。レシュウェルの出した竜巻に火が加わって火柱となり、魔性を包んだ。
風だけだと思い込んでいた魔性は完全に油断し、悲鳴をあげる。
どうやってか、すぐにその火の中から転がり出て来た。ずいぶん自信ありげだったが、髪や身体のあちこちが焦げている。
「覚えていやがれっ」
まだ何かやるかと思ったが、いきなりの火責めは闘争心をなえさせたらしい。完全にこちらをなめていたのだろう。
慌ててその場から姿を消した。
それを見て、ルナーティアがレシュウェルに駆け寄る。
「レシュウェル! 大丈夫?」
「見ていただろ。俺は攻撃されてないから、何ともない」
「よかった……」
前回来た時も、ルナーティアを喰う気満々な水系の魔物がいた。
あの時の魔物は、エイクレッドが竜だと気付いていないようだったが、一緒に喰うつもりだったのは違いない。
今回は明らかにターゲットはエイクレッドだったが、あくまでも一番目。その後で喰われそうだったと思うと、背筋が寒くなる。
「レシュウェル……今の魔性、ぼくの心臓を食べる気だったの?」
エイクレッドがポケットから出て来て、ルナーティアの肩に戻るとレシュウェルに尋ねる。
ちっちゃい、と言われた怒りが収まると、今度は不快感が生まれた。
「竜の魔力は他とは桁違いに強いから、心臓を食べることでその魔力を自分のものにできる。そう思っている奴は多いんだ。普通なら強すぎる相手に歯向かう気は起きないが、今のエイクレッドならどうにかなる、と勘違いしたんだろう」
「実際、強い魔物や魔性の心臓を喰うことで、自身の力を強める奴はいる。竜の心臓が手に入れば、魔界の王くらい簡単になれるだろうな」
「え、そんなふうになっちゃうの?」
ログバーンの言葉に、エイクレッドは心底驚いたような声をあげる。
「それだけ、竜の力は別格、ということだ」
自分の強さを自覚していないエイクレッドに、ログバーンは苦笑する。
「パラレル魔界は人間界より弱肉強食なんだろうけど……誰かを食べて強くなろうなんて、横着よね」
「横着、か。そうだな」
ルナーティアの言い方に、レシュウェルが肩をすくめる。
「ところで、レシュウェル」
「ん?」
「前回は言わなかったが……最初にお前達がこちらへ来てあちこち移動した時、見られている気がする、と言っただろう。前回も、それに今回も、やはり何かに見られているような気がする」
魔果の素材を集めるために、ルナーティアとパラレル魔界へ来た時。
確かに、ログバーンはそんな話をしていた。悪意は感じないので問題はないだろう、とも。
「今の奴か?」
「いや、奴の気配はついさっき感じただけだ。あれは明らかに、別の奴だった。気配を消しているのか、ほんのわずかしか感じられないが、毎回見られているように思える」
「今の魔性みたいに、エイクレッドを狙ってるのかしら」
「獲物を付け狙う、という視線ではないようだ。しかし、今みたいな例もある。気を付けた方がいい」
今自分がいるのは平和な人間界ではなく、命を狙う魔物がいるパラレル魔界。
ログバーンの言葉を聞いて、ルナーティアは改めてその危険な世界を感じた。
☆☆☆
ログバーンにカラスーマまで送ってもらい、そこから人間界へ戻った。
「行きだけじゃなく、帰りの道も変えるようにした方がいいか……」
素材を集めたらすぐに珠にしたいため、学校の近くにあるパラレル魔界へ続く道を使っている。
だが、行きと同じように、ここでもやはり一般人に見られたら、あれこれ言われかねない。
今回、入る道は変えたが、出る道は同じ。考えた方がよさそうだ。
それは次回までに考えるとして、二人は急いで学校へ向かう。
リクリスの研究室の扉をノックすると、前回同様に部屋の主と一緒にパフィオもいた。
「テンプール先生、休日出勤が常態化していませんか」
二人の姿を見て軽く手を振るパフィオに、レシュウェルが苦笑する。
リクリスが休日でも研究室にいるのは前からだが、パフィオはそうではなかったはず。
「期間限定よ。それに、通常なら使われることのない魔法だもの。見ておきたいって思うじゃない」
よく言えば探求心、悪く言えば野次馬である。
でも、特殊な状況ではあるし、こうして気に掛けてもらえるのはありがたい。
「爆裂の実、問題なく手に入ったかい?」
「いっぱい爆発したよ」
「えっ」
誰もケガをした様子がないので軽く尋ねたリクリスだったが、エイクレッドの言葉に動きが止まる。
「俺達は無事ですから。その話は、また後でします。今は先にこちらを」
今回入手した素材を、レシュウェルがルナーティアのリュックから取り出した。
「まぁ、これが虹色蝶の鱗粉……。きれいね」
小瓶に入ったきらきらの粉を見て、パフィオが目を輝かせた。入手元が魔物でも、美しいものは美しい。
「ほう、たくさん取れたんだね」
「どれくらい必要か、わからなかったので」
うろこや実なら、一つ二つと数えられるからわかりやすい。だが、こういった粉のような一つの単位があいまいな物は、必要量がどれだけなのかの判断に困る。
「ティースプーンに二杯くらいあれば、十分だよ」





