豈夙夜せざらんや、行に露多きを謂う。昼も夜も会いたいのは本当でした、さようなら③
韓無忌の手が、女の頬を愛しげになぞったあと、その細い首を掴んだ。どくどくと、脈打つものがあり、この女が生きていることが伝わってくる。
菊女は、韓無忌の大きな手を喉で感じ、ぼんやりとしたあと、目をつむった。地精から脱しつつあるこの女は、男の愛はこのようなものなのか、と思った。内宮で人間の女が、頬を染めて語っていたささめごとがこれなのだと、胸のうちが喜びに満ちる。
しかし、息苦しい、重い。菊女は苦しさのあまり、韓無忌の腕を掴み、ひっかき、もがいた。昨日までは知らなかった、恐怖さえ思った。
韓無忌は両手に力を込めて、菊女の首を締めていく。親指を強く強く押すと、細い骨が心地よいほどだった。
「っ、ぅ、っ、ぅぐ」
声にならぬ呻きをあげ、顔を歪ませる菊女を、愛しい眼差しで見つめたあと、韓無忌は全体重をもって、ボキュリと首の骨を折った。菊女は、窒息する前に、死んだ。目を見開き、涙を流し、口端から唾液が顎を伝っている。韓無忌はその涙をすくうように頬を手でなぞったあと、立ち上がった。憂いなく、悔恨なく、そして恋情も見えぬ、常の薄い表情の彼であった。
「趙孟。私は一人では歩けぬ。あなたが手を引いてくれ」
何事もなかったように、士匄や趙武へ顔を向けて言う。趙武が我に返ったような顔をして、駆け寄った。
「あ……あの、韓伯。差し出がましいことを申し上げます。この……この女官が、人外だとわかり、討ったのですか」
韓無忌の行動は恋情ではなく、相手を捕らえるための演技だったのか。そうであれば、彼らしくなく狡猾であり正道ではない。しかし、殺したということは、そういうことなのだと趙武は必死に答えを出した。
「違います。私はこの女官の名を問うことはできぬと思った。しかし、彼女は私のものだと言う。責をとったまでです」
趙武は、全く意味がわからず困惑した。それを察した韓無忌が少し影のある笑みを浮かべ、
「今はわからずとも、いずれわかる。気持ちだけで名を問うのは愚かなことです。女性と対するとき、常に責を思いなさい」
と優しく返した。
名を問うというのは、愛の告白であり求婚である。趙武も来春、女の名を問わねばならぬ。嫁という得体のしれないものが、やってくるのだ。今日出会った、様々な『女の子』は、異界のものたちと変わらない。
とまどう趙武に、韓無忌がせかすように手を伸ばした。趙武はそれ以上問うことをやめて、手をとりゆっくり歩きだす。韓無忌がそれをよすがについてくる。
士匄は通り抜ける韓無忌に
「趙孟も良き学びとなったろう。あなたはなかなかに情の重い方だったようで」
と、からかうような口ぶりで言葉を投げる。韓無忌が、表情一つ変えず、士匄に顔を向けた。相変わらず、遠い異界を見るような目つきであった。
「こういったことは、汝のほうが見本となろう。私は己の心も見えぬ愚者だ。愛しい女の名を問うこともできぬ。卑怯な行いを学びとしてはならない」
士匄は、朴訥と出される言葉に、くつくつと笑った。趙武が先達二人の会話についていけてない様子が目端に見えたが、放置する。どうせ、今はわかるまい。
「あのまま放り出せば、逃げ出した卑怯者とわたしはあなたを笑うつもりだった。しかし見直した、わたしの手管ではないが、感服しかない。そんなにあの女が恋しかったのか」
士匄の挑むような声音に返さず、韓無忌は趙武を促し、歩き去った。士匄はそれ以上追求せず、見送った。一応、君命に従い、事件は解決したのである。二日酔いでさぼっている州蒲に挨拶せねばならぬ。士匄は堂の中にある死体を一瞬だけ目に映した後、内宮へと戻っていく。今度は、庭でなく正式な門へ向かう。大夫たるもの、こそこそと使用人のような扉を使うべきではない、という見栄である。
「そりゃまあ、女を手に入れるに最も早く確実、そして後腐れ無し。なかなかに、情の重い御仁だった、と」
口笛を吹くような軽さで、士匄は韓無忌の愚かさを称賛する。地精の女、しかも己の都合で生まれたものしたり顔で愛することなどできぬという理性と、恋しい女を己のものにしてしまいたいという情欲を、絞殺することで昇華した。男は女を永遠のものとし、女は男の中で生き続ける。身勝手すぎる恋の成就でもある。
首を手で絞めるという殺害方法は、相手の命の火を最後まで味わうこととなる。――朴念仁だと思ったが、なかなかに恋に狂う一面がある、と士匄はもう一度くつくつと笑った。
まあ、このように。韓無忌のエゴ丸出しの恋は終わり、秋から冬へと季節は移り変わる。
ここで、約十年後の冬の情景をお送りしたい。
このころ、晋公は次代と変わっており、正卿も韓厥となっていた。十年経てば政権担当者など変わるものである。その韓厥も老齢を理由に致仕を願い出たのがこのころである。当然、隠居願いも兼ねており、嗣子である韓無忌が新たな卿となるはずであった。
が、韓無忌は断った。それどころか、君主に
「持病があるので弟に譲りたい」
と宣言までした。
「古詩にございます。豈夙夜せざらんや、行に露多きを謂う。朝も夕も通いたいと思っても、露の多き道に憂いがあるように、私が国を思い務めたくとも病のために満足にできませぬ。民をあわれむこと則ち徳、その身が正しいこと則ち正、人の歪みを正すこと則ち直。この三つを備えたものを仁と申します。そのようなものこそ、次の韓主、卿に相応しいでしょう」
言外に、己は不徳、不正、人を導くことのできぬ不仁と言う韓無忌は、相変わらずの表情の薄さであった。もはや四十路になった彼である。親への最後の反抗だった。一人で生きていけぬ役立たず、そしてエゴイスト。己がそうであることを、彼自身が一番知っている。父親に何度願い出ても嗣子を降りる許しを得られず、それでもあがき、最後の最後まであがいた。とうとう、己が役立たずと、君主六卿、そして父の見ている公事の場で宣言した。
父は何も言わず、時の晋公は許した。以後、韓無忌は歴史の表舞台から消えた。
この時期、士匄はとっくに士氏を継いでいたため、準大臣と言える立場であった。彼は、韓無忌のみっともないあがきに、やはり称賛のまなざしを向けた。
「豈夙夜せざらんや、行に露多きを謂う。男に靡かぬ貞節な女の言葉だが、男を誘う言葉でもあるな」
冬の凍えるような寒さの中、士匄は宮城から去っていく韓無忌の背を見て呟いた。見納めである。笄に菊の意匠を見つけ、やはり情が重い、と肩をすくめた。たった一日半しか無かった恋をひきずるのは情が重すぎる。
「いやまあ、あなたらしく、清々しい」
同じ学舎にいたかつての先達に、士匄は嘯いた。
ところで、余談。
この数年前、士匄は東国での外交で成功を収めている。その帰路、衛に寄った。通り道だったのである。そこで、骨を埋めたあと、晋へ帰った。バラバラの骨を正しい場所に配置したので、士匄にしては配慮が行き届いていたと言えよう。その骨は、ある秋の日に、郊外で拾った女の惨殺死体なのだが、これ以上は野暮というもの、この稿はここで終えようと思う。
秋の話は終わりです。次は閑話。