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其れゆるく其れゆるくせんや、既にすみやかならん。逃げるときはのんびりせずにさっさと去ろう!②

 韓無忌(かんむき)の気持ちを汲んで動いた趙武(ちょうぶ)は何故か女子の惨殺死体を見て、しかもその血と脳みそをひっかぶることとなった。そんな趙武を(おもんぱか)ることなく、己の都合だけを考える士匄(しかい)に、気をつかう必要は無い。事態の平和的解決が一番だ。趙武の目は雄弁にそれを語っていた。

「いや本当、やめて。やめろ、ください、やめてください! ご心配おかけしましたゴメンね!」

 常に傲岸不遜、人に頭を下げるくらいなら相手の頭を切り落とす。常はそのような態度を隠さない士匄のくせに、平身低頭土下座して趙武に懇願し謝った。士匄が趙武を教導しているように、かつて士匄は荀罃に教導された。荀罃(じゅんおう)。いつか出演した、荀氏(じゅんし)知家(ちけ)の長男、(あざな)を知伯。一見穏やかだが公事に厳しく軍人気質(きしつ)の男である。士匄はハートマン先任軍曹に教育される新兵のごとく、お世話になった。二度とお世話になりたくない。そのくせ士匄はは荀罃に頼ることしばしばである。荀罃に士匄を預けたのは、節度高く戒め深い厳父の士爕(ししょう)であった。ここまでされて士匄の性根は全く矯正されなかったのであるから、教育の敗北であろう。

 趙武は、今まで見たことのない士匄の反応に

「あ、私も先達に言いすぎたような、気がします。あの、何があったのでしょう」

 と怯えながら言った。士匄は気を取り直したように頷き、簡潔明瞭に説明した。この男は、人に説明するときに過不足が全く無い。まさに弁が立つの見本である。

「――というわけで、だ。我が君は二日酔いでさぼる口実で、わたしに解決せよと命じられた。が、また一人死んだ。お前も来た。こうなるとおおごとになりかねぬ、じきに我が君も命令を撤回なされるであろう」

 最後、士匄はよけいなことを添えて、口を閉じた。趙武は連絡に来た女官たちのあいまいすぎる言葉に今頃気づき、苦い顔をした。己が自由になりたいがため、韓無忌や趙武を巻き込もうとした、としか聞こえなかった。が、趙武は追求をやめた。本題はそこではないのだ。

「女官をただ殺すだけではなく、惨いめに合わせる。よほど、その女官が憎かったのでしょうか。私が見た彼女も、同じものに殺されたのでしょうか」

 士匄も趙武も、呪いのたぐいであることを疑っていない。ただ、君主の住む宮中、最も清浄な場所で人を呪い殺すなどできようか、という問題はある。

「同じかどうかわからぬが。まあ、いまだ君命(くんめい)あり、その(てき)の女を見るか。趙孟(ちょうもう)、来い。先達の仕事に倣うも後輩の務めだ」

 あの惨殺死体を再び見ろというのか。趙武は顔を引きつらせたが、頷いて拝礼した。先達の教導に素直に従うのは趙武の美徳であった。根性のある彼は、腹をくくって、今回も士匄についていくことを覚悟したのであった。

 さて、女官、狄女(てきにょ)の死体である。宮中に死体置き場もなければ、不浄のものを屋内にいれるわけにもいかぬ。もっこにくるまれて、庭の端に放置されていた。衛女(えいにょ)がさっさと運びだされたことを考えれば少々不自然であった。

「指示がございませぬで」

 案内を命じられた寺人が言う。士匄は適当に頷くと、もっこを力任せに開いた。両端の粗末な縄が土の上で一度、跳ねる。

 頭を割られた、無惨な女であった。手足も引き裂かれながらも繋がっているのが逆に惨たらしかった。趙武は思わず目を背ける。庭の枝にちらほらと鳥が止まっていた。常なら微笑ましく見る風景であったが、この死体を狙っているのではないか、と思えば怖気が走る。

 士匄といえば、女の傷を検分するように見たあと、首にかかった飾りを指で引っ張った。血に汚れた首飾りを、持っていた布でぬぐう。

「見ろ、趙孟。文字だ」

 士匄の言葉に、趙武が嫌悪感を飲み込みながら、首飾りを見た。

「……『洛酉(らくゆう)庚辰(こうしん)』ですか」

 趙武は眉をひそめた。士匄の隣に死んでいた女官は『洛甲(らくこう)乙亥(いつがい)』であった。違う文字でも、法則性はあっている。

「趙孟。この女は狄のものと言っていたな。(らく)、すなわち周都(しゅうと)より『(ゆう)』。つまり西だ。西戎(せいじゅう)の女といったところか。女官として買われたのが庚辰、やはり先月の初めだな。洛甲よりは数日後というところだが、新たに入った女官の一人というわけだ」

 西戎は(しん)よりも西にある大国、(しん)の勢力圏にいる狄である。一時期は威勢強かったが、秦の度重なる討伐に圧迫され併呑されつつあり、女が戦の果てに売られることもあろう。しかし、周より西には他にも狄の大勢力がある。士匄が西戎と推定した理由がわからず、趙武は素直に問うた。士匄は心底バカにした顔をする。

「お前がわたしに言ったのだ。夕焼けが美しい、一緒に見たい。女官の言葉であろう? 別にこの女官は、元々西日を特別視していたわけでもあるまいよ。ここに来て心は西に向いた。もっと言えば、お前に故郷の夕焼けを見せたいとくどいてきていた」

「いえいえいえいえ。あの女官は、望郷の思いに苦しみ、私に思わず言ってしまったまででしょう!? くどくとか飛躍しすぎではないですか?」

 趙武が慌てて手を振った。鳥を見て山を思い、夕焼けに思いを馳せて言葉を紡ぐ女官は、故郷を求めていた。趙武の主張に士匄は心底呆れ、嘲笑する。

③に続きます

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