唯一の楽しみ
浪人生。
口にするだけで口が腐るんじゃないかというぐらい、この響きが、嫌いだった。
苦労人。
予想よりも遥かに深い、暗黒の深海に迷い込んだかの如く、これまでの人生の中で、最低最悪の時間と生活。
僕が本来目指していた世界とは、180度逆、正反対。華やかで彩があり楽しい世界。幼稚園の頃の夢はサッカー選手。小学生の頃は、サッカー部に所属。サッカー王国静岡の小学生なら当然の、本気でプロを目指した。朝から晩までボールを蹴っていた、そんな僕が、朝から晩まで勉強。体を動かすこと喜びを封じられ、笑うきっかけさえ奪われた日々。自由とは対極。拷問。
その僕に唯一許されていた、自分らしく過ごせる時間。それは毎朝、週6で、予備校前に、山を走ること。
小学3、4年生の頃、ちょうどサッカー部に入って少ししてから、練習前に近所の山を毎日、一人走るようになった。地元では清水山と呼ばれ、実際、清水寺というお寺が山中にある。自宅の前の道、旧東海道をすすみ途中で右に折れる。そこからは1本道。ひたすら舗装道路の山道を登る。お寺直下に急な石段がありそこを歩かず走れるようになったのは中学か小学校高学年ぐらいだったと思う。お寺でお参り、手を合わせ、裏手から、より急な山道を辿る。ここからは、古い農業用コンクリートの細い道で、コンクリートが乾く前にきっとほうきで線を付けたのだろう。そんな、滑り止めのために横線がついている。軽トラがローギアでうなるような斜度。お茶畑を抜け、白く円周4-50m程度の巨大な農業用タンクが頂上にあった。時々ついてるハシゴで上に登るが、ここからの富士山の眺めが、好きだった。
唯一の楽しみは、山を走ること。
帰り道は、選択肢が色々あって、来た道を戻る日もあれば、別の道で茶畑と森を抜けるトレイルを下る日もあった。木々の間の細い隙間を下るあの感覚。忍者か獣になったように素早く枝や木の根をよけながら、左右にステップを踏み、駆け抜ける。今この瞬間に集中し、全てを忘れられる爽快感。そう、浪人生であることも、毎日乗らなきゃいけない電車のことも、あの閉鎖的な予備校の空間も全て忘れることができる唯一の時間。
これが僕にとっての山を走ること。
生きる意味であり全てだった。