自信の種
大学3年の夏。
前年、北を静岡から北海道まで周り、今度は南。再び実家の静岡県藤枝市をスタートし、今度は屋久島まで行こうと思った。理由は昨夏の旅中の出会いで
”屋久島はいいよ!”
と聞いたから。前年は最終目的地さえ決まっていなかったから、屋久島という目的地を決めただけでも大分進歩。それでも道中、どこへいつ行くかなどは相変わらず自由。
何も決めないほうが気楽。臨機応変に、その日突然会った人との行動や起こる出来事に柔軟に対応でき、機会を生かせる。
”今日はあの宿を予約しているから急がなきゃ”
なんていう必要もないから、純粋にその瞬間を楽しめる。そう思っていた。人生、
"面白そう"
と思うことに積極的に挑戦できる、時間的、金銭的余地があるほうが、全てカッチリ事前に決めた人生よりも、変化があり楽しい。
夏休み帰省中の大学友人にもたくさんお世話になった。愛知では、4か月ほど前の昨冬に出会った自動車整備工場を営む友人宅で泊めてもらった。国道1号線をひた走っていると東京から広島に自転車で向かう人に出会う。ずっと雨だったこの日。三重県でタイヤがパンクするもわざわざ修理してくれる。本当にやさしい。二人でこの日は一緒に京都へ。鈴蘭高原で出会った友人宅にお世話になった。
翌日は、広島行きの彼が、兵庫県西宮市にあった、自分の元実家を探しに行くというのでなんとなく付いていった。探し当てて当時のお隣さんに話しかけると、なぜかみんなで意気投合。そのまま、そこで2人揃って一泊させてもらうことになった。そのまま、人生初の甲子園を案内してもらいいい思になった。その後、四国へ渡ろうと思い立つも、明石海峡大橋は自転車で渡れないことを知り、人生初のヒッチハイク。
場所は、明石海峡大橋が真上に見える、兵庫県立舞子公園。橋は近いがここから橋を渡れるわけではなく、一度大きく回り込んで高速に乗る必要がある。淡路島に向かう車はここを通らず直接高速で渡っていく。だから、ヒッチハイクができたのは、奇跡。
そんな場所で、幸運にも僕を拾ってくれたのは、大学生のグループ。これから淡路島で海水浴に向かうという。4人乗りの普通乗用車に既に4人。後部トランクに自転車を突っ込んで、僕を後部座席の真ん中に乗せて、走ってくれた。
淡路島、観覧車があるサービスエリアで彼らと別れ、今度はトラックの運転手さんに自転車ごと徳島まで運んでもらった。お昼過ぎ、徳島市内で運転手さんと別れると、この日のうちに高知まで行こう決め、実家で夏休みを過ごす大学友人に電話。
ここから急いで、吉野川に沿って上流へ向かい、午後3-4時ごろ、甲子園の強豪校池田高校の前を通過。少しずつ暗くなるころに、渓谷が美しい大歩危小歩危を越えた。幾度となくトンネルを越え、高知県境に達したのは午後7時前。そこから急いで友人が待つ高知市内の居酒屋へ。なんとかオーダーストップ前に滑り込む。大分友人を待たせてしまったが、それでも楽しく迎えてくれた。
ところがである。今日はこれで終了と思っていたが、実は、ここから友人宅の越知町は、意外と遠く自転車で2時間弱の距離。ここで一度別れ、友人は電車で僕は自転車で家に向かう。お酒も飲んでしまい、眠気も襲うためペースが上がらない。それでも、頑張って田舎の真っ暗な山道を進む。電車で先に帰宅した友人友人が電話で案内してくれる通りに進む。既に午後11時過ぎ。あまり待たせては悪いと一生懸命進み、なんとか到着。気が付けば深夜を回っていた。兵庫県から高知まで、ヒッチハイクを含む自転車での移動。あまりに色々なことがありどっと疲れたが、落ち着いて寝れる安堵感。
翌朝目を覚ますと、友人は朝どりキュウリをふるまってくれた。友人宅は農家。昨晩は真っ暗で何も分からなかったが、山間の静かな場所。四方を山に囲まれた山深い谷に位置していた。すぐ近くには地元で有名な沈下橋があり、大雨が来るとロープでつながった橋げたは水の上で浮かび、雨が収まると、橋げたを戻すという話も教えてくれた。
友人宅を後にし次に向かったのは愛媛からしまなみ海道経由で尾道。自転車で海を渡れるこの橋は人気があるがその理由は行けばわかる。空を飛んでいるかのような景色で本当に気持ちよかった。ただ、海を渡る橋だけに橋げたが高いが、島に着くたびに一度地面まで下ろされるのはいいトレーニングになった。尾道では、大学を卒業した先輩宅にお世話になった。ここから先は、ユースホステルを利用。広島、山口を通り、遂に九州へ。
関門海峡は、ある種特別な地。なぜなら僕にこの自転車旅を教えてくれた友人の最終目的地だったから。彼の話で、ここには自転車が通れる地下道があることを知っていた。そして今度は、遂に、僕がそこを渡るときが来たのだ。
九州は、なんとなく反時計回りに進む。福岡市内でパンク。自転車屋さんを探してトボトボ歩いているとちょうどすぐ見つかる。自転車の正屋。岩崎正史さんに出会う。直接バンクの修理と、去年と今年、2年分の自転車メンテナンスをしてもらう。
岩崎さんに僕のここまでの旅について話すと
”え!この自転車で静岡から?しかもずっと立ちこぎ?それなら自転車選手でも目指せばいい!”
そう言ってくれた。また、普通に日本一周をする自転車旅のスタイルとは逸脱する、ウエストバッグ一つ、ビーサンというスタイルにも衝撃を受けていたようだった。正屋滞在時間は恐らく2時間弱。人生の中のわずかな時間ではあったが、この出会いは、お金を稼ぐ方法が分からない僕に、将来の生き方を指南する、かすかなヒントをくれた気がした。
福岡を後にして、佐賀を抜け、長崎へ。左手にはムツゴロウで有名な有明の遠浅干潟を見ながら進む。小学生の頃、噴火活動をよくテレビで見ていた雲仙普賢岳を目の前にしたとき、何か、とてもつなく遠くに来たような、そんな感慨深い感情に包まれた。
島原からはフェリーで熊本へ。実家に戻る、甲子園の強豪熊本工業高校出身の大学友人にお世話になった。ここからは国道3号線で一気に南下。屋久島にわたるために鹿児島を目指す。
鹿児島で泊まったユースホステル。宿には翌日から屋久島へフェリーで渡るんだという旅人が集っていた。そしていよいよ屋久島へ渡る当日。フェリーふ頭には、自転車やバイクの旅人が多数。フェリーの上でも多くの友達ができた。面白いのはフェリーで一緒の人たちと、島で再開する可能性は高いこと。なぜなら、島という限られた範囲で行動し、行く場所や行動パターンも限られている。同じ宿になることだってある。再会するたびに、
”あー、フェリーではどーも!”
という感じで会話が始まる。行きのフェリー上で仲良くなった東京のとある大学ゼミのグループと別れ、屋久島上陸。
さあ、どこへ行こうか。まずは屋久島のユースホステルへ。翌朝、早速、念願の屋久杉へ向かう。
前年旅で出会った人が口々に、言っていた
”屋久杉はいいよ!”
この一言が、この夏の行動を決めた。そして、ついにその目的地へ向かう。ちなみに日本全国色々走ってきたが、屋久島で一番大きな町、安房から宮之浦岳登山口となる尾立ダムまでの道のりが、もっとも急で登りごたえがあった。僕の横を抜けていく路線バス。このあと登山するであろう乗車客の目線を感じた。さすがに登山はビーサンではきついと思い、前日、屋久島港のすぐ近くにあったお店で足袋を入手しておいた。登山口につくとすぐに自転車を停車させ、足袋に履き替え登山開始。すぐに、同じタイミングで山に来ていた、バイクの旅人2人と意気投合し一緒に進む。一人は京都から。もう一人は東京から。
話をすればほぼ同い年。一緒に歩きながら、
”どこから来たのか、どこへ行くのか、旅のあとはどうするのか、将来は?”
そんな話をする。登山口から最初は長いトロッコ道。そしてその後は急な登りだったが、あっという間。気が付けばすぐに縄文杉へ到着。
3人で一緒に写真を取り合う。帰り道も同じ。時折道中で出会う人に、
”朝、自転車で登っていた人ですよね!”
なんて声を掛けられる。そう、朝、僕を追い越したバスに乗っていた人だ。あの時、バスの中では口々に、
”こんなところを自転車で登っている人がいる!”
と驚いていたという。僕の常識とみんなの常識は違う。自転車でここまで日本を周ってきた僕が見る景色と、飛行機やバス、電車でここまで来た人が見る景色は物理的には一緒だが、心理的には、似て非なるもの。
バイクの2人とは連絡先を交換して別れた。翌日、どうしようかと迷っていた。なぜなら台風が接近しているという。1年、366日雨が降ると言われるほど雨が多い屋久島。よくあることだ。
とはいえ、嵐はやってくる大変だ。山に行けない。フェリーは欠航。行き場所失った人たちが、宿に集まる。前日出会ったバイクの2人と連絡を取り合い、同じ宿に泊まることにした。だいたいみんな同じ行動をしている。行きに一緒のフェリーだった人たち多数と宿で再会。
新しい友達もできた。台風でみんな足止めを食らったおかげで、どこにも行けない大雨の屋久島で、同じ屋根の下、語り合う。特に意気投合したのは一緒に屋久杉に行った2人と、静岡から来ていたバイクの2人と僕を含む計5人。この5人で一緒に買い出しに行き、夕飯にカレーを作った。また、地元の人に、雨の時は千尋滝が迫力満点でいいと教えてもらい、5人で小雨のタイミングで見に行った。
台風が去り、停滞していた人が再び動きだす。島に残る人、帰りのフェリーに乗る人。特に仲良くなった仲間のうち3人は、同じフェリーで鹿児島に戻ることになった。鹿児島に到着しフェリーふ頭で皆で一泊。翌日、早朝、3-4日一緒に過ごした仲間と別れた。今までの旅の中で最も長く一緒に時間を過ごした仲間との別れ。少し寂しかった。しかし、これが旅。
皆、目的地がある。乗り物が違う。別の人生を歩む僕らが、台風のお陰で親密になり、交流できたこの奇跡に感謝した。
宮崎では大学の友人にお世話になり、県内を少し案内してもらった。国道10号線をひたすら北上。大分では宇佐神宮でお参りをし、北九州市へ。ちょうどこの日は、関門海峡を挟み門司港と下関の両岸での関門海峡花火大会だった。
下関で夕食を食べていた和食店で知り合った方が、自宅に泊めてくれるということでお世話になった。この夜は僕にとって忘れられない印象を残してくれた。この方は、50歳台で、独り身だった。その背中を見ながら心に決めたこと、それは、
”絶対に家族を持ち、その家族を大切にする”
ということ。言葉では言い表せないような、切なさが、その方の部屋、そしてくすんだ壁から感じ取れた。男の独り身の人生はどうなるのか、それを見せてくれた気がした。僕には、そんな人生は耐えられない。絶対にパートナーを見つけ幸せになろうと決意した一晩だった。
その後、今度は日本海側を北上。隠岐の島に実家があるという大学の友人を訪ねるために、島根県境港から再びフェリーに乗った。再び島。島のいいところはやはり
”島時間”
が存在すること。なんというか、一言で言えば、マイペースでゆっくり。みんな、せかせかせずゆったりしている。だってどんなに急いでも島を一周するのに車で2時間程度。そう、急いだって仕方ないし、みんな知り合い。
屋久島でも、地元のおじさんが言っていた。手を上げたらだいたい止まってくれて次の町まで乗せてくれる。だって行く場所は一つだから。
隠岐の島は屋久島と違い、行くと決めていた場所ではなかった。でも時間的に余裕があり、面白そうだから行くことにした。人生も同じで、きっちり決め過ぎず、ゆったり余裕を持った計画にしておけば、せかせかせずに、楽しいことを積極的に取り入れられる。
友人が島を案内してくれた。島の北側、高台から望む海。放牧された隠岐牛。目の前の海原を越えるとそこは隣国。とてもつなく遠くに来た気がした。
島根に戻り鳥取砂丘を横目に、次に見たかった場所は、天橋立。自転車で散策しユースホステルで一泊。そこからは、少し遠回り。行きに甲子園を案内してくれた兵庫県西宮の知人宅を再訪。旅での思い出を伝えた。お隣大阪では大学の友人が誘ってくれたので実家にお世話になった。夏休みの終わりが近づき、ここからは一気に、愛知の友人宅で一泊させてもらい、翌日には静岡県藤枝市へ。
旅の道中では数限りない出会いと交流。
”どこから来て、どんな仕事をして、なぜ旅に来て、この先どこへ行き、そして、将来は?”
そんな話を幾度となく繰り返した。
過去現在未来。お互いの人生が進んでいく。旅路で人生と人生が交差し、出会いが生まれる。一つの奇跡。
自分が外に出たからこそ、貴重な出会いと経験ができた。自分が動けば世界は動き出す。全て自分次第。
屋久島での一期一会を経て、この旅で、少し、人生の方向性が見えた気がした。約40日間、夏を丸々、自転車旅に捧げた。
自転車旅は別にやらなくてもいいこと。自分がやりたいからやった。自分の足で日本を一周できたことは自信になった。と同時に、来年はどうしようかなと既に考え始めていた。




