第59話 帝友恵という男
「いてっ! おい! 何すんだよ……って、あっ……」
教室の入り口の方から、見覚えのある大柄な体格の男が人ごみを薙ぎ払うようにズカズカとサクたちのいる場所へ侵入してきた。
野次馬たちが、その迫力に圧されて左右に道を開ける。
「……ダッセえなぁ、おい」
登場して早々、一目見ただけで状況を何となく察したのか、男――帝友恵がそんな言葉を吐き捨てる。
その声には、明確な嘲りと……そして、どこか怒気が含まれているように感じた。
「アハハ、だよねぇ? こんな大勢の前で土下座するとか、ウチだったらマジ即死もんだわー」
そんな、ダサいという帝の言葉に押切が同調して高らかに笑う。最悪のタイミングで相手側に援護の手が加わってしまった――かに思えたのだが。
「あぁ? 何勘違いしてんだ? ダセぇってのはおめぇに言ってんだよ、押切」
「……はぁ?」
帝の矛先はサクではなく。
サクの目の前にいる、歪んだ笑みを浮かべる押切芽衣に向いていた。
「前々からお前のやり方は気に食わなかったが……ここまで来たらさすがに見るに堪えねえわなぁ」
帝は左手で首を抑えながら、気だるそうに押切へ近づいていく。教室にさきほどまでとは別の緊張感が漂い始めた。
サクはひざまずいた状態のまま、その光景を見上げることしかできない。
(帝……まさか、助けに……?)
サクは帝友恵という男をあまりよく知らない。ただ、以前見た感じの印象だけならば「短気で暴力的」といったところだろうか。だから意外といえば意外で、不思議な展開だった。
「あんた……まさかこいつらの味方に付くわけ?」
自分よりも随分と高い身長の帝に怯む様子などなく、押切は帝へと鋭い視線を飛ばす。
元々男子だからといって容赦をするタイプではないと思っていたが、どうやら想像以上に分別がないらしい。相手が帝であれその毒牙は噛みつくようだ。
「何? もしかして”天才くん”に負けて怖気づきでもしちゃったとか? ……アハハ! だとしたら、あんたこそダサすぎでしょ!」
「……あぁ?」
その挑発の言葉で帝の眉間に皺が寄る。こめかみには血管が浮き出てきていた。しかし、押切がその眼光に気圧される様子は微塵もない。
本当に女子なのだろうか?
男子でも怯みそうな状況だというのに、これっぽっちの身震いもない。
「え、なになに図星なの? ……アハハハッ! それ、冗談抜きでダサいやつじゃーん! あ、イライラするなら殴れば? ほらほら、今ここで殴りなよ、ほら!」
それどころか押切はさらに挑発を続ける。堂々と左の頬を帝に差し出し、自ら「殴れ」と指示を出し始めた。
「前にも言ったかもしれねぇが……俺は女だろうが容赦なく殴るぜ?」
帝はポケットに突っ込んでいた右手を出すと、ポキポキと拳を鳴らし威圧する。
「へぇー? ……じゃあ早く殴れば? ほらー、早くー」
それでも押切は挑発を止めない。
「…………」
訪れたのは一瞬の静寂。
一歩も退かない両者による緊迫した空気感が肌をヒリつかせる。このままでは暴力沙汰待ったナシだ。
しかし――
「…………」
――帝が動く気配は一切無く。
ただただ時間が一秒、二秒、三秒と過ぎていくだけだった。
「……あれ? 殴らないの? あー、そっかそっかー。そうだよねー、やっぱり口だけだったってことだよね! 殴る勇気も出ないって感じー?」
「…………」
ザワザワと、周囲が再びうるさくなり始める。
相変わらず帝に動きは見られない。
(そうか……)
どうして帝が動き出さなかったのか不思議に思っていたところ、サクは状況を遅れて理解する。
ここは教室のど真ん中。つまり、教室後方のカメラにこの現場はしっかりと映ってしまっているのだ。
人は多いが、ご丁寧にプロレスのリングのようにサクたちは教室中央に孤立させられているので、当然死角など存在せず。
今ここで押切を殴ってしまえば……最悪の場合、退学だ。
それを理解しての押切の挑発と、帝の沈黙だったというわけだ。
どこまでもずる賢く、小賢しい。
「えー、なんか幻滅っていうかー……口だけ悪そうにしてるのってダサくなーい? ねぇ、宴もそう思うよねー?」
「たしかに! ……そうだな!」
「たしかにあいつ……悪ぶってるくせにやってること小物すぎない?」
「うん、そうだよねー。ていうかさ、そもそも何で城才入れたの?って感じだよね、ほんと」
「ずっとクラスの雰囲気壊してるってこと分かってないのかな」
またも、押切は先程同様に教室の空気を見事に支配して見せた。
(上手いな……)
サクは、押切の手腕に改めて戦慄する。
教室内で恐らく上位の発言権を持つ男子にまずは同意を求める。そうすることで帝に脅えていた大多数の人間も、徒党を組むことで気が強くなり敵愾心を顕にし始める、という単純明快な誘導方法だが、これが意外と難しい。
それをごくごく自然にやってしまうのだから、とにかく押切はこういった人心の扱いが上手いのだろう。あっという間にこの場の標的がサクから帝へとチェンジされてしまった。
ターゲットとなった帝は苛立ちを収め、不敵な笑みを浮かべている。この変わりようの早さから察するに、もしかしたら元々苛立っていたのも嘘だったのかもしれない。
「くくく……おい、宴」
「? なんだ」
「お前、この女に一発ヤラセてもらいでもしたのか?」
「ッ!!? そ、そんなわけないだろ!!」
突然、帝は宴と呼ばれた快活そうな男子生徒に声をかけたかと思えば、大衆の面前でとんでもないことを言い出した。
宴は明らかに動揺を見せている。
「おいおい、そう焦んなよ。軽ーい冗談だろ? 本当だって勘違いされちまうぜ? あぁ、それとも……マジでヤッてたのか?」
「ち……違う! べ、別にそんなんじゃないから! み、みんな、違うからな!」
「……あ、ああ。もちろん分かってるよ、宴」
「う、うん。そ、そうだよね! だって宴くん、彼女いるって言ってたし……」
嘘か真かなど誰も分からないが、周囲にいる1組のクラスメイト達は言いよどみながらも宴をひとまずは肯定する。誰も帝の味方をするものは現れていない。
しかし、皆どこか心の底では「そうなのか?」という疑いを持ったままだろう。
「あんた。何のつもり? そんなんで話が流れるとでも思ってんの?」
「いや? あまりにもお前らが息ぴったりだったんでなぁ。ただ揶揄ってみようとしただけだったんだが……」
帝は一度、間をおく。
「宴とお前の反応から見るに……どうやらビンゴだったらしいなぁ?」
そして、笑いが抑えられないといった様子でそんなことを言い出した。
周囲もその発言に再びどよめきだす。あまりにも発言者である帝の能力が高すぎるために、ただの戯言だと切って捨てられないといった様子だ。疑いが消えるどころか増大していく。
気が付いたら注目の的の一つとなっていた宴も、額に玉汗を浮かべていた。
「……はぁ? なわけないでしょ。マジで何言ってんのあんた。ダサいだけじゃなくて、バカなの?」
対する押切は帝によって空気が変えられつつある事実に気が付いてか、さきほどまでの作戦通り帝を貶す路線へと落ち着いて舵を切りなおした。
「くく……まぁ、二人してそんなムキになんなって。わざとじゃないとはいえ、勝手に気付いちまって悪かったと思ってるんだぜ? これでもな」
しかしそれでも、帝の扇動が止まることはなく。
「だーから……そんなんじゃないって――――」
全く思い通りにならない展開に、押切が本格的に苛立ちを見せ始めた、その瞬間――。
「す、すまん押切! もう、隠せない! ……そ、そうだ! ……帝の言う通り……じ、実は俺、押切と、その……男女の関係に、あるんだ!」
押切の声を遮って、宴の実直で大きな告白が教室に響いた。
(え……!?)
サクは驚愕する。だって、本当だったとしてもこんな場所で堂々と発表することじゃない。一体どんな思考を経たらこんな自白をするという結論に至るのだろうか。それに、タイミングとしても意味が分からなかった。
教室中の生徒がその発表に驚き、一斉に声を発し始めたことにより、ドッとこの場の熱量が上がる。
大人からしたら別にそういう関係なんだとしても何だという話かもしれないが、高校一年生の間ではそういった男女関係の話題に対して興味津々なのだ。
宴は周りの人間から問い詰められたりして囲まれていた。顔には気まずさや恥じらいなど、様々な感情が浮かんでいるように見える。
一方で。
「おい宴!! 何勝手に白状してんだよ!!」
恥ずかしがる宴とは対照的に、押切の方に全くそんな素振りは見られない。ただ鬼の形相で宴の方を睨んでいるだけだ。
こういうとき、男子よりも女子のほうが恥ずかしがってそうなイメージがあるだけに何とも奇妙な光景に見える。
「くくく……駒にする相手を間違えたなぁ? 押切」
教室中がすっかり騒がしくなってきたところで、帝が満足そうな表情をしながら押切のほうへと詰め寄る。
「どうせお前は、あいつが素直な野郎だから簡単に手玉に取れるとか考えたんだろうがなぁ……それは少し違うぜ?」
そして、渋柿でも食べたかのような苦い表情をしている押切に向かって、こう言った。
「宴竜はなぁ……素直なんじゃあねぇ。ただバカ正直なだけだ」
「は? 何それ。普通に意味わかんないわ。てかさー……あんた、さすがにマジでウザいんだけど?」
挑発的な笑みを浮かべている帝に対して、押切はついに苛立ちが爆発し始めたのか静かに口調を荒くする。
「ウチの邪魔したことの意味……分かってんでしょうね?」
猛獣のような獰猛な目つきで帝の目を睨みつける。
「はっ、分かってねぇのはお前のほうだろ? 押切」
「は?」
「俺は初めっからなぁ……そのつもりだ」
「……へぇー」
サクの目の前で、両者の間に見えない火花が散る。少しの間二人はそのまま睨みあっていたが、直に押切は人ごみをかき分け教室を出て行ってしまった。
「…………」
その背中を見送る帝は、ただ静かにイメージとは違う真剣な表情を浮かべていた。てっきりいつものように不敵な笑みを浮かべているのだろうと考えていただけに、サクは面食らってしまう。
どこか、蓮に通ずるような二面性を感じたからだ。
「……あ、あのさ。その……助かったよ帝。ありがとう」
情けない話だが、今回サクは押切に対してあまりに無力だった。帝が来なければ、あのまま土下座をさせられ辱めを受けていただろう。
そのことに対してのお礼をする。
「あ? 別に助けたつもりはねぇよ」
帝はぶっきらぼうにそう跳ね除けてきたが、助けられたのは紛れもない事実だ。頭を下げないわけにはいかない。
「うん……それでも、ありがとう。それと……」
それと……もう一つ。
「最後のアレさ……もしかして、文音を助けてくれたの?」
最後の、押切への宣戦布告。
あれは、今後の攻撃の対象を意図的に自らへと変更させたのだろう。
思えば、帝は最初から最後まで自分へと注意を集めていたし、偶然とは思えない。
「なわけねぇだろ。寝ぼけたこと言ってねぇで早くそいつを連れていけ」
「うん……分かった、そうするよ。……でも、ほんとに、ありがとう。帝」
サクは帝にもう一度頭を下げると、後ろで俯いている文音を立ち上がらせ廊下へと進む。
文音の体は、まだ小刻みに震えていた。サクはそっと、文音の肩を抱く。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
「……うん……」
文音の小さな返事を聞きながら、二人で保健室への道を歩き始める。
(押切芽衣……)
サクは道中、ただ静かにその名前を繰り返し心に刻みこんだ。
作者「『え、普通こういうときって主人公が来るものなんじゃ?』→ はい、自分もそう思います。
でも蓮は蓮なので……もう学校に慣れてきた今、朝の登校は超ギリギリです。どのくらいギリかと言えば、遅刻との境界線であるチャイムが鳴り終わると同時に教室に入ってくるぐらいには限界を攻めてます。なので当然、まだ喋っていられる余裕があるような時間帯に起こったこの事件には遭遇するはずがありません。しかし意外にも遅刻はゼロです。何故なら、蓮は遅刻しそうだなと感じたら即欠席してしまうので」




