はじめに
彼は用事があり実家に帰った。用事はあっけなく片付いた。ヒマになった彼は物置からシャベルを取り出し児童公園に向かった。タイムカプセルを探すために。
肩にシャベルを担いで歩きながら彼は考える。カプセルを埋めても実際に掘り出す人間は珍しいな。埋めたことを忘れるし、覚えていても一緒に埋めた人たちに許可をもらう必要があるが、そこまでして掘る価値はないんだ。
彼は高校時代、うつ病を患った。そのせいで今から二十年ぐらい前に送った高校三年間の記憶がすっぽり抜け落ちている。進学のため上京する前、密かな願い事を託したカプセルを一人で公園に埋めに行ったことだけは覚えている。
幸い児童公園には子供も年寄りもいなかった。彼はつぼみがピンクに色づいている桜の木の下をひたすら掘った。ふと、シャベルの先端が金属に当たり、カランと空虚な音がした。彼は見覚えのあるチョコレート缶を穴から取り出し、木の根元に置いた。ぐるぐる巻きのテープを剥がして蓋を開けると、中から赤と白と黒の煙がもくもく立ち昇った。それは尻餅をつき後退りする彼の前、木の梢の下に集まり、形を成した。
「だ、ダルマ?」
「誰がダルマだ。わしはカプセルの精霊、略してカプ精じゃ」
「はぁ」
カプ精は宙にプカプカ浮かびながら木の幹を一周し、彼の目の前に戻ってきた。
「願いを叶えてやるが、後悔はないか?」
それで彼は缶から封筒を取り出すことを思い出した。中の紙には油性ペンで、「高校生活をやり直したい!」と一行で書かれている。
果たして今の彼は本当にそう願っているのだろうか。答えは「はい」だ。そもそも苦労してまで、変質者と怪しまれる危険を冒してまでカプセルを掘り出したことには事情があった。
彼は三十代後半の独身男性だ。首都の大学生活ではうつ病から立ち直るので精一杯で親しい友人を作れなかった。社会人生活ではうつ病の既往歴を隠すのに必死で何も身につかず、同僚や上司からは無能なコミュ障として疎まれた。彼は離れた位置から社内の恋愛、不倫、セクハラなどを観察したが、まったくの他人事だと思っていた。この歳になるまで女性との交際経験がないことに何の疑問も抱かなかった。
三十代になると彼は久々にテレビゲームを再開した。根気よくプレイすれば必ず達成感という見返りが得られ、しかも他の趣味と比べコスパが良いゲームは、現実世界での自分の可能性を信じられなくなった彼にとっては格好の暇つぶしだった。仕事から帰り、一人狭いアパートで缶チューハイを飲みながら遊ぶのが彼の日課、至福のひとときになった。
優れた芸術には人生を変える力がある。ゲームもまた然りで、彼はある作品から影響を受け、自らの人生の再考を迫られた。
それはある高校生が「使い魔」という特殊能力を用い、周囲で次々と起きる事件の謎を解き真相に迫りつつ、勉強、部活、友情、恋愛、自我などと真剣に向き合う、青春欲張りセットのような作品だった。
彼は約百時間その世界に浸り、ついに感動のエンディングを迎え、余韻も消えた後、狂った。無意識になんとなく生きてきた自分を痛罵し、たんこぶができるほど頭を殴った。なんだこれは? なんだおれは? おれっていったい……
失われた高校生活を取り戻す。あの日の願いがふと蘇った。
「後悔はないか?」と、カプ精が念を押した。
「ああ。その願い、叶えてくれ」
「それなら契約書の作成に移ろう。まず契約期間は一年、と」
カプ精の前に紙が浮かび、その口述と共に羽ペンが紙の上を走る。
「ちょっと待った。どうして一年だけなんだ。高校生活はふつう三年だろう」
「三年も過ごしたらこっちの世界に戻れなくなるぞ。せいぜい一年が限度だ」
そういうものなのだろうか。確かにゲームと同様、異世界にどっぷり浸れば、日常生活に支障をきたすだろう。
「分かった。だったら高校二年の四月から三月末までにしてくれ」
「了解した。そうそう、注意しておくが恋愛はご法度だぞ」
「なんだって!?」
「お主、四十になろうとする中年男が娘ぐらいの女をたぶらかし、その将来を台無しにするなんて、あっていいことと思うのかね」
「そりゃまずいけど、おれがこれから行くのは架空の世界なんだろう?」
「そうであってもだ。恋愛や告白をすれば即終了。誰かに正体を知られてもまた然りだ」
「けっこう細かいんだな。黙っておれの願いを聞いてくれればいいのに」
「意地悪に思えるかもしれんが、すべてお主のためなんだ。細かい舞台設定とかなら融通を利かせるぞ」
「それは考えてなかったな。どうしようか……」
「二千年代前半に、首都から田舎の高校を訪れた男子、でどうだ?」
「いいじゃんいいじゃん。ほどよくアナログで、情緒があって。ついでに超イケメンにしといてくれよ」
「人を好きになれないのにモテるほど辛いことはないぞ。お主には分からんだろうが」
「分からなくて悪かったね。なら昔のおれの顔でいいや」
「他に注文は?」
「うーん、今のところは特に思いつかないな」
「契約内容に間違いがなければサインを」
彼の左手に紙が、右手に羽ペンが飛んできた。
「おれの本名を書くんだな」
「いいや。いわばプレイヤー名を書けばよろしい」
彼はゲームの主人公につけた名前と同じく、「時尾渡」と署名した。紙とペンとカプ精は輝く粉と化し空気中に消えた。彼の目の前で世界がぐるぐる回った。彼はかろうじて公園の時計を視界の端に捉えた。その針はカプセルを開いた時と同じ、午後二時四十分過ぎで止まっていた。




