第7狂・イエローカーネーション___弱味に対する切り札と狂気
花言葉とは色々とありますね。
この花言葉は聡太への周りの台詞かな、と思います。
______循環器科・医局。
「御影先生」
あれから聡太は、御影純架の主治医である、
透架に必要以上、話しかけてくる様になった。
それは、主治医の権利を自分自身が持ちたいばかりに
透架の首を縦に振らせるのが、目的だ。
けれどもそれが、一筋縄ではいかない。
透架はどこ吹く風の如く、他人事の様に見える。
幼い頃から自身の望むものは、絶対手に入れてきた。
今回だってそう。どんな手を使っても、
主治医の肩書きが欲しい。
それが例え、卑怯で姑息な手だとしても。
「なんでしょう。例の件なら、私は承諾致しません」
「これを見ても?」
電子カルテに目を奪われていた女医は
ようやく此方に目を合わせて、何処か物憂げに視線を注ぐ。
そして少しだけ目を見開いた。
其処にあるのは、身辺調査表 調査表。
【対象者 氏名 : 御影 透架】
生年月日:19xx年 12月11日 血液型:AB(Rh+)
(現年齢:29歳)
在住地:〇〇県 ◯◯区 エーデルワイスハウス 609号室
身長:162cm
職業:女医 (専攻:心臓外科、心臓神経外科医)
参考:〇〇年度から一瀬循環器病メディカルセンター 循環器科勤務。
〈家族構成〉
・御影 純架 (一卵性 双生児) 〈妹〉29歳
机の上に無造作に置かれた書類に
目を通しても、透架は微動だにしない。
その何処か人間離れした人形の様な横顔が、呆然自失と佇む。
「やっぱり繋がってたんじゃないか。
まさか双子の妹だったとはね。
通りで名字も同じで、名前も似通っているんだ。
これは、職権乱用ではないか?
君も物静かなふりをして強かだね」
透架は動じない。
それどころか弱味を握ったとばかりに嘲笑し
マウンテンィグを取っている青年を軽蔑していた。
自身の保身と権利に、盲目になった哀れな人間だと。
己の欲望の為に、怒気を心に宿す事が出来る人間。
感情が凍り付き氷柱の様に欠落した、
透架には無理だと感じた。
(人は己の欲望の為ならば、
我を失う程にこんな我を喪う程、見境も着かなくなる、
貴方は、そのお手本だわ)
聡太の躍起になる姿を見て、
透架は、“あの大人達”を思い出した。
何処までも残酷に己の欲望の沼に溺れる身勝手な人達。
____反吐が出そうだ。
(………単純な人。
それに、闘志を燃やして何になるの?)
御影純架の主治医の権利は、循環器科の取り合いだ。
初となる心臓移植を待つドナー患者なのだから。
心臓移植が成功した暁には、病院も、主治医は一目置かれる存在となるだろう。
(あの子は、お人形じゃないの)
まるで、双子の妹が道具の様に扱われている様に思えて、
居心地悪く、憎しみすら抱いた。
一瀬聡太が主治医の権利に拘っているのは
のちのちに主治医としての功績と名誉が手に入るから。
しかし、純架を深く傷付けた男には、
意地でも主治医の権利等渡らせない。その生きた心地さえ___。
「悪い事は言わない。
病院には姉妹である事を隠しているんだろう?
………主治医の権利を僕に譲れ。そうすれば、この件は内々にするよ?
この病院になんの関係もない
ただの素人が主治医になっているより、
未来の院長である僕が主治医である事が相応しい。
それに職権乱用の事も黙ってあげようじゃないか」
欲望の為ならばこんなに、しつこくなれるのか。
こんな土足で人の領域に踏み荒らす事は大嫌いだ。
弱味を握れた、と聡太は有頂天なのだろうが……。
“幸い、医局には二人以外、誰もいない”。
それまで沈黙を貫いていた透架は切り札を取り出す。
チョコレートの一欠片に四角い型に赤色が点灯している。
まるで警察手帳を掲げる様に、無表情な顔付きで。
「これが、何を意味をしているのか、分かりますか?」
「………なんの………」
と言いかけて、聡太は言葉を飲み込んだ。
「……………」
気付いた時に御影透架を見ると、
その無表情の中に何処か勝ち誇った様な表情を
浮かべている様にも見えた。
遅かった。相手の方が上手だった。
彼女がポケットに忍ばせていたのは盗聴器。
あの時の会話は、全て物理的に納められていたのだ。
権力に盲目的になっていて、他が見えていなかった。
すっかり忘れていた。御影透架は、
(何処までも読めない、侮ってはいけない奴だと)
冷や汗が止まらない。けれどももう遅い。
そうだ。透架は純架のベッドの下に
予め盗聴器をセッティングしていた。……何かあった時の為に。
周りは敵だらけだ。危険人物しかいない、
この世界で安堵なんて出来る筈がなかろう。
「よい機会なので、こちらも見て頂けますか」
そう告げると、
透架はパソコンのキーボードを慣れた手付きで弾く。
昨夜の純架の病室の映像が映っている。
どんどん聡太の顔色が青褪めていく。
あの時の脅迫した映像、会話が全て納められている。
「どうでしょう?
勝ち誇って裸の王様の気分になっていたと思いますが」
「……こんなもの!!」
その刹那、パソコンを取り上げると、床に打ち付け
足で何度も踏み付け、軈て満面の笑みを浮かべた。
そんな聡太を、透架は冷ややかな眼差しで、頬杖を着いている。
「人間は感情的な動物だけれど、
感情的になって我を忘れるのは盲点かと」
「何が言いたい!?」
振り向いてその威勢ある声音を張った後に、
透架の“切り札”を見て聡太は借りてきた猫の様に固まる。
______透架の華奢な手にはUSBメモリーが握られている。
余裕綽々で、飄々とし、その読めず掴めない無表情が、怖い。
「あの日のやり取り、全て此処にあります」
「それをどうする気だ?」
透架の冷静な声音に彼は鼻で笑い、見下している。
「……… 一瀬先生。
己の野望の為に何も見えていなかったんですね。
野心は時に人を盲目にさせる。
人をコケになさらないで。
原本は勿論。コピーなら幾らでもあります。
せっかくの機会ですので
此方の音声は院長に直接、お聴き頂こうと思います」
「それだけは、止めろ!!」
切り札を出した途端に頬を紅潮させ
威勢に満ちていた医師が顔面蒼白となっている。
野心に操られて、感情をころころと変える人間は、まるでサイコロの様に見えた。
それでも強がりか。椅子から立ち上がった透架に、
聡太は罵声を飛ばした。
自信家である聡太の自信たっぷりな表情に、
焦燥感が宿っているのは目に見えて解った。
透架から映像と盗聴器を取り上げようとしたが、
呆気なくかわされて空回りになっていた。
「………弱味を握れた、と思えたでしょう?」
「…………」
「人は天狗になると破滅するものですよ」
(嫌いな奴のものを、奪えたと思っていたのに)
へたり、と腰を抜かして床に座り込み
聡太は項垂れて落胆した。
「もうバレてしまったら、仕方ないですね。
これは警告と忠告です。御影純架に近付かないで。
“彼女は私の患者様”ですから。
今度、何かしたら容赦しないですよ? 指一本触れないで」
怒気が籠もっていて、
無意識に額には、冷や汗が浮かぶ。
軈(やが〉て、聡太の携帯端末が震えた。
____“今すぐ、院長室にこい”。
「………あ、」
透き通った声が、呟きの様に空に消える。
「言い忘れておりましたが、此方は事後報告でした。
院長にはもう伝わっておられるかと思います」
「…………」
(この己の野望だけに、目先の欲の為に
貴方は純架を深く傷付けたでしょう。それだけは許せないの)
盗聴器とUSBメモリーを見詰めながら、透架は目を伏せ閉じる。
(絶対に、漸く手に入れたこの切符を渡しはしないわ。
絶対に誰にも。そうすれば、純架は………)
(御影透架は、冷酷で無慈悲だ)
______数時間前。院長室。
控えめで慎ましやかなノックをしたら後に
院長室に透架は現れた。
律儀にお辞儀をする。其処には品性が備わり、
薄幸めいた雰囲気は何処かの深窓の令嬢を連想させる。
「お忙しい中、
お時間を割いて頂き、有難う御座います
突然訪れまして申し訳御座いません」
「いや構わないが。
患者様の相談と言われると私も見過ごせないからな。
………で、御影先生、何があったんだ」
循環器科の実力者として知られている透架は、
院長である一瀬誠治からは一目置かれていている。
どうぞと手招きされた場所は、応接間として機能している。
高級なレザー調の調度品のソファーと、硝子をベースとしたテーブルがある。
互いに向き合う様にソファーに腰掛けると、
「先日、会堂病院から、転院された御影純架さんの事です」
「……………君が担当主治医の……で、どうしたのかね」
「此方を、ご覧になって下さい」
実は、身辺調査されている事は知っていた。
夜勤の当直の時、青年の机に無造作に置かれていたそれを
透架は見逃しはしなかった。
透架はコピーした御影純架のカルテ、
あの時、先回りしてコピーした身辺調査表。
そして隣には、盗聴器とUSBメモリーを置いた。
「姑息だと思われても仕方がありません。
__ですが彼女は、私の大切な双子の妹であり
心臓移植を待つドナーです。
病室に
万が一の為に監視カメラ、盗聴器を仕掛けておりました」
院長の一瀬誠治は唯一、御影透架の身辺を理解している人物だ。
御影純架が彼女の双子の妹である事も、
そして、“これから最も大事であるあのこと”も知っている。
まずは御影純架のカルテを目を通して貰った後、
盗聴器の聞き取りに移る。
その息子の声音に、眉間に皴を寄せた。
加えてパソコンを通してUSBメモリーの映像を流す。
それは昨夜の、一瀬聡太の身勝手な言動や、
患者である御影純架が追い詰められている所が切り取られてある。
我が息子の傲慢と横柄さの言葉に、
院長である一瀬誠治はどんどん顔面蒼白になってゆく。
空いた口も塞がらず、まるで怪奇なものを見詰めるかの様に。
「御影さん、妹は_____
PTSD〈心的外傷後ストレス障害〉の後遺症により
男性の方に対して恐怖感と不安感を抱かれている現状です。
そんな中、一瀬先生がこの様な行動に移された事は
主治医として見逃せない、と判断致しました」
冷静沈着な声音で、透架は告げる。
軈て誠治はこめかみに手を当て、頭を抱えた。
しかし刹那に姿勢を変える。
腿に手を付き、そのまま深々と頭を下げる。
「………うちの愚息が済まない。それで御影さんの容態は」
「一時期はバイタルが不安定でしたが、
現状は落ち着いております」
「有難う。愚息にはしっかり咎めておく。
改めて今回は申し訳ない事をしてしまった」
(貴方の息子さんは己の野望だけに、目先の欲の為に
純架を傷付けたでしょう)
(その事については、許しはしないわ)
微笑んだふりをして、透架の目は据わっていた。
_______現在、院長室。
「この身の程知らずが」
院長室には、怒声が残響する。
院長専用のデスクテーブルの前には、小さくなった湊太が居た。
「循環器科医局にも確めたが、
貴様、御影先生に主治医の権利を自分自身に
寄越せと言っていた、と……呆れて言葉も出ない。
まさか、欲望の為に、患者に危害を加える等、言語道断、
医師としてあるまじき行動だ!!」
誠治は頭を抱えた。
聡太は思い込みが激しい体質が玉にキズであり
それ故に走りがちで、誠治の悩みの種だった。
「軈てこの病院を受け継ぐ立場の者が、
この様な言動と行動をするとは………見損なったぞ」
「ですが院長。僕の方が、相応しいと思いませんか」
「………なに?」
まるで、
演説を始める様に胸に手を当てて熱弁を奮い出した。
「僕はいずれ、貴方の跡目を継ぐんです。
心臓移植を待つ患者様の主治医をしていた、という事は
院長になった時、経験値として最大の武器になるのでは」
「己の欲望故にミステイクを犯した者が黙れ。
今すぐにその口を慎め」
必死に取り繕おうと
言い訳と偉大さをアピールしていたが、
誠治の威厳ある声音に聡太は固まった。
「いずれ院長になるのとはいえ、今は昨夜の問題の事を言っている。
お前の身勝手な思いが患者様を傷付けた。それは紛れも事実だ。
それに御影さんは……PTSDの後遺症により
男性恐怖症だと伺っている。
それなのに。目先の事ばかり目に入らないのは、
お前の悪い癖だ。………反省しなさい」
「…………っ」
御影透架め。
屈辱感に晒されて、聡太は白衣の生地を強く握った。