第13狂・エンゼルランプ___氷の館〜少女の覚悟という名の狂気
残酷・流血表現と描写有り。
ご注意下さい。
御影家では気付かなかったものの、
薫を見た刹那に違和感に襲われた。
「まあ、
御影家のお嬢様の養育という機会を与えられた事は光栄です」
上品な夫人、というにはを感じた。
けれどその言葉はところどころに詰まりを感じ、
慣れていない様子だ。ぎこちない。
髪に着いた煙草の香り。
鼻孔をくすぐる、存在感の強く示す薔薇の香水。
御影家から出て、澁谷家まで
手を繋いで歩く道のみまで薫は優しいものだった。
宏霧という兄がいる事やこの街の事を。
透架はずっと御影家に籠もっていたから、
この世界が、異世界に来たような、
切り取られた景色の様に思えて仕方がない錯覚に陥る。
空は夕暮れ時になり空は
鮮やかな茜色と、紫雲の空が混ざっている。
人里離れた静観な住宅地に入ると西洋風の洋館が、
一際存在感を放っていた。
____それは良い意味ではなく。
掲げられた【澁谷】という表札は錆びていて
広い敷地内の庭は植物は枯れ切って、優雅に蔦が侵食している。
澁谷家に一歩、足を踏み出した刹那に、
頬に容赦のない、熱い衝撃を感じた共に
小柄な透架の身体は投げ出された。
頬を叩かれたという事を認識するまで、
何が起こったのか分からなかった。恐る恐る顔を見上げると
________目の前の女は、嘲笑っていた。
彼女は、滑稽に微笑みながら告げた。
一瞬、何が起こったのか、
衝撃に掻き消されて分からなくなる。
先程の夫人の柔い微笑みは、醜い嘲笑に変わっている。
床に積もる無情な埃が、
無垢な透架にまとわり付いて、咳を招こうとする。
埃や空気、それらが、この家の香りを知らしめていた。
顔に張り付いた乱れた髪を掻き分けて、透架の顔を掬う。
先程の顔立ちとは違うと気付いた刹那
無意識に背筋が凍り付きぞっとした。
縦横無尽に迸る皴、
不敵な微笑みを浮かべ上がった口角。
煙草の香りと、
薔薇の香りが混ざり合い、独特の香りがする。
御影の人間達とは違い
明らかに見下すかの様な微笑み。
それはまるで悪魔の様だった。
思わず、同一人物かと疑う程に
女は透架に嘲笑と共に品のない高笑いを添えた。
___嗚呼、これが、本当の、“曰く付き”の扱いだ。
犯罪者の娘、曰く付きの娘。
純粋無垢な雪ではなく穢れを知り尽くした絶望の埃が、
透架の身の程を知らしめていく。
身勝手な欲望に満ちたの大人達は、
オブラートに自身を軽蔑しても
この冷たい埃の雪はストレートに透架の心へ浸透していく。
(私は、曰く付きの娘)
だから、こんなものは、当たり前。
倒れた人形の様に横たわる少女に、
薫は、ゆらり、ゆらりと此方へ近付く。
無造作に薫は透架の胸元を掴んで引き寄せた。
縦横無尽に迸る皺、獣の様な血走っている瞳。
思わず呼吸を止めたくなってしまう程の、
煙草と薔薇の交わる吐息。
微かに怯えが表情に
佇んでいる少女をけせらせらと笑いそして告げた。
「御影家の顔立ち、そのものね。
………特にあの女に似てる。まあ、似ていて当たり前か。
やっぱり腹が達つけれど、ようやく手に入れたわ。
この“曰く付きの娘”め。
いいか。
あんたが逆らうという事は、妹が力尽きるという意味だからね。
自分自身の保身を選ぶか、妹を助けるかは、好きにしな」
ドスの利いた声音。
言いたい事を終えるとそのまま、また胸ぐらごと突き飛ばした。
そのまま薫はリビングルームに消えようとしていく。
その姿は、悪魔の様だった。
言葉の意味は分かっている。自身の立場も。
その刹那に脳裏に浮かんだのは、屈託のない純架の笑顔。
(私が、この家に逆らえば、純架は消えてしまう)
純架を守れるのは、もう自分自身しかいない。
自分自身がわがままを言えば
妹が直接的に、間接的に、苦しめられるかも知れない。
妹は生死をさ迷って末に懸命に治療に向き合っているというのに
そんな彼女に水を指したくない。
(………私が、我慢すれば済むこと)
(曰く付きの娘だから、こんなの、当然の事よ)
(我慢しなくては。
(私が、事を荒立てなければ、純架の命は保証される)
暖かな天使の住む洋館の中身なんかじゃない。
此処は、悪魔の住む冷たい氷の館。
例え、理不尽な現実だとしても。我慢すればいい。
自分勝手な行動をすれば、
双子の妹はまた苦しむ事になってしまう。
既に深く傷付けてしまったのに、
またそれを繰り返す事は出来ない。
(____…………)
透架は固まった。
通りのドアの隙間が微かに空いていた事に気付いた。
其処には眼鏡をかけた青年が此方を
異様な眼差しで覗いていたのだ。
薫と透架のやり取りを見られていた、と刹那に気付いた。
けれどもその異様な眼差しは、御影の人間達とも、薫とも違う。
小柄で人形の様な人間離れした容姿や
絶望に染まった透架の面持ちを、興味半分で見詰めていた。
(今は棄てられないように、
失望されぬ様に振る舞わなければ)
たった10歳の少女。
子供は大人に見棄てられてしまえば、行く道はない。
自分自身の事はどうでもよい。
だが身勝手な両親に裏切られた双子の妹を思うと
(………今は、死んでも死にきれない)
自分自身すらいなくなれば、
純架が、天涯孤独になってしまう。
この厳冬の絶望だけが佇む世界でも、
惰性だけを抱えてで生きていれば
形だけ息をしていれば、御影も文句は言わなかろう。
____妹も傷付く事はない筈だ。
純架を置いてきぼりする事は、
両親と同じ過ちをする様に思える。
身勝手なあの人達には絶対に一緒になるのは、無意識に心が拒絶した。
うつ伏せになり、顔を埋めたまま動かなかった。
少女の水色のワンピースは穢れを吸い、灰色にくすんでいく。
(………生きてやる。生きて、純架を救う道を探す。
私が息を止めるのは、それからよ)
それが生きる意味ならば、潔く受け入れよう。
罪のある身体。穢れた身体。
苦しめ。
絶望の光りを喪った眼差しで、
透架は、無意識に、自分自身を嘲笑っていた。
______ガシャ、
硝子の生々しい音が残響する。
青年のひっという悲鳴を押し殺した声に、
薫は無意識に面倒くさい面持ちのまま、振り向いて固まった。
起き上がると、蠅が集たかる場所。
割れたワイングラスの破片があちこちに散らばっている。
酒気を帯びた香りのするグラスの破片を少女は掴んでいた。
(傷付くのなんて、どうでもいい。もう何も怖くないわ)
握り締めた手から、手首へ滴り落ちる鮮やかな赤。
透架はそれを離さない。
そしてやがて物憂げで絶望を受け入れた面持ちで微笑む。
それが何処か機械的で、無防備なわりに何処か硝子細工のよう。
それは、言葉に為し得ない程に綺麗と思う。
ただ絶望したその漆黒の眸は決して微笑まない。
その少女の見せた狂気は、鮮やかで誰にも真似等出来ないだろう。
………薫は、ぞっとする。
「よろしくお願い致します。_______薫様」




