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戦うのは好きだけど面倒事は嫌いなので、最強なのは秘密です。  作者: 檸堂礼音
第三章

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第六話 新たな関わり

――翌朝


◇


朝。

カーテンの隙間から、柔らかな日差しが差し込んでいた。


「……んぅ」


詩音(しおん)は、ゆっくりと目を開けた。

見慣れない天井。

ふかふかのベッド。

そして、腕の中には枕。


「…………」


寝ぼけた頭で、昨日の出来事を思い返す。

大会。

神成禮(しんじょうらい)との戦い。


連絡先の交換。

自宅への招待。

膝枕。

お泊まり。


「…………っ!」


詩音は勢いよく上体を起こした。


「……そうだった!」


ここは、禮の部屋。

そして今、自分が抱きしめているのは――。


「…………」


そっと枕を見下ろす。


「……おはようございます、神成さん」


小さく呟いた。

直後。


「……って、何言ってるの私!?」


詩音は枕を元の位置へ戻した。

昨日の夜の自分を思い出す。

何度も抱きしめて。

表と裏を確認して、最後には、抱いたまま眠ってしまった。


「……うぅ」


両手で顔を覆う。


「昨日の私、ちょっとおかしかったかも……」


少し考える。


「……ちょっと?」


さらに考える。


「…………」


考えるのをやめた。


◇


身支度を整え、詩音は部屋を出た。

廊下は静かだった。

階段を下りていくと、キッチンから物音が聞こえてくる。


「あ、おはよう。詩音ちゃん」


禮歌(れいか)が振り向いた。


「おはようございます、禮歌さん!」

「よく眠れた?」

「はい! すごくぐっすり……」


そこまで答えて、詩音は固まった。

禮歌がにっこり笑う。


「そっか。禮のベッド、寝心地よかった?」

「…………っ!」

「ふふっ」

「……禮歌さん、朝からですか!?」

「何が?」

「絶対分かってますよね!?」


禮歌は笑いながら、コップを取り出した。


「ごめんごめん。お水飲む?」

「あっ、いただきます……」


詩音は差し出されたコップを受け取る。

冷たい水を一口。

ようやく、少し落ち着いた。


「……そういえば、神成さんは?」

「ん? あそこ」


禮歌がリビングを指さす。

詩音がそちらを見ると――。


「…………」


ソファの上に、禮がいた。

昨夜とほとんど変わらない格好で、毛布を掛けて眠っている。


「……まだ寝てるんですね」

「うん。昨日、相当疲れたみたい」

「……ですよね」


詩音は小さく笑った。

昨日、あれだけ戦ったのだ。

むしろ、今まで平然としていた方がおかしい。


「起こさなくていいんですか?」

「朝ごはんができたら声をかけようかな」

「なるほど……」


詩音は頷(うなず)き、そっとソファへ近づいた。

禮の寝顔を覗き込む。


「…………」


昨夜、自分の膝で眠っていた時と同じ顔だ。

(……本当に、無防備)

思わず口元が緩んだ。

そこへ、後ろから声がする。


「詩音ちゃん?」

「ひゃっ!?」


振り向くと、禮歌が立っていた。


「……何してるの?」

「ね、寝てるか確認してました!」

「見れば分かるよ?」

「そ、そうですね……!」


禮歌は笑いを堪えながら、詩音の隣へ並んだ。

そして、禮の顔を覗き込む。


「……禮。朝だよ」


返事はない。


「朝ごはん、もうすぐできるよー」


すると、禮が小さく身じろぎした。


「……あ、起きるかな」


詩音は慌てて姿勢を正した。

禮の瞼(まぶた)が、ゆっくりと開く。


「……!」


詩音は少し照れながら、微笑んだ。


「お、おはようございます。神成さん」


禮歌も隣で笑う。


「おはよう、禮。よく眠れた?」

「んん……おはよ」


禮は眠そうに目を擦りながら、ゆっくり身体を起こした。

髪は少し跳ねている。

目もまだ半分しか開いていない。

いつもの気だるそうな雰囲気より、さらに力の抜けた姿だった。


「…………」


詩音は、そんな禮をじっと見つめた。

昨日の闘技場で見た姿とは、まるで違う。

あれほどの技を使いこなし、笑いながら戦っていた人が今は寝癖をつけて、ぼんやりしている。


「……かわいい」


ぽつり。

思ったことが、そのまま声になった。


「…………あ」


詩音の表情が固まる。

禮歌が振り向いた。


「……詩音ちゃん?」

「…………」


詩音はゆっくりと禮歌を見る。

禮歌は、少し目を丸くしていた。

それから、にっこり笑う。


「聞こえちゃったね」

「~~~~っ!」


詩音は両手で口を覆った。

(声に出てた!?)

(今、私、神成さんのこと……!)

禮歌は詩音の耳元へ顔を寄せ、小声で囁(ささや)く。


「……かわいいって思ったんだ?」

「ち、違……!」

「違うの?」

「……違わないですけど!」


最後はほとんど囁き声だった。

禮歌はくすっと笑う。


「ふふっ。分かるよ。今の禮、いつもより無防備だもんね」

「禮歌さんまで……!」


詩音は真っ赤になりながら、ちらりと禮へ視線を戻した。

聞こえてしまっただろうか。

それとも、まだ寝ぼけていて気づいていないだろうか。

禮はソファに座ったまま、二人の方を見ている。


詩音の心臓が、どくんと跳ねた。

(……聞こえてたら、どうしよう)

禮歌は二人を交互に眺める。

そして、いたずらっぽく微笑んだ。


「ねえ、禮」

「ん?」

「詩音ちゃんが、禮のことかわいいって」

「れ、禮歌さんっ!?」


詩音の悲鳴にも似た声が、朝のリビングに響いた。

禮歌は笑いながら、一歩下がる。

詩音は顔を真っ赤にしたまま、禮の反応を待っていた。


「……ありがと」


禮は、ぼそっと呟いた。

その耳が、ほんの少し赤くなっている。


「…………え?」


詩音が固まった。

てっきり「何が?」と聞き返されるか、いつものように軽く流されると思っていた。

なのに。


「……あ」


禮歌も気づいたらしい。

禮の耳を見て、目を丸くする。


「……禮、照れてる?」

「…………」


詩音は、もう一度禮の顔を見た。

(……本当だ)

(照れてる……!)


「~~~~っ!」


今度は詩音の顔が真っ赤になった。


「ど、どういたしまして……!」


声が裏返る。

禮歌は二人を交互に見て、口元を押さえた。


「……ふふっ」

「禮歌さん! 笑わないでください!」

「ごめん。でも、二人とも耳まで赤いんだもん」

「そ、それは……!」


詩音は反論しようとして、言葉に詰まる。

嬉しい。

ものすごく嬉しい。

自分が思わず口にした言葉を、禮はちゃんと受け取ってくれた。


しかも、少し照れながら、(……ずるい)

詩音は胸元を押さえた。

(こんなの、もっとかわいいって思っちゃうじゃん……!)

けれど、これ以上口に出したら本当に顔を見られなくなりそうだった。


「……あー、もう!」


詩音は誤魔化すように、キッチンへ向き直った。


「禮歌さん! 朝ごはん、私もお手伝いします!」

「ふふっ。じゃあ、お皿並べるのお願いしようかな」

「はいっ!」


詩音は勢いよく返事をして、キッチンへ向かった。

その背中を見送りながら、禮歌はちらりと禮を見る。


「……ねえ、禮」


少しだけ声を落とす。


「さっきの『ありがと』、詩音ちゃん、すごく嬉しそうだったね」


禮歌はそう言って、優しく微笑んだ。

そして、詩音の方へ歩き出す。


「さ、朝ごはん食べよっか」

「はい!」


明るい返事が返ってくる。

ただし詩音は、皿を並べながらも、時折こっそり禮を見ていた。

目が合いそうになるたび、慌てて視線を逸らす。

それを禮歌に見られて、また赤くなる。

そんな、少し賑やかな朝だった。


◇


朝食を終えた三人は、リビングでくつろいでいた。


「ごちそうさまでした!」


詩音が手を合わせる。


「すっごく美味しかったです!」

「ふふっ。ありがと」


禮歌は食器を片づけながら微笑んだ。


「詩音ちゃんも手伝ってくれたし、助かったよ」

「いえいえ! 泊めてもらったお礼です!」


詩音は嬉しそうに笑った。

けれど、ふと時計へ目を向ける。


「……あ」

「ん?」

「そういえば、そろそろ帰った方がいいんでしょうか……?」


その言葉に、禮歌が振り向いた。


「お母さんから、帰る時間は決められてた?」

「いえ。帰る前に連絡するようにって言われただけです」

「そっか」


禮歌は頷く。

詩音は少し迷いながら、禮の方を見た。


「……神成さん、昨日はソファで寝てもらっちゃいましたし」

「禮なら気にしてないと思うけどね」

「でも、ずっとお邪魔するのも悪いかなって……」


詩音は端末を手に取った。

昨夜、泊まる許可をもらった時のやり取りが残っている。

帰るなら、母親に連絡する。

それだけの話なのに、なかなか指が動かなかった。

禮歌は、その様子を見て小さく笑う。


「詩音ちゃん、帰りたくない?」

「えっ!?」


詩音が顔を上げた。


「い、いえ! そういうわけじゃ……!」

「違うの?」

「……ちょっとだけ、そうです」


最後は小さな声だった。

禮歌は微笑んだ。


「素直でよろしい」

「もう、禮歌さん……」


詩音は照れ笑いを浮かべる。

そして、禮へ向き直った。


「……あの、神成さん」

「ん?」

「今日は何か予定、ありますか?」


禮歌も隣に座り、首を傾げた。


「そういえば、私も聞いてなかったね。今日は局に行く予定とか、あったっけ?」


詩音は慌てて付け加える。


「も、もちろん! 予定があるなら、私は帰ります!」

「ふふっ。そんなに慌てなくていいよ」

「だって、神成さん、昨日はあんなに戦ってたんですよ? 今日はゆっくりしたいかもしれませんし……」


禮歌は頷いた。


「それは確かに」


詩音は少し考えてから、控えめに笑った。


「……でも、もし予定がなくて、迷惑じゃなかったら」


膝の上で両手を重ねる。


「もう少しだけ、一緒にいたいです」


禮歌が、ちらりと禮を見る。


「だって、禮。どうする?」


詩音も期待を隠しきれない様子で、禮の返事を待っていた。


「まぁ、大会後だからね。さすがに局には行かなきゃだけど」


禮はソファに座ったまま、詩音へ顔を向けた。


「一緒に行く? 融通利かせておくけど」

「…………え?」


詩音が瞬きをする。


「……一緒に、局へ?」

「うん」

「い、いいんですか!?」


思わず立ち上がりかけた詩音を、禮歌が笑いながら見上げた。


「詩音ちゃん、昨日から何回目の『いいんですか』だろうね」

「だ、だって! 普通、そんな簡単に入れる場所じゃないですよね!?」

「まあ、見学できる場所は限られるだろうけどね」


禮歌は禮へ視線を向けた。


「天倉(あまくら)さんには、先に連絡した方がよさそう」

「あ、そうですよね!」


詩音は勢いよく頷く。

そして、少し考えてから禮を見た。


「……私、行きたいです」


その声には、先ほどまでの遠慮よりも期待が滲んでいた。


「昨日、最終審査を受けたばかりですけど……大会が終わった後、どういうことをするのかも気になりますし」

「うん」

「それに……」


詩音は一度言葉を切った。

禮の顔を見て、少し照れくさそうに笑う。


「神成さんが普段どんなふうに局で過ごしてるのかも、見てみたいです」

「普段……?」


禮歌が小さく首を傾げた。


「詩音ちゃん。禮、局でも結構自由だよ?」

「えっ」

「訓練場で戦ってるか、面倒くさそうに話を聞いてるか……」

「禮歌」

「ふふっ。だいたい合ってるでしょ?」


詩音は思わず笑った。


「……なんだか、想像できちゃいました」


それから端末を取り出し、母親とのメッセージ画面を開く。


「じゃあ、帰るのは少し遅くなるって連絡しておきますね」

「うん。お願い」


禮歌は頷き、ふと気づいたように付け加えた。


「そうだ。昨日の服、洗っておくから、帰る時に渡すね」

「ありがとうございます! ……って、あ!」


詩音が顔を上げる。


「私、昨日の服に着替えないと!」

「ふふっ。今の格好で局に行ったら、さすがに驚かれちゃうね」


詩音は借りた部屋着を見下ろし、赤くなった。


「危なかったです……!」


◇


詩音が着替えに二階へ向かうと、リビングには禮と禮歌だけが残った。

禮歌は、テーブルに置かれた端末へ目を向ける。


「……さて」

「ん?」

「大会の翌日に、最終審査の参加者を連れて局に行くんだね」


禮歌は少しおかしそうに笑った。


「天倉さん、どんな顔するかな」


それから、少しだけ真面目な表情になる。


「でも、詩音ちゃんの正式な手続きはまだこれからだし、見せられない場所もあると思う」


禮歌は禮の隣に腰を下ろした。


「……先に連絡しておこうか?」


その時、二階から詩音の声が聞こえた。


「禮歌さーん! 昨日の服、どこに置きましたっけー!?」

「あっ、洗面所の横だよー!」


禮歌が声を張って答える。


「ありがとうございますー!」


足音が遠ざかっていく。

禮歌は再び禮を見て、くすっと笑った。


「……すっかり賑やかになったね、うち」

「もう住んでるやん、詩音」


禮が何気なく呟いた。


「……ふふっ!」


禮歌が吹き出す。


「確かに。昨日来たばっかりなのに、もうお泊まりまでしたもんね」


その時、二階から声が飛んできた。


「す、住んでませんからね!?」

「……聞こえてたんだ」

「聞こえますよーっ!」


禮歌はますます笑った。


「詩音ちゃん、耳いいね」

「二人とも声が大きいんです!」


廊下の向こうで、ぱたぱたと足音がする。

禮は端末を取り出した。


「ま、先に天倉さんに連絡しとくか」


◇


数回の呼び出し音。


『……神成か』


天倉の声が聞こえた。


『どうした。何かあったのか?』

「いや、今日そっち行こうと思って」

『大会の翌日に自分から来るとは珍しいな』

「まあ、報告とかあるだろ?」

『……ある。むしろ、こちらから連絡するつもりだった』


天倉が少しだけ息を吐く。


『昨日の最終審査について、確認したいことがいくつかある』

「だろうな」

『特に最後の試合だ。記録の整理が必要でな』


そこまで話したところで、禮が付け加えた。


「あと、詩音も連れてっていい?」

『……詩音?』

「月城詩音(つきしろしおん)。昨日の最終審査の」

『ああ、彼女か』


天倉はすぐに理解したらしい。


『月城がどうした?』

「昨日からうちに泊まっててさ」

『…………』


沈黙。

禮は端末を耳に当てたまま、首を傾げた。


「天倉さん?」

『……待て』

「ん?」

『昨日から、お前の家に?』

「うん」

『泊まっていた?』

「そう」

『…………』


禮歌が隣で肩を震わせている。

端末の向こうから、天倉の深いため息が聞こえた。


『……お前の私生活に口を出すつもりはないが、話の順番を考えてくれ』

「何が?」

『いや、いい。今はいい』


天倉は咳払いをした。


『月城の件だな。最終審査を通過したことは確認している。ただし、正式な加入手続きはまだ始まっていない』

「うん」

『だから、現時点で立ち入れるのは許可された区画だけだ。そこは理解しているな?』

「もちろん」

『なら、来訪自体は問題ない。受付にはこちらから話を通しておく』


禮歌が、禮へ小さく親指を立てた。


『ただし、月城本人にも確認しておきたいことがある。昨日の試合について、体調面も含めてな』

「腕なら治したぞ」

『それは聞いている。だが、治癒と事後確認は別だ』

「はいはい」

『……返事が軽い』


天倉は呆れたように言った。

その声音には、いつもの調子が戻っていた。


『到着したら連絡しろ。こちらで案内する』

「了解」

『それと神成』

「ん?」

『今日は訓練をする予定ではないからな』

「…………」

『妙な間を置くな』


禮歌がとうとう声を漏らして笑った。


「ふふっ……!」

『禮歌もいるのか?』

「いるよー」


禮歌が端末へ声をかける。


『……頼む。今日は報告を優先させてくれ』

「ふふっ。伝えておくね」

『本当に頼んだぞ』


通話が切れた。


◇


禮が端末を下ろすと、禮歌はまだ笑っていた。


「……天倉さん、最初すごく驚いてたね」

「何に?」

「詩音ちゃんが泊まってたこと」

「別に普通だろ?」

「禮にとってはね」


禮歌は楽しそうに肩をすくめる。

そこへ、着替えを終えた詩音が階段を下りてきた。


「お待たせしました!」


昨日の服に戻った詩音は、二人の顔を見比べる。


「……あれ? 何か面白いことありました?」

「うん。天倉さんに電話したよ」


禮歌が答える。


「詩音ちゃんも一緒に来ていいって。ただ、入れる場所は限られるみたい」

「本当ですか!?」


詩音の表情がぱっと明るくなる。


「ありがとうございます、神成さん!」


それから、少し不安そうに尋ねた。


「……あの、私が泊まってたことも、話したんですか?」

「話したよ」

「…………え」


詩音が固まる。

禮歌がにっこり笑った。


「すごく驚いてた」

「な、なんでそこまで話しちゃうんですかーっ!?」


朝の神成家に、再び詩音の声が響いた。


「あの技と同出力の攻撃なら止めなかったが、詩音は突破するとだけ考えてきていたからな」


禮は、昨日の試合を思い返しながら答えた。


「終龍葬歌(しゅうりゅうそうか)をそのまま食らえば、どうなっていたか分からん」

「…………」


天倉の表情が険しくなる。


「もともと、どうやってあの攻撃に対処するかを見ていたのに、突っ込んでくるとは思わなかった。だから、少し技を止めるのが遅れた」


話し終えると、廊下に短い沈黙が落ちた。


「……なるほどな」


天倉は端末を下ろした。


「記録上、あの技は発動の途中で停止している。月城が攻撃を受ける直前に、神成が中断したと考えてよさそうだ」


詩音は、黙って話を聞いていた。

昨日のことは覚えている。

禮の放った、途方もない力。


あれを突破したい。

その一心で前に出た。

けれど。


「……神成さん」


詩音が、小さく声を上げた。


「私、あの時……」


言いかけて、言葉を探す。


「突破できる可能性が、まだ残ってると思ったんです」


天倉が詩音へ視線を向ける。


「選択(せんたく)でか?」

「はい。でも、見つけたわけじゃありませんでした」


詩音は自分の手を見つめた。


「近づけば、何か新しい選択肢が生まれるかもしれない。そう考えて……」

「その選択肢が生まれなかったら?」


天倉の問いに、詩音の言葉が止まる。


「……分かりません」

「そうか」


天倉は責めるような口調ではなかった。

ただ、事実を確かめるように頷いた。


「では、記録にはそのように残そう。突破できると確信していたのではなく、接近によって新たな選択肢が生まれる可能性に賭けた、と」

「……はい」


詩音は小さく頷いた。

隣で聞いていた禮歌が、ため息をつく。


「詩音ちゃん、私も昨日はびっくりしたよ」

「……すみません」

「ううん。挑戦したかった気持ちは分かるんだ」


禮歌は少し眉を下げた。


「でも、禮が止められなかったらって考えるとね」

「…………」


詩音は禮を見た。

昨日は、戦いの熱が冷めないまま、何度も彼へ挑みたくなった。

けれど今、話を聞いていると自分が攻撃を突破できなかった場合、禮が技を止めてくれることに、結果として頼っていたのだと気づく。


「……神成さん」


詩音は、禮へ向き直った。


「昨日、止めてくれてありがとうございました」


一度、頭を下げる。


「私、次もああすればいいなんて思ってません。次は、ちゃんと対処する方法を考えて挑みます」


禮歌はその言葉を聞いて、少しだけ表情を和らげた。


「……うん。それなら、私も安心かな」

「はい!」


詩音は頷いた。

しかし、すぐに少し困ったような顔になる。


「……ただ、正直に言うと」

「ん?」

「昨日のあれを見たら、また挑戦したいって気持ちもあるんです」


禮歌が目を丸くした。


「……懲りないね、詩音ちゃん」

「す、すみません!」

「ふふっ。謝るところじゃないよ」


天倉は二人のやり取りを聞きながら、深いため息をついた。


「……どうして神成の周りには、こういう人間が集まるんだ」

「天倉さん?」


禮歌が首を傾げる。


「いや、何でもない」


天倉は歩き出す。


「続きは会議室で話そう。廊下でする話でもない」


詩音は慌ててその後を追った。

禮歌も歩き出しかけたが、ふと禮を振り返る。


「……ねえ、禮」


その声は、少しだけ真面目だった。


「昨日、止めるのが遅れたって言ったでしょ」


禮歌は一拍置く。


「次は、ああいう時どうする?」


心配そうな目が、禮を見つめていた。


「さっさと止められるように努力するさ」


禮はそう答えた。


「だが、なぜかあのような強大な攻撃に対して突っ込んでくるやつは多い」

「……多いんだ」


禮歌が苦笑する。


「デカい技ってのには、必ず隙が生まれる。詠唱の間だったり、技を撃った時とかな」


禮は続けた。


「だから必殺技みたいなのは、止められるなら止めればいい。だが、それが無理なら逃げて次の一手に賭けるとか、いろんな方法はある」


少し離れたところを歩いていた詩音が、足を止めた。


「……逃げる」

「そう。あの技だって、俺の《さいりゅうせいか》はすべて止まっていた。つまり、それが隙になると自分でも分かってる」

「…………」


詩音は昨日の戦いを思い返した。

禮の周囲に展開されていた、四つの聖歌。

あれほど多彩に変化していた攻撃が、《終龍葬歌》の発動時には一つへ集約されていた。


「……あ」


詩音が小さく声を漏らす。


「もしかして、あの瞬間って……」

「うん?」

「神成さん、ほかの聖歌を使って私の動きを妨害することはできなかった、ってことですか?」


禮歌が頷いた。


「少なくとも、あの四つは《終龍葬歌》のために使っていたからね」

「……そっか」


詩音は考え込んだ。


「私、あの時は攻撃そのものしか見てませんでした」

「うん」

「突破できるか、できないか。そればっかりで……」


詩音は指先を握る。


「神成さんが何を使えなくなっているかなんて、全然考えてなかった」


禮歌は少し微笑んだ。


「戦ってると、目の前の大技に意識を持っていかれることはあるよ」

「……はい」

「でも、大きい技だからこそ、それ以外のところに目を向ける余裕も必要なんだろうね」


詩音は禮を見る。


「……神成さん」

「ん?」

「私、また一つ勉強になりました」


そう言ってから、少しだけ悔しそうに笑った。


「でも、昨日の試合中に気づきたかったです」


禮歌がくすっと笑う。


「ふふっ。負けず嫌いだね」

「……そうかもしれません」


詩音は素直に頷いた。


◇


「……話は聞こえていたぞ」


いつの間にか足を止めていた天倉が、三人を振り返った。


「神成の説明は、審査記録にも残しておきたいな」

「記録?」


禮歌が尋ねる。


「ああ。最終審査で何を見ようとしていたか、という点だ」


天倉は端末を軽く持ち上げた。


「単に最大出力を受け止められるかではなく、攻撃を前にした時、どのように判断するか。そういうことだろう?」


詩音が、はっと顔を上げる。


「……だから、神成さんは昨日、私がどう対処するか見てたんですね」

「そういうことになるな」


天倉は頷いた。


「もっとも、審査する側が技を停止しきれない可能性も、今後の安全対策として考えなければならない」

「……はい」


詩音は真剣な顔で聞いている。

その横で、禮歌は禮をちらりと見た。


「禮も、次は気をつけてね」

「分かってる」

「……本当に?」

「分かってるって」

「ふふっ。ならいいけど」


天倉は軽く咳払いをした。


「それから月城」

「は、はい!」

「先ほどの話で、一つ確認したい」


天倉の視線が、詩音へ向く。


「お前の《選択》なら、攻撃から離れるという行動も選べたはずだな?」

「……はい」

「では、なぜ昨日は、それを選ばなかった?」


詩音は一瞬、口を開きかけた。

しかし、すぐには答えなかった。

昨日の自分を思い返す。

攻撃から逃げること次の一手へ繋げることその可能性を、まったく考えなかったわけではない。

けれど――。


「……怖かったんです」


小さな声だった。

禮歌が、少し驚いた顔をする。


「怖かった?」

「はい」


詩音は頷いた。


「神成さんの攻撃が、じゃなくて……」


言葉を探す。


「ここで引いたら、もうあの人に届かない気がして」

「…………」

「せっかく、私の《選択》があそこまで通用したのに。逃げたら、次はもっと厳しくなるかもしれないって……」


詩音は、少しだけ俯いた。


「だから、前に出ました」


天倉は黙って聞いていた。

やがて、ゆっくり頷く。


「……なるほど。技術だけでなく、判断に焦りもあったわけか」

「……はい」


詩音は禮を見た。


「でも、今なら……」


そこまで言って、少し考え直す。


「……いえ。次に同じ状況になっても、絶対に冷静でいられるとは言い切れません」


禮歌が微笑む。


「うん。その方が正直だと思う」


詩音は頷いた。


「だから、次は逃げる選択肢も、ちゃんと使えるようにしたいです」


天倉は端末へ何かを記録する。


「分かった。いい振り返りだ」


それから、禮へ視線を戻した。


「神成。お前が見ようとしていたものと、月城が実際に考えていたこと。両方聞けたのは収穫だった」


そして、会議室の扉を開ける。


「……さて。続きは中で話そう」


詩音は一度、深く息を吸った。

昨日までの彼女なら、大技を前にした時の答えは一つだったかもしれない。

突破する。

けれど今は退くことも、攻めるための選択になり得る。

そう考えながら、詩音は禮たちに続いて会議室へ入った。


◇


会議室。

三人は天倉に案内され、テーブルを囲むように椅子へ腰を下ろした。

天倉は端末を操作し、机の中央に資料を表示する。


「さて。まずは昨日の大会についてだ」

「はい!」


詩音が背筋を伸ばす。

その隣で、禮歌が小さく笑った。


「詩音ちゃん、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

「で、でも、局の会議室ですよ……?」

「昨日あれだけ堂々と戦ってたのに?」

「そ、それとこれとは別です!」


天倉は二人のやり取りを聞きながら、資料を開いた。


「月城。お前は正式な局員ではないが、今回は最終審査の当事者として同席を認めている」

「はい!」

「ただし、ここで話すのはお前に関係する範囲までだ。未公開の審査情報については、口外しないように」

「分かりました」


天倉が頷く。

そして画面を切り替えた。

そこには、昨日の最終審査の映像が映し出されていた。

禮と詩音。

二人が向かい合う場面だ。


「まず結論から言おう」


天倉は詩音を見る。


「月城詩音。お前の審査結果は、局の正式な加入選考へ進む候補者として報告する予定だ」

「……!」


詩音の目が大きく開かれる。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ。ただし、まだ加入が決定したわけではない。本人の意思確認や、必要な手続きはこれからだ」

「はいっ!」


詩音は嬉しそうに頷いた。

禮歌も微笑む。


「よかったね、詩音ちゃん」

「はい! ありがとうございます!」


天倉は軽く頷き、続けた。


「評価の理由は、単純な戦闘能力だけではない。昨日の試合では、《選択》を使った状況への対応と、戦闘中の判断の変化が確認できた」


画面には、双極葬界(そうきょくそうかい)への対処場面が映る。

詩音が複数の選択を重ね、攻撃の軌道を逸らした瞬間。


「特にこの場面だ」


天倉が映像を停止した。


「事前に用意された対応ではなく、攻撃を受ける過程で生じた可能性を利用している」

「……はい」


詩音が頷く。


「最初から、全部見えていたわけじゃありませんでした」

「だろうな。映像を見ても、途中で判断を変えていることが分かる」


天倉は腕を組んだ。


「その一方で、《終龍葬歌》に対する判断には危険があった。そこは先ほど確認した通りだ」

「……はい」


詩音は真剣な顔になる。


「次は気をつけます」

「そうしてくれ。能力が強力でも、使い手の判断が追いつかなければ危険は増す」


そこで天倉は、禮へ視線を向けた。


「……そして、神成」

「ん?」

「今度は審査する側の話だ」


天倉は別の資料を表示する。

そこには、昨日の最終審査で使用された技と、その発動記録が並んでいた。


「大会自体は終了したが、お前が使った技について、局内で確認したいという意見が出ている」


禮歌が首を傾げる。


「確認?」

「ああ。技の構造や危険性についてだ。もっとも、本人の協力なしに詳細を解明できるとは考えていない」


天倉は画面を指さした。


「それに、昨日の試合記録を見た訓練担当者から、別の提案も出ている」

「……提案ですか?」


詩音が尋ねる。


「ああ」


天倉は少し間を置いた。


「神成の技の作り方を、局の訓練に取り入れられないか、という話だ」

「……えっ!」


詩音が勢いよく禮を見る。


「神成さん! 昨日、家で話してたことですよ!」


禮歌も驚いたように瞬きをした。


「へえ。局の方からも同じ話が出てたんだ」

「偶然だな」


天倉が頷く。


「ただ、具体的にどう教えるかは、まだ何も決まっていない」


そして、禮をまっすぐ見た。


「そこで聞きたいんだが……神成」

「ん?」

「お前は、他人に技の作り方を教えられると思うか?」


天倉は、少しだけ眉を上げた。


「もちろん『楽しいから作る』以外の説明で頼むぞ」


詩音が吹き出した。


「ふふっ! 天倉さん、それ私も昨日聞きました!」

「……やはり、そう答えたのか」


天倉は額を押さえた。

禮歌は、二人の反応を見て楽しそうに笑っていた。


「はっきり言って、技を作ること自体は簡単だ」


禮は椅子にもたれながら答えた。


「確かに俺は人より作りやすい。なぜなら、能力がまんま作ることに長けているからな」


天倉は頷き、続きを促す。


「自分でしたい技を能力で補助して作成しているのは事実だ」

「……なるほど」

「だが、だからといって俺が能力なかった場合、作れないかと言われれば違う。多少時間がかかるだけで、容易に作れる」

「…………」


天倉の指が、端末の上で止まった。


「そのコツを教えれば、別に誰でも何個でも戦闘中に作成できる」


会議室が静まり返った。

最初に口を開いたのは、詩音だった。


「……えっと」


禮を見つめる。


「神成さん。それ、本当に言ってます?」

「うん?」

「だって、私……」


詩音は自分の手を見下ろした。


「昨日、新しい使い方を思いつくだけでも必死だったんですよ?」

「そうだな」

「それを、コツさえ分かれば戦闘中に何個でも……?」


詩音は想像してみた。

自分の《選択》に、いくつもの技がある。

相手の攻撃に応じて、新しい技を作る。

それを次の戦いにも持ち込める。


「…………」


少しずつ、表情が変わっていった。


「……それ、すごく楽しそうです」


禮歌がくすっと笑う。


「詩音ちゃん、すっかり禮と同じ顔してる」

「えっ?」

「新しい戦い方を考えてる時の顔」

「……あ」


詩音は照れたように笑った。


「でも、楽しそうなのは本当です」


一方、天倉は腕を組んでいた。


「……神成。一つ確認したい」

「ん?」

「お前が言う『技を作る』というのは、何をもって完成とするんだ?」


詩音も顔を上げる。

天倉は続けた。


「既にできる能力の使い方へ名前をつけるだけなら、難しくはない。だが、今までできなかったことを、安定して再現できるようにするなら話は別だ」

「……確かに」


禮歌が頷く。


「それに、能力によって得意なことも違うよね」

「ああ。俺もそこを知りたい」


天倉は禮へ向き直った。


「お前の創(そう)を使わなくても技を作れる、という説明は分かった。だが、それを他人へ教えるとなると、もう一段具体的な話が必要になる」


詩音が、おずおずと手を挙げた。


「……あの、私からもいいですか?」

「どうした、月城」

「神成さんの話を聞いてて、ちょっと気になったんですけど……」


詩音は禮を見る。


「昨日の私みたいに、戦ってる途中で新しい使い方を思いつくことと、技を作ることって、何が違うんでしょう?」


天倉が小さく頷く。


「いい質問だな」

「そ、そうですか?」

「ああ。そこが分かれば、訓練として教える方法も考えられる」


禮歌は禮の方へ身体を向けた。


「じゃあ、禮。まずそこから教えてあげたら?」


詩音も期待に満ちた目で禮を見た。


「私も聞きたいです。神成さんが言う『技を作るコツ』って、具体的には何なんですか?」


二人に見つめられた禮へ、天倉が端末を向ける。


「……俺も聞かせてもらおう。今度は記録を取りながらな」

「新しい使い方を思いついても、それを別の時にはまた考え、実行する」


禮は椅子から立ち上がった。


「使い方を増やすのも悪くないが、それを技にするだけで戦闘中のパフォーマンスがかなり変わる」


天倉が端末へ視線を落とす。


「……続けてくれ」

「簡単に言えば、技にして使うのと、能力の応用で使うのだと、戦闘中の無駄の多さが変わる。って感じかな」

「……無駄、ですか?」


詩音が首を傾げる。


「ああ。例えば――」


禮が片手を上げた。


「《創》」


その手に、一振りの刀が現れる。

黒い柄に、銀色の刀身。

飾り気のない、一本の刀だった。


「わっ」


詩音が目を丸くする。

禮は刀を軽く持ち上げた。


「これは今、能力で作り出した。ただし、すぐにできたように見えて、刀の形、強度、重量。すべて考えてから作成してる」


天倉の視線が刀へ向く。


「……なるほど」

「これを技にすれば、それらの要素を初めから決めている状態で作成できる」

「…………」


天倉は、しばらく刀を見つめていた。

それから、ゆっくり顔を上げる。


「つまり……毎回、設計し直す必要がなくなるのか」

「そういうこと」


禮が頷く。


「……あ!」


詩音が声を上げた。


「分かりました!」


二人が詩音を見る。


「さっきの刀って、作る時にいろいろ考えてたんですよね?」

「うん」

「でも技として完成させておけば、次は『この刀を出す』って決めるだけで済む……!」


詩音は目を輝かせた。


「考えることが一気に減りますね!」


禮歌も頷く。


「うん。しかも、最初に決めた形や強度をそのまま使うなら、毎回違うものができちゃう心配も減るね」

「……なるほどな」


天倉は端末へ記録を打ち込む。


「技を作るというより、能力を使う際の判断や処理を、あらかじめまとめておくということか」

「そうだな」

「それなら、神成が言った『戦闘中の無駄』の意味も分かる」


天倉は少し考えた。


「能力の強さだけを高めても、何をどう実行するか毎回考えていれば、その分だけ判断が遅れる」

「……はい」


詩音が、自分の戦いを思い返す。


「私も昨日、何度も考えてました」

「何を?」


禮歌が尋ねる。


「この攻撃にはどの選択肢を使おうとか、どう組み合わせようとか……」


詩音は言いながら、ふと止まった。


「……あれ?」

「ん?」

「それって、何度も同じことを考えてた場面もあったような……」


禮歌が微笑む。


「ありそうだね」

「……あります! 絶対ありました!」


詩音は勢いよく頷いた。


「その場で考えなくてもよかったことまで、毎回考えてたんだ……!」


天倉も頷く。


「ただ、もう一つ疑問がある」

「ん?」


禮が顔を向ける。


「今の刀は、確かに分かりやすい。形状も重量も、あらかじめ決められるからな」


天倉は刀を指さした。


「だが、月城の《選択》はそう単純ではないだろう。相手や状況によって、選べる可能性そのものが変わる」

「……確かに」


詩音が頷く。


「昨日だって、途中で新しい可能性が生まれてました」

「その場合はどうする?」


天倉は禮を見た。


「毎回違う結果を扱う能力でも、同じように技としてまとめられるのか?」


禮歌も興味深そうに身を乗り出す。


「それ、私も聞きたいな」

「……私もです!」


詩音は禮をまっすぐ見つめた。


「神成さん。私の《選択》なら、どうやって技にするんですか?」


机の上には、禮が作り出した一本の刀。

三人の視線が、その刀から禮へと移った。


「俺だったら、まず能力の使い方を考え直してから考えるかな」


禮は、手に持っていた刀を消した。


「《選択》には、もっと強力な使い道があると俺は踏んでる」

「……もっと強力な?」


詩音が首を傾げる。


「今は自分のこれからすることを選択しているよな。だけど、それが相手の選択も変更できるとか」

「…………え?」

「相手の技の軌道とか、細かいところを選択できるようになるとか。俺はそうなれると思ってる」


詩音は目を見開いた。


「……相手の、選択?」


思わず自分の手を見る。

今まで彼女は、自分がどう動くか、どの可能性を選ぶかを中心に能力を考えていた。

昨日の試合では、相手の攻撃の軌道にも干渉した。

けれど、それさえも、自分が攻撃へどう対処するかという発想から始まっていた。


「……待ってください」


詩音は、頭の中で考えを整理する。


「例えば、相手が右に避けるか左に避けるか迷っている時……」


そこまで言って、口を閉じた。


「……いや。でも、私が相手の選択まで決められるかどうかは……」

「まだ分からないね」


禮歌が頷いた。


「でも、今まで試したことがないなら、できないとも言い切れない」

「……はい」


詩音の表情が、少しずつ変わっていく。

禮は続けた。


「これはまた別の考え方だが、みんな自分の能力の名前から考え方を固定している。一つ使い方を見つければ、それにしか使わない」


天倉が顔を上げる。


「……能力の名前から?」

「ああ。俺は無限に可能性があると思ってる」


禮は自分の手を軽く開いた。


「俺の技だって、俺の能力でどうやってるんだ? って思う技が何個もあるはずだ。それは解釈を変えて使っているから」

「…………」


天倉はしばらく黙っていた。

やがて、端末に何かを記録する。


「……なるほどな」

「ん?」

「能力の応用範囲を、今までの成功例だけで決めない。まず、その能力を別の角度から捉え直すわけか」

「そういうこと」

「しかし……」


天倉は少し眉を寄せた。


「言葉で聞けば簡単だが、実行するのは難しそうだな」


禮歌が笑う。


「ふふっ。禮は、その『別の角度』を見つけるのが得意なんだよね」

「……私、今まで《選択》って、自分の未来を選ぶ能力だと思ってました」


詩音がぽつりと呟いた。


「でも、別に能力の名前に『自分の』なんて入ってないんですよね」

「……確かに」


天倉が頷く。


「もっとも、名前に含まれないからといって、他者の選択まで変えられると証明されたわけではない。そこは実際に確かめる必要がある」

「はい。分かってます」


詩音は素直に頷いた。

しかし、その瞳は輝いていた。


「でも、考えたこともありませんでした」


詩音は、昨日の試合を思い出す。

何度も可能性を選び直した。

そのたび、別の道が見つかった。

もし、自分が見ていた範囲が、能力のほんの一部分だったとしたら。


「……すごい」


口元が、自然と緩む。


「なんだか、急に試してみたいことが増えました!」


禮歌がくすっと笑った。


「詩音ちゃん、楽しそう」

「はい!」


詩音は勢いよく頷く。


「だって、もし本当にできたら、私の戦い方、全然変わりますよ!」

「そうだね」

「相手の攻撃を避けるだけじゃなくて、攻撃が向かう先を選べたり……」


詩音はそこまで言って、ふと考え込んだ。


「……あれ? でも、相手の意思そのものを変えるとなると、軌道を変えるのとはまた違いますよね」

「うん。そこは私も気になるかな」


禮歌が頷いた。


「相手が選ぼうとしている可能性に干渉するのか。それとも、相手が選んだ後の結果を変えるのか」

「……あ」


詩音は目を丸くする。


「それ、全然違いますね!」


天倉も頷いた。


「検証するとしても、まずは安全な対象と条件を決めてからだな。いきなり人間の意思に干渉できるか試すわけにはいかん」

「は、はい!」


詩音は返事をした後、少し恥ずかしそうに笑った。


「……私、もう訓練する気になってました」

「昨日の大会が終わったばかりだぞ」


天倉が呆れたように言う。


「ふふっ。禮と同じだね」


禮歌が笑う。


「……う」


詩音は一瞬黙った。

それから、ちらりと禮を見る。


「……それは、ちょっと嬉しいです」


小さな声だった。

禮歌がにっこり笑う。


「そっかぁ」

「……あっ! 今のは、その!」

「ふふっ。何も言ってないよ?」

「絶対からかってますよね!?」


天倉は、二人のやり取りにため息をついた。


「……話を戻すぞ」


端末に表示された資料を切り替える。


「神成。お前の考え方は理解した。少なくとも、訓練の方向性として検討する価値はありそうだ」


そして、詩音へ視線を向ける。


「月城。お前も昨日、自分の能力に新しい可能性を見つけたばかりだ。今の説明を聞いて、最初に試したいことは何だ?」

「……最初に、ですか?」


詩音は少し考える。

そして、禮を見る。


「……私、相手の技の軌道を選ぶ方から試してみたいです」

「ほう。なぜだ?」

「昨日、似たようなことはできたので。そこからなら、何が違うのか確かめやすいかなって」


天倉は頷いた。


「なるほど。既にできたことを基準にするわけだな」

「はい!」


詩音は嬉しそうに答えた。

それから、禮へ少し身を乗り出す。


「……神成さん」

「ん?」

「私、まだできるか分からないですけど……」


期待に満ちた笑顔を浮かべる。


「今までの《選択》より、もっと面白い技が作れそうな気がしてきました!」

「……知っているさ」


禮は詩音を見て、静かに答えた。


「最終選考までたどり着いたやつのうち、俺が選んだ奴は、詩音と同じく可能性があると踏んでいる」

「……え?」


詩音が瞬きをする。


「詩音は、俺が見ていないタイミングがあったから選べなかっただけだ」

「…………」


詩音は、少し考え込んだ。


「……ということは」

「うん?」

「神成さんが選んだ人たちって、単純に強かったから選ばれたわけじゃないんですか?」


天倉も興味深そうに顔を上げる。


「それは俺も聞きたいな」


禮歌は二人の様子を見ながら、ゆっくり頷いた。


「……ああ。なるほどね」

「禮歌さん?」

「禮は、今できることだけを見てたわけじゃないんだよ」


禮歌は詩音へ向き直る。


「この先、どんなことができるようになるか。そこまで考えて選んでたんじゃないかな」

「……この先」


詩音は自分の手を見つめた。

今まで当たり前だと思っていた《選択》の使い方。

けれど、つい先ほど禮に指摘されたことで、考えもしなかった可能性が見えてきた。


相手の選択。

技の軌道。

まだ試していない、数え切れないほどの応用。


「……そっか」


詩音は小さく呟いた。


「私、昨日の結果だけ見て、認めてもらえたんだと思ってました」


少しだけ笑う。


「でも、神成さんは、これからの私にも期待してくれてるんですね」


禮歌が微笑む。


「そういうことだと思うよ」

「……嬉しいです」


詩音は、照れくさそうに俯いた。

その隣で、天倉が端末を操作する。


「……ただ、一つ確認させてくれ」


天倉は禮へ視線を向けた。


「月城については、見ていなかった時間があるから選べなかったと言ったな」

「ああ」

「ということは、お前自身も、審査の時点では参加者全員の可能性を把握できていたわけではない、と」


禮歌が小さく頷く。


「それはそうだよね。禮だって、見ていない戦いの内容までは分からないし」

「そういうことだ」


天倉は画面に目を落とした。


「なら、選ばれなかった参加者の中にも、まだ見落としている素質があるかもしれないな」

「……!」


詩音が顔を上げた。


「確かに……!」


天倉は続ける。


「お前の審査は、今後の可能性を見つけるうえで重要だった。だが、今回の結果だけで、全参加者の将来まで決まるわけじゃない」

「はい」


詩音は力強く頷いた。


「私も、まだ全然できてないことがありますし」


禮歌がくすっと笑う。


「もう次の戦いのこと考えてる?」

「……ちょっとだけ」

「ふふっ。ちょっとだけ?」

「……結構、考えてます」


詩音は素直に認めた。

天倉は小さくため息をついた。


「お前たち、昨日あれだけ戦ったばかりだろう……」

「でも、天倉さん!」


詩音は少し身を乗り出した。


「もし能力の新しい使い方を見つけられたら、ほかの参加者の人たちも、もっと強くなれるかもしれませんよね?」

「……ああ。その可能性はある」


天倉は頷く。


「だからこそ、神成の話はきちんと検討する必要があるな」


そして、禮へ向き直った。


「一つ提案がある」

「ん?」

「今すぐ大規模な訓練を始めるのは難しい。だが、技の作り方について、小規模な試験を行うことはできるかもしれない」


天倉は詩音へ視線を移した。


「例えば、能力の新しい使い方を模索する訓練を、希望者に試してもらう。そこで何ができて、何が難しいのかを記録するんだ」

「……それって」


詩音の目が輝く。


「私も参加できますか!?」

「お前はまだ加入手続き前だ。参加条件の確認が先になる」

「……あ、そっか」


詩音は少し肩を落とした。

天倉は苦笑する。


「そんな顔をするな。できると言ったわけでも、できないと決めたわけでもない」

「……はい!」


すぐに顔を上げた詩音を見て、禮歌は笑った。


「よかったね、詩音ちゃん」

「はい!」


それから詩音は、禮へ視線を向けた。


「……神成さん」

「ん?」

「私、昨日の大会に出て、本当によかったです」


詩音は嬉しそうに笑う。


「強い人と戦えたからだけじゃなくて……自分の能力に、まだ知らないことがあるって分かったので」


禮歌も、その言葉に穏やかに微笑んだ。

天倉は端末を閉じ、椅子へ座り直す。


「……さて。そこで神成」

「何だ?」

「今の話を踏まえて、もう一つ聞きたい」


天倉は少し考え、言葉を選んだ。


「お前が最終選考で見ていた『可能性』というのは、具体的に何だったんだ?」


詩音も興味深そうに禮を見る。


「……私も、それ聞きたいです」


禮歌は楽しそうに笑った。


「ふふっ。禮、今度は審査する側が審査されてるみたいだね」

「俺が見ていたのは、試合中の成長率。応用度。それから、能力に頼りすぎない戦い方だ」


禮は椅子にもたれながら答えた。


「はっきり言って、能力に頼りすぎない戦い方をする奴はいなかったけどな」

「……え?」


詩音が顔を上げる。


「詩音含めて、みんな能力に頼りっきりだ。俺や久世(くせ)のような肉弾戦までする奴は、あまりいなかった」

「…………」


詩音はしばらく考え込んだ。


「……確かに」


ぽつりと呟く。


「私、神成さんとの試合で、近づかれた時のことをあんまり考えてませんでした」

「そうなの?」


禮歌が尋ねる。


「はい。近づかれそうになったら《選択》で避けるか、別の行動を選べばいいって……」


そこで、詩音は言葉を止めた。


「……あれ?」

「気づいた?」


禮歌が微笑む。


「その考え方だと、最初から《選択》を使うことが前提になってるね」

「……そうです」


詩音は両手を見下ろした。

昨日、禮と打ち合った時の感覚が蘇る。

相手の動きを選択肢として捉える。


可能性を探す。

次に取るべき行動を選ぶ。

しかし、禮自身は違った。

能力を使っていない瞬間でも、身体の向きや踏み込み、間合いの取り方で詩音を揺さぶってきた。


「……神成さんって、能力を使わずに動いてる時も、すごく速かったですよね」

「うん」


禮歌が頷く。


「禮、体術もかなり鍛えてるからね」

「ですよね……」


詩音は小さく息を吐いた。


「私、昨日は《選択》がなかったら、何回攻撃をもらってたんだろう……」

「数えるのは難しいんじゃないかな。能力を使わなければ、禮も別の攻め方をするだろうし」

「……あ、確かに」


詩音は少し笑った。


「単純に能力だけ引き算しても、同じ試合にはならないですもんね」


◇


「……神成の言いたいことは分かった」


天倉が口を開いた。


「能力が使えることを前提に、すべての判断を組み立てている者が多かった。そういうことだな」


端末に記録を加える。


「ただ、能力を主軸に戦うこと自体は悪いわけではないだろう。近接戦を不得意とする能力者もいる」

「それはそうだね」


禮歌が頷いた。


「無理に殴り合いをさせたら、かえって危ない人もいるだろうし」

「そうだ。問題は、自分の得意な戦い方以外にも対応できるかどうかだ」


天倉は資料を切り替えた。

昨日の大会映像が映し出される。

ある参加者は、距離を取って能力を放ち続けている。

別の参加者は、攻撃を受けるたびに能力による防御を展開していた。


「……こうして見ると」


詩音が呟く。


「みんな、自分の能力の使い方を決めて戦ってる感じがしますね」

「うん。でも、その使い方が通じなくなった時にどうするか、までは考えきれていない人もいそう」


禮歌の言葉に、詩音は頷いた。


「……私もそうでした」


天倉が詩音を見る。


「月城は、自分の戦い方のどこを変えたい?」

「えっと……」


詩音は少し考えた。


「まずは、近づかれた時に《選択》だけで何とかしようとするのを、やめたいです」

「ほう」

「能力を使わずに避けたり、防いだりできるなら、その分だけ別のことに《選択》を使えますよね?」


禮歌が笑う。


「いい考えだね」

「……ありがとうございます!」


詩音は嬉しそうに頷く。

けれど、すぐに苦笑した。


「でも、私、近接戦の練習ってあまりしたことがなくて……」

「それなら、基礎から始めればいいよ」

「禮歌さんも、近接戦が得意なんですよね?」

「うん。禮とは何度も戦ってきたから」

「……何度も!?」

「ふふっ。うん」


詩音は目を輝かせた。


「じゃあ、禮歌さんにも教えてもらいたいです!」

「私に?」

「はい!」


禮歌は一瞬驚いた後、柔らかく笑った。


「もちろん、いいよ」

「やった……!」


詩音は小さく拳を握った。

そして、禮へ視線を向ける。


「……あの、神成さん」

「ん?」

「昨日の試合で、私の《選択》にはもっと可能性があるって言ってくれましたよね」


詩音は少しだけ姿勢を正した。


「それに加えて、近接戦も練習したら……私、もっといろんな戦い方ができるようになると思うんです」


天倉は二人を眺め、少し考える。


「……なるほどな。能力の応用訓練と、能力に依存しない基礎訓練か」

「はい!」

「方向性は分かった。ただし、大会直後だ。正式な訓練計画を立てるのは、体調の確認が終わってからにしてくれ」

「……はーい」


詩音は少し残念そうに返事をした。

禮歌がくすっと笑う。


「そんなに早く戦いたいんだ?」

「……はい」


詩音は少し照れながら答えた。


「昨日の試合、負けちゃいましたから」


それから、禮の方を見た。


「次は、もう少し違う戦い方を見せたいんです」


天倉が小さくため息をつく。


「……月城まで、神成と似たようなことを言い始めたな」

「えっ!? そ、そうですか?」

「少なくとも、戦うことへの関心は似ているようだ」


詩音は一瞬固まった。

そして、禮をちらりと見る。


「……それなら、ちょっと嬉しいです」


禮歌が楽しそうに笑った。


「ふふっ。よかったね、詩音ちゃん」

「禮歌さん! またそうやって……!」


天倉は端末を閉じ、三人へ向き直った。


「……さて。技の作り方については、もう少し具体的な提案としてまとめてみよう」


一拍置いて、禮を見る。


「神成。お前が教えるとして、最初に何をやらせるつもりだ?」


詩音も、期待に満ちた目を向けた。


「私も聞きたいです。最初の一歩って、何から始めればいいんでしょう?」

「まぁ、能力の分野ごとでやり方を分けようかなとも思ってる」


禮は少し考えながら答えた。


「生成や特殊。それ以外にも、教え方ってのは変わってくる」


天倉が頷く。


「……確かに、能力の性質が違えば、同じ説明では伝わらないだろうな」

「まずは似ている分野のやつを集めてほしい。カテゴリー分けをしなくてもいいから」

「カテゴリー分けをしなくても?」

「ああ。能力自体が似ていたり、根本が類似しているなら、複数を同時に教えることができる」


禮は続ける。


「それが無理なら、最初は言葉と実演で教えて、その後一人ひとり教えるって感じでもいい」

「……なるほど」

「能力でかなり変わるから、一概にどう教えるってのは決められない」


天倉は端末へ視線を落とした。

数秒間、何かを入力する。


「……分かった。まずは能力の性質が近い者を集める、か」

「うん」

「ただ、少し手間がかかりそうだな」


天倉は画面を切り替えた。


「局では能力を強化系、生成系、変質系、操作系、感知系、特殊系に分類している。だが、同じ分類だからといって、能力の仕組みまで似ているとは限らない」


詩音が頷いた。


「確かに。私の《選択》も特殊系ですけど、神成さんの《創》とは全然違いますもんね」

「そういうことだ」


天倉は資料を眺める。


「となると、分類だけで集めても、神成の言う『一緒に教えられる能力』にはならない可能性がある」


禮歌が口を開いた。


「じゃあ、先に参加者の能力を確認して、似た使い方ができそうな人をまとめるのはどう?」

「それが現実的だろうな」

「でも……」


詩音が小さく手を挙げた。


「何が似ているかって、誰が判断するんですか?」

「…………」


天倉の指が止まった。

禮歌も少し考える。


「……あ」


詩音は慌てて付け加えた。


「い、いえ! 局の人が分からないって意味じゃなくて!」

「いや、いい質問だ」


天倉は首を振った。


「能力の記録はある。だが、その記録に書かれた使い方以外にも可能性がある、というのが今の話だったな」

「……はい」

「なら、記録だけを頼りに組み分ければ、最初から見落としが生まれるかもしれん」


禮歌が禮を見た。


「結局、ある程度は禮自身にも見てもらう必要がありそうだね」

「……そうなるな」


天倉は小さく息を吐く。


「しかし、全員を一人ずつ見ていては時間がかかる」

「それなら、最初の説明だけは全員一緒でもいいんじゃないですか?」


詩音が提案した。


「神成さんがさっき教えてくれた、能力の使い方を技としてまとめる話とか!」


禮歌が頷く。


「うん。あの刀の例なら、能力の種類に関係なく考え方は伝わりそう」

「はい!」


詩音は嬉しそうに続けた。


「それを聞いた後なら、自分の能力で何を試したいか、みんな少しは考えられると思うんです」


天倉は考え込んだ。


「共通の説明を行い、その後で能力ごとの指導に分ける……」


端末に新たな項目を書き加える。


「悪くない。少なくとも、最初から全員へ別々の説明をする必要はなくなる」


◇


「……ただし」


天倉が顔を上げた。


「一つ、先に決めておきたいことがある」

「何?」


禮歌が尋ねる。


「この訓練の目的だ」


天倉は三人を見回した。


「新しい技を作ること自体を目標にするのか。それとも、作った技を実戦で使えるところまで持っていくのか」

「……ああ」


禮歌が頷く。


「確かに、それで必要な時間も変わりそうだね」

「そうだ。例えば、能力の新しい使い方を思いついただけでは、実戦投入できるとは限らない」


詩音が自分の手を見つめた。


「……私がさっき考えた、相手の選択を変えるっていうのも、まだできるか分からないですしね」

「その通りだ」


天倉は頷いた。


「仮に成立しても、安全性や再現性を確かめなければならない。訓練の途中で能力が暴発する可能性もある」

「……なるほど」


詩音は少し残念そうにしたが、すぐに頷いた。


「でも、そこまでできたら、本当に自分の技って呼べそうです」


禮歌が微笑む。


「そうだね」


天倉は端末を閉じた。


「まずは少人数で試験的に始める方向で検討しよう。希望者を募り、能力の情報を整理する。正式な実施には許可も必要だがな」

「……おお」


詩音の目が輝く。


「本当に始まりそうですね!」

「まだ決定ではないぞ」

「は、はい!」


天倉は苦笑してから、禮へ向き直った。


「それで、神成。お前にも確認したい」

「ん?」

「新しい使い方を思いつく段階と、技として安定させる段階。お前は、この二つを分けて教えるつもりか?」


少し間を置く。


「それとも、実際に技を作らせながら、考え方も同時に教える方がいいと思うか?」


詩音も顔を上げた。


「……あ、それ私も気になります!」


禮歌は禮の方へ身体を向ける。


「ふふっ。どうする、先生?」


その呼び方に、詩音が小さく笑った。


「……神成先生」

「詩音ちゃんまで?」

「す、すみません。ちょっと言ってみたくなって……!」


二人が笑う横で、天倉は真面目な顔のまま、禮の返答を待っていた。


「まぁ、別々でも構わんが、一人ひとり教えている時に教えようと思ってる」


禮はそう答えた。

天倉は少し考えてから、頷く。


「……なるほど。能力の性質を見ながら、その場で考え方と技の作り方を教えるわけだな」

「ああ」

「それなら、最初から細かい指導内容を決める必要はないか」


天倉は端末に記録を加えた。


「まず共通の説明を行い、その後、希望者の能力を確認する。性質が近ければまとめて、違いが大きければ個別に指導する」

「そんな感じ」

「分かった。訓練担当者に相談してみよう」


詩音が、ぱっと顔を上げた。


「……じゃあ、神成さんに直接教えてもらえる機会ができるかもしれないんですね!」

「そうなるな。ただし、実施が決まればの話だ」


天倉が釘を刺す。


「月城。お前はまず加入手続きの案内を待ってくれ」

「は、はい……!」


詩音は少し残念そうに返事をした。

その隣で、禮歌がくすっと笑う。


「詩音ちゃん、そんなに焦らなくても禮は逃げないよ?」

「そ、そういう意味じゃ……!」

「ふふっ。分かってるよ」


詩音は頬(ほお)を赤くしながら、禮へ視線を向けた。


「……でも、楽しみなのは本当です」


その表情には、昨日の試合で見せたものと同じ、強い好奇心が浮かんでいた。


◇


「さて」


天倉が端末の画面を切り替えた。


「技の指導については、一度こちらで案をまとめる。次は大会そのものの報告だ」


画面に、昨日の闘技場の映像が並んだ。

観客席。

試合の記録。

そして、最終審査。


「大会は終了したが、局としてはここからが本番だ。参加者への結果通知、希望者の選考手続き、設備の点検……やることは山ほどある」

「……お疲れさま、天倉さん」


禮歌が労う。


「本当にそう思うなら、神成が新しい企画を思いついた時には、一度止めてくれ」

「それは……」


禮歌は少し考えた。


「努力するね」

「なぜ言い切らない」

「だって、面白そうだったら私も賛成しちゃうかもしれないし」

「…………」


天倉は深いため息をついた。

詩音が思わず笑う。


「ふふっ。お二人とも、神成さんのことよく分かってますね」

「付き合いが長いからね」


禮歌はさらりと答えた。

詩音はその言葉に、一瞬だけ目を伏せる。

けれど、すぐに顔を上げた。


「……私も、これから分かっていけたらいいな」


小さく呟いた言葉に、禮歌が微笑む。

天倉は気づかず、資料を開き直した。


「それから神成。大会で使用した設備について、技術班から報告が届いている」


画面には、闘技場の状態を示す図が表示された。


「お前が《創》で用意した施設だが、予定していた運用には支障がない。ただ、昨日の最終審査で受けた攻撃について、点検記録を残しておきたいそうだ」


天倉は禮を見た。


「特に、月城との試合の終盤だ。あの時の攻防について、こちらが把握している内容と、実際にお前が使った力に食い違いがないか確認したい」


詩音が映像を覗き込む。


「……あ、これ」


画面には、白と黒の力が交差する直前の場面が映っていた。

詩音は昨日の緊張を思い出したのか、少し背筋を伸ばす。


「私が軌道を変えた時ですね……」


禮歌も画面を見つめた。


「……うん。あの時は、私もちょっと驚いたよ」


天倉は三人を見回す。


「まずは記録を再生しよう。気になる箇所があれば、その場で止める」


会議室の照明が少し落ちる。

そして、昨日の最終審査の映像が動き始めた。


◇


会議室の壁面に、昨日の試合映像が映し出された。

画面の中では、禮と詩音が向かい合っている。

そして――。


『《双極葬界》』


白と黒。

二つの力が絡み合い、巨大な斬撃となって放たれる。


「……うわ」


詩音が思わず声を漏らした。


「こうして外から見ると、すごいですね……」

「自分で受けた時は、どう見えてたの?」


禮歌が尋ねる。


「正直、こんなに綺麗には見えてませんでした」

「ふふっ。そうなんだ」

「はい。目の前が真っ白というか、真っ黒というか……」


詩音は少し考えた。


「……両方でした」

「それはそうだろうな」


天倉が小さく頷く。


「では、ここから速度を落とす」


映像がスロー再生へ切り替わった。

巨大な斬撃へ、詩音が踏み込む。


「……あ」


詩音が画面を指さした。


「ここです。最初に選んだのは、あの斬撃の真正面から外れる動きでした」

「だが、それだけでは避けきれなかった」

「はい」


映像の中で、詩音の身体がわずかに傾く。

次の瞬間、白黒の斬撃の先端が、ほんの少しだけ逸れた。

天倉が映像を停止する。


「……ここだ」


画面を拡大する。


「記録を調べたところ、この瞬間、斬撃の進行方向が変化している」


詩音が頷いた。


「私の《選択》です」

「そこまでは分かる。問題は、その後だ」


天倉が再生を再開する。

詩音が一歩踏み込む。

斬撃が曲がる。

しかし、すぐに別の方向から白黒の力が押し寄せた。


「……っ」


映像の中の詩音が、体勢を崩す。

そこからさらに、二度、三度。

選び直すたびに、斬撃の軌道がわずかに変わっていく。


そして最後。

詩音は右腕を負傷しながらも、斬撃を正面から逸らした。

映像が停止した。


「…………」


詩音は黙って自分の右腕を見る。

今は傷一つない。

禮が《創》で治したからだ。

それでも、あの瞬間の衝撃は覚えていた。


「……私、結構ぎりぎりだったんですね」

「そうだな」


天倉は否定しなかった。


「審査条件は満たした。だが、無傷で対処できたわけではない」

「……はい」

「それと、もう一つ」


天倉は映像の一部分を拡大した。

白と黒の境目。

そこに、詩音の《選択》が干渉した瞬間が映っている。


「技術班が気にしているのは、ここだ」


禮歌が画面を覗き込んだ。


「……ああ」

「何か分かるか?」

「この時、詩音ちゃんは斬撃を壊したわけじゃないんだよね」

「はい!」


詩音が頷く。


「壊そうとはしたんですけど、無理でした。だから、進む先を変えようとしたんです」

「その結果、攻撃の出力そのものはほとんど落ちていない」


天倉は記録を示した。


「方向だけが変わっている。技術班は、そこを不思議がっているんだ」

「……出力が変わらないのは、おかしいんですか?」


詩音が尋ねる。


「必ずしもおかしいとは言えん。ただ、昨日の攻撃は通常の斬撃とは違う」


天倉は禮へ視線を向けた。


「《創》と破壊(はかい)。異なる性質の力が、同時に成立している」


禮歌も頷く。


「単純に押したり引いたりして、簡単に曲がるようなものじゃないね」

「……ですよね」


詩音は画面を見つめた。


「私も、力で押し返した感覚はなかったです」


その言葉に、天倉が顔を上げた。


「ほう?」

「なんていうか……」


詩音は言葉を探す。


「斬撃を右へ動かした、というより……」


そこで止まる。


「……あれ?」


禮歌が首を傾げた。


「どうしたの?」

「今、ちょっと思い出したんですけど……」


詩音は映像を指さす。


「私、あの時、斬撃を曲げることだけ考えてたわけじゃないかもしれません」

「……どういうことだ?」


天倉が尋ねる。


「最初は、確かに避けようとしてました。でも、それじゃ間に合わなくて……」


詩音は画面の中の自分を見つめた。


「次に、斬撃が私に当たらずに進む可能性を探したんです」

「…………」


禮歌の目が、わずかに見開かれた。


「……詩音ちゃん」

「はい?」

「それって、さっき禮が話してたことに、少し似てない?」

「……え?」


詩音が禮歌を見る。


「相手の技の軌道を選ぶ、って話」

「…………!」


詩音は勢いよく画面へ向き直った。


「……あっ!」


天倉も腕を組む。


「なるほど。昨日の時点で、既にそこへ近づいていた可能性があるのか」

「で、でも……」


詩音は少し困った顔をした。


「私、あの時は必死だったので、どうやって選んだのかまでは覚えてなくて……」

「それで構わん。今すぐ再現できると決まったわけでもない」


天倉は頷いた。


「むしろ、これから検証する価値のある部分だろう」


詩音は、しばらく画面を見つめていた。

それから、禮を振り返る。


「……神成さん」

「ん?」

「さっき、私の《選択》にはもっといろんな使い方があるって言ってましたよね」


詩音の声が、少し弾む。


「もしかしたら私、昨日の試合で、その入り口だけは見つけてたのかもしれません」


禮歌が微笑んだ。


「ふふっ。そうかもね」


天倉は端末に記録を加える。


「……さて、神成」


今度は、禮へ向き直った。


「月城側の話は聞けた。次は、お前の話だ」


画面には、白と黒の斬撃が逸れた瞬間が映っている。


「あの時、月城の《選択》が干渉したことで、お前の《双極葬界》にはどんな変化が起きた?」


天倉は一拍置いた。


「映像では軌道が変わったことしか分からない。技を成立させていた本人の感覚を聞かせてほしい」


詩音も興味深そうに禮を見た。


「……私も知りたいです」


禮歌は二人の間で、静かに画面へ視線を戻した。


「技自体には何の変化もなかった」


禮は映像を見ながら答えた。


「出力も技の効果もそのままだった。あくまで、どう対処するかを見ていたからな」

「……なるほど」


天倉が頷く。


「軌道が変わった後も元には戻さなかったが、それでも軌道以外、何も変化していなかった」

「…………」


天倉は映像を一時停止した。

白と黒の斬撃が、詩音の脇を通り過ぎていく瞬間。


「つまり、月城は攻撃を弱めたわけではない。攻撃が進む方向にだけ干渉した、と」

「そうなるな」

「……すごい」


詩音が小さく呟いた。

禮歌が隣を見る。


「どうしたの?」

「私、あの時は必死だったから……」


詩音は画面を指さした。


「これだけ大きな攻撃を曲げたら、少しは威力が落ちると思ってたんです」

「うん」

「でも、落ちてなかったんですね」


詩音は自分の手を見つめる。


「……じゃあ、私が選んだのは、攻撃を弱くする可能性じゃなかったんだ」


天倉が頷いた。


「少なくとも、今回の記録はそう示している」

「…………」


詩音は少し考え込み、顔を上げた。


「でも、それって……」

「ん?」

「もし避けた先に誰かがいたら、その人が攻撃を受けてたかもしれないってことですよね?」


会議室が、少し静かになった。


「……そうだね」


禮歌が答えた。


「詩音ちゃんが避けられても、攻撃そのものが消えたわけじゃないから」

「…………」


詩音は再び映像を見る。

昨日は、自分が攻撃を突破できるかどうかだけを考えていた。

だが、今こうして外から見てみると、別の問題も見えてくる。


「……私、そこまで考えてませんでした」


天倉は責めることなく頷いた。


「昨日は審査用の闘技場だった。だが、実際の任務では周囲に人や建物がある場合も考えなければならん」

「はい」

「攻撃を逸らせるというのは強力な能力だ。だが、どこへ逸らすかまで判断できて、初めて安全な防御になる」


詩音は真剣な顔で頷いた。


「……覚えておきます」


禮歌が、ふと禮を見た。


「そういえば、禮」

「ん?」

「昨日は詩音ちゃんの対処を見るために、軌道を戻さなかったんだよね」

「ああ」

「じゃあ、詩音ちゃんが避けた後のことも、考えておく必要があったわけだ」


天倉も禮へ目を向ける。


「そこは技術班も確認したがっている。闘技場の設備を点検するうえでもな」


天倉は映像を少し進めた。

斬撃が詩音の横を抜け、遠ざかっていく。


「神成。ここから先の攻撃は、どう処理するつもりだった?」


詩音も映像を追いながら、禮の返事を待った。


「単純に軌道を戻すって感じだけど」


禮は画面を見ながら答えた。


「技を使ってる最中に、軌道が微妙に変わったのが分かった。だから武器を横薙ぎに変更したり、軌道を修正してそのまま使ったりとか、対処はいろいろできるぞ」

「……なるほど」


天倉は映像を巻き戻した。

詩音が《選択》を使った瞬間、斬撃の向きが変わる。


「つまり、月城に軌道を変えられたこと自体は把握していたわけか」

「ああ」

「それでいて、あえて修正しなかった」


天倉は再生を止めた。


「審査だから、月城がどこまで対処できるかを優先した……ということだな」


詩音が小さく息を吐く。


「……私が必死になってた間も、神成さんにはそんなに選択肢があったんですね」

「ふふっ」


禮歌が笑った。


「禮は自分の技の扱いに慣れてるからね」

「……でも、ちょっと悔しいです」


詩音は画面を見つめる。


「私は曲げるだけで精一杯だったのに、神成さんは曲げられた後のことまで考えてたんですから」


天倉が首を振った。


「そこは経験の差もあるだろう。そもそも、月城が攻撃を逸らしたこと自体、審査で確認できた成果だ」

「……はい」

「ただし、先ほど話した通り、実際の任務では攻撃の行き先にも注意が必要だ」


詩音は頷く。


「次に試す時は、そこも考えます」


禮歌は詩音の横顔を見て、少し微笑んだ。


「また試したいことが増えちゃったね」

「……増えました」


詩音は照れくさそうに笑った。


◇


「よし。軌道の変化については、これで整理できそうだ」


天倉が端末に記録を加える。


「次は、施設側の記録だな」


画面が切り替わる。

今度は闘技場全体を上空から捉えた映像だった。

詩音が逸らした《双極葬界》は、そのまま闘技場の外周へと向かっている。


「ここを見てくれ」


天倉が指を動かす。

映像の端に、外壁の一部が拡大表示された。

斬撃が到達した瞬間、壁面に大きな亀裂が走る。

そして、映像が数分後へ飛んだ。

先ほどの亀裂が、少しずつ塞がっていく。


「……あっ!」


詩音が身を乗り出した。


「直ってる!」

「禮が作った闘技場だからね」


禮歌が答える。


「自動修復する仕組みがあるんだよ」

「す、すごい……」


天倉は腕を組んだ。


「昨日も修復機能は正常に動いていた。そこは問題ない」

「じゃあ、何か気になることが?」


禮歌が尋ねた。


「ああ」


天倉は別の画面を開く。

そこには、攻撃を受ける前後の外壁の測定記録が並んでいた。


「技術班によると、修復後の一部区画で、以前より耐久性が上がっているらしい」

「……え?」


詩音が瞬きをする。


「直るだけじゃなくて、強くなってるんですか?」

「測定上はな。ただ、すべての壁が一律に強くなったわけではない」


天倉は禮を見た。


「神成。以前、施設の耐久試験をした時にも似た報告があったが……」


画面には、修復前と修復後の測定結果が並ぶ。


「この闘技場は、受けた攻撃を基準に、修復時の強度を調整する仕組みだったな?」


詩音が驚いたように禮を振り向く。


「……神成さん、そんな機能まで作ってたんですか?」


禮歌は少し得意げに笑った。


「ふふっ。禮、作る時は細かいところまで考えるから」


天倉はもう一度、測定記録を見た。


「仕組み自体は助かっている。だが、技術班から一つ質問が来ているんだ」

「質問?」

「攻撃を受けるたびに強くなるなら、どこかで強化が止まるのか。それとも、条件を満たせば際限なく上がるのか、とな」


天倉は禮へ端末を向けた。


「施設の長期運用に関わる。そこを確認しておきたい」

「それは前から分かってたよな、一応」


禮は天倉を見た。


「修復時に、その技を基準として、その技の威力に耐えられる強度になるって」

「……ああ、そうだったな」


天倉は端末を見直した。


「以前の耐久試験で聞いていた。すまん、技術班からの質問をそのまま持ってきてしまった」

「天倉さんでも、そういうことあるんだね」


禮歌が笑う。


「……あるさ。俺も人間だからな」


詩音は画面の修復記録を眺めていた。


「じゃあ、この壁は……昨日の神成さんの攻撃に耐えられるくらい強くなったんですか?」

「その区画が、受けた技を基準に強化されたということだな」


天倉が答える。


「ただ、実際に同じ攻撃をもう一度受けさせて確認したわけではない」

「……なるほど」


詩音は感心したように息を吐いた。


「壊れたら直るだけでもすごいのに、次は壊れにくくなるなんて……」

「ふふっ。禮らしいでしょ?」


禮歌が笑うと、天倉は深く頷いた。


「便利なのは間違いない。もっとも、技術班は測定のたびに頭を抱えているがな」

「えっ、どうしてですか?」

「測るたびに壁の強度が変わっていたら、前回の測定値がそのまま使えんだろう」

「……あっ」


詩音が納得した声を上げる。

禮歌は口元を押さえた。


「……それは、ちょっと大変そう」

「ちょっと、ではないらしいぞ」


天倉の疲れた声に、二人は思わず笑った。


「まぁ、俺は知らないな。限界があるかは」


禮は肩をすくめた。


「俺は別に、強度限界は作ってないぞ」

「……設定していない?」


天倉が聞き返す。


「ああ。そもそも、俺くらいしか壊せないと自分でも思ってるからな」

「…………」

「俺の技を基準に強度が増えても、俺は次に撃つ時にはそれを超える。まぁ、無限ループだ」


詩音がぽかんと口を開いた。


「……待ってください」

「ん?」

「壁が強くなったら、それを超える攻撃を撃つんですか?」

「ああ」

「それでまた壁が強くなって……」

「また超える」

「…………」


詩音は天倉を見た。


「……天倉さん」

「何だ」

「これ、耐久試験って終わるんですか?」

「俺に聞くな」


即答だった。

禮歌が吹き出す。


「ふふっ。詩音ちゃん、いいところに気づいたね」

「いいところなんですか!?」


天倉は額に手を当てた。


「……神成。お前の中では、施設の強度を上げ続けることも訓練の一環なんだろうが」

「まぁな」

「技術班にとっては、測定対象が際限なく変わり続けるということだぞ」

「だから、もし強度上限があるか知りたいなら、前に渡したAIに聞いてみたらいい」


禮はあっさりと言った。


「分析して答えを出してくれるだろ」

「……ああ、あれか」


天倉が顔を上げる。


「そういえば、まだ今回の修復記録を使った分析は依頼していなかったな」


端末を操作し、別の画面を開く。


「設計者本人が上限を設定していないなら、こちらで勝手に決めつけるわけにもいかん。AIに分析させてみよう」

「……あの」


詩音がおずおずと手を挙げた。


「今度は、何のAIですか?」


禮歌が笑った。


「禮が前に局へ渡したものだよ」

「神成さんが……?」


詩音は禮と天倉を交互に見た。


「……神成さん、闘技場以外にもいろいろ作ってるんですね」

「いろいろ、で済めばいいんだがな」


天倉のぼやきに、禮歌がまた笑った。

やがて天倉は操作を終え、端末を伏せた。


「よし。分析の依頼は出しておく。結果が出たら技術班と確認しよう」

「……今すぐ分かるわけじゃないんですね」


詩音が少し残念そうに言う。


「さすがに、何をもって上限とするかまで確認しなければならんからな」


天倉はそこで一度、禮を見た。


「しかし、今の話で一つ分かったことがある」

「何だ?」

「技術班が強度の上限を気にしている一方で、お前はその強度を超える方法を考えている」

「…………」

「……同じ施設の話をしているとは思えんな」


禮歌が、とうとう声を上げて笑った。


「ふふっ! 確かに!」


詩音もつられて笑う。

天倉は苦笑しながら、再び大会の資料を開いた。


「さて。設備の件はいったんここまでだ。次は、昨日の大会結果を踏まえた今後の話に移ろう」

「……まだあんの? めんどくなってきた」


禮は椅子の背もたれに身体を預けた。

天倉の手が止まる。


「……お前な」

「もう結構話しただろ」

「話したが、ほとんどお前の技と施設の話だぞ」

「だから疲れたんだよ」

「自分の話だろうが」


禮歌が口元を押さえて笑った。


「ふふっ。禮、さっきまでは楽しそうだったのに」

「技の話はいいんだよ」

「つまり、事務的な話が嫌なんだね」


禮は返事の代わりに、天倉の端末をちらりと見た。

詩音もつられて画面を覗き込む。


「……まだ、いっぱいあるんですか?」

「いや」


天倉は端末を閉じた。


「今日、神成本人に確認する必要がある事項は、もうほとんど終わっている」

「……お?」


禮が少しだけ身体を起こす。


「残りは大会結果の通知方法と、今後の協力についてだ。細かい運営の話は局内で進める」

「なら最初からそう言ってくれ」

「今、言っただろう」


禮歌がとうとう声を上げて笑った。


「ふふっ! 二人とも、言い合いになってるよ」


天倉はため息をつき、資料を片づけた。


「分かった。今日の報告はここまでにしよう。追加の確認事項があれば連絡する」

「よし」

「……露骨に嬉しそうだな」


詩音が小さく笑う。


「神成さん、戦闘の話なら何時間でもできそうなのに」

「できるぞ」

「即答なんですね……!」


禮歌は肩を揺らしながら、禮を見た。


「じゃあ、用事も終わったことだし、そろそろ帰る?」


その時、天倉が「ああ、待て」と声をかけた。

禮の表情が、ぴたりと止まる。


「……まだあるのか?」

「違う。月城の件だ」

「私ですか?」


詩音が姿勢を正す。


「正式な加入選考の案内は後日送る。それまでに、ご家族ともよく話しておいてくれ」

「はい! 分かりました!」

「以上だ」


天倉は今度こそ席を立った。


「……神成。そんな疑わしそうな顔をするな。本当に終わりだ」


禮歌が笑いながら、禮の肩を軽く叩く。


「ほら、よかったね。解放されたよ」


詩音も立ち上がり、嬉しそうに笑った。


「ふふっ。お疲れさまでした、神成さん!」


禮が椅子から立つと、天倉は扉の方へ歩き出す。


「出口まで送ろう。……途中で訓練場に寄ったりするなよ」


その言葉に、禮歌と詩音が同時に禮を見た。


◇


会議室を出て、四人は局の廊下を歩いていた。

ふと、禮が詩音へ顔を向ける。


「そういえば、詩音」

「はい?」

「この局に入ったら、家から出るの?」

「……え?」


詩音が瞬きをした。


「結構ここって、周りの家とかからは離れてるからさ。どっかで一人暮らしとかするの?」

「……ああ、そういうことですか」


詩音は少し考え込んだ。


「うーん……」


歩きながら、指を折って何かを数える。


「家から通うのは……ちょっと遠いですよね」

「所属先によっても変わるが、ここを拠点にするなら通勤は考える必要があるな」


天倉が答えた。


「住居については、選考が進んでから相談できる。まだ決める必要はないぞ」

「そうですよね……」


詩音は頷いた。

だが、なぜかそのまま黙ってしまった。


「……詩音ちゃん?」


禮歌が覗き込む。


「何か悩んでる?」

「えっ? あ、いえ……」


詩音は慌てて首を振った。


「一人暮らし、したことないなって思って」

「そっか」

「料理とか洗濯とかは、家でもやってるんですけど……」

「うんうん」

「知らない場所で、帰ってきても誰もいないっていうのは……ちょっと寂しいかもしれないです」


詩音は困ったように笑った。


「昨日、神成さんたちのお家に泊まったじゃないですか」

「うん」

「朝起きたら誰かがいて、一緒にご飯を食べて……ああいうの、いいなって思ったんです」


禮歌の表情が、ふっと柔らかくなる。


「楽しかった?」

「はい。すごく」


詩音は即答した。

そして、少し遅れて頬を赤くした。


「……だから、その」

「うん?」

「一人暮らしするより……誰かと一緒に住みたい、かなって」


最後の方は、ずいぶん小さな声になった。

禮歌は詩音の顔を見つめる。


「……へえ」

「な、何ですか、その顔!」

「ううん? 誰かと一緒がいいんだなぁって」

「そ、そうですけど!」


詩音はちらりと禮を見た。

しかし、目が合いそうになると、すぐ前を向いてしまう。


「……まぁ、まだ何も決まってないですし」


そう言いながらも、また横目で禮を見る。

禮歌はその様子に気づいたらしく、笑いをこらえていた。

天倉だけは、何も気づかず頷く。


「共同生活を希望するなら、住居の選択肢も調べておこう」

「……あ、はい。ありがとうございます」


詩音は返事をしてから、もう一度禮を見た。

何か言いたそうに唇を開き――。

結局、言葉を飲み込んだ。


「…………」

「詩音ちゃん?」


禮歌が小声で呼ぶ。


「……何ですか」

「言わなくていいの?」

「なっ……!」


詩音の顔が、一気に赤くなった。


「い、今はまだ! 何も決まってないので!」


その慌てぶりに、禮歌はとうとう吹き出した。


◇


「まぁ、別に構わんけど」


禮はあっさり答えた。


「通勤なら俺と一緒にできるしな」

「…………!」


詩音の顔が、ぱっと明るくなった。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ」

「……っ、ありがとうございます!」


詩音は嬉しそうに頭を下げた。

その横で、禮歌がにこにこと笑っている。


「よかったね、詩音ちゃん」

「は、はい!」

「一緒に通勤、かぁ」

「……禮歌さん!」

「ふふっ。何も言ってないよ?」


詩音の頬が赤くなる。

そんな二人を見ていた禮が、ふと思い出したように口を開いた。


「あ、それで思い出した」

「ん?」


禮歌が顔を向ける。


「禮歌はどうするんだ? 局に入らないのか?」

「……私?」


予想していなかった質問だったのか、禮歌は瞬きをした。


「うーん……」


少し考えてから、禮を見る。


「……実は、ちょっと興味はあるんだよね」

「へえ」

「だって、禮がここに来ること、これから増えそうでしょ?」


禮歌は指先で髪を整えながら続けた。


「それに、昨日の大会を見てたら、私も誰かと戦ったり、教えたりしてみたいなって」

「禮歌さんも、局に入りたいんですか?」


詩音が尋ねる。


「うん。……まだ、どうしようかなって考えてるところだけどね」


そう答えてから、禮歌は少し照れたように笑った。


「禮と一緒に働けるなら、楽しそうだし」

「…………」


詩音が、ぴたりと動きを止めた。


「……一緒に」

「ん?」

「……い、いえ! 何でもないです!」


禮歌は不思議そうに首を傾げた。

その様子を見ていた天倉が、口を開く。


「神成禮歌(しんじょうれいか)。お前が加入を希望するなら、こちらでも話はできる」

「本当ですか?」

「ああ。ただし、神成がいるからという理由だけで、手続きを省略するわけにはいかんぞ」

「それは分かってます」


禮歌は素直に頷いた。

天倉は少し声を落とす。


「……それに、お前の場合は、確認しておきたい事情もあるからな」


禮歌は、その意味を察したように天倉を見た。


「……うん。そこはちゃんと相談したいかな」


詩音は二人を交互に見たが、それ以上は尋ねなかった。

代わりに、明るい声を上げる。


「じゃあ、もし禮歌さんも入ったら、三人で一緒に通勤できますね!」

「ふふっ。そうなるかもね」

「……楽しそうです!」


詩音は満面の笑みを浮かべた。

その笑顔を見て、禮歌も嬉しそうに頷く。


「……ねえ、禮」

「ん?」


禮歌は、少しだけ真面目な顔になった。


「私、局に入るなら、ただ禮についてくるだけじゃなくて、自分にもできることを見つけたいな」


そして、柔らかく微笑んだ。


「……だから、入る方向で考えてみようかな」


天倉は頷いた。


「分かった。では、月城とは別に、お前のことも相談しておこう」

「ありがとう、天倉さん」


そう答えた禮歌は、どこか嬉しそうだった。

詩音も笑顔で禮歌を見つめている。

一方、天倉は二人の表情を見比べて、小さく息を吐いた。


「……神成」

「何だ?」

「お前、今の一言で加入希望者を一人増やしたぞ」


禮歌がくすっと笑った。


「ふふっ。そうだね」


天倉は呆れたように首を振りながらも、口元にはわずかに笑みを浮かべていた。


第三章 第五話(終)


「ま、今日は疲れたし。黙って帰ろう」


禮はそう言って、出口へ歩き出した。


「……黙って帰る、か」


天倉が苦笑する。


「お前らしいな。まあ、今日はもう引き止めん」

「やったね、禮」


禮歌が隣に並ぶ。


「ふふっ。帰ったらゆっくりしよっか」

「ですね!」


詩音も笑顔で後に続いた。


◇


局の正面玄関。

外へ出ると、午後の日差しが三人を照らした。


「では、俺はここで失礼する」


天倉が立ち止まる。


「月城、加入選考の件は改めて連絡する。神成禮歌、お前の件も確認しておこう」

「はい! よろしくお願いします!」

「ありがとうございます、天倉さん」


禮歌が頭を下げる。

禮も軽く手を上げた。


「じゃあな」

「ああ。……今日はちゃんと休めよ」


天倉は最後にそう言い残し、局の中へ戻っていった。

その背中を見送ってから、詩音が二人へ向き直る。


「……じゃあ、私もそろそろ帰りますね」

「うん。気をつけてね、詩音ちゃん」


禮歌が微笑む。


「昨日からずっと一緒だったから、なんだか急に静かになりそう」

「ふふっ。私も、ちょっと寂しいです」


詩音は笑った。

昨日、大会で初めて出会った二人。

あの時は、まさかその日のうちに家へ招かれ、翌朝には一緒に局を訪れることになるなんて、想像もしていなかった。


「……神成さん」


詩音が禮を見る。


「昨日の試合も、今日のお話も、本当にありがとうございました」


少し照れくさそうに、言葉を続けた。


「私、まだまだ強くなれる気がします」


禮歌が頷く。


「うん。きっとね」

「それに……」


詩音は一度、視線を落とした。


「もし局に入れたら、これからもお二人と一緒にいられるかもしれませんし」


そう言ってから、慌てて顔を上げる。


「あっ、もちろん! ちゃんと仕事も頑張りますよ!」

「ふふっ。分かってるよ」


禮歌が笑う。

詩音もつられて笑った。


「……じゃあ、また連絡しますね!」

「ああ。またな」

「またね、詩音ちゃん」


詩音は二人へ手を振り、歩き出した。

数歩進んでから、もう一度振り返る。


「神成さん! 禮歌さん!」


二人が顔を向ける。

詩音は、昨日の試合中と同じくらい眩しい笑顔を浮かべた。


「また、会いましょうね!」


そして今度こそ、軽い足取りで去っていった。


◇


詩音の姿が見えなくなるまで、禮歌はその背中を見送っていた。


「……いい子だね、詩音ちゃん」


隣の禮へ、ぽつりと言う。


「昨日会ったばっかりなのに、もうずっと前から知ってるみたい」


禮歌は少し笑った。


「……これから、賑やかになりそうだね」


禮が肩をすくめる。


「あいつ、戦うことになると結構うるさいからな」

「ふふっ。誰かさんに似たのかも」

「……誰だよ」

「さあ、誰だろう?」


禮歌は楽しそうに笑いながら、禮の隣へ一歩近づいた。

昨日の大会。

そこで出会った新しい仲間。

局で始まろうとしている、技の指導。

そして、禮歌自身のこれから何もかもが、少しずつ動き始めていた。


「……帰ろっか、禮」

「ああ」


二人は並んで歩き出す。

禮歌はふと、空を見上げた。

穏やかな青空。

昨日まで、あれほど激しい戦いが繰り広げられていたことが嘘のようだった。


けれど、あの大会で生まれた繋がりも、見つけた可能性も、確かにここにある。

禮歌は隣を歩く禮を見た。

面倒くさがりで、戦うことが好きで誰も思いつかないようなことを、平然と口にする少年。

その隣で過ごす毎日は、きっとこれからも予想外のことばかりだろう。


「……ふふっ」

「何笑ってんだ?」

「ううん」


禮歌は首を横に振る。

そして、柔らかく微笑んだ。


「これからが、楽しみだなって」


禮は小さく笑い、前を向いた。

二人の足音が、静かな道に重なる。

大会は終わった。

けれど、それは一つの区切りにすぎない。


新たな仲間が加わり、まだ知らない能力の可能性が開かれようとしている。

禮自身もまた、これから何を創り、何を選ぶのか。

その答えは、まだ誰にも分からない。


ただ一つ、確かなことがあった。

神成禮の日常は、もう以前と同じではない。

そして彼は、まだその変化のすべてを知らないまま――

いつものように、禮歌と帰路についた。

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