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第10話 交渉のテーブル。先制のカウンターパンチ〜「契約違反」のカタログをお持ちしました。ご自身の矛盾を説明していただけますか?〜

 魔王城中央棟、第一応接会議室。


 そこは戦場というにはあまりにも静かで、血の匂いがなく、法廷というにはあまりにも荘厳で豪奢だった。

 天井は高く、黒曜石を思わせる艶を帯びた柱が等間隔に並び、壁面には魔王領の歴史を刻んだ古い紋章旗が静かに垂れ下がっている。中央には長大な会議卓が据えられ、その表面は磨き抜かれた黒木が魔導灯の光を淡く反射していた。


 卓の片側には、既に魔王領側の人員が着席している。


 上座に魔王レオンハルト。

 その右に宰相補佐シュタール。

 左には、今日だけは近衛副長の立場ではなく警備責任者として後方へ下がったゼノヴィア。

 そして、魔王のすぐ隣――本来ならば最重要補佐官が座るべき特等席に、ルチア・フォン・クライスがいた。


 いつもの華やかな令嬢らしい純白のドレスではなく、今日は深い藍を基調とした、極めて実務向き(戦闘用)のドレスだ。

 胸元も袖口も機能的に引き締まり、無駄な装飾は一切ない。代わりに、彼女の手元の机上には、分厚い『証拠の山(弾薬)』が整然と積まれている。

 それはもはや公爵令嬢などではない。血も涙もない、高位の法務官そのものの姿だった。


 対面には、人間国の外交使節団がふんぞり返っている。


 先頭に座るのは、外務省特別交渉官グレゴール・ヴァン・ローデン。

 五十前後。腹は出ていないが、そのぶん顔に嫌味と脂が凝縮されたような男だった。細く整えた口髭、艶のある上等な礼装、指にはいくつもの印章指輪。いかにも「我ら人間国こそが優れた文明であり、魔族は野蛮で遅れている」と思い込んでいる者の顔である。

 その隣には、補佐官らしき若い文官。

 さらに後方へ二名の書記官と、外交護衛を名目にした武官が威圧的に控えていた。


 彼らは入室した瞬間から、隠そうともせず魔王領側を値踏みしていた。

 そしてレオンハルトの隣に人間の女――ルチアを見つけた時、ほんの一瞬、揃って目を細めた。


 侮り。

 戸惑い。

 そして、すぐさま湧き上がる露骨な軽蔑。


(あらあら。テンプレ通りの見下し顔ね。前世で、年下の女弁護士ってだけで初手から舐めてかかってきたベテラン弁護士たちと同じ顔だわ。……ボコボコにし甲斐があるわね)


 ルチアは内心で毒づきながら、表面上は完璧な淑女の笑みを浮かべていた。


「お待たせいたしましたかな、魔王陛下」


 グレゴールが、口元だけでニヤリと笑う。

 謝罪の形を取っているが、その響きには一ミリの歉意(すまないという気持ち)もない。


「もっとも、我々としても急な前倒し訪問は本意ではなかったのですがな。貴国からの条約履行に『遅滞の気配』がありましたゆえ、親切な善意から確認に参った次第です」

「……善意、ですか」


 シュタールが眼鏡の奥で目を細め、地を這うような声で低く繰り返したが、それ以上は何も言わない。

 代わりにレオンハルトが、感情の一切見えない絶対零度の声で応じた。


「用件を述べろ」

「承知しました」


 グレゴールはわざとらしく咳払いをし、持参した革筒から一通の仰々しい請求書を取り出した。

 封蝋には人間国外務省の紋章。

 書式こそ整っているが、そこに込められた態度はまるで借金取りだった。


「本年第二四半期分の、高純度魔石の納入についてです。協定第六条および第八条に基づき、貴領は今月末日までに『追加五百単位』を納める義務がございます」

「……追加、ですって?」

 シュタールが不快げに眉を寄せる。

「既定数量は既に――」

「昨冬の『不足分補填』がまだ未了でしょう?」


 グレゴールは、さも当然のように、そして小馬鹿にするように言った。


「輸送事故があろうと採掘不順があろうと、最低納入義務ノルマは消えません。協定文をしっかりご確認いただければ、魔王領の方々にも容易に理解できるはずですがな?」


 最後の一言に、会議室の空気がピキリと凍てついた。

 明らかな侮辱。知性を貶める発言だった。

 後方のゼノヴィアの眉が怒りに跳ね上がり、護衛の魔族たちの気配が殺気立つ。


 だが、ルチアだけは微塵も動じなかった。

 むしろ、相手が想像以上に『愚か』であることを確認して、ほんの少しだけ助かったとすら思った。


(ありがたいわね。こちらが用意した証拠(罠)に、自分から猛ダッシュで飛び込んできてくれるなんて。高慢な相手ほど、最初のカウンターが一番深く突き刺さるのよ)


 グレゴールはさらに調子に乗って続ける。


「加えて、先月分の品質検査において、わずかな純度の揺らぎが確認されております。規定通り、違約金算定も視野に入れなければなりませんな」

「ほう」


 ようやくレオンハルトが、その深紅の瞳を真正面から外交官に向けた。


「納入を請求し、さらに違約金も取るつもりか」

「協定とはそういうものです。神聖な契約は守られねば困りますからな」


 グレゴールは下品に唇を歪める。


 そこで、ルチアは極めて優雅に、しかし氷点下の声で口を開いた。


「異議あり、ですわね」


 そのたった一言で、場の空気がぴたりと停止した。


 グレゴールの目が、初めて明確にルチアへ向く。

 それは“会議室の観葉植物(お飾り)が突然喋った”とでも言いたげな、呆れと不快感の入り混じった視線だった。


「……失礼ですが」

 彼はわざと嫌味な間を置いて言う。

「そちらのご令嬢は? 記録係ですか?」

「魔王領専属法務顧問、ルチア・フォン・クライスだ」


 レオンハルトが即答する。

 一切の迷いなく、隠しも濁しもなく。


 その言葉に、人間国側の補佐官が思わず「ブッ」と吹き出しかけた。

 慌てて咳払いで誤魔化したが、完全に遅い。

 グレゴール自身も、あからさまに眉を吊り上げる。


「法務顧問? 人間の小娘が?」

「ええ。何かご不満でも?」

 ルチアがにこやかに問う。

「いえ、まさか人間国の、それも温室育ちの貴族令嬢が、魔王領でそのような重役についているとは」

実務能力スキルは、国境を越えても腐りませんもの」

「それは結構なことですが」


 グレゴールは鼻で笑う。

 その笑みは、最初から最後まで侮り一色だった。


「本件は国家間協定に関わる『高度な外交交渉』です。王都の社交界での機転や、お遊びの恋文の駆け引きとは少々勝手が違いますよ、お嬢さん」

「ええ、よく存じておりますわ」


 ルチアはあっさりと頷いた。

 あまりにも素直な返答に、逆にグレゴールのほうが一瞬だけ拍子抜けしたような顔をする。


 そのターンを逃さず、ルチアは流れるように反撃カウンターの刃を抜いた。


「ですから、まず事実確認をさせていただきますわ。いま貴国は、現行協定に基づく『追加納入請求』と『違約金算定の予告』を正式に行いました。……間違いございませんわね?」

「その通りですが?」

「記録係」

「はい」


 後方のエイルが、すぐさま魔導記録板へ書き留める。

 人間国側がそれを見て、わずかに顔をしかめた。


 ルチアは微笑んだまま、机上の最上段に置いていた一枚の羊皮紙を指先でスッと引き寄せる。


「では結論から申し上げます」

 彼女の声は、水晶のように澄んでいて、恐ろしくよく通った。

「貴国からの条約履行請求は、本日、ただいまの時点をもって『すべて無効』ですわ」


 一瞬の完全な静寂。

 続いて、補佐官が「は?」と素で間抜けな声を漏らした。


 グレゴールの顔から、ニヤついた笑みが完全に消え去る。


「……無効?」

「ええ」

「どのような権限で、そのような寝言を――」

「協定当事者の一方が、重大な『先行違反』を継続している場合ですわ」


 ルチアはさらりと言い放った。

 あまりにも自然で、あまりにも当然の法理のように。


「契約実務において、自ら誠実履行義務を果たしていない者(ルール違反者)は、相手方に対してのみ履行を強く請求する法的地位を失います。……法務のイロハ、初歩中の初歩ですわね?」

「何を根拠にそのような言いがかりを!」

「根拠なら山ほどございますけれど?」


 ルチアは一枚目の資料を、ことりと卓上へ置く。


「まずは『代金支払遅延』から参りましょうか」


 ◇ ◇ ◇


 資料が、大理石の卓を滑ってグレゴールの前へピタリと止まる。

 薄い一枚だ。だが、そこに書かれた数字の羅列は、爆弾のように重い。


「昨年度第四四半期から本年度第一四半期にかけて、貴国の支払期日遵守率は『四割』を切っております」

「馬鹿な!」

「馬鹿なのはどちらの会計局かしら?」


 ルチアは机上の別資料をバンッと開く。


「こちらが魔王領側の請求書発行日、こちらが貴国側の受領日、そしてこちらが実際の着金日。……平均遅延日数、二十七日。最長で六十二日。しかも、遅延損害金(利息)の支払いは一切なし」

「それは事務処理上の些細な遅れで――」

「言い訳は結構ですわ」


 ピシャリ、と。

 物理的な平手打ちよりも鋭い一言で、補佐官を黙らせる。


「協定第十一条には、『受領後十五日以内の支払い義務』が明確に規定されております。にもかかわらず、貴国は常態的にこれを破り続けている」

「一時的な遅れです!」

「常態的に繰り返された“一時的な遅れ”は、法的には『継続的債務不履行』と呼びますの。ご存知ありませんでした?」

「……ッ!」


 グレゴールの顔色が、ほんのわずかに変わる。


 まだ致命的な動揺ではない。

 だが確実に、相手の傲慢な足場へ最初のひびが入った。

 ルチアは休ませることなく、そこへさらに強烈な一枚を重ねる。


「次に『受領量の不一致』について」

「……」

「こちらは昨年冬季・第四便の納入記録です。魔王領側の出荷量、千二百単位。輸送事故報告による損失、二百。よって受領予定量は千。……しかし」

 彼女は指先で該当行をトントンと叩く。

「同週、人間国王都南商区の民間魔導具商会で、市場流通量では絶対に説明のつかない『高純度魔石の不自然な増加』が確認されております」

「民間商会の流通など、我々外交筋には関知しませんな!」

「本当に?」


 ルチアの笑みが深くなる。

 冷たく、美しく、獲物をいたぶる捕食者のような深さだった。


「では、なぜその民間商会から、貴国外務監督官の個人口座へ“特別調整費”なる名目で、同時期に定額送金が三度も行われているのでしょう?」

「な……っ!?」


 今度こそ、補佐官の顔色が土気色に変わった。


 グレゴールは横目で部下を制しつつ、なおも平静を装おうと必死に顔の筋肉を引き攣らせる。

 だがその目元に浮かんだ明らかな緊張と焦りを、ルチアのプロの目は見逃さない。


(ええ、そうでしょうね)


 この類の人間は、自分の失態よりも、下の者の狼狽から崩れていく。

 自分は取り繕えても、焦った部下までは制御しきれないのだ。


「無関係な個人の金銭移動を、神聖な条約交渉の場へ持ち込むのは不適切ですな!」

「無関係かどうかは、金の流れ(マネートレイル)を見てからご判断なされば?」


 ルチアは三枚目を開く。

 今度は一目で分かるように図表化された、見事なプレゼン資料だった。


 出荷量。

 事故報告量。

 受領量。

 市場流通量。

 外務監督官への送金記録。

 それらを完璧な時系列で並べたものである。


「事故報告が出る」

「……」

「同時期に受領量が減る」

「……」

「しかし市場では、不足分に近い量の高純度魔石が流通する」

「……」

「さらに、それを扱った商会から監督官へ、裏金(調整費)が流れる」


 ルチアは顔を上げ、グレゴールを射抜いた。


「ここまでエビデンス(証拠)が揃ってなお、無関係だと仰るおつもり?」

「す、推測にすぎません!」

「推測だけで、ここまで数字の辻褄が合うことはありませんわ」

「偶然でしょう!」

「偶然が複数回重なると、実務ビジネスではそれを『不正のパターン』と呼びますの」


 レオンハルトの隣で、シュタールが静かに目を伏せて口角を上げた。

 ゼノヴィアは後方で腕を組んだまま、完全に馬鹿を見る目で人間国側を眺めている。

 魔王領側の空気が、じわりと、確実な優位へと変わっていくのが分かった。


 対する人間国側は、まだ強弁を捨てない。

 だが、先程の入室時にあった絶対的なマウント(余裕)は、もう粉微塵に消え去っていた。


 グレゴールが、額に脂汗を浮かべながら低く言う。


「仮に、仮にそのような不正が一部関係者の独断で行われていたとしても! それは協定そのものの効力とは別問題です!」

「いいえ」


 ルチアは即座に、コンクリートのように冷たく否定した。


「別問題ではありませんわ」

「何だと?」

「条約運用に関与する監督官が、受領過程で横流し(横領)と金銭授受(収賄)に関与していた疑いが極めて濃厚。しかも代金の支払遅延も継続している。その時点で、貴国の履行請求には『誠実性』が微塵も認められません」

「誠実性などという曖昧な概念で、条約を反故にする気か!」

「契約実務において一番怖いのは、だいたいそういう『曖昧に見えるけれど、裁判官が判断基準にする概念』ですのよ」


 グレゴールが初めて、ぐうの音も出ずに言葉に詰まる。


 その隙へ、ルチアはさらに容赦ない追撃を入れた。


「もっとも、こちらはまだ温情的な初期段階ジャブですわ」

「温情、だと?」

「ええ。だって、まだ“輸送事故報告の虚偽”と“派遣労務者の帰還記録の意図的欠損(ブラック労働)”の話は、一切しておりませんもの」

「……ッ!!」


 補佐官がガタッと椅子の肘掛けを強く掴む。

 音がした。

 わずかな、しかしはっきりとした、恐怖による動揺の音だった。


 ◇ ◇ ◇


「そろそろ前提ルールを揃えましょうか」


 ルチアは資料をトントンと整え直す。

 一枚一枚の角がピタリと揃うその優雅な所作は、妙に静かで、そのぶん恐ろしかった。


「本日の会談は、当初、貴国が我が方に追加納入を一方的に請求する場として設定されましたわね」

「そ、その通りです」

 グレゴールが、意地で頷く。

「でしたら、ただちに認識を改めてくださいませ」


 ルチアはまっすぐ彼を見た。

 氷点下の、しかし完璧に礼儀正しい、処刑人の視線だった。


「いまこの場は、貴国の『重大な契約違反の数々』を確認し、追及するための場です」


 会議室が、完全に静まり返る。

 誰も物音ひとつ立てない。


 グレゴールは数秒、ルチアを睨みつけた。

 睨みながら、なおもどこかで「たかが女」と相手を格下に見なそうと足掻いている。

 だがもう無理だ。

 目の前の女は、社交界の飾りでも、魔王の気まぐれでもない。

 圧倒的な証拠を積み、逃げ道のない順番を作り、言葉の出口をコンクリートで塞ぐ側の『本物のバケモノ』だと、さすがに本能で分かり始めている。


「仮に」

 彼は絞り出すように言う。

「仮にそちらの主張に一理あるとしても! 現時点で一方的に履行停止を宣言する権利など――」

「ありますわ」

「ない!」

「あります」

「ないと申し上げている!」

「では、条文を読み上げて差し上げます?」


 ルチアは一息で言い切った。

 そのあまりの迷いのなさに、グレゴールが一瞬だけ黙る。


 ルチアはもう待たない。

 既に該当箇所へ赤い付箋を打ってある協定原本の写しを開き、淀みない澄んだ声で読み上げる。


「附属通商協定第十四条二項。『当事者の一方に、代金支払の継続的不履行、受領確認の重大な瑕疵、または監督上の背信行為が認められた場合、相手方は是正が完了するまで当該義務の履行を留保できる』」

「……っ!」

「ご存じありませんでした?」

「そ、それは限定的な補助条項で――」

「補助条項でも、サインした条項は条項ですわ」

「文脈を無視して勝手な解釈を――」

「文脈なら、こちらが丁寧に説明して差し上げますわよ」


 そこでルチアは、今度は資料ではなく、ただ言葉の重圧ロジックだけで畳みかけた。


「継続的支払遅延、あり。受領量の不一致、あり。監督官への不審な裏金送金、あり。……これ以上、どんな文脈が必要で?」

「それはまだ立証されたとは――」

「いままさに、立証(論破)するために資料を並べておりますのよ」

「憶測だ!」

数字ファクトです」

「一方的解釈だ!」

「でしたら、貴国で合理的な『反証』をなさってくださいな」

「……!!」


 グレゴールの呼吸が浅くなる。


(いいところまで来ているわね)とルチアは思った。

 相手はまだ完全には崩れていない。

 だが既に、最初の予定――高圧的に追加納入を請求し、魔族を屈服させるという筋書きは粉々に壊れた。

 いま彼らは、防戦一方の敗者だ。

 それだけで十分すぎる先制カウンターだった。


 レオンハルトが、初めてわずかに口を開く。


「グレゴール殿」

 低く、静かな声だった。

「まだ我が領へ追加納入を要求するか?」

「そ、それは……」

「答えろ」

「……現時点では、資料の真偽確認が必要ですな」


 ついに絞り出されたその逃げの言葉に、ゼノヴィアが背後で小さく鼻を鳴らした。

 勝負あり、とまでは言わない。

 だが、流れ(モメンタム)は完全に魔王領側へと変わった。


 ルチアはそこで、あえて一歩引くように資料をパタンと閉じた。

 全部は出さない。

 まだ早い。


「結構ですわ」


 グレゴールが怪訝そうに顔を上げる。


「確認したいのでしょう? なら、じっくりと確認なさってください」

「……何?」

「こちらとしても、そのほうが後々助かりますもの。あとで“知らなかった”“見ていない”“部下が勝手にやった”では済まされませんからね」


 ルチアはことりと、新たな、さらに分厚い資料束を卓へ置く。

 先ほどより明らかに厚い。

 そして、明らかに嫌な重みと絶望感が詰まっている。


「本日はまず、貴国の『先行違反の存在』を確認するところまでで十分です」

「十分、だと……?」

「ええ。だって」


 彼女は、最高に美しく、邪悪な笑みを浮かべた。


「次は、貴国が条約の裏で長年何をしていたのかを、もっと丁寧にご説明申し上げる予定ですもの。……楽しみになさっていてね?」


 その一言が、次章(処刑)への予告のように静かに会議室に落ちる。


 人間国側の顔色が、目に見えて青ざめた。

 補佐官はもはや書記板に手を置く指先すらガタガタと震わせ、後方の武官はこの場が剣の暴力でどうにかなる性質ではないと理解し、悔しそうに唇を引き結んでいる。


 一方、魔王領側は違った。

 シュタールの目は鋭く冴え、エイルは記録板へ走らせる筆を止めない。

 ゼノヴィアは腕を組んだまま、完全に“惨めな人間国を見物”する顔になっていた。

 そしてレオンハルトだけは、最初から最後まで変わらぬ絶対的な静けさで、隣に座るルチアを見ている。


 その赤い瞳の奥にあるのは、満足か、興味か、それとももっと別の熱か。

 今のルチアには、そこまで深読みする余裕はなかった。


 ただ一つ分かるのは、仕事ビジネスは極めて順調だということだけだ。


 会議卓の上。

 傲慢だった追加納入請求書は、もう先程までの威圧感を失い、ただの紙切れと化していた。

 代わりに卓を完全に支配しているのは、ルチアが並べた冷徹な証拠の束である。


 彼女は白い手袋の指先で、その一番上を軽くトントンと叩いた。


「では、人間国の皆様」

 声は穏やか。

 けれど、そこに逃げ道は一つもない。


「ここから先は、貴国の身勝手なご主張ではなく、貴国が抱える『数々の矛盾と不正』をご説明いただく時間ですわ」



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