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悪役令嬢になる前に

 そこには、メイドのデイジーが立っていた。


「いらしたの?」


 デイジーは困惑した顔で、一瞬言葉に詰まった。


「いえ、それが、フィル王子様がお見えです」


 シルビアも驚きで言葉に詰まった。


「い、今さら、なぜ」

「どうしても、お会いしたいそうです」


 お会いする、今さら――

 シルビアが眉を寄せて悩んでいると、デイジーが訴えるような目を向けてきた。

 フィル王子に会ってほしいと訴えているのがわかった。

 デイジーは歳が近いこともあり、シルビアの良き話し相手で、シルビアの心を汲くんで今の状況に従ってくれているけれど、本当は平和を愛する娘だった。

 そんな彼女の心を汲んで、


「わかったわ。会います」


 シルビアは安心させるように笑って言った。

 デイジーは嬉しそうに笑い、シルビアを案内した。


 重厚だが洗練された調度品で飾られた客間に、フィル王子が立っていた。

 柔らかい金髪に凛々しさと柔和さの混じった顔立ち、艷やかな碧眼がシルビアを捉とらえた。金の肩章から連なる飾緒のついた濃紺の軍服を着こなしたスラリとした体を向けて。

 シルビアは一瞬、全てを忘れて目を奪われた。

 しかし、彼の表情に陰があることに気づき、我に返ってたじろいだ。

 彼には笑顔でいてほしい、その思いもあり最初は静かに身を引いたことを思い出して……こんな事態になり、どんな表情を見せればいいかわからず。

 うつ向いて視線をそらした。


「シルビア、突然すまない。どうしても、君に会わなければと思って……」


 意を決したように近づいてくるフィルに、シルビアは体を強張らせた。


「私に? フィル様……大事な会談中のはずでは?」


 まだ会談が終わるには早過ぎるのでは。

 冷静に考えてみると、そのことに思い当たった。


「会談は、中止になった」

「中止?」


 首をかしげるシルビアが見つめるなか、


「フロンティアが会談の席に現れて、突然」


 フィルは息を呑んでから言った。


「私に、婚約破棄を突きつけてきた」


 シルビアは衝撃に目を見開いた。

 しばし言葉が出せず、


「……なぜ?」


 やっと聞くと、フィルは首を横に振った。


「とても信じられないことだが、会談相手のブラッドハート王子を好き、ずっと好きだったと、告白したんだ」

「ブラッドハート王子を、す、き?」


 好き? 異性として?

 敵国の王子を好きなどと、全く想像もできない話に、シルビアは頭が追いつかなかった。


「ああ、好きだと言った。フロンティアは……時々、子供のようなことを言ったり、したりする人だったが、今回のことは受け止めきれない」


 片手で頭を抱えて後ろにふらついたフィルを、シルビアはそっと長椅子に座らせた。

 シルビアもフロンティアのことを、確かに子供みたいな人だと頷けたが、冷静に思い返すとわからないことがあった。


「待ってください。フロンティアとブラッドハート王子に接点はないはずでは? ブラッドハート王子の話ならば、私もフロンティアも聞いたことはありますが……」


 その話も彼は冷酷だとか好戦的だとか、平和を愛するフロンティアが好意を寄せるようなものではないと思えた。


「ずっと前に、一度会ったことがある気がするとか言っていた」

「気がする? そんな曖昧な」


 ますます困惑して二人は首をかしげた。


「とにかく、そうやってフロンティアは私から去り、ブラッドハート王子とどうやら結ばれたようだ」

「結ばれた? もう?」


 シルビアは信じられないと、無意識に首を横に振った。


「二人の様子を見ていた兵の話では、フロンティアの馬車に二人で乗り込んだと思えば、しばらくして、仲睦まじくブラッドハート王子の馬車に乗り換えて、フロンティアの馬車と共に去ったそうだ」

「仲睦まじく去った? 本当ですか? 拐われたのでは?」


 シルビアは不安に駆られて、そわそわと窓や扉を見た。


「兵が後を追っているから、もうじき知らせが入るはずだ」


 フィルも扉に顔を向けた。


「そんな一大事に、なぜ、私のところへ……?」


 シルビアは大きな重要に感じる疑問に眉を寄せて、フィルの考えを探るように見つめた。

 瞳が一瞬合ってから――

 フィルは伏し目になり、口を開いた。


「フロンティアに婚約破棄を告げられた後、君のことを、真っ先に思い出したからだ」

「私を……?」


 戸惑うシルビアをフィルが立ち上がって見据えた。


「フロンティアと婚約した時に、君を、傷つけてしまった」


 シルビアはハッと目を見開いた。

 また胸が痛みだして、涙をこらえるために下を向いた。

 そんなシルビアはフィルにいきなり抱き寄せられた。突然で反応できず、シルビアの額はフィルの胸元にぶつかり、体は少し痛いくらいに彼の強さと熱を感じた。

 フィルの意外な強引さに、シルビアは目を瞬かせた。


「許してほしい」


 フィルの震える声――

 心の奥まで届き、シルビアは抵抗することを忘れた。

 私はもう復讐できない……一族をなんとかしなければと真っ先に思った。

 それなのに、上手く言葉が出てこず動けなかった。


「こんな事態になって、やっと、自分の過ちに気づいた。私が愚かだった……」


 フィルの後悔に満ちた声だけが心に響いていた。

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