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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響
第二部

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あの日弟になった少年1

夕暮れの図書館。


高い窓から差し込む橙色の光が、本棚の影を長く床に落としている。

静まり返った空間に、紙をめくる音だけが微かに響いていた。


――あ、あそこにいるのは。


「トワ」


声をかけると、机に向かっていた少年が顔を上げる。


「あ、お姉様」


柔らかく、少し照れたように微笑む。


「勉強熱心ね」


「いえ。レオと相談して、孤児院のボランティアを今後も続けられるように、できることをまとめているんです。書類にしようと思って」


「さすがね。レオからも聞いたわ」


机の上には、丁寧に書き込まれた紙が何枚も並んでいる。


「できたら、見せてね」


「はい」


素直な返事に、自然と頬が緩む。


「それと……ボランティアの手伝い、ありがとう」


「いえ……」


少しだけ視線を泳がせてから、トワは小さく息を吸った。


「色々ありましたね…」


そう前置きし、こちらを見上げるトワに声をかける。


「トワは、大丈夫だった?」


「はい。僕は大丈夫です」


けれどすぐ、今度は心配そうに眉を下げた。


「それより……お姉様は、大丈夫ですか?」


揺れる瞳には、年齢以上の思慮深さが滲んでいた。


「平気よ」


そう答えると、彼はほっとしたように肩の力を抜いた。


「……よかった」


私は椅子を引き、彼の隣を示す。


「ねえ。私も隣で仕事しててもいい?」


一瞬きょとんとしたあと――


「はい!」


ぱっと表情が明るくなる。


夕暮れ色の光の中、並んで机に向かう二人。


羽ペンの擦れる音と、紙をめくる小さな気配が、静かな図書館に溶けていった。


昼の喧騒も、不安も、争いも。

今はすべて、遠くにあるような――穏やかな時間だった。


隣に並んで座るトワを見ながら、

私はふと、彼との出会いを思い出していた。


――随分、馴染んできたな。


そう感じられるほどには、彼はこの場所に溶け込んでいる。


2年前。


トワは、まだ8歳だった。


父・アドルフの遠縁にあたる親戚の息子。

両親を不慮の事故で亡くし、身寄りを失った子ども。


そう説明されたけれど――

彼は泣いていなかった。


怯えも、混乱もなく、

ただ静かに、周囲を観察するような視線だけを持っていた。


父は冷淡で、

母も兄のマルクも、彼に特別な関心を示さなかった。


まるで最初から“いないもの”として扱うように。


だから私は、声をかけた。


「私、ティアナ・ラピスラズリよ。よろしくね。

今日からお姉さんになるから、何でも頼って」


そう言った私を、トワはじっと見つめた。


感情の読めない瞳で。


「……いえ。お構いなく」


拒絶というより、

必要性を感じていないような声音だった。


それから何度話しかけても、

返ってくる言葉は短く、淡々としていた。


悲しんでいるようにも、

怒っているようにも見えない。


――まるで、人の感情というものを知らないみたいだった。


それでも。


それでも私は、放っておくことができなかった。


あの子がここに「いていい」のだと、

誰かが伝えなければならない気がしたから。

その後も、私は諦めなかった。


「散歩しよう」

「川に行こう」

「花を見に行こう」

「クッキー、焼いたの。一緒に食べない?」


思いつくままに声をかけ続けた。


あまりのしつこさに、ついにトワは観念したように小さく息を吐く。


「……わかりましたから」


呆れと諦めが混じったその声に、私は思わず笑ってしまった。


それから私は、次々と周囲を巻き込んでいった。


レオには一緒にお弁当を作ってもらい、庭で並んで食べた。

ルイにはトワのためにオーダメイドの服を仕立ててもらい、

ユウリには基礎学問や礼儀作法を教えてもらった。

アリスにはトワの身の回りのお世話も手伝ってもらった。

セナには剣の持ち方を――まだ子ども用の木剣で――教えてもらい、

その少し離れた場所では、テオが気まぐれのように、その様子を眺めていた。


私は、皆を巻き込みながら、

トワを少しずつ“外の世界”へ連れ出していった。


最初は無表情で、必要最低限の言葉しか発さなかった彼も、

次第に逃げなくなり、

黙ったままでも、私の隣を歩くようになった。


それだけで――

十分すぎる変化だった。



穏やかな日々が続く中で、事件は起きた。


トワが、他の貴族の子どものブローチを盗んだ――

そんな疑いをかけられたのだ。


ざわつく声の中で、私はすぐに気づいた。


トワの少し後ろで、

口元を歪め、ほくそ笑んでいる子どもがいる。


――ああ、そういうことか。


年齢のわりに落ち着きすぎている態度。

大人びた物言い。

感情を表に出さないその様子が、気に入らなかったのだろう。


ただの嫉妬と、幼い悪意。


けれど、当のトワは――


疑いの視線を向けられても、声を荒げることもなく、

弁解すらせず、ただ静かに立っていた。


怯えも、怒りも、悔しさもない。


まるで、自分に向けられた非難が

最初から“関係のない出来事”であるかのように。


その姿を見て、胸の奥がひどく痛んだ。


傷ついていないのではない。

――傷つくという感情そのものを、まだ知らないのだと。


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