一緒に歩く人3
テオはどこだろう。
今日は午後からの勤務のはずだから、午前中はきっといる。
もしかして、木の上かな。
そう思った瞬間、目の前を颯爽と降りてきた人影に驚き、思わず足元が揺らぐ。
その刹那、テオがさっと腕を伸ばして私の手を掴んだ。
「ごめん、お嬢さま」
近い。
顔を上げると、すぐそこにテオの笑顔があった。
「大丈夫。相変わらず身軽ね」
「お嬢さまの姿が見えて……嬉しくて」
へにゃり、と力の抜けた笑い方。
その声も、表情も、胸の奥をくすぐる。
テオと2人きりで話したあの日から、彼との距離は確実に変わった。
気づけば、以前よりずっと近い。
テオの腕がそっと伸びてくる。
逃がさないみたいに、やさしく。
指先が私の髪に触れ、そのまま耳元へ。
光を受けて揺れるタンザナイトを、じっと見つめる。
「これ……いいね。
お嬢さまに、すごく似合ってる」
低い声が近くて、思わず息が止まる。
胸がきゅっと鳴った。
「うん……セナがくれたの」
そう告げると、テオは一瞬だけ目を伏せて、それから柔らかく微笑んだ。
「そうか」
触れていた指は離れない。
むしろ、ほんの少しだけ近づいてくる。
「でもさ……」
耳元で、囁くように。
「お嬢さまが、綺麗なのは…
宝石のせいだけじゃないよ」
その声は低く、柔らかく、耳元で溶けるみたいで独占欲を滲ませる。
胸の奥が熱くなって、思わず視線を逸らそうとする。
けれど、テオの指がそっと顎に触れて、それを許さない。
「……逃げないで」
囁きはお願いみたいで、ずるい。
近すぎて、互いの呼吸が重なる。
テオの視線は真っ直ぐで、でもどこか不安そうだった。
「お嬢さま」
名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。
「俺、立場とか……分かってるつもり」
指先が、ゆっくりと私の髪をなぞる。
絡め取るように、名残惜しそうに。
「でも、朝こうして会えて、
笑ってくれて、
俺だけを見てくれる時間があると……」
声が、少しだけ震んだ。
「それだけで、
ずっとそばにいたくなる」
額が、こつん、と触れる。
キスよりも近くて、でも触れない距離。
「午後になったら、
俺はまた“騎士のテオ”に戻る」
小さく笑うけれど、目は真剣で。
「だから……今だけ」
親指が、私の耳元のタンザナイトに触れ、
そのまま頬をなぞる。
「お嬢さまの時間、
少しだけ……俺にちょうだい」
答えを待つように、テオは動かない。
唇は、触れそうで触れないまま。
甘い沈黙が、2人の間に落ちた。
テオの言葉に胸が締めつけられた、そのとき。
ふと、耳元で揺れるタンザナイトが光を返す。
――セナ。
脳裏に、彼の声や笑顔がよぎる。
その一瞬の迷いを、テオは見逃さなかった。
触れていた指が、ほんのわずかに止まる。
「……今、セナ副団長のこと考えた?」
責める響きはない。
ただ、静かで、優しい問い。
答えられずにいると、テオは小さく息を吐いた。
「そっか」
それでも、離れない。
むしろ、そっと額を私の額に預ける。
「いいよ」
微笑みは穏やかなのに、胸の奥を締めつける。
「お嬢さまが誰かを大切に思ってるの、
ちゃんと分かってる」
指先が、タンザナイトをなぞる。
「それが俺じゃなくても」
その言葉に、胸が痛んだ。
「……でもね」
テオの声が、少しだけ低くなる。
「考えちゃうんだ。
この宝石を見て、
誰のことを思い浮かべてるのかとか」
苦笑まじりに、でも視線は逸らさない。
「今この瞬間、
お嬢さまの心にいるのは……誰なんだろう、って」
テオの親指が、私の手の甲をそっと撫でる。
「ただ……」
囁く声は、切なくて甘い。
「俺のことも、
少しは揺らしてくれてるなら……
それで、十分だから」
タンザナイトが、2人の間で静かに揺れた。
「テオ……」
その名前を呼んだだけで、胸の奥に溜めていたものが溢れそうになる。
「私は……」
「言わなくていいよ」
やさしく遮る声。
それなのに、強い。
「だから、お嬢さまの行くところに俺も連れてって。
一緒に、背負わせて」
その言葉に、喉が詰まる。
「……私ね、テオが大切だよ。
テオには、陽の光が当たる穏やかな場所で、笑ってほしいって言ったでしょ?
それは、嘘じゃないよ」
震える声で続ける。
「でも……私、ずるいの。
これからテオを連れて行こうとしてる場所は、その逆。
暗くて……どうしようもない道かもしれない」
胸に手を当てる。
自分の鼓動が、こんなにも不安定だなんて。
「…テオが、私を想ってくれてるのを分かってて、
それに……漬け込もうとしてる」
言い切った瞬間、視界が滲んだ。
「お嬢さま」
テオの声は、静かで、揺れていなかった。
「俺ね。
お嬢さまがいない陽の光を歩いたって、
それは俺にとって……地獄と同じ」
そっと、両手を取られる。
「だったら、暗くてどうしようもない場所でもいい。
お嬢さまが、そこにいてくれるなら」
真っ直ぐな瞳。
迷いのない、覚悟の色。
「それは俺にとって、幸せなことだよ」
そのまま、目を逸らさずに続ける。
「だから――」
ぎゅっと、手に力がこもる。
「俺も一緒にいく。
お嬢さまと一緒に、陽の光が当たる穏やかで明るい未来を歩くために」
朝の光の中で、
テオが柔らかく微笑んだ。




