孤独な黒狼2
「……だけど俺は、ここから出たってどう生きていけばいいかわからない」
鉄の冷たさが、服越しに伝わってくる。
鎖の音。血の匂い。
ここまで来た以上、助かるとは思っていなかった。
本当は――
生きたいのかもしれない。
そんなこと、考える資格もないはずなのに。
「それは大丈夫!」
唐突に、場違いなほど明るい声が響いた。
「私があなたに衣食住を提供するわ!
ただし、タダでとは言わない」
……は?
「あなた、私の騎士になりなさい」
「は?」
間抜けな声が、勝手に口から出た。
「はぁあああ!?」
今度は、俺じゃない。
俺を押さえつけている、銀髪の男――騎士だろう――の声だ。
うるさい。
こっちは状況が飲み込めてないんだ。
「お嬢様、さすがにダメですよ」
銀髪の男が、露骨に頭を抱える。
「なんでよ。
野盗グループを捕まえるのに、だいぶ貢献したじゃない」
彼女は胸を張って言った。
「お父様にうまく言えば、これくらいどうにかできるでしょ」
「いや、まあ……そうですけど……」
銀髪の男の声が弱くなる。
ああ、なるほど。
この人、完全にこの主人に振り回されてるな。
「ですかお嬢様、彼は人殺しです。
それを騎士にするのは、さすがに難しい」
……正論だ。
俺は、人を殺してきた。
選択肢なんてなかった、なんて言い訳でしかない。
今さら、まともに生きられるわけがない。
「ええ、そうね」
彼女は、あっさりとうなずいた。
一瞬、胸の奥が冷える。
「でも、彼が殺していたのって――悪党よ」
……は?
「ざっと調べたけど、
指名手配犯で、しかも死刑確定してる者ばかりだった」
淡々と、事実を並べる。
「確かに、彼は人殺し。
それは変わらない」
視線が、まっすぐ俺に向く。
逃げ場のない、澄んだ目。
「でもね」
声が、少しだけ柔らかくなった。
「生きるために、その術しか知らなかった。
それって、罪だけで切り捨てられる話かしら」
……やめろ。
そんなふうに、見ないでくれ。
「彼は子供よ。まだ」
その一言で、胸の奥が軋んだ。
「まだ、やり直せるはず」
俺は、思わず目を伏せた。
「私が、新しい生き方を教えてあげる」
その言葉は、
命令でも、同情でもなかった。
まるで――
当然のことを言うみたいに。
沈黙が落ちる。
銀髪の男が、深いため息をついた。
「……本気、なんですね」
「ええ」
即答。
「お嬢様」
男は、俺を一度見てから、彼女を見る。
「後悔しますよ」
「しないわ」
迷いは、どこにもなかった。
その瞬間、俺は理解した。
この人は――
俺を“救おう”としてるんじゃない。
「生きろ」と、
選択肢を、突きつけてきている。
怖かった。
同時に――
生きたい、と思ってしまった。
目の前の彼女も、子供だと思う。
年も、背丈も、世間知らずなところも。
……なのに。
どうしてだろう。
俺より、ずっと大人に見えた。
(俺は……やり直せるのか?)
喉の奥で引っかかっていた言葉が、
気づけば、ぽつりと零れていた。
「……俺、真っ当に生きれるかな」
自分でも驚くほど、弱い声だった。
彼女は少しだけ考えるように首を傾げてから、
はっきりと言った。
「それは、あなた次第だけど」
一瞬、胸が冷える。
でも、すぐに続く。
「あなたが、私の騎士になってくれるのなら――」
彼女は一歩近づき、
まるで当たり前の未来を語るみたいに言った。
「私は、あなたが生きてて良かったって思えるように、
楽しいことも、嬉しいことも、
いろんなことを教えてあげる!」
眩しいほど、まっすぐな声。
「だから――一緒に生きましょう」
……なんだ、それ。
そんな言葉、
今まで一度も向けられたことがない。
打算も、疑いも、恐れもない。
ただ、善意だけで形作られた笑顔。
俺は、思わず手を伸ばしかけた。
――この人の手を取っても、いいのか?
その瞬間。
【お前みたいな汚ねぇドブネズミが、
他で生きられるわけないだろ】
頭の奥で、低く嗤う声が蘇る。
【だから俺の言うことを聞いてればいいんだ】
……そうだ。
俺は、そうやって生きてきた。
従って、汚れて、血に染まって。
今さら、
「やり直し」なんて――
手を、引っ込めようとした。
その時。
ぐいっ、と。
迷いを許さない力で、
彼女の手が、俺の手を掴んだ。
細いのに、驚くほど力強い。
綺麗で、温かい手。
逃げる隙なんて、与えない。
「私は――」
彼女は、にっこり笑って言った。
「ティアナ・ラピスラズリよ」
その瞳が、まっすぐ俺を映す。




