蝶の会潜入3
「あの金額で落札した人物……只者ではなさそうですね」
セナが、2階席にいた人物を見つめる。
すでにカーテンは閉められ、落札者の姿は見えなくなっていた。
本当なら正体を探りたいところだが、深追いは危険だ。
今夜はひとまず様子見とした方がいいだろう。
それに――裏では、きっとユウリが調べているはずだ。
「そうね……ちょっと化粧室に行ってくるわ」
「わかりました。すぐ近くにおりますので」
私は足早に化粧室へ滑り込む。
誰もいないことを確かめ、仮面を外した。
「うぇっ……はぁ……」
個室に入り、吐き気をこらえる。
胃液しか出てこないのに、喉が焼けるように痛んだ。
さすが貴族用オークション会場だけあって、
化粧室まで豪奢な造りだ。
個室内には水道も備え付けられており、
そこで口元を洗う。
――黒いダイヤ。
――よみがえる、断片的な記憶。
誰かが言い争っている。
男と、女の人。
「暴走」
「魔女の雫」
……違う。
これは、誰かの話じゃない。
私の、記憶?
わからない。
でも記憶の中の女性の名前を男が叫んでいた…
アイリスと。
鏡に映る私は、真っ青な顔をしていた。
あの女性はだれ?
でも…私は知っている。
「……だめ」
ここで考えても、答えは出ない。
今は、この《蝶の会》について調べることが先だ。
そう心に決め、仮面を付け直す。
化粧室を出ると、会場のざわめきは次第に落ち着きを取り戻していた。
その中で――ふと、視線を引き寄せられる人物がいた。
……嘘でしょう。
仮面をつけていても、わかる。
あれは――父だ。
私は息を潜め、距離を保ったまま父の後を追う。
セナに声をかける余裕はなかった。
さらに驚いたのは、父が先ほどワインを落札した人物と
会話を始めたことだった。
落札者は、ゆっくりとボトルを抱えたまま父の前に立つ。
視線が、一瞬だけ交わる。
言葉はなくとも、
2人の間には計算された緊張が漂っていた。
やがて父が、低い声で口を開く。
「……やはり、君が手に入れることになったか」
「ええ。ですが、これは始まりにすぎません」
父の目が細められる。
「なるほど……君の目的は、やはりそこか」
会話は暗号のようで、私には全容が掴めない。
けれど、雰囲気だけで伝わってくる。
――この2人の間には、
ただの取引ではない“秘密の計画”がある。
「分かっている。君となら、この計画を完遂できるはずだ」
その瞬間、私ははっきりと理解した。
――父は、何かを企んでいる。
――落札者と共に、
何か大きなものを動かそうとしている。
それが善のためなのか。
それとも――闇へと続く計画なのか。
今の私には、まだ分からなかった。
見つからないうちにセナと合流しょう。
そう思ったところで誰かとぶつかった。
「申し訳ありません」と口にし顔をあげる。目の前には仮面にスーツ姿の男がいた。
「大丈夫? ねえ、君、一人で来たの?」
一瞬、心臓が跳ねる。
「いえ、連れがおりますので…」
そう言って回避しょうとしたが
「そう言わずにさ。さっきの魔女の雫気にならない?」
その言葉にビクッと反応してしまう。
黙って足を止めると男は話を続ける。
「俺 あの魔女の秘薬持ってるんだよ。せっかくだからこの後抜け出して試飲しないかい?」
胡散臭い誘い文句。
だが少し話に乗るふりをする。
「魔女の秘薬は…先程別の方が落札しましたよね?そんな何本もあるのですか?」
「そうだな…あるところにはあるね」
含みのある言い方だな。
「先ほど、オークションの方がおっしゃっていましたが……寿命が延びるとか。そんな、途方もないものなのでしょうか」
探るように問いかけると、男は薄く笑った。
「さあね。それも含めて、俺と楽しい夜を過ごして確かめてみる?」
——だめだ。時間の無駄だ。
そう判断し、断りの言葉を口にしかけた、その時。
「おや、レディ。ここにいたのか」
低く、よく通る声が割って入った。
「困るな。彼女には先約がある。……私だ」
そこに立っていたのは、先ほどのオークションで落札した人物。
父と話していた、あの謎の男だ。
艶のある黒髪。金と黒を基調とした仮面。仕立ての良いダークブラウンのスーツ。
一目で、ただ者ではないとわかる佇まいだった。
「な、なんだ君は……」
「それはこちらの台詞かな。
根拠もないことをいってレディを惑わすのは感心しない」
仮面越しでも伝わる圧に、男は言葉を失い、逃げるように立ち去った。
「……ありがとうございます」
「いえ。この手の会には、隙を狙う輩も多い。どうかお気をつけて」
せっかく得た接触の機会だ。
少しでも「蝶の会」と「魔女の雫」について探りたい。
だが、警戒されては元も子もない。
慎重に、しかし無知を装いすぎないよう言葉を選ぶ。
「助かりました。まだ不慣れなもので……
貴方は、この会にお詳しいのですね」
「まあ、それなりに」
素っ気ないが、拒絶ではない。
「よろしければ、少しご教授いただけませんか?」
一歩、踏み込みすぎただろうか。
それでも——この機会を逃すわけにはいかない。
仮面の男は、すぐには答えなかった。
ワイングラスを傾け、赤い液体の揺れを見つめている。
「ご教授ね…」
やがて、くつりと小さく笑う。
「だが、知識というものは一方的に与えるものじゃない。
——君は、僕に何をくれる?」
探る視線。
こちらの意図を測るような沈黙、対価を出さなければ何も得られないということか。
それもそうだ。
タダで手に入れるものなんてない。
私は手袋を外し、指輪をとる。
「……こちらを」
仮面の奥の視線が、鋭くこちらを射抜く。
持っていたワイングラスをウェイターに預け指輪を受け取る。
「これは?」
「貴重な指輪です。金額にすれば相当な物になります。
何よりこの細工と輝きは唯一無二のもの。
他と同じものは一つもありません。
なぜならこの指輪はもう亡くなった有名な方の作品です」
そう私が渡した指輪には、大きなピンクサファイアと細かで精巧な作りをしたもの。
指輪をまじまじと見つめる仮面の男。
「……なるほど。確かに、本物のようだ」
仮面の男は指輪を光にかざし、静かに言った。
「だが、理解しているかな。
これほど貴重なものを差し出しても——
君が望む情報を得られるとは、限らない」
試すような声。
最後の確認のようでもあった。
「それでも構いません」
私は視線を逸らさずに答える。
「得られなかったのなら……
それは、私が“貴方を見る目を持っていなかった”というだけのことですから」
一瞬の沈黙。
そして——
「……クッ」
仮面の男が、堪えきれないように短く笑った。
「随分な言い草だな。
だが、嫌いじゃない」
指輪を懐へしまい、決然と言う。
「いいだろう。
これは確かに、受け取った」
彼は踵を返し、こちらを振り返る。
「部屋で話そう、ついてきて」
その言葉を、聞き覚悟を決める。
もう戻れない…
階段を上がる途中で私を探すセナを見つけ目が合う。
セナにわかるよう自分の髪を耳にかけ左の耳飾りを触る。
ー待機指示ーを出す。
逆に反対側を触れば支援要請ということにしてある。
セナはかすかに頷く。
それを確認し、私は目の前の仮面の男について行く。




