救世主4
孤児院でのボランティア準備を進めながら、仕事も片付け、合間を縫って論文の作成も進める。
机の上には資料が積み上がり、気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。
「んー……」
ぐっと背伸びをした、その時。
コンコン、と控えめなノック音が響く。
「まだ起きていらっしゃったんですね」
扉を開けたユウリは、咎める様子もなく、紅茶と軽食を静かに机に置いた。
「ありがとう。怒られるかと思った」
「お嬢様とは長い付き合いですから」
少しだけ苦笑して続ける。
「もう言うのはやめました。ですから、そばで支えることにしたんです」
「さすがユウリ」
「ですが、明日はボランティアですよ。
そろそろ休まれてはいかがですか?」
「うん。この論文を片付けて、ボランティアの最終確認をしたら休むよ」
「……本当に、頑固ですね」
「ありがとう」
「褒めていませんよ」
「ふふ」
ユウリとは、もう10年の付き合いになる。
私の性格も、無理をする癖も、きっと全部お見通しだ。
限界になるまで何も言わず、ただ支えてくれる――それが彼なりのやり方なのだろう。
「パン屋の旦那さんにも、ボランティアを手伝ってもらっているんですね」
「うん。直接、宝石の件では助けになれなかったけど……
少しでも力になれたらいいなって思って」
ユウリは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「お嬢様は、優しいですね。
……時々、優しすぎて心配になるくらい」
「そう?」
紅茶を一口含み、静かに答える。
「私、別に優しくないと思うけど。打算的な人間だし」
いつも裏で計算して、
どうすれば自分にとって得か、どう動けば後々楽になるか――
そんなことばかり考えている、ずる賢い人間だ。
「それでも」
ユウリは穏やかに言った。
「結果として誰かの未来を残す選択をしているなら、それは優しさだと私は思いますよ」
その言葉に、返事はしなかった。
ただ、カップから立ち上る湯気を見つめながら、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
――さて。
もうひと踏ん張りだ。
論文をまとめ、最終確認を終えたら、今日は休もう。
明日は、みんなで作り上げる大事な一日なのだから
そしてボランティア当日。
準備は滞りなくすませた。
「おはようございます!
朝早くから準備ありがとうございます。第2騎士団も第3騎士団も、今日は力を合わせて、みんなでボランティアを成功させましょう!」
「おおー!」
「頑張りましょう!」
力強い声が返ってくる。
第2騎士団の中には第3騎士団の協力に感謝している者は確かにいる。
だが一方で、まだ見下した態度を隠そうとしない者がいるのも事実だ。
――まあ、最初からうまくいくとは思っていない。
時間をかけて、少しずつだ。
そう心の中で整理し、厨房へ目を向ける。
大きな鍋を囲み、
人参や玉ねぎを刻む小さな手と、
それを見守りながら火加減を調整するレオ。
「はいはい、指切らないようにな」
「わかってるー!」
「レオ兄ちゃん、それ多すぎ!」
「おっと、危ないな」
楽しげな声が、厨房に弾んでいる。
一方、裏手のかまどでは――
パン屋の旦那さんのそばで、子どもたちがパン作りに励んでいた。
粉まみれになりながら、
小さな手で一生懸命、生地をこねる。
何度か練習を重ねてきた成果か、
動きは拙いながらも、ずいぶん手慣れた様子だった。
「ここはこうやって、空気を抜くんだ」
「こう?」
「そうそう、上手だ」
丸めた生地を並べる木の台には、
不格好ながらも、ひとつひとつ違う個性のパンが並んでいく。
その輪の中に――
トワの姿もあった。
小さな前掛けを身につけ、
真剣な表情で生地を両手で押している。
「トワ、そこはもっと力入れていいよ」
「……はい」
パン屋の旦那さんに教えられ、ぎゅっと力を込める。
粉がふわりと舞い、
思わずくしゃみをしそうになって、必死に耐える姿に、
「ははっ、顔まっしろ!」
「雪みたい!」
と笑い声が上がった。
トワは一瞬きょとんとしたあと、
少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「……本当だ」
自分の手のひらを見て、
くすっと小さく笑った。
その表情は、屋敷で見るものよりも、
ずっと年相応で、無邪気だった
テオもまた、子どもたちと一緒に野菜を切っていた。
小さな丸椅子に腰掛け、
膝ほどの高さの作業台で、人参を刻んでいる。
騎士団の中では近寄りがたい印象の彼が、
子どもたちに囲まれている光景は――
どこか不思議で、少しだけ可笑しかった。
「……ずいぶん馴染んでるのね」
思わず、そう呟いてしまう。
「おにぃちゃん、切るの上手!」
隣の男の子が、目を輝かせて声を上げた。
「ほんとだー、はやい!」
無邪気な称賛に、テオは一瞬だけ手を止める。
「ん?」
それから、少し困ったように眉を下げて笑った。
「刃の扱いはねー……慣れ、かな」
軽く、どこか照れたような口調。
近くで見守っていた院長が穏やかに笑いながら近づいてきた。
「ティアナお嬢様、本当にありがとうございます。
必要な設備まで整えていただいて、さらに子どもたちにパンの作り方まで教えてくださるなんて……」
「いいんですよ。こちらも子どもたちが手伝ってくれてとても助かっていますから」
そう答えながら、再び子どもたちを見る。
パンの作り方を覚えた子どもたちは、きっと別の子へも教えるだろう。
知識が受け継がれ、経験が積み重なっていく――それは何よりの財産だ。
今日のボランティアが終わっても、設備は残る。
知識も、経験も残る。




