番外編 幻の魚が恋した味 1
宝石事件の数か月前。
トワと二人、穏やかなティータイムを過ごしていた。
「お嬢さーん!」
「なに、レオ?
このシフォンケーキ、すごくおいしい」
「はい! おいしいです!」
トワも頬張りながら、元気よく頷く。
「ありがとうございます!
中にくるみが入ってるんですよ!」
一瞬間を置いて、はっとしたように身を乗り出す。
「……じゃなくて!
これです!」
「なにそれ?」
トワと2人で、きょとんと首をかしげる。
レオが差し出してきたのは、画用紙に描かれた魚の絵だった。
「これ! 珍しい魚らしいんです!」
「へぇ……」
「エンジェルドラゴン!!」
「……へぇ」
「これ、探しに行きましょ!!」
「えっ!?」
「幻の食材らしくて、
しかもすっごくおいしいらしいんです!」
「ね! 行きましょうよー!!」
レオはそう言って、全身で嬉しさを表すように大きく揺れた。
「その絵、見せて」
「はい、どうぞ!」
レオから受け取り、目を落とす。
――上手だな。
鋭い口元に、長く伸びた髭。
どことなくドラゴンを思わせる、迫力のある魚だった。
それにしたって、
前にユウリが描いた私の似顔絵より、だいぶ上手だ。
ユウリが描いた私の顔は、
鋭い眼光で、まるで悪魔のようだった。
「レオって、絵が上手なのね」
「ありがとうございます!」
ぱっと顔を輝かせ、レオは胸を張る。
「料理って、盛り付けとかケーキとか、
デザイン画を描くじゃないですか!」
「だから、これくらいなら描けますよ!」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らした。
「いいよ。
行こう」
急ぎの仕事もないし、
一日くらいなら問題ないだろう。
「やったー!!!」
レオが両手を上げて跳ねる。
「もちろん、トワ坊ちゃんも行きますよね!」
「う、うん」
少し間を置いて、トワも小さく頷いた。
そして、当日。
「よし! 準備オッケーですね!
行きますよ!」
まだ朝靄の残る時間帯、
トワが小さくあくびを噛み殺す。
「こんなに早く行くの?」
「あたりまえですよ!」
「それに……荷物、多くない!?」
馬車の荷台には、
どっさりとした荷物の山が積み込まれていた。
「釣り道具でしょ、お魚のご飯でしょ、
それから毛布にピクニックシート、
お昼ご飯と着替えと、暇な時用のトランプ!」
「……す、すごい」
「ということで!
俺が運転しますから、トワとお嬢様は並んで座ってください!」
「朝は少し寒いですから、毛布にくるまってくださいね!」
レオ、トワ、私の三人で並んで腰掛け、
レオは慣れた手つきで手綱を操る。
馬車は、軽やかに走り出した。
馬車が走り出したところで、私はレオに声をかけた。
「ねぇ、その……何ドラゴンだっけ?」
「エンジェルドラゴンです!」
「その話、どこ情報なの?」
「農家仲間のジャマルおじさんの話だよー。
なんでも、そのエンジェルドラゴンは体長が10メートルを超えて、
味はまるでお肉みたいにジューシーなんだって!」
「すごくない!?」
……いかにも怪しい噂だ。
「十メートルって……
そんなの、三人で捕まえられる規模じゃないでしょう」
「ほんとですね」
くすっと、トワも笑う。
「でも、そのエンジェルドラゴン、
この本にも載ってますよ」
そう言って、トワは手元の本を開く。
「幻の食材。
見た人は幸せになる、とか。
魚なのに、鳥みたいに羽ばたく、とか」
ちらりと、トワの持っている本を見る。
――『幻の生き物集』。
胡散臭い。
そんなことを思いながら、馬車を一時間ほど走らせ、湖に到着した。
「よし、着きましたよ!
荷物、下ろしますね!」
「ぼくも手伝います」
トワがそう言って、レオと一緒に荷台から荷物を下ろし始める。
私は湖の方へ視線を向けた。
森に囲まれ、朝日を受けて水面がきらきらと揺れている。
そこまで大きな湖ではないが、静かで心地いい場所だ。
「お嬢さんは、ゆっくりしててください!
今からセッティングしますから」
そう言いながら、レオは手際よく日傘や椅子を並べていく。
「じゃじゃーん。
どうぞ!」
促されて、私は椅子に腰を下ろした。
「ありがとう」
「よいしょっと」
レオが釣り竿を取り出し、餌を用意しているのを覗き込む。
……エビ?
「ねぇ。ずいぶん美味しそうなものを餌にするのね」
「そうですよ!
エンジェルドラゴンって、美食家らしいんです」
「舌が肥えてるみたいで、ミミズとか安い餌じゃダメなんですって」
だから――と、胸を張る。
「レオ特製、エビとイカのテリーヌです!」
「……美味しそう」
「味見してみます?」
「いいの?」
「どうぞどうぞ」
一口食べて、思わず目を見開く。
「……美味しい。
これ、本当に餌にするの?」
「もちろんです!」
「なんだか……お金のかかる魚なのね」
私は、曖昧に笑った。
餌を用意して、しばらくすると――
「レオっ! 引っ張ってるよ」
少し興奮した様子で、トワが声を上げる。
「おっ、来たか!」
「よいしょ――っと」
慣れた手つきで釣り竿を引き上げると、魚が跳ねた。
「これは……ただのマスだな。
お昼用にしよっと」
その後も、ちょこちょこと魚は釣れるが、
幻の魚――エンジェルドラゴンとやらは、まったく姿を見せない。
まあ、こんなものだろう。
そもそも、そんな簡単に現れたら「幻」なんて呼ばれない。
……それに。
静かな湖畔で、のんびりと過ごす休日も悪くない。




