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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響


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101/222

ナタリー1

「レイは小言が多い」


足を組み、ため息をつく殿下。

その姿に、少しだけ肩の力が抜ける。


紅茶を飲み終え、レオとトワ、ルイとは別れて、私たちは馬車の前に立つ。

さすが王国の馬車――光沢のある車体と上品な装飾が目を引く。


「護衛騎士のオーウェンです。よろしくお願いします」


団長の肩書を持つオーウェン。

王国騎士団でも指折りの実力者だと聞いている。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


殿下と同じ馬車に乗り込む。

ユウリとオーウェン団長は別の馬車で、後方からついてくるようだ。

数名の騎士が馬にまたがり、周囲を固めている。


――まさか、2人きりで馬車に乗ることになるとは。

心臓が少しだけ早くなる。


「まずは、君の世話係をしてくれていた方の施設へ行くのでいいかい?」


「ええ、ありがとうございます」


「確か、ナタリーさんだったよね?」


「よくご存知ですね」


まさか殿下が知っているとは思わなかった。


「うん、私も見かけたことがあったからね。

もう80歳近いのかな」


穏やかな声の中に、ほんの少しの懐かしさと尊敬が混ざる。

――この距離で話す殿下は、豪華さよりも、意外と親しみやすさを感じさせる。


馬車は静かに動き出す。

窓の外に雨上がりの湖畔が広がり、少し湿った空気が頬をかすめる。



「はい、そうです。聞きたいことがありまして……ただ、物忘れがひどいようなのでちゃんと話せるかはわかりませんが」


「ナタリーさんが?」


殿下が少し怪訝そうに眉を寄せる。

――どうしたのだろう。


「そういえば、ティアナ嬢はお見合いしていると聞いたんだが、本当かい?」


急に目つきが鋭くなる。

その切り替わりに、心の中で少しびくっとする。


「ええ、一応。形だけ」


「紅輝オパール公爵家の次男、リチャードとの婚約が濃厚と耳にしたのだけれど、本当かい?」


――おいおい、どこからそんな情報を。

まさか噂話だけでなく、情報網でもあるのだろうか。


「ただ、二度ほど会っただけです。お断りしております」


……だが、このリチャード様はしつこい。

やんわり断っても、何度も誘いをかけてくるタイプだ。


「そうか。君のタイプではないのかい?」


「え、いやぁ……何と言いますか。

私のことを褒めているようで、実際にはこちらを見ていないというか。

手紙の内容も全て嘘っぽく感じてしまいまして」


小さなため息を吐く。


「私というより、ラピスラズリ伯爵家の地位や財産目当てなのではと、つい勘ぐってしまうんです」


こんなことを言えば、とても失礼にあたるかもしれない。

でも、ディラン殿下なら――

言いつけたりはしないだろうと、直感で思った。


殿下はじっと私の瞳を見つめる。

その視線の奥にあるのは、軽蔑でも驚きでもなく、ただ純粋な観察眼だけだった。


「その言葉を聞けて安心したよ」


何故か、殿下は機嫌が良さそうだ。

柔らかな微笑みが、馬車の中の空気を少し温める。


「そういう殿下は、お相手はいらっしゃらないのですか?」


第一王子。婚約者候補は何人もいると聞いている。

容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群――非の打ち所がない。

少々、性格に難があるかもしれないが。


「おや、気になるかい?」


色っぽく小首を傾げる。

その仕草に思わず視線が吸い寄せられる。


「いえ、全く」


「はは、釣れないなー」


目の前の殿下は、何を考えているのかまったく読めない。

穏やかに笑っているその奥で、きっと先の先まで見越しているのだろう。


殿下の結婚相手は、きっと国の繁栄や利益が最優先となる。

自分の気持ちを優先することは、難しいだろう。


それは――私にとっても同じことだ。


それでも。


もし将来を共にするのなら、

お互いに信頼できる相手であってほしい。



「殿下は…」


言いかけたところで、馬車がゆっくり停まる。


「ついたみたいだね。何か言ったかい?」


「いえ、行きましょう」


馬車を降りると、殿下がさっと手を差し伸べ、自然にエスコートしてくれる。

手の温もりが伝わり、少し胸がざわついた。

雨上がりの空気が、しっとりと落ち着いた香りを運ぶ。



マーガレット老後施設。ナタリーが入所している場所だ。

ここに来るのは、随分久しぶりだった。

あんなにお世話になったのに、数回しか訪ねられていない自分を、少し情けなく思う。


施設の人にユウリが話をつけると、すぐに通してもらえた。


「こちらにどうぞ。ナタリーさん、だいぶ物忘れがひどいので、あまりわからないと思いますが」


「ええ、そうみたいですね」


ユウリ、殿下、レイさんも、静かに後ろからついてきてくれる。少し離れた所で周りを警戒するオーウェン団長。


「あちらです」


窓の外を静かに見つめる老婆。

随分と年老いてしまったのだな、と心の奥で感じる。


「ナタリーさん、お久しぶりです」


私を見て、ほんの一瞬、驚いたような表情をした気がした。


「おやぁ。だれだい?この可愛いお嬢さんは。

私にこんな娘はいたかなぁ」


「昔お世話になったティアナです」


目線を合わせ、ナタリーさんをじっと見つめる。



「そうかい、綺麗な子だねぇ。

頑張ってきた手をしてるね」


ナタリーさんが、私の手を取る。

剣術や馬術に励んできた手のひらの皮膚は硬く、他の令嬢の手とは違う。

それを、こうして褒めてくれる。


胸の奥が、じんわり熱くなる。

――泣きそうになる。


長い間、忘れられずにいた温もりが、今ここにある。

ナタリーさんの手の温かさと、穏やかな声に包まれ、心がふっと軽くなる。



「うん。頑張ったよ。ナタリーさんに立派になったところを見せたくて。

でも、中々会いに来られなくてごめんね」


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