ナタリー1
「レイは小言が多い」
足を組み、ため息をつく殿下。
その姿に、少しだけ肩の力が抜ける。
紅茶を飲み終え、レオとトワ、ルイとは別れて、私たちは馬車の前に立つ。
さすが王国の馬車――光沢のある車体と上品な装飾が目を引く。
「護衛騎士のオーウェンです。よろしくお願いします」
団長の肩書を持つオーウェン。
王国騎士団でも指折りの実力者だと聞いている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
殿下と同じ馬車に乗り込む。
ユウリとオーウェン団長は別の馬車で、後方からついてくるようだ。
数名の騎士が馬にまたがり、周囲を固めている。
――まさか、2人きりで馬車に乗ることになるとは。
心臓が少しだけ早くなる。
「まずは、君の世話係をしてくれていた方の施設へ行くのでいいかい?」
「ええ、ありがとうございます」
「確か、ナタリーさんだったよね?」
「よくご存知ですね」
まさか殿下が知っているとは思わなかった。
「うん、私も見かけたことがあったからね。
もう80歳近いのかな」
穏やかな声の中に、ほんの少しの懐かしさと尊敬が混ざる。
――この距離で話す殿下は、豪華さよりも、意外と親しみやすさを感じさせる。
馬車は静かに動き出す。
窓の外に雨上がりの湖畔が広がり、少し湿った空気が頬をかすめる。
「はい、そうです。聞きたいことがありまして……ただ、物忘れがひどいようなのでちゃんと話せるかはわかりませんが」
「ナタリーさんが?」
殿下が少し怪訝そうに眉を寄せる。
――どうしたのだろう。
「そういえば、ティアナ嬢はお見合いしていると聞いたんだが、本当かい?」
急に目つきが鋭くなる。
その切り替わりに、心の中で少しびくっとする。
「ええ、一応。形だけ」
「紅輝オパール公爵家の次男、リチャードとの婚約が濃厚と耳にしたのだけれど、本当かい?」
――おいおい、どこからそんな情報を。
まさか噂話だけでなく、情報網でもあるのだろうか。
「ただ、二度ほど会っただけです。お断りしております」
……だが、このリチャード様はしつこい。
やんわり断っても、何度も誘いをかけてくるタイプだ。
「そうか。君のタイプではないのかい?」
「え、いやぁ……何と言いますか。
私のことを褒めているようで、実際にはこちらを見ていないというか。
手紙の内容も全て嘘っぽく感じてしまいまして」
小さなため息を吐く。
「私というより、ラピスラズリ伯爵家の地位や財産目当てなのではと、つい勘ぐってしまうんです」
こんなことを言えば、とても失礼にあたるかもしれない。
でも、ディラン殿下なら――
言いつけたりはしないだろうと、直感で思った。
殿下はじっと私の瞳を見つめる。
その視線の奥にあるのは、軽蔑でも驚きでもなく、ただ純粋な観察眼だけだった。
「その言葉を聞けて安心したよ」
何故か、殿下は機嫌が良さそうだ。
柔らかな微笑みが、馬車の中の空気を少し温める。
「そういう殿下は、お相手はいらっしゃらないのですか?」
第一王子。婚約者候補は何人もいると聞いている。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群――非の打ち所がない。
少々、性格に難があるかもしれないが。
「おや、気になるかい?」
色っぽく小首を傾げる。
その仕草に思わず視線が吸い寄せられる。
「いえ、全く」
「はは、釣れないなー」
目の前の殿下は、何を考えているのかまったく読めない。
穏やかに笑っているその奥で、きっと先の先まで見越しているのだろう。
殿下の結婚相手は、きっと国の繁栄や利益が最優先となる。
自分の気持ちを優先することは、難しいだろう。
それは――私にとっても同じことだ。
それでも。
もし将来を共にするのなら、
お互いに信頼できる相手であってほしい。
「殿下は…」
言いかけたところで、馬車がゆっくり停まる。
「ついたみたいだね。何か言ったかい?」
「いえ、行きましょう」
馬車を降りると、殿下がさっと手を差し伸べ、自然にエスコートしてくれる。
手の温もりが伝わり、少し胸がざわついた。
雨上がりの空気が、しっとりと落ち着いた香りを運ぶ。
マーガレット老後施設。ナタリーが入所している場所だ。
ここに来るのは、随分久しぶりだった。
あんなにお世話になったのに、数回しか訪ねられていない自分を、少し情けなく思う。
施設の人にユウリが話をつけると、すぐに通してもらえた。
「こちらにどうぞ。ナタリーさん、だいぶ物忘れがひどいので、あまりわからないと思いますが」
「ええ、そうみたいですね」
ユウリ、殿下、レイさんも、静かに後ろからついてきてくれる。少し離れた所で周りを警戒するオーウェン団長。
「あちらです」
窓の外を静かに見つめる老婆。
随分と年老いてしまったのだな、と心の奥で感じる。
「ナタリーさん、お久しぶりです」
私を見て、ほんの一瞬、驚いたような表情をした気がした。
「おやぁ。だれだい?この可愛いお嬢さんは。
私にこんな娘はいたかなぁ」
「昔お世話になったティアナです」
目線を合わせ、ナタリーさんをじっと見つめる。
「そうかい、綺麗な子だねぇ。
頑張ってきた手をしてるね」
ナタリーさんが、私の手を取る。
剣術や馬術に励んできた手のひらの皮膚は硬く、他の令嬢の手とは違う。
それを、こうして褒めてくれる。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
――泣きそうになる。
長い間、忘れられずにいた温もりが、今ここにある。
ナタリーさんの手の温かさと、穏やかな声に包まれ、心がふっと軽くなる。
「うん。頑張ったよ。ナタリーさんに立派になったところを見せたくて。
でも、中々会いに来られなくてごめんね」




