9 邪神様は後を任せたようです
まだ続きます。不定期ですがその都度書いていきますよろしくお願いします。
男の身体が傾ぐ。数秒も立たぬうちに彼の身体から砂煙があがった。
レヴィアは、冷徹なまなざしで横にいる男の死骸を見た。
「即死か。」
こめかみから頭蓋を貫通したらしく、頭の周りの砂が赤く染まっている。双貌が見開かれていた。
「懐に隠し持った短剣を抜こうとした瞬間、撃たれたのがそんなにも驚きだったのかなぁ。敵意が漏れていて、誰でもわかりそうなものだけど。」
影がすっと風を切った。
レヴィアは振り向くこともなく、体操の体型に開くように両手を上げて一歩前に出る。
「甘いよ。」
そして、彼女の足跡の上には撃ち抜かれた黒服の身体が残った。
「明るいからわかりやすいんだよね。」
話している最中、六角形の天幕の上から様子を伺っていたらしい男もいつのまにか姿を消している。
「うーん、逃げたか。本物さんは、どうしてるのかな。」
サイトウとは違う気配だった。そして薬の匂いがしなかったことも大きく、すぐに偽物だと見抜けたのだが、衣服を強引に剥がしてもどこの差し金か分かる持ち物はない。
「徹底してんのな。」
レヴィアは、黒服たちの身体に手を当てた。優れた魔法使いの彼女は残留思念が有れば精神魔法で直前の司令などを読み解ける。しかし、今回は無駄足に終わったようだった。
「だめだ。脳内にまで術式組み込むとか、やること悪神レベルだよこれ。」
ふと思い返して後ろの天幕に目を向ける。
物音で異変に気がついて警戒しているだろう。ゆっくりとレヴィアは近づいた。
天幕の垂に手をかけて覗き込むと、ダルシムがレジーナの口元を押さえている。
「大丈夫そうだな。」
「ああ、こいつが叫ぶから俺が抑えた。」
「どうも、この内部に何かあるらしいことはわかった。だけどそれ以上はまだ。警戒していなよ。」
レヴィアが姿を消し、ダルシムは横でかがみ込んでいるレジーナの様子を見た。
「ダルさん。どうして......」
口元で人差し指を立てる。レジーナはそれ以上話さなかった。何かが起こっていることは間違いないが、レジーナを置いて出ていくわけにはいかない。結局あの小娘頼りになるのは癪だが、なんとかこの場を乗り切ることを優先するべきだろう。
垂らしの合間から外を見やる。
月の光で外の様子は藍色に潰されて不明瞭だった。風が少々吹いて砂埃が舞っていること以外には、特段変わった様子もない。あるのは刺客らしき風体の死体くらいだ。
ゆっくり音を立てぬようにダルシムは戻る。床に広げられた敷物の上で少女は肩を震わせている。ダルシムは、その肩に手を置いて彼女をなだめた。
「大丈夫だ。」
右に倒れていた死体がぬるりと不気味に起き上がった。どうやら、レヴィアが急所を外したらしい。中途半端な仕事をしたものだ。押し付けられるのは不快だが仕方ないと彼は思った。
「しゃあねえ。やってやろうじゃねえか。」
ダルシムは床に置いた鉈を取り、一瞬で閃いた抜き身の短剣を抑え込んだ。
「ふんっ。」
高い剣戟が響く。
相手は刺客であるだけに屈強である。武器を持つ手の力は強く、こちらの持ち手が震えるほどだ。その力の方向を逸らす。
するとすぐに左から拳が飛んできた。
カウンター気味に入り、不覚のダルシムはよろける。そこに刺客は上から刺すように短剣を振り下ろす。
「舐めるなっ!」
ダルシムは一般人だが、膂力はそこいらの兵士よりも強い。賊に襲われることの危険から、普段から重い剣を振っていた。ゆえに、魔獣を前にしても、斬り倒してしまうほどの力はあった。
彼は全力で横に切り払った。非常に高い風切り音がし、天幕の端を揺らした。
切り払いを避けて元死体は天幕の外に飛び退き、垂らしを絡めとってダルシムに投げる。
垂らしが空中で広がり、視界が制限される。
逆光の影響で、相手の様子が見難いのも相まって、瞬時に抜かれた凶刃を受け流すのは困難であると思われた。
一瞬、月光に照らされて刃が光った。
逆手にもった刃の、下方からの一撃。
しかし。
ダルシムの刃は、それが到達する前に刺客の身体を両断していた。彼は身体を捻って身を躱し、その斬道を逆から切り裂いた。
悲鳴を上げることなく、刺客は崩れ落ちた。
天幕内に急に血の匂いが立ち込もった。生暖かい蒸気が吐き気を催しそうだ。ダルシムは背後に目をやった。
レジーナは蹲り、口に手を当てている。
「大丈夫か。」
「もう平気。ちょっと驚いただけです。」
泣きそうな顔をしながら、唸るレジーナ。彼女の肩を抱き起こし、ダルシムは前へ促した。
「目、つぶってな。」
砂の上を引きずるように歩く。死体の生温い刺激臭が、彼女を怯えさせた。その度、ダルシムは周囲を確認して、レジーナの背中を優しく叩く。
しばらく歩いて、兵士がいるであろう天幕の中に入った。
「おい、誰かいるか。」
寝息すらしない。周囲を手探りで見ると、携帯燭台があった。黄土色した豚脂製蝋燭は縮みきっていたが、辛うじて火はつけられそうだった。黒く焦げた先端に手持ちの火打石で火をつけてみる。
照らし出したのは空洞のみ。あるのは鎧の残骸と、黒い石。鎧の周りに散らばっている。
「何でしょう、これは......?」
「うかつに触るなよ......って言ってる側から。」
レジーナがそれを手に取ると、掌の上で砂のように形を失った。
「なくなりましたね。」
この天幕の中は焦げた匂いが充満している。
どうやら既に壊滅した後だと思われる。ここの黒い石が死体であるなら、行き場を残した魂を喰らうのは魔獣だ。この場に残ることは危険だと判断してダルシムは声をかけた。
「レジーナ、逃げるぞ。」
魔獣が襲って来る前に安全な場所を確保しておかなければならない。
「待ってください。」
レジーナはダルシムの背中を小走りで追う。ダルシムは振り返り、彼女の手を取って早足で歩いた。
レジーナの力も正体がわからない以上、無闇に使うべきではない。しかも軍部にバレたりすれば、これをだしに何を持ちかけられるかわからない。あの団長様は何となく後ろ暗い事情もありそうで、秘密を守れる期待はあるが、他の連中はそうじゃない。
ダルシムの中でいくらかの想像が脳裏をよぎり、そのたびに彼は頭を振った。横から心配そうに少女が顔を曇らせる。それに気づくと彼は、なんでもないと言って微笑を作った。
「ダルシムさん......無理したらダメですよ。」
いや、大丈夫だ、そう言いかけて彼は口をつぐんだ。
周りを見渡せば夜空がはっきり見えないほど明るくなっている。
天幕の反対側、襲撃者が来た方向からだろうか。炎が上がっている。
馬宿の連中はいるはずだが、全く動きを見せない。まさか俺たちは嵌められたのか......?
歩いた先に帯剣していない兵士がいた。
「おい、お前......。」
ダルシムが声をかけようとすると、その兵士は大声を上げて手を交差させる。
「何があった!」
「来るな!」
ダルシムはその声で立ち止まる。
「レジーナ。」
「なんでしょう。」
「見るな。」
彼はレジーナの耳を塞ぎ、手を引いて全速力で走った。ここではレジーナは何も言わなかった。
角から魔獣が飛び出して来て、それを兵士が迎撃する。その後ろからもう一体が現れて加勢すると、兵士を押し倒した。
「俺に構うな、逃げろ!」
「すまない!」
ダルシムはレジーナの手を引き、走った。
息を切らしながら天幕の裏に身体を預け、剣を砂に突き刺した。
「いや、どうもおかしい。あいつと関わってからろくな目に遭っていない。」
「そうですねえ。」
レジーナも同じように、相槌を打った。
誰かが、意図的にレヴィアを狙っているのか、それとも彼女自身が引き寄せているのか。偶然一致しているという線もあるが、3回も続けて起こられては説得力に欠ける。
とにかく、彼女が災厄の種になるのは間違いなさそうだと彼は思った。ゆえに、彼はこのように提案した。
「とりあえずあいつから離れてみようと思う。」
「それは、別れるってことですか?」
「そうだな。ここのところ、レヴィア自体が怪しいと思っている。年齢不詳、出身不詳、正体も全く掴めない。身分は高いとも思えないが、もしそうなら家の問題に巻き込まれるのはごめんだ。最悪、誘拐事件の主犯にされかねない。」
熱が入るダルシムに対して、レジーナは首を振った。
「わたしは反対です。」
「どうして。お前だって死にかけただろうが。」
「まずい状況だというのはわかっています。でも、あの人を狙っていると考えるのはちょっと早計ですよ。」
レジーナは衣服の裾を摘みながらぱたぱたさせて、姿勢を正した。
「そもそも、確証がないです。それに彼女には彼女なりの事情があってここにいるんですよ。しかも困っている人は助けないと。そうじゃなければ、あの王様となんら変わらないでしょう?」
「それはそうだが......。」
ダルシムの顔が曇る。
「いや、今回は見極めるためだ。少し距離を置くべきだろう。」
「ダルさんは、レヴィアさんを信用してないんですか?」
単純な疑問に対して、ダルシムは睨め付けるような目を眉間に光らせた。
「信用してない。」
「そうですか。」
レジーナがため息を吐く。
そうですね。わかってもらえるなんて思ってないです、と彼女は言った。
「むしろ、お前はどうして信じられるんだ?何か考えでもあるのか?」
「勘ですよ。実際、単なる勘です。でも私はあの人は何か大きなことを成してくれそうな気がする。悪い人じゃないはずです。」
「それで命を失うことがあったらどうする。怖い目にあっているじゃないか。」
「そうですね。でも、わたしは人を信じていたい。裏切られることがあったとしても清廉潔白な人間でいたいんですよ。この世の中ではそんな人が少なすぎますから。」
ダルシムの顔の皺が一挙に中心に集まった。
「はあ。それだから俺がついていなきゃ危なっかしくてならんな。」
「じゃあ、同行してもいいんで......?」
「だめだ。お前をみすみす殺させるわけにはいかん。ここは無理にでも街に向かうべきだろう。車の場所は覚えてある。」
「にぇぇー?」
ダルシムがレジーナの手を引いて天幕から出たところで、柊生が数人の兵士を連れて走ってきた。
「お前らも無事か。しぶといな。」
柊生は肩当に矢を受けている時のように肩を押さえ、息を荒らしていた。
「夜襲だ。おそらく夜盗のものかと思われる。みなさんを保護せよとの団長のお達しゆえ、俺の後ろについてきていただこう。」
「安全だという保証はあるのか?レジーナを傷つけることがあったら許さんからな。」
「俺がなんとかする。場数は踏んでいるから昭毅に負けないくらいには腕は立つ。」
「本当だろうな。俺より頼りないってことがあったら馬鹿にしてやるぞ。」
「こういう非常時にこそ俺たち兵士の真価が問われるのだ。期待にはこの命をかけて応えよう。」
レジーナとダルシムを取り囲むように兵士が前後左右につき、菱形に並んだ。先頭には柊生。歩くたび武具がかちゃりかちゃりと音を立てた。
「松明はつけないでください。そうすれば奴らにとって私たちは動く的ですから。」
右手の兵士が丁重な言葉遣いで言った。
「了解した。」
このままついていくしかないようだ。レジーナはダルシムの右腕にくっつくようにして立っていた。
「結局わたしの意図通りになりましたよ。」
「最悪なことにな。」
火の粉が降りかかり、ダルシムが腕を払った。
血の匂いに反応した妖魔が陣中を荒らしているようだ。彼らの息吹が布でできた幕に火をつけたようである。
「砂漠狼もいるし、あと猒鉏もいる。危なっかしいな。金竜もいそうな気配がするが。」
柊生はあたりに剣先を向けながら足を少しずつ繰り出していく。
「猒鉏ということはチテアルタか。めんどくさいな。」
【猒鉏】チテアルタは動物の骨、特に彼らにとって豊富な栄養を含む人骨を好む。そのため好んで行商の通る道で狩りを行い、より楽に確保できる争いの跡地にも集まる。その性質は極めて残忍で、比較的高い知性を持ち合わせているとされる。流砂の中に待ち構えていて、通ったところを触腕を使って引きずりこむ。
水分を多量に含む「ベリノセアルバムナドスケルトミボムス」略称ベルムスという砂漠植物と非常に似た特有の香りを放つ。非常に甘ったるく鼻につく。
額を拭いながらダルシムは深く息を吐いた。
「ったく。ゆっくり寝かせてもくれないのかよ。どんだけ試練積ませれば気が済むんだ。こちとらただの一般人だぞ。」
「まあ、これを乗り切れば話の種にもなるでしょうし、たぶん信憑性も上がりますから。耐えましょう、ダルシムさん。うえ。」
レジーナが唾をもどす。厳しい環境で憔悴した彼女はまなざしに色を失ってきていた。
「無理するな。お前はこういうのはきついだろうからな。」
ダルシムはレジーナの肩を持った。彼女は動揺してはいるが、まだ大丈夫だ。ダルシムはそう思った。だが。
「来ます。」
レジーナが言った後、地鳴りがした。
「起きてしまったみたいです。逃げましょう。」
前の天幕が次々と傾き、沈んでいく。
「まずいぞ。来やがった。お前ら全力で逃げろ。右翼は右前方へ。客人を連れて左翼は後方へ転換だ。囮は俺が引き受ける。」
そう言って彼は右手を大きく真横に振った。
それを合図に彼の小隊は素早く入れ替わり、柊生を前にした陣形が出来上がった。
怪物が現れた。
砂の下に半分埋もれた蟹のような外殻と、そこから異様に長く伸びた首、また首の根本までパックリと裂けた頬はその口の大きさを否応なく示している。しゅるしゅると音を立てて、謎の甘ったるい蒸気が吹き出した。
「気をつけろ。知性のある魔獣が狙うのは一番弱い個体、つまりお前らだ、行け!」
柊生がそう言った瞬間、チテアルタが狙いを定め、猛然と砂煙をあげて突っ込んでいく。
「覚悟しな。」
柊生は抜き身の刀身を大振りに頭に振りかかる。二瞬後に首に一撃、さらに回り際に胴に一撃。青緑色の飛沫が噴き出した。しかしチテアルタの猛追は止まらない。
しかも、相変わらず狙いを変えない。
柊生を相手にしない方が良いと理解しているらしい。
べっとりついた液体を払いながら方向を変え、柊生は叫ぶ。
「そっちに行った。気をつけろ!」
当然、ダルシムからはこのような反応が見られた。思わず握っていたレジーナの手を離し、彼は怒鳴る。
「ふざけんじゃねえ。囮はお前だろ!!」
猒鉏は意外に速く、すぐ近くまで近づいていた。彼らを守りに入る兵士たちを弾き飛ばし、その腕や足を噛み砕いた。
ダルシムは腰の皮紐を解き、鞘を落とした。月の明かりに照らされた鈍色の刃がその重い頭を持ち上げる。麻布を巻いた柄が手汗を吸って湿っている。
苔を素手で掴むような気持ち悪さを感じながらも大上段からの一撃を、あの醜悪な蕾にも蛇にも似た頭に繰り出してやるまいと、彼は踏み込んだ。
「ダルさん!?」
「死ねえええ!!!!」
正面の口が4方向に開く。
骨を潰すことに特化した口はまさに鑢のような形状で、返しがついており一度引っかかると出られない。
「捕まるかっ!」
身体を捻り、斜め前に足を運ぶ。そして正面に飛び出した後頭部をばっさりと切り裂いた。しかし、硬質の肉の塊である猒鉏の身体を断ち切るには至らず、途中で刃が止まる。
「まずっ......!!」
ダルシムは転ぶように体重を移して刃を引き、とりあえず切り抜こうとする。
痛みはあるのかわからないが、頭を振り回して怪物は暴れた。手を離した隙に砂に埋もれていた怪物の腕に腹を思いっきり打たれ、ダルシムは放り出される。砂とはいえ、打ち付けられると痛みがある。ダルシムは左腕の二の腕の付け根を押さえて、立ち上がった。
「流石にきついぜ......。」
言葉も継ぐ前に怪物の追撃が及ぶ。
「ダルシム!」
「わかっている!」
苦笑しつつ彼は太ももに刺した短刀を持ち出し、下顎に噛ませることで攻撃をいなしたが、次の一瞬でこの不気味な生物は無慈悲にもそれを噛み砕いた。
「おい、マジかよ。」
心なしか、怪物の下顎がしたり顔に見える。ふしゅーと音を立てて口を開くと、チテアルタは首をくねらせ、思い切り後ろから前に飛び出すように頭を発射した。
斜め後ろに2度回りながらダルシムは振り返って、足に力を込めて背中を反らせ、捻るようにして跳んだ。
足の付いていたところに、四つに裂けた頭が口を開け閉めして、砂煙を上げている。
ダルシムは足をつけたあと、腰に止めてあった宝珠に手をかけた。ぴったり張り付いて破れることのない粘着性の札を、人差し指に力をかけて引っ掻きながら剥がす。
【爆裂珠】
それは火の護符を剥がすと爆発する珠である。なぜか遺跡などでよく発見される。火薬と同じ反応を使っているように見えて実態は異なる原理で動いている。実際に、投擲する対象物に対してのみ効果が発生する、一度反応が起きても再利用可能であることなどが異なる。
強欲な口はもう一度開いた。
無い目を使って捉えているかのようにダルシムに執着する。他の兵士が攻撃してもお構いなしだ。足がもげてもそれは諦めることなく、彼の元に突っ込んでくる。
「これでも喰らって寝てやがれ!」
ダルシムは朱色に光る珠を、深緑色に塗りつぶされた鑢だらけで、ねばついた、気持ち悪いほど甘ったるい臭気のする口腔内に投げる。
身体が持っていかれそうな衝撃が、周囲の空気を一気に押し出した。
ダルシムは右手を顔の前にかざし、吹き飛んだ砂を払う。
見えたのは、上半分が吹き飛んだチテアルタの身体。細長い頭があった部分は垂れ、緑色の液体が漏れ出している。
力を失ったからか、ずずんという音と共に砂煙が上がった。
「大丈夫か。」
ふとレジーナを見た。
彼女はすっかり憔悴して、目が虚を見ているようになっていた。
レジーナの側に向かう前にダルシムは地面に刺さった鉈を抜き取った。めいっぱい被った砂が雨音みたいな音を立てて地面に落ちた。
その時ダルシムは手が締めつけられるような感覚を覚えて、とっさに護身武器を離した。
「熱っ。」
視界が赤黒い空間に染まった気がした。
「無茶すんなよ。」
後ろから声がかかる。小手をつけた柊生が例の火炎珠を持って来た。
「お前こそ。それ、熱くないのか。」
「俺のは火走蜥蜴の皮製で、耐熱性がある代物だからな。平気だ。それより気をつけろ。」
柊生は後ろを振り向いて、液体の溢れ続けている傷口を見つめる。なくなってなお脈動するみたくうねうねと動き続けるそれを差して、彼は真半身から言った。
「あいつは食い意地張ってるからな。一度じゃ死にきらない。」
チテアルタは動かなくなったことを幸いにと兵士たちは鬨の声を上げ、一斉に獲物を構えて突撃していく。素材を剥ぎとろうと短刀を持ち出す者もいた。その様子を見て柊生は警鐘を鳴らした。
「おい、言ってるだろう。馬鹿、やめろ!」
柊生の声と同時に、吹き飛んだ頭の根元部分が崩れ落ち、灰のようになって消えた。そして、全く異なるところから頭が二本生えた。
「どういうことだ。」
ダルシムの顔が歪む。彼の眉間に力が篭った。
「だから言った筈だ。死にきらないってな。あいつの中心にコアがある。そこが心臓部だ。普通はボコせばどっかいくんだが、どうやらお前がよっぽど気に入ったらしい。」
「迷惑だ。俺は魔獣にモテる気はさらさらねえぞ。」
「同感だ。気持ちを察するに痛み入る。」
柊生はそして、怪我をしながら再び向かっていこうとするダルシムを制した。
「あんたは少女の側にいてやれ。ここは俺が名誉挽回ついでに相手させてもらう。」
させないと言わんばかりに、チテアルタの後ろから触腕が伸びる。それが向かった先は昏倒した少女。
「何でこんな面倒くさい戦闘しなきゃなんねえんだ。」
柊生はぼやきながら、腰に収めた、先端が扇形状になっている赤黒い剣を抜刀した。
頭が天高く左右に揺れ、その動きに対応してムチのようにしなり、襲いくる腕を切り裂きながら、レジーナ、そしてその側で鉈を構えているダルシムの前に柊生は回った。右前から頭が迫った。
「よっと。」
柊生は軽快な足取りでその場から三歩足を進め、突っ込んでくる頭部にすれ違いざまに二撃、閃きの刃を浴びせた。魚を開くときのようにすぱすぱと怪物の頭部が切れる。
「すげえ。」
ダルシムはその様子を見て呟いた。
この剣捌きを見て、気持ちいいとまで覚えてしまう。それほどまでに流麗で美しい。
「すげえとしか言えねえ。」
息を呑む。柊生は頭の上で剣を構えて、振り回しながら触腕を弾き、下からすくい上げる形で切り上げる。さらに右に振り抜きもう一本を撃破、触腕に捕らえられていた兵士を解放した。
さらに跳んで腕を避けながら左へ。
正面から囲い込むように腕を巻き込ませるチテアルタ。柊生は剣を構え直し、真上に切り上げる。そして振り抜かずに滑らせるように抜くと、身体を捻って空中で斜めに回転しながら本体に切りつけた。着地後に隙を見せることになるかと思いきや、足元を切り払い、後ろを向きつつ余った腕を斜めに六連、一瞬で切り落とす。
どさりどさりと砂煙が上がる中、何人かの兵士が骨を折りつつも救出される。
「負傷者救助を急げ。後は離れろ!」
柊生の声に応えて兵士達は負傷者を担いで撤退していく。彼らは天幕の側に密集陣形を組んでいた。
「援護すべきだろうか。」
「いや、ここで撃っては柊生様の邪魔になる。」
再び、ぐにょりと気色悪い音がして頭部が生える。今度は三つ。そして間髪入れずに一つが柊生に凶牙を剥く。
しかし、それは鋭い剣閃によって阻止された。
「無駄だ。《剣風》」
彼は肩の上から剣を身体の内に向かって巻き込むように振り回す。それは赤い斬道を作り、彼に噛みつこうとした頭を八つに切り裂き、焼き焦がしながら分解した。
また瞬きする間に死角から迫った2つ目の頭は、手元で剣をくるりと回し、振り向きざまに反対に握った剣で斬り上げて完全に真っ二つにした。
柊生が剣を振り回す間に、謎の渦ができていく。赤く黒い剣の生んだその渦は、最後に残った蕾のような形の分厚い肉までも綺麗に寸断した。
柊生は剣を放り投げ、赤い斬道は塵芥になり損ねたチテアルタの本体に突き刺さった。
その後、チテアルタが無い胴を震わせ縮みあがりながら放った絶叫がやかましく耳に響いた。