161 ドラゴンさん、英雄さんを知る
161
なにがなんだかわからない。
ぼうってしていると、シアンが服を引っ張ってきた。
「レオン、酷い顔色ですよ」
心配してくれている。
僕はその手をにぎりしめた。
そうでもしていないと、頭が変になっちゃいそうだ。
やわらかくて、あたたかいシアンの手が今はとても心強い。
『尋常じゃないわね。ドラゴンもどきとかと戦った時よりも動揺しているわね。ギルマスもハンスも魂魄の様子がおかしいけど、そのせいかしら?』
僕の肩の上でノクトがつぶやいている。
そう。
ハンスだ。
ギルマスの前に立ったハンスだけど、ハンスじゃない人。
そのハンスの姿をした人を見ると、頭がぐるぐるして、胸の中がメチャクチャにゆれてしまってどうしようもない。
ハンスだけどハンスじゃない人は僕と目が合うと、にっこり笑った。
「うーん。ワタシもそうだけど、君も随分姿が変わってしまったね?」
声はちがう。
けど、話し方。
それをよく覚えている。
ハンスの体。
でも、魂魄は『あの人』。
『その口ぶり、あなたはハンスじゃないのね。魂魄が変質しているけど、それと関係あるのかしら?』
じろりと見上げるノクト。
それにやっぱり返ってくるのは笑顔。
「ハンスというのはこの体の子の事だね。なら、正解だよ。ワタシは彼の体を譲り受けているんだ」
『体を譲り受ける?』
「信じられません。そんな事、どんな魔導だってできるはずがないのに……」
シアンとノクトが信じられないと言うと、ハンスだけどハンスじゃない人はちょっとだけこまった顔になる。
「弱ったな。ワタシはあまり説明が上手じゃないんだけど……」
「なら、それはボクの役割だね。おっと、『峻厳』の君も話を聞いてみたらどうだい? 興味深い話だと思うよ」
ギルマスが前に出てくる。
今にも魔法の炎を撃ちそうな『峻厳』さんだったけど、やっぱり話が気になるみたいだ。
手を持ち上げて、魔力もそのままだけど何も話さない。
「さて、といっても難しい話じゃないんだ。『峻厳』の彼女も、『慈悲』の彼も、復活したというだけなんだ」
ギルマスが指さすのは『峻厳』さんと、ハンスだけどハンスじゃない人。
ええっと。
『峻厳』さんは『峻厳』さんだから、いい。
じゃあ、ハンスだけどハンスじゃない人――『あの人』が、『慈悲』さん?
「おおっと、もしかしてまだ気づいていなかったのかい? ここにいる彼こそが『慈悲』の英雄であり、レオン君が五百年前に育ててくれた恩人であり、そして、この帝国の初代皇帝なんだよ」
ギルマスはいじわるだ。
教えてくれるって言ったのに、もっとわからなくする。
わからないのは僕だけじゃないみたいで、シアンが声を上げた。
「待って下さい! レオンに以前聞いた時、言っていました。初代皇帝は、名前のない女皇帝は『あの人』ではないと」
『そうね。それはどういう事かしら?』
そんな事を聞かれたような気がする。
うん。
そうだ。
シアンとノクトから聞かれた。
最初の皇帝さんが『あの人』じゃないかって。
でも、ちがう。
最初の皇帝さんは女の人だけど、『あの人』は男の人だったから。
だけど、ギルマスは変な顔で笑った。
こまったような、おもしろがっているような、そんな感じ。
代わりに『あの人』が話し始める。
「それは単純に彼の前では皇帝としてのワタシではなく、ただ一人の人間として振舞っていたからだろうね」
そうだったんだ。
思い出してみると、僕が小さかった時は今よりもむずかしい事がわからなかった。
そして、体が大きくなってからは街にいられなくなってしまった。
だから、いつだって僕が『あの人』と会った時は、他に人がいなかったし、人間の生活も知らないままだった。
「では、どうして性別を間違えたりなんてしたんですか?」
「それは彼の見た目が問題だったんだろうね」
ギルマスが『あの人』の肩をたたく。
そうすると、ハンスの体が光った。
まぶしいのは少しだけで、すぐに見えるようになる。
そこにいたのはもうハンスの姿じゃない。
やさしそうな目。
やさしそうな口元。
やさしそうなしぐさ。
やさしそうな感じ。
そんなたくさんのやさしさでいっぱいの小さな体の女の子、みたいな姿。
「うん? これは昔のワタシの姿だね。どうやら魂魄の定着が完了したようだ」
三つ編みのやさしい金色の髪を背中にそっと流して、『あの人』は僕の思い出と同じに笑った。
僕だけじゃなくて、シアンとノクトも息をのんだ。
「その姿、名前のない女皇帝の彫像と同じ!」
『本当に初代皇帝? なら、どうしてレオンが男だなんて――』
あれ。
僕は急に姿が変わって、魂魄もハンスっぽいのがなくなったからおどろいたんだけど、シアンたちはちがったみたいだ。
「『あの人』は男の人だよ?」
「うん。彼は男さ。正真正銘の、ね」
「ああ。そいつは見た目に反してしっかり男だぜ」
シアンとノクトがびっくして動かなくなった。
ノクトなんかしっぽの先まで毛が逆立っていて、とても驚いているのが見ただけでわかってしまう。
そんな一人と一匹をそのままに、三人の英雄が話し始める。
「うーん。見た目に関して君に言われたくないかな? 女の子なのに男っぽい恰好をしている君にはね」
「うっせえ」
「その辺りはボクたちにはどうしようもない話さ。セフィロトの性質の話だからね。『峻厳』は女性で、『慈悲』は男性とね。だからこそ、帝国の側近たちも『慈悲』の君を女性と勘違いしたわけだけど」
「で、てめえはどっちでもねえ中立者かよ」
「ワタシとしては『均衡』の君の性別に興味がないわけじゃないんだけど……」
「ふふ。それは秘密だよ。ミステリアスなのがボクの魅力のひとつだからね」
よくわからない話だ。
でも、ちょっとだけわかった。
僕の知る『あの人』は、初代皇帝で、『慈悲』の英雄。
そして、死んでしまったけど、生き返ったんだ。
それはうれしい。
もう会えないはずの『あの人』に会えたんだ。
すぐにでも抱きついて、昔みたいになでてもらいたい。
本当にそう思う。
思うのに、体は動いてくれなくて、頭が考えてしまう。
「ねえ。じゃあ、ハンスはどうなったの?」
ハンス。
一度だけだけどいっしょにダンジョンに行った冒険者。
最強の冒険者で、いい人だった。
今の『あの人』の体。
それはさっきまで確かにハンスだった。
魂魄も変な感じになっていたけど、ちゃんとハンスが残っていた。
なのに、今はそこにハンスの魂魄は少しも感じられない。
「ああ。彼には『慈悲』の英雄を復活するための人柱になってもらったんだ。いや、依り代と言った方が正解かな?」
ギルマスが話す。
何でもない事みたいに、なんにも思っていないみたいに。
それがとても気持ち悪い。
「本来、ボクたち英雄は不滅に近いからね。例え、死んだとしてもいつかは復活する、はずだった」
「はっ。仕方ねえだろ。肝心かなめのセフィラを失っちまったんだ。そうなっちまえば、生きる死ぬなんて話じゃねえ。滅びるしかねえ」
「だけど、ワタシたちはこうして復活した。それに疑問を感じなかったのかな、君は?」
『峻厳』さんはむずかしい顔だ。
二人をにらみながら考えていたけど、ぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、てめえか。『均衡』の」
「ああ、そうだよ。君にデミセフィラを与えて、ダンジョンの深層で蘇らせた」
ギルマスが『峻厳』さんを生き返らせた。
そして、『あの人』も。
「てめえ、何をしやがった! たかだか『均衡』の英雄ができる範疇を超えてんぞ! オレとそいつのバランスを取るだけのてめえが!」
「それは違う」
怒鳴る『峻厳』さんに、静かに、でも、強く返すギルマス。
とても強い目をしていた。
「ボクは確かに『均衡』の英雄で、『峻厳』と『慈悲』の間を取り持つのが役割だ。だけど、それだけが本質じゃない」
その言葉に『峻厳』さんは言い返さない。
ただつぶやく。
「オレが厳しい試練を与えて成長を促すように」
「ワタシが優しい庇護で成長の環境を与えたように」
「そうさ。ボクはあらゆる『均衡』を保ち、継続させる事で世界を成長させる。いや、魂を昇華させる」
三人の英雄の役割。
仲間のはずの三人。
それが今はバラバラだ。
今までと同じように『峻厳』さんが怒鳴る。
「てめえが役割を捨ててねえと言うなら、全部説明しやがれ! セフィラを捨てて、オレたちを生き返らせて、さんざん暗躍して、何がしてえんだ!?」
「答えは変わらない。ボクはこの世界の成長を心から願っている」
ノクトじゃないけどわかる。
ギルマスがウソをついてないって。
本当に。
心の底からそう思っているって。
強くて、まっすぐな気持ちが、痛いぐらい伝わってきた。
「そのために、君たちに本気で戦ってもらうよ?」
そして、にっこりと笑い、後ろに隠れていた何かを突き落としてきた。