挿話 トントロの戦い
挿話
レオンと『峻厳』の英雄が姿を消した後。
降雪の静けさに反して、そこは戦場になっていた。
「どっか、いけっすー!」
子豚から竜の眷属化したトントロ。
彼はゆったりと、しかし、確実に、休む事もなく近づいてくる敵を吹き飛ばした。
魔導装備で全身を固めた大人が数メートルも飛び、受け身も取れずに地面へと激突していった。
小さな蹄に込められた力は強大。
主たるレオンに及ぶべくもないが、彼の生命力は既に人類の限界値をも超えていた。
数値にするならば生命力のレベルは20。
最高レベルの冒険者を凌駕している。
「しつこいっす!」
だが、それでも倒せない。
彼の一撃を受けたモノは緩慢な動作で起き上がる。
その腕と足が曲がりようのない角度で曲がっているのだが、まるで痛みを感じないようだった。
いや、事実。
最早、彼には痛覚は存在しない。
死した後、その亡骸を操られているだけなのだから。
トントロにはそんな理屈はわからない。
「ふんぬーっす!」
だから、思いっきり殴る。
一回で駄目ならば、二回、三回と繰り返すのだ。
彼の兄貴分であればそうするだろう、と。
シンプルな思考だが、間違いではない。
痛覚のない死体とはいえ、手足が物理的に破壊されてしまえば動ける道理はないのだから。
トントロは本能で最適な結論を導き出していた。
だが、それでも足りないのだ。
「お、お兄ちゃん!」
「うっす! 任せるっす!」
妹の声を聞いて、駆け足で戻る。
彼が振り返った先には土の壁があった。
ピートロの魔導で作られた防壁だ。
高く、厚い土の壁は、普通ならば大型モンスターの攻撃さえも防ぐ性能を持っていた。
だが、今は相手が悪すぎた。
魔導装備を使う動く死体だ。
しかも、元となった死体が精鋭の戦士な上に、百体という絶望的な数。
その防壁は度重なる攻撃を受けて、罅割れている。
今にも崩され、穴が穿たれるのは時間の問題だろう。
「お前ら、はなれるっすー!」
トントロは蹄を振るう。
生命力の出し惜しみはしない。
元より小細工のできる性格ではない。
動く死体を吹き飛ばす。
一体、二体、三体と殴り、土壁から遠ざける。
だが、しばらくすると奴らは戻ってきてしまう。
トントロが他の場所を守れば、手の空いた場所へと。
吹き飛ばしても、吹き飛ばしても、すぐにだ。
「うぅっ、多いっす!」
「お兄ちゃん、大丈夫!? 無理しちゃ嫌だよ?」
妹の不安そうな声。
それにトントロはしっぽをピンと立てた。
兄貴は妹を守るものだ。
彼はそれを知っていた。
だから、弱気になった心を奮い立たせる。
「へいきっす! ピートロはみんなを守るっす!」
「う、うん! 頑張る!」
ピートロが魔導で新しく土壁を作り直す。
壊れかけていた防壁が元に戻っていった。
『まずいわね』
トントロが呻くのも無理はない。
百体もの動く死体を事実上、一人で相手しているのだから。
『……集中攻撃しないとジリ貧ね。けど、それも難しい、か』
土壁の中でノクトは呟く。
苛立たし気に揺れるしっぽがその内心を表していた。
「お兄ちゃんがあんなに叩いたのに……」
『ええ。ダメージはあるようだけど、魔導装備が厄介ね。ああなっても魔力を生み出せるなんて、本当に出鱈目ね。あのクレイジーサイコパス』
先程は一体への集中攻撃を指示したのだが、それでも倒しきれなかったのだ。
動きの様子からしてかなりのダメージを受けたようで、動作はほとんど壊れかけの操り人形のようだった。
他の個体もそうなってしまえば脱出は容易だろうが。
『トントロだけじゃ無理ね』
集中攻撃に要した時間で防御を貫かれそうになったのだ。
それにいくらトントロの生命力が強大でも無限ではない。
全滅させるよりも先に力尽きてしまうだろう。
「すみません……。わたしが、動ければ……」
シアンは青白い顔で座りこんだまま。
ピートロが支えていなければ体を起こす事さえできていない。
それでは、囲みを突破する事さえ難しい。
英雄との対峙はそれだけの消耗を強いていた。
魔力を使い切り、意識を失っていないだけでも幸いだった。
片手を封じればレオンが圧倒できると信じていたのだ。
だが、相手はその予測を大きく上回った。
その結果が、これ。
戦局は絶望的だ。
「おのれ、我が武器さえ無事ならば……」
『弓矢じゃ相性が悪すぎよ』
土壁に避難しているアルトが呻くのに、ノクトが冷たく告げる。
弓聖の子孫たるアルトの得意とする武器は弓矢だ。
その弓矢は『峻厳』の英雄による爆発ですでに砕かれていた。
もっとも、無事だったとしてもノクトの言う通りだっただろうが。
人体を物理的に行動不能にしなければいけない相手に、点での狙撃である弓矢では効果は薄い。
トントロは遊撃が精一杯。
ピートロは防御で手一杯。
シアンは行動不能で、アルトは役立たず。
そして、今のノクトには口しか出せない。
トントロとピートロ。
この子たちの生命力と魔力が尽きれば終わりだ。
「アニキ様なら……」
「そうね。あの子なら簡単でしょうね」
可能性があるとすれば、レオン・ディー。
あの最強のドラゴンの生まれ変わり。
彼ならば一撃で全ての動く死体を破壊――いや、消滅させてしまえるだろう。
だが、彼はいない。
彼と遜色ないレベルの英雄と戦っている。
最後に見た一瞬。
あまりに速すぎてほとんど見えなかったが、レオンは重傷を受けていなかったか。
あの傷を受けて、そこから勝てるのだろうか?
ノクトにはその答えが出せない。
どうすればいいのか、悩んでいると地面が揺れた。
「きゃっ! また、揺れてます……」
ピートロが不安そうにあたりを見回す。
この揺れ。
動く死体の襲撃のせいではない。
ダンジョンが揺れているのだ。
しかも、中層のダンジョンが、だ。
上層のような洞窟ではない。
如何なる理屈かはわからないが、物理的に離れているはずの部屋と部屋を超えて、衝撃が中層に広がっていると見るべきか。
なぜならば、この揺れ。
レオンと『峻厳』の英雄――彼らがいなくなってから起きている。
ノクトの想像を絶する戦いが起きているとしか思えない。
『……ダメね。このままじゃ全滅するわ』
決断する。
幸い、動く死体の動作は遅い。
疑似魂魄は生命力や魔力を生み出せても、それらや体を巧みに操る事はできないらしい。
ならば、囲みさえ突破してしまえば逃げ切れる。
問題は、どうやって突破するか、だ。
シアンは無理だ。
アルトも無理。
となれば、トントロとピートロの兄妹に頼るしかない。
『ピートロ、一番強い魔導で囲みを崩せるかしら?』
「……やります。やってみせます!」
気持ちだけじゃない。
強い意志が感じられた。
きっと、この子はやってくれるだろう。
問題はその間と後。
ピートロが攻撃の魔導を使う間は、削られた防壁を回復できない。
そして、囲みに穴ができたとして、動けないシアンを連れて逃げられるだろうか?
「……殿は我が引き受けよう」
アルトが剣を握り、静かに生命力を高めていく。
『意外ね。エルグラドの御曹司があたしたちの味方するなんて』
「この状況を理解できない程、愚かではないつもりだ」
だといいのだけど。
もしかしたら、操られている元部下の事を想っているのかもしれない。
内心でノクトは呟いて、それから猫耳を動かす。
外のトントロが近くに来たタイミングで呼びかける。
『トントロ。この後、ピートロの魔導に合わせて脱出するわ。それまでの間、あたしたちを守れるかしら?』
「うっす! もちろんっす!」
元気な声だ。
もうかなりの時間戦って、かなり生命力を消耗しているだろうに。
空元気とわかっていても今は頼もしい。
ノクトは頷くと、視線でピートロに目を向ける。
賢いピートロは既に次の魔導の準備を終えていた。
彼女の補修が行われない土壁はすぐに壊されていく。
トントロが少しでも時間稼ぎをするが、次第に崩れ、穴が空いて、動く死体が中を覗き込んできた。
そこが魔導の狙いだとも知らずに。
『今よ!』
「線・多数展開/20・地属性――地鈍重槍です!」
穴から土の槍が飛び出した。
そこを覗き込んでいた動く死体の頭部が砕かれて、続けて残りの二十本が進路上の敵を貫く。
ピートロの渾身の魔導。
残りの魔力をほとんど使い切っての一撃だ。
重い土の槍。
それに貫かれれば致命傷でなかったとしても、体に重しとして残る。
そうなればただでさえ遅い動く死体は起き上がる事さ難しい。
道ができた。
『走りなさい!』
「アネキ様!」
「ありがとうございます……」
ピートロがシアンを持ち上げる。
背の低い彼女ではシアンを支えきれないが、それでも動けない程ではない。
その先をノクトが走り、先導する。
他の動く死体が土壁を回り込んでくる。
「いかせないっす!」
半分はトントロが相手をする。
もう半分にはアルトが立ち向かった。
「我が引導をくれてやる!」
拙いながらも生命力で強化された一撃。
魔導装備の剣が動く死体の半身を切り裂いた。
その間にノクトたちは脱出を成功させる。
囲みを突破し、扉に向かう先には邪魔するものがいない。
ノクトはシアンとピートロを先に行かせて振り返った。
『いいわ! 引きなさい!』
「ぐあっ!」
声をかけるのと同時に叫び声。
アルトが動く死体に斬られたのだ。
壊れかけの鎧のおかげで致命傷ではないようだが、軽傷でもない。
剣を取り落とし、だらりと腕を下ろす。
「行くがいい! 我は部下を止める!」
無論、それは不可能だろう。
元より弓の使い手。
接近戦は得意ではない。
それが負傷し、武器を失い、多勢に無勢。
すぐにでも殺される。
ノクトは迷った。
非道であると思われようと、彼女が優先するのは身内だ。
シアン。
そして、仲間たち。
アルトは違う。
むしろ、敵に部類される。
だが、共闘をした相手を見殺しにするのは躊躇われる。
その迷いの間に、アルトは囲まれてしまった。
「どくっすー!」
トントロは迷わなかった。
彼はいつだってシンプルだ。
やりたいことをやる。
だから、間に合った。
アルトが囲われる直前に飛び込む。
そして、蹄を振り回した。
後先を考えない生命力の強化。
それが動く死体を薙ぎ払い、打ち倒し、再び囲みを崩す。
「貴様は、何故……」
「アニキなら、守るっす!」
彼が尊敬する主――兄貴。
彼と約束したのだ。
みんな、守ると。
レオンは言ったのだ。
トントロが守ってくれるなら安心だ、と。
だから、守る。
アネゴたちを、妹を守るのは当たり前。
他の相手がどうとか、後から考えればいい。
敵とか、味方とか、自分にはよくわからない。
ただ、目の前の危ない人がいたから守る。
「ふんぬーっす!」
短い腕を振るう。
アルトを蹄にひっかけ、力のままに投げる。
呆然としていたアルトは抵抗する間もなく投げ飛ばされた。
体格差からは信じられない距離を投げられ、足を止めていたノクトのすぐ近くに落ちて、転がった。
「ぐ、ぬぅ」
『トントロ、あなた何をやっているの!』
「お兄ちゃん!? お兄ちゃん!!」
そして、その間にトントロが囲まれる。
倒した動く死体が立ち上がり、小さなトントロの姿は外からは見えなくなってしまった。
「お前らの相手はオイラっす!」
ただ、大きな声が雪原に響く。
そして、蹄を打ち鳴らす高い音。
それが聞こえたのか、それとも単純に逃げる相手より足を止めた相手に狙いを定めたのか。
残っていた動く死体が全てトントロへと集まり始めた。
壮絶な戦いの音が始まった。
動き回れた先程とは違う。
囲まれ、足を止めての戦い。
「お兄ちゃん! やだ、お兄ちゃん!! 待って! やだよ!」
半狂乱になって叫ぶピートロだが、支えたシアンの重さが彼女を止めていた。
一匹であれば今にも兄を援護しようとしただろうに、泣き叫ぶだけで止まっている。
ノクトは再び迷う。
トントロは仲間だ。
ほんの数日の付き合いだが、既に身内と呼ぶほどの近い位置にいる。
しかし、彼を助ける手段がない。
それどころか、ここにいては邪魔にしかならない。
それが痛いほどにわかってしまい、ノクトはしっぽを地面に打ち付けた。
決断する。
足を止めていたピートロたちの方へ走る。
『行くわよ! アルト! あなたも走りなさい!』
「アネゴ様!? でも、お兄ちゃん、お兄ちゃんが!」
ピートロが縋り付いてくるのに怒鳴り返す。
『トントロを助けたければ、レオンを呼ぶしかないのよ!!』
情けなくて舌を噛み千切りそうだ。
それでも、現状はこれしか方法がない。
レオンが戦いに勝利を収めている事。
遠くに行っていない事。
トントロが耐える事。
そんな可能性の全てをクリアできると祈って。
だから、今は一秒でも早くレオンと合流する。
『トントロ、死ぬなんて許さないわよ!』
呼びかける。
しかし、いつもの元気な声は返ってこなかった。




