その25~26(最終話)
二十五
大きな光弾の群れが波のように押し寄せ、霊夢は眼の前全体が光に包まれたかのような錯覚に陥る。ほとんど反射的に避けた群れが通り過ぎた後、一瞬の気の緩みを突くかのように、小さな弾の群れが襲いかかってくる。
霊夢の服はすでにあちこちが破れ、焦げていた。
どれぐらい戦い続けているのか、彼女自身には分からなかった。思考と言えるものはもはやない。感じとり、身体を動かす。その繰り返し。
だが、そのサイクルの中にふいに拡がる恐怖があった。それが流れるようにつながるはずの動きを阻害する。いちどつまずくとそのつまずきは連鎖し、さらに尾を引いてしまう。
こんなことは、今までの戦いではほとんどなかった。
「怖くなんか、ない」
ほとんど無意識に小さな声を出す。
弾の密度が波のように動くのは、敵との距離が絶え間なく変化するからだ。心理的な揺さぶりという意味ではきつかった。
ふいに、光弾の中に翼をもつ身体のシルエットが浮かび上がる。
「そろそろ終わりかしら!」
笑い声のような言葉が耳に突き刺さる。同時に拡がる光芒。
霊夢の身体は、空中でバウンドするように何度も位置を変え、太い輝線の連射を避ける。
さらに襲いかかるランダムな光弾の群れを集中力を振り絞って避ける。
レミリアに間近に肉薄される場面が増えてきた。
弾のひとつひとつに威力があるだけに、至近で直撃を受けると致命的なダメージになるおそれがある。霊夢は弾の流れに沿って回り込み、なんとか距離をとる。
追い打ちをかけるように、ふたたび波のように攻め寄せてくる、弾の群れ。霊夢は横に移動し、ぎりぎりで逃れる。だが、回避に意識が集中し過ぎて、攻撃する余裕が生まれない。
もうだめなのか? いや、負けない。負けられない。
ここで負けてしまったら、帰るところがなくなってしまう!
霊夢は、いままでの戦いの中で、自分が一度もそんなことを思ったことがなかったという事実さえ忘れていた。
ぎりぎりの精神状態。疲れは自覚しきれない状態に達していた。
そんな中、変化が起きた。
敵の位置が、奇妙な揺れかたをしたのだ。
「……?」
向かってくる光弾の群れが不規則な軌道を描くが、一瞬だけのことなのでなんとか避ける。
さらに続いてくるはずの光弾の射線がおかしな方向へとそれはじめた。
と、霊夢はいきなり横から衝撃を感じた。
「えっ?」
レミリアからの攻撃ほどの強力さはない。だが、数だけは多い。
この攻撃は、どうやらレミリアの方へも向かっているようで、そのためにレミリアからの攻撃が乱れているらしい。
霊夢はその乱雑な攻撃を回避しながら、いったい何が起きているのだろうと、薄くなりかけた思考を巡らせた。
**********
『あれはいったい何が……』
これまで動き回っていたふたりの戦いの輝線が不規則な乱れたものになってきた上、その全体が押し流されるように移動し始めていた。
「いま様子を見に行かせていた子から報告があったわ」
アリスが私を振り向いて言った。
「どうやら……森の妖精たちが二人を攻撃しているようね」
『よ……妖精が?』
戦っている者たちを攻撃するなんてことがあるのだろうか。
「ええ。それもかなり大群のようよ。ひとりひとりの妖精の力はたいしたことがないけど、数が膨大だと、けっこう馬鹿にならないでしょう」
『……こういうのは、いいんですか?』
私が紫さんに問いかけると、彼女は首を小さくかしげながら微笑む。
「まあ、興奮した妖精なんて理屈が通じる相手じゃないし、そもそも妖精は自然の一部だし……どうしようもないわね」
いわば自然そのものの介入ということだろうか。
「南西の方へ向かっています。こちらも移動しましょう」
咲夜さんの言葉に私たちはうなずき、今や妖精たちの群れに囲まれる形になっているらしい二人を追うことにした。
**********
「ああもう、いったいなんなのよこれは!」
レミリアはほとんど乱射しているような形で、群がる妖精たちを片っ端から撃ち落とすが、新手が次々とやって来てはレミリアに向かって貧弱な攻撃を向ける。
一方、霊夢の方は周囲に対して積極的に攻撃はせずもっぱら回避に徹しているためにあまり攻撃を受けない。ただ、妖精たちの大群の圧迫によって、一定方向へと移動せざるを得ない。
魔法の森の上空から押し出されるような形で二人は西側の端まで移動してゆき、妖精たちに上から覆いかぶさられた状態になった。
ついにふたりは森の外の雪野原へと降り立つことになってしまった。
「…………」「…………」
霊夢はぼんやりとした状態のまま、なんとか立っているような状態だった。一方、レミリアも長時間の戦いでかなり体力を消耗していた。
そこでふいにレミリアは身体をびくりと震わせる。そして、妖精たちが覆っている空を見上げる。東の空に昇りかけている赤黒い月の縁が、か細い光を放ち始めていた。
「ああ……」
レミリアは雪の上に両膝をついて、つぶやく。
「時間切れ、か。これが世に言うところの、骨折り損というやつね」
すると、立ったままの霊夢が言った。
「骨は折ってないでしょ。たいした攻撃も受けてないだろうし……」
「そういう意味じゃあないんだけどね。まあ、勝負はあなたの勝ちということのようね。ここまで持ちこたえたんだもの、たいしたものよ」
「いいえ、負けたわ」
「え?」
「わたしはたぶん、もう本来の意味での博麗霊夢じゃないのよ。それ以外の何か別の人間よ。あなたはそれを分からせるためにわたしと戦ったわけよ。だから骨折り損というわけではないと思うわ」
「……それじゃ、チビのことはどうするの?」
「わたしがどうするというより、彼がどうするという感じじゃないかしら? 博麗霊夢じゃなくなったわたしを、必要とするかどうかって……」
突然、少女の口から哄笑が響く。
「霊夢! ちょっと!」
レミリアは少し慌てたような表情で叫ぶ。
「別に気が触れたわけじゃないわよ? ただねぇ、さすがにおかしくなっちゃったのよ。わたしって実はどうしようもなく空っぽだったんだ……って。こういうときには、もう笑うしかないでしょ?」
二十六
集まっていた妖精たちが、散り散りになりはじめていた。
その妖精たちとすれ違う形で進んでいくと、次第に明るくなってきた月の光に照らされて、森のすぐ近くの雪に覆われた野原に二人の人影が見えた。
間違いなく、霊夢とレミィだ。二人ともすでに戦っている状態ではないようだった。
「おそらく皆既蝕が終わって月の光が戻り始めたところで終了、ということみたいね……」
私のそばを飛んでいたアリスが言う。
『なんにしても、とりあえず二人とも無事で良かったよ』
だが、紫さんは無言で二人の姿を見つめている。何か気になることがあるのだろうか……。
今回は私は本当に何もできなかった。というより、起きた出来事の中身すら正確に把握出来ていない。だが、いまはそれよりも二人の状態のほうが心配だった。
アリスと咲夜さん、それに紫さんが次々に降り立つ。
月は少しづつだが明るさを取り戻し、白い雪野原を薄く照らし始めていた。その中にいる一方の影はレミィで、どうやら座り込んでしまっているらしい。いっぽう、霊夢の方は立ってはいるが、服がかなり破れていた。
『霊夢!』
私の呼びかけに、霊夢が顔を向ける。それは振り向くというよりも、ゆらりと頭を動かすという感じで、精気のない反応だった。
「チビ……」
目付きがひどく虚ろだった。
『大丈夫か、霊夢? 怪我はないか』
眼の前に近づくと、霊夢は腕を伸ばして私を抱き寄せた。
突然、その両の瞳から涙が溢れ出てきた。
『霊夢、どうした!』
「ごめんね……チビ。わたしはね……わたしは」
歪んだ口から、嗚咽が洩れ出る。
「わたしはもうあなたから霊夢って呼んでもらえる博麗霊夢じゃないみたい……」
『な……何を言っているんだ?』
理解不能だった。驚きというより、ある種の危機を感じた。なにか強烈な心のダメージを負っているのではないか?
『しっかりしろ、霊夢!』
すると、背後から声がした。
「戦いの最中に、強い恐れを感じたのだそうよ……敵に対する怖れというよりも、自分を失ってしまう怖れ。自分が無くなってしまう怖れ。そんなことは今までなかったのですって」
振り返ると、レミィがやつれた面持ちで立っていた。その後ろには咲夜さんがいて、自分の上着を脱いで彼女の背中を包むように掛けていた。
「つまり、幻想郷の『空虚な中心』にふさわしい精神を失ったと……」
「それよりもチビ、あなたに訊きたいことがあるの」
霊夢がレミィの言葉をさえぎるように言う。
『なんだ?』
「わたしはたぶんもう博麗の巫女としての役目を果たせないと思う」
『さっきから何を言ってるんだ……』
「いいから最後まで聞いて。巫女ではないただの女の子になったとして、あなたはわたしを必要としてくれる?」
『……!』
これまでにない直截な言い方だ。
『霊夢、私は……』
「その先は言う必要はありませんよ」
突き刺すような口調で割り込まれた。もちろん、その声には聞き覚えがあった。
顔を上げて声の主を見る。そこには姉とそっくり同じ衣装をつけた、フランドールが立っていた。
☆★
白い月の光の下、純白の衣裳を着けて雪原にたたずむフランの姿は、一種の神々しささえ感じさせる。
「フラン、あなたなんで……」
レミィがあえぐように言う。
「月蝕が終わってパチュリーの拘束が解けたので、封印をはずしてもらいました。ご無事のようでなによりです」
フランはふたたび私に顔を向ける。
「あなたは、この幻想郷には本来必要のない存在です。したがって、あなたも幻想郷の誰かを必要とすることはないはずです。違いますか?」
『……そこまで明確に自分の存在を否定されたのは初めてだな』
しかし、腹が立つということはない。
と、フランの後ろから魔理沙の怒鳴り声が聞こえてきた。フランを追いかけてきたらしい。
「おい、フラン! なんて言い草だよ!」
「子供は黙ってなさい」
ぴしりとフランが言う。
「な……」
身体を硬直させて二の句が継げずにいる魔理沙に、容赦のない追い打ちが加わる。
「わたしはこんななりですが、あなたの何十倍もの年月を生きています。その間に考えたこともたくさんあります。遊び半分で言葉を並べているわけではありません。引っ込んでいなさい!」
周りの空気が一気に張り詰める。私たちを囲む形で立っているアリス、咲夜さん、そして紫さんも一様に厳しい表情をしているが、動きはない。
霊夢は沈黙したままフランをじっと見つめている。
『……もしかすると、あなたなりに私のほんとうの正体を突き止めたというところか?』
「突き止めたという言い方は語弊があると思います。しかし、少なくともあなたという存在の特徴、焦点にあたるものを以前よりも鮮明に感じ取っています」
フランは真剣な表情で言う。
「短い言葉で言うなら、あなたは『生きている死』です。自分がないというよりも、生きるために必要な死を、結晶化したかのような存在です。だからこそ、あなたは周りに生きるものを引きつける。周りの者たちは、自分を生かしてくれる者としての像をあなたの中に見るのです」
『…………』
「おそらく、あなたが人形という器に収まっているがゆえに、見過ごされていたのでしょう。しかしその人形からして、もともとは『人を生かすための死』としての意味を強く持っているのです。罪や災いを引き受けて厄落としに使われる人形はその典型です。さまざまな条件、近しい意味の重なり合いによって、あなたの存在は安定していた。けれども、結果としてあなたは同じ人形としての性質をもつ巫女、本来ならば大いなる虚ろであるべき巫女をも『生かして』しまった。したがって、巫女は巫女としての力を失うことになったのです」
『……なるほど。だが、私の性質が生きている死だというのなら、その実体は結局何なんだ?』
「それはね……実証するしかないですよ」
『実証?』
「そうです」
そう言うと、彼女は右手を軽く握った。
**********
霊夢の胸元がかすかに震えた次の瞬間、チビ霊夢の首が雪の上に落ちた。
「えっ?」
それが誰の声かは分からなかった。
だが、その首が乾いた砂のように崩れ、みるみるうちに形を失うに及んで、アリスが悲鳴を上げた。
胴も脚も腕も、すべて砂のように粉砕された状態で、霊夢の腕の中から流れ落ちて行った。あとには人形が着ていた服だけが残った。
霊夢は動かなかった。そして、その周囲の空間に奇妙なゆらぎのようなものが現れはじめた。
「離れなさい!」
突然、紫の声が響く。
「そこからみんな離れなさい、早く!」
ほぼ同時に、大きな影の塊が飛ぶような速さでやってきたかと思うと、霊夢以外のその場の全員をなぎ倒すような勢いでまとめて抱え、その現象が起きている周辺から遠ざけた。雪まみれになって、一同は地面に投げ出された。
彼らを移動させたのは、八雲藍だった。
藍は身体を起こして後ろを振り返った。そのとき、空間のゆらぎがふっと消えた。その一瞬に、藍は青い小さな光を見たような気がした。
そして……。
ゆらぎの中心にいた霊夢の身体はゆっくりと、前のめりになって雪の上に倒れた。
「霊夢!」
起き上がった魔理沙が駆け寄り、霊夢を抱き起こす。だが、身体からは力が完全に抜けてしまっていた。
「霊夢、おいっ!」
頬を叩く。だが、反応はない。
魔理沙は心臓の位置に耳を当て、眼を見開く……。
「……停まってる」
さらに明るさを増した月の光が、身動きひとつしない一同の姿を静かに照らしていた。
(東方傀儡異聞Ⅳに続く)
ここまで読んでいただきありがとうございました。ただ、大変申し訳ないのですが、いったんここで話を区切らせていただきます。
実はこの東方傀儡異聞Ⅲはいわば第三部の前半でして、100P程度の本にまとめる都合上、このような構成にせざるを得ませんでした。次巻においてすべての物語が完結する予定です。次巻は秋ぐらいが努力目標でしょうか……。
以下、今回の例大祭(5/8)で出すこの小説のオフセット本に記載したあとがきです。
あとがき
東方傀儡異聞Ⅲ~神坂越えて辿る面影~をお買い上げいただき、ありがとうございます。
本作は東方傀儡異聞~御霊宿りし巫女の器~、東方傀儡異聞Ⅱ~想い映えたる不死の躰~の続編にあたります。もしお読みになっていない場合には、奥付に記されている「東方イメージ研究所」のHPからウェブ版が読めますのでアクセスしてみて下さい。もちろん、オフセット本を入手していただければなお嬉しいです。
今回はいままでとは異なり、シリーズ全体のいわばターニングポイントを形成するような内容になっています。ストーリー性を重視した構成を目指しているので、結果として設定的にかなり飛躍というか冒険をしたところもあります。
言い換えると、作者の独自解釈が入り込んでいる部分が多くなっているということになります。このあたりは、二次創作的には意見が分かれるところではありましょうが、読者の皆さんの率直なご意見・ご感想をいただければ幸いです。
今回初登場のキャラは何人かいるのですが、そのなかでも出番が多かったのは言うまでもなくレミリアの妹君のフランドールです。
いろいろな解釈をされているキャラクターではありますが、私はどちらかというとこの姉妹の性格というのは本質的なところではさほど差がないのではないかという風に考えて書いてみた感じです。
二人とも五百年程度の歳月を生きているわけで、その時間の重みを想像するのはなかなか難しいです。ただ、思考のレベルという点ではいわゆる幻想郷の賢者たち(紫や永琳)にも匹敵するのではと個人的に思っています。
さて、次巻の東方傀儡異聞Ⅳにてこの物語は完結する予定になっています。いちおう初期の構想に沿った形で書いているのですが、途中でいろいろと作者自身が思ってもいなかった要素が見えてきたりして、それはそれでなかなか面白い現象ではあるのですが、シリアス寄りの路線であるがゆえにかなり重い感じの話になってきているのも確かです。
果たしてどんな結末を迎えるのか、私自身もまだ今の段階でははっきりとした答えは出ていませんが、なんとかうまい具合に着地出来ればなと思っています。
最後に、この偉大なる幻想郷世界を構築された上海アリス幻樂団のZUN氏に最大の敬意を捧げ、この一文を終わらせていただきます。
碓井央