06 虎視眈々と
大広間には、痛いほどの沈黙が落ちていた。
ルパートは血の気を失い、マルグリッドは扇子を握り締めている。その一方で、レオニード様は私を庇うように一歩前へ出た。
「リオーネだけを責めることは許さぬ。彼女を望み、受け入れたのは私だ」
「いいえ。私が自ら鍵を使い、何度拒まれても会いに行ったのです。不埒だと罵りたいのでしたら私だけにしてください」
「……やめよう。子どもの前でする話ではなかった」
困ったように窘められ、ライオネルへ目を向ける。……確かに、明らかに話についていけていない顔をしているけれど、彼の前でする話ではなかった。
「何を……何を言っているの! 仮にその子どもがあなたの子であったとしても、次の当主はルパートです! あなたはこの子を三十年以上、嫡男として扱ってきたではありませんか。いまさらその立場を奪えるものですか!」
「母上の言うとおりです! 今さら私を裏切るだなんて……あんまりだ!」
「……ルパート。確かにお前は私の実子ではない。それでも私は、お前を息子として育ててきたつもりだ。だからこそ私がお前に家督を譲れずにいたのは、この家を任せる未来がどうしても思い描けなかったからだ」
縋るような目を向けるルパートを、レオニード様は真っ直ぐに見据えていた。
「剣を教え、領地経営を学ばせ、いずれはこの家を支えられる男になってほしいと願っていた。たとえ足らぬところがあろうとも、私が支えればいいと思っていたのだ」
「で、では……私は今までどおり、父上の息子として……」
「だが、お前は何ひとつ学ぼうとしなかった。母とオズヴァルドの甘言だけを受け入れ、家の財を浪費し、跡取りを残す責任も妻へ押しつけた。それだけでは飽き足らず、十五年育てた娘でさえも血が違うと分かるや否や簡単に捨てたそうだな」
レオニード様の声に怒鳴るような激しさはない。それでもルパートは一言ごとにその身を縮こまらせていった。
「お前がレオバルト家を継げないのは、血が繋がっていないからだけではない。お前自身が当主に相応しい人間になろうとしなかったからだ」
「ち、父上は自らの不義の子ども可愛さに出鱈目ばかり並べ立てているだけだ! ——オズヴァルド殿も何か言ってください! 私はレオバルトの子! 正式な嫡男であると!」
よろめくようにオズヴァルドの前へ進み、縋るように膝をつく。
彼を見下ろすオズヴァルドの目は、とても冷えたものだった。
「……ルパート。お前は本当に愚鈍な男だな。これに私と同じ血が流れているとは、実に嘆かわしい」
「オズヴァルド……!」
マルグリッドが咎めるように声を上げる。けれどオズヴァルドは気にも留めず、当主席に座ったままレオニード様を見据えた。
「なるほど。ラムゼイに私たちの目を盗ませ、長い間、裏で手を回していたというわけか。子まで孕ませるとは、なんとも老猾なことだ」
「私はもとよりレオニード様に忠誠を捧げておりますゆえ。御子に関しましては……私の口からはなんとも申し上げられません」
ラムゼイは涼しい顔で頭を下げる。彼自身もそこまでは予期していなかったと、そう含みを持たせて。
「レオニード殿。いまさらその子を実子と認めたところで、ルパートとの婚姻中にもうけた不義の子であることには変わりあるまい。名門レオバルトの家が正式な嫡男を退けて家督を継がせることなど、世間が許すとでも?」
「不義であることを否定するつもりはない。まさかお前が私に倫理を説くとは思わなかったが……無用な心配だ。ライオネルのことは私の実子として認知し、レオバルト家の継承者とすることについても帝室の承認を得ている」
レオニード様の言葉に弾かれたようにルパートが顔を上げた。
「そんな……! では、私はどうなるのですか!」
「レオバルト家の人間ではなくなる。ただそれだけだ」
レオバルトの名こそが自らの価値だと信じてきた男だ。それを取り上げられることが彼にとっては一番の屈辱なのだろう。ルパートが、崩れ落ちるようにその場へ蹲った。
「なんと冷たい仕打ちなのだろうな。……リオーネ。まさか君は最初からそのつもりでルパートのもとへ嫁いだのか?」
「勘違いなさらないでくださいませ。私が嫁いだのはレオバルト家。薄汚いヴェスパの人間に嫁いだ覚えはありません」
私が静かに告げると、ルパートは信じられないものを見るように顔を上げた。
「それに私は最初から何度も申し上げていたではありませんか。レオバルト家へ嫁いだのだと。この家のために誠心誠意尽くすのだと。だから今こうして、レオバルト家へ入り込んだ虫を駆除しているのですよ」
「貴様ッ……!」
「これを獅子身中の虫と呼ばずして何と呼べばよいのでしょうね。……ああ、オズヴァルド様。あなたには本当に感謝しておりますのよ。十五年間、必死にこの家を維持してくださったおかげで、ライオネルが継ぐための完璧な器が残りましたから」
その言葉にオズヴァルドから初めて余裕の色が消え、その顔を強張らせた。
レオニード様は彼から視線を外し、次にマルグリッドを見る。
「マルグリッド。私はお前の不貞を知っていた」
「……あなた」
「ルパートが私の子ではないことも知っていた。それでも私はお前を妻として許し、ルパートを息子として育てた。家を空け続けた私にも責任があると思ったからだ」
「そうよ……そうですわ! あなたは気付いていたくせに私を責めなかったじゃないの! それがどれほど惨めで、虚しかったことか……。それなのに、どうして今になって!」
「お前は私の温情を、何をしても許される権利と取り違えたのか」
背筋が冷えるほど低い、地を這うような声。マルグリッドの顔が一瞬で引き攣った。
「オズヴァルドを屋敷へ招き入れ、レオバルト家の資産を横流しし、負傷して戻った私を離れへ押し込めた。そればかりか薬を用いて私の意識を奪い、死ぬまで飼い殺そうとした」
「わ、私は何もしておりません!」
「ヴェスパ領で栽培されている花。その実から採れる樹脂が、薬香に使われているそうですね」
ヴェスパの人間であれば知らぬはずもないでしょうに、私が口を挟むとマルグリッドの視線が泳いだ。
「本来は傷の痛みを和らげるものですが、量を誤れば意識を鈍らせ、長く使えば薬なしではいられない身体になる。加工法を知る者はヴェスパ家でも限られているそうですね」
「ラムゼイが十五年かけて写し取った記録とティグリス家に残る持参金の記録を照合し、ヴェスパへ流れた資産の証拠もすでに帝室へ提出してある。特に薬香を用いて長年私の意識を鈍らせた件については皇帝陛下も事態を重く見ていてな。既に調査へ乗り出している。私という証人もいるのだ。真相はほどなく明らかになろう」
「誤解があるようだ、レオニード殿」
オズヴァルドが、ゆっくりと当主席から立ち上がる。
「私はあなたが不在の間、この家が傾かぬよう尽力したまでのこと。香についてはマルグリッドが勝手に行ったことでしょう」
「そんな……! 嘘よ、嘘! この人を眠らせておけばよいと言ったのはあなたでしょう! 屋敷で不審死させてしまえば皇帝陛下が黙っているはずがない。だから死なせず、何もできない状態にしておけと!」
「往生際が悪いぞ。外には皇宮から派遣された兵が控えている。オズヴァルド名義の資産は調査が終わるまで差し押さえられ、ヴェスパ家の領地も商会も、ひとまず帝室の管理下へ置かれることが決まっている」
続いて、レオニード様はマルグリッドへ視線を移した。
「お前との婚姻も、これをもって終わりだ。お前が今後レオバルトの名を名乗ることは許さぬ」
「嫌よ! 私はレオバルト夫人よ! ずっとこの家を守ってきたのは私なのよ!」
「当主を薬で眠らせ愛人へ財産を流すことが、お前の言う『家の守り方』か!」
一喝されたマルグリッドの手から扇子がこぼれ落ちる。かつん、と床にぶつかる音が虚しく響き渡った。
「ルパート。お前もレオバルトの籍から外す。ヴェスパを名乗りたいのであれば、実の父親に頼むことだ。私がこれまで与えた財産については家の損失を補填するために回収する。……ただし、お前自身が薬物投与や横領に直接関与していないことが確認されれば、刑には問われぬことだろう」
ルパートは丸くなったまま、ただただ嗚咽を漏らしていた。
「……それでも私は、あなたを父と思っていた……」
「勘違いをするな。血が繋がっていないからお前を捨てるのではない。私はお前が生まれてからずっと、お前の父であろうとしてきた。本当の息子として育ててきたのだ。……だからこそ残念だ。お前は十五年ものあいだ父親として接した娘を、血が違うというだけで捨てたのだから」
マルグリッドは呆然と立ち尽くし、ルパートは床に蹲ったまま動かない。
ただ一人、オズヴァルドだけは抵抗するでもなく、ゆっくりと私の前まで歩み寄ってきた。
ライオネルが私を庇おうと一歩踏み出す。私はそれを制して、オズヴァルドの正面に立った。
「この日のために家を出て耐え忍んだというのか、君は」
「ええ、そうですよ。あなた方が無防備に喉笛を晒してくれるのをずっと、ずっと待っていたの」
「……ああ、本当に勿体ないことをした。君だけは……犯してでも私の子を孕ませておくべきだった」
いつかの日と同じように、私の顎へ手が伸びる。その指先が触れるより早く私は腰元へ手を滑らせ、ドレスの内側に忍ばせていた懐刀を抜き放った。
銀色の切っ先がオズヴァルドの首筋へ浅く食い込む。
「次は刃を抜くと、申し上げたはずです」
薄く滲んだ血を見ても、オズヴァルドは笑っていた。
「……リオーネ。そこまでにしておきなさい」
変わらぬ威厳を保ったままの声が私を制止する。
……残念ね。名残惜しくはあるけれど、私が懐刀を引くと同時にラムゼイが扉を開け放った。それを合図に待機していた兵士たちが大広間へ入ってくる。
オズヴァルドとマルグリッドはその場で拘束された。ルパートも兵に促されるまま立ち上がり、ふらつく足取りで二人の後を追って部屋を出ていった。
喚き声と嗚咽が遠ざかり、大広間に静寂が戻った、そのとき。
レオニード様の身体がぐらりと揺れた。
咄嗟に支えたのは、すぐそばにいたライオネルだった。
「……すまない。無様な姿を晒したな」
「いや……まだ万全じゃないんだろ? ふらっふらじゃねぇか」
「ライオネルの言うとおりですよ。まだ無理は禁物です」
レオニード様が私たちの顔を順番に見て、やがて小さく笑う。
とても、とても長い年月を経て——今日ようやく、親子三人が揃った。
「ええと、よく分からねぇんだけど……あんたが俺の父親、ってことなんだよな?」
「ああ。失望したか。こんな頼りない父で」
「失望もなにも、いきなり親父だと思えって言われても無理だぞ」
ライオネルの率直な言葉に胸が僅かに痛む。レオニード様は、静かに頷いただけだった。
「十五年、お前のそばにいてやれなかったのだ。今日一日で父親を名乗れるとは思っていない。恨まれても当然であろう」
ライオネルは複雑そうな顔をしたあと、首を横に振る。
「恨んでなんかないよ。親父のことを聞いても母さんは何も教えちゃくれなかったけど……愛していたんだなってのはよく分かってたから」
「ライオネル……」
「それに嫌な男だったら、そいつは無事じゃいなかっただろうからさ、うん」
「……ライオネル?」
頬を掻きながら笑うライオネルに、レオニード様も苦笑を漏らした。
「お前の母は、昔から恐ろしい女だったらしい」
「あら、いまさらお気づきになったのですか?」
「いや。二度目の夜に現れたときには気づいていたさ」
その言葉に、堪えきれず笑みがこぼれる。
けれどレオニード様は、すぐに真剣な表情に戻った。
「リオーネ。帝室まで巻き込んだのだ。我が家の醜聞はすぐに広く知れ渡るだろう。そんな家の当主にライオネルを据える覚悟が、本当にあるのか」
私は隣に立つライオネルへ目をやり、それからゆっくりと頷いた。
「随分と粗削りに育ってしまいましたけれど、自分で考えて、自分の足で生きてきた子です。足りないものは、これからいくらでも学んで補えばいいでしょう?」
ライオネルを見上げる。やっぱり自分がどんな立場に置かれているのかいまひとつ理解していなさそうだけれど。それでも、きっと大丈夫。
「だってこの子は、獅子と虎の子なのですもの」
「そうか。……実に、レオバルトの嫁に相応しい考え方だ」
レオニード様は、どこか諦めたように息を吐く。
「ライオネル。私たちの都合でお前には随分と苦労をかけたことだろう。恐らくこれからはもっとお前に負担を強いることになる。それでも私の息子として、ともにこの家を支えてくれるか?」
「え? それって……俺に当主になれってこと?」
「そうだ。もちろんすぐにとは言わん。それなりに教育を施してからとなるだろう」
「うーん、それは嫌だけど……」
「ライオネル?」
まさかの渋い反応に、思わず彼を見上げる。
市井で自由に育った子だ。今日いきなり名門の後継者だと告げられ、そのうえ当主になれと言われても、受け入れられなくて当然なのかもしれない。
……彼が拒むのならば仕方ない。また教会に身を寄せて、静かに暮らしていこう。
私にとって何より大事なのは、この子の未来なのだから。
——そう覚悟を決めたのに。
「だって俺はあのレオニード・レオバルトの息子ってことだろ? だったら、俺は騎士団を率いて戦場に立ちたいんだ! 家の中でお勉強なんて、やってられっかっての!」
目を輝かせて自分の未来を語る彼を見て、私とレオニード様は顔を見合わせてしまった。
「——ハハハッ! そうか、我がレオバルトの精鋭を率いたいのか! ならばまずは騎士として好きなだけ腕を磨くといい。家を継ぐのは、それからでも遅くはないからな」
「そうね、すっかりレオバルト騎士団の名声も遠くなってしまったものね。あなたが活躍してくれるなら、私も嬉しいわ」
帝国が大陸を平定するまで、もう少しだけ時間はかかるだろう。それまでの間くらいは、きっと私たちでこの家を立て直していけるわ。
「忙しくなるな、リオーネ」
「そうですね。後始末もありますし、休んでいる暇もありません」
「あの子の母として……そして、我が妻として——ともにこの家を守ってくれるか?」
いつの間に用意していたのか、ラムゼイが小さな箱を差し出した。
随分と長い間待たされた求婚に、私はそっと頭を垂れる。
レオニード様は露わになった私の首へ首飾りをかけてくれた。
シャンデリアの光を受け、虎目石が本来の持ち主の帰還を喜ぶように淡い輝きを放つ。
「喜んで」
——ええ、そうよ。私はずっとこの時を待ち望んでいたのよ。
だって私の身体には、虎の血が流れているのですから。
この瞬間が訪れるまでじっと待ち続けることくらい——容易いことなのよ。




