02 獅子身中の寄生虫
そうして屋敷で暮らすうちに私は思い知ることとなった。外からは勇壮な獅子の巣に見えたレオバルト家の内側が、穴だらけであるということを。
財政が逼迫した理由は騎士たちへの褒賞や戦後処理によるものと聞かされていた。けれど、実情はもっと酷いものだった。帝室から下賜された恩賞金を使って義母とルパート様は夜ごと宴を開き、衣装や宝飾品へ惜しげもなく金を費やしていたのである。
さらに先の大戦でレオバルト騎士団も多くの者を失い、生き残った精鋭の多くはいまだ帝国各地の戦線へ送られたままだという。
かつてレオニード様とともに戦場を駆けた者たちは、この屋敷にはほとんど残っていなかった。
平時の収入源として抱えていた事業も、今やその多くをオズヴァルドが取り仕切っている。当主が表に立てぬ中、義母とルパート様の浪費に耐えながら今日まで家を破綻させずにきた。その一点に限れば、確かにオズヴァルドの手腕は認めざるを得ない。
けれど父から領地経営を叩き込まれた私の目には、オズヴァルド名義の商会を通すたびにこの家に残る利益が薄くなっていることが分かった。
——レオバルトの財が、少しずつヴェスパへ吸い上げられている。
そう疑うには十分だった。
「オズヴァルド様は、なぜこの屋敷で暮らしていらっしゃるの?」
ある日、私はラムゼイに尋ねた。だっておかしいじゃない。余所の家紋を掲げる男が我が物顔で権勢を振るっているのだから。
「財務を任されているとはいえ、まるであの人がこの屋敷の当主のような振る舞いではありませんか。それにあの人はご自身のお屋敷もお持ちなのでしょう? どうしてこの屋敷に居座る必要があるの?」
「……レオニード様が戦地へ赴かれていた頃、マルグリッド様がお招きになりました。以来、マルグリッド様がもっとも信を置いておられるお方でございます」
「ご当主様の留守中に余所の家の人間を屋敷の中枢へ引き入れた、と。そのことに何の疑問も抱かないなんて。あなたはこの屋敷で一番の古株だと聞いていたけれど、ヴェスパに忠節でも誓っているのかしら?」
挑発めいた言葉にラムゼイは答えない。涼しい顔をして受け流された。
レオニード様は屋敷の奥深くにある部屋で療養し、面会できる者も義母によって厳しく制限されている。離れに続く回廊には見張り役としか思えない侍女が常に控えている有様だ。
一方でオズヴァルドは食堂でも応接間でも当主のように振る舞っていた。使用人へ命令を出し、レオバルト家の事業を動かし、ルパート様の肩を抱いて笑っている。
——屋敷の主であるはずの獅子が離れへ押し込められ、別の何かがその巣の内側へ入り込んでいる。
それに、おかしな話はこれだけではない。私とルパート様の寝室が別々に用意されていたのだ。彼の部屋には鍵がかけられていて、自由に行き来することもかなわない。
これでどうやって跡取りを産めというつもりなのかしら。そう考えた私は宴が始まる前に彼を捕まえて、寝室を同じにしてはどうかと申し出た。
「なんだ、お前は私と寝たいのか?」
ルパート様は、ひどく愉快そうに笑った。
「見た目に違わず股の緩い女だ。母上の言うとおり、これまでもさぞかし奔放に振る舞っていたのだろうな」
「……この家の跡取りを望まれているのですから、必要なことだと思うのですが」
「母上から急かされているのは分かっている。だから私の気が向いたときにお前の部屋へ行く。それで十分だろう?」
確かに彼は気まぐれに私の部屋へ訪れた。月に一度、ひどく泥酔した夜に、まるで義務だからと言わんばかりに。
そのくせ私が着飾って夜会へ参加することは酷く嫌がった。妻は地味な装いで半歩後ろを歩いていればよいと、そんなことばかりを命じられる。
どうしてあの人はこれほどまで呑気でいられるのかしら。レオバルト家の嫡男として何を望まれているのか、本当に理解していないのかしら。
ルパート様に尋ねても埒が明かないのだから……自分でこの家のことを知るしかないわよね? いかに冷遇されようとも私は正式にレオバルト家へ嫁いだ身なのだから、屋敷の中を歩くことまで咎められる筋合いはないのですし。
そう考えた私は、使用人に見咎められても「新しい屋敷を覚えるため」と言い切って、時間を見つけては堂々と屋敷の中を歩くようになった。
離れへ正面から続く回廊には侍女が常に控えている。古い屋敷には増改築を繰り返した名残があり、今では使われていない側廊も多い。増築の際に塞がれたらしい古い抜け道の跡を見つけたこともあって、兄とティグリスの屋敷を探索した幼き日々が甦り、少し楽しくなってきてしまう。
その日、私が足を踏み入れたのも、離れの裏手へ回り込む人気のない回廊だった。
閉ざされた扉の向こうから甘やかな香りが微かに漂ってくる。花の香にも似ているけれど、長く嗅いでいれば衣服や髪へまで染みつきそうな、妙に重たい香りだった。
「こんなところで、何をしている?」
背後から掛けられた声に振り返る。何が愉しいのか、壁に肩を預けたオズヴァルドが笑みを浮かべながら私を見ていた。
「特に何も。屋敷の中を歩いていただけです」
「夫から相手にされぬからといって、人気のない場所を彷徨うものではないよ。どこに狼が潜んでいるかもわからないのだから」
無言で頭だけを下げて立ち去ろうとした私の前へ回り込み、オズヴァルドは壁に手をついて行く手を塞いだ。
「……まだ何か?」
「いや、随分と寂しい夫婦生活を送っているようだと思ってな」
「あなたには関係のないことでしょう? 余計なお世話でございます」
「疑問には思わないのか? なぜルパートは、君をあれほど邪険に扱うのかと」
含みのある問いかけに、私は口を閉ざした。確かに不可思議な話ではあった。ルパート様の不興を買った覚えなんてないのに、どうして彼はあんなにも私に対しておざなりな態度でいるのだろう、と。
「……他に女がいると。そう仰いたいのですか」
「聡いじゃないか。だから厭われるのだよ。あれは足りないところがあるから、君の存在は自尊心を刺激するのだろう。それに君はあれが戦で戦功を立てた男だと思っているかもしれないが、それも違う。レオニード殿の影に隠れて旗だけを振っていたような男だ」
そんなことは言われずとも分かっていた。あの線の細さでは、とても戦場で活躍など見込めなかったであろうことくらいは。
「そのうえ昔から懇意にしていた娘との仲まで皇命によって引き裂かれた。君がどれほど尽くしたところで、あれが君を見ることはないよ」
「あら、そうでしたの。それならば私の部屋になど来なければよいものを……」
オズヴァルドは喉の奥で小さく笑った。
「意外と純真なのだな。……雄というものはね、手の届くところに柔らかな身体があれば手を伸ばさずにはいられない生き物なのだよ。もっとも、あれは昔から酒がなければ女を抱くこともできぬ。そのくせ飲めば飲んだで、肝心のものが役に立たぬときたものだ。君はあれと跡取りを作れると、本気で思っているのかな?」
耳元へ落とされた声とともに、唇が耳朶を掠めた。反射的に身を引くより早く、腰へ手が回される。吐息には甘い酒の匂いが混じっていた。
「それこそ余計なご心配ですね。手をお離しください」
「心配などしていない。勿体ないと言っているんだ。……レオバルト家が欲しいのは跡取りだ。誰が種を植えたところで、子がルパートの名を継げば同じだとは思わないか?」
下卑た台詞とともに私の顎へ伸びた手を、ドレスの内側に忍ばせていた懐刀で咄嗟に払い落とす。
「次は刃を抜きます。お覚悟はございますか」
オズヴァルドは一瞬だけ目を見開き、やがて愉快そうに笑った。
「なるほど。ティグリスの女は見た目に違わず気性が荒いらしい」
「虎に不用意に手を伸ばせば噛まれるのは当然でしょう?」
「気の強い女は嫌いではない。……人恋しくなったらいつでも訪ねるといい。私の部屋には鍵なぞかけていないからね」
そう笑う彼をおいて、私はその場を立ち去った。
ただでさえ不愉快な一件だったというのに。
その日の夕食後に、私はマルグリッドの部屋へ呼びつけられた。どうやら離れの周辺を見張っていた侍女から下世話に歪められた話が伝わったらしい。
「男に媚びを売ることだけは一人前なのですね」
「何のことでございましょう」
「とぼけるつもり? オズヴァルドへ色目を使ったそうではありませんか」
「言いがかりは困りますね。そのような事実はございません」
「息子に相手をされないからといってほかの男へ尻尾を振るなんて……まるで女狐のようではありませんか。レオバルト家の嫁として恥ずかしいとは思わないのですか!」
投げつけられた扇子の金具がこめかみを打つ。つぅ、と生温かいものが流れた。
かつて破談になったときのように相応のお返しをしてやってもよいのだけれど。ここで怒りに任せれば「ふしだらな嫁が逆上した」と吹聴され、夫婦の不和までティグリスの責にされるだけだ。
そうなってしまえば先の破談とは違い、私には何ひとつ得るものがない。私は何も言わずに頭を下げ、その場を辞去した。
——義母が従弟へ向ける目は、親族に対するものなどではない。
それを悟った瞬間にようやく確信が持てた。
あの人たちはこの家を支える立場にあるどころか、眠る獅子へ取りつきその巣を内側から喰らう——寄生虫に他ならないのだと。




