ロリアムール・コントール
一人の男が3階の窓際で佇んでいる。
端正な顔をしたその男は、活気に満ちた街を見下ろし、溜息をついた。
市場で買い物をするレディがいた。左の薬指で燦燦と輝く輪が、彼女の穢れを証明していた。
市場で買い物をするマダムもいた。左の薬指で燦燦と輝く輪が、彼女の穢れを証明していた。
その市場に品物を運び込む筋肉隆々の男がいた。彼の見た目が、彼の穢れを証明していた。
その側で走り回る小さな男の子たちがいた。外で走り回っていることそれ自体が、彼の穢れを証明していた。
「……おや?」
男は、そんな男の子たちの中にいる一人の子どもに目を止める。
子ども特有の丸顔。短く切り揃えた髪。半袖に短いパンツを履いた服装。その姿は、周囲の子どもと何の変哲もない。
男が目に留めたのは、薄く立ち昇る気であった。
男は一つ深く息をつき、おもむろに窓を開ける。窓枠に足をかけ——飛び降りた。
その身が大気を斬る。このままでは電磁気力によって唯一神イェラの御許へ行くことになるかもしれない。少なくとも、何らかのダメージを負うは必定。
しかし、男はそこまで馬鹿ではない。
彼の背から翼が生えた。純白の翼であった。翼から立ち昇る白き気が見える者にとっては、目を覆うほどの眩しさであっただろう。まごうことなき、聖なる力、穢れなき力。
翼は羽ばたき、力の方向を市場に向けた。
彼の翼に、彼の気に、誰も気付かない。——たった一人の子どもを除いて。
彼の向かう先には、先ほど彼が目に留めた子どもがいた。彼の標的はその子どもであった。
子どもは太陽の光を直接見てしまったかのように、目を覆い、下を向いている。他の子どもは一体どうしたのかと、彼の方を見た。しかし、その子どものように眩しさに目を覆うことはない。
男はすれ違いざま、その小さな身体をひょい、と抱え上げ、飛び去って行く。
「君、おうちはどこだい?」
男は子どもに聞いた。
彼に触れられ、抱き上げられた子どもは、困惑顔で男を直視する。先の眩しさなどもはや感じなくなったと見える。
「男の子の見た目だからと言って、安全とは限らないよ。俺のように、見た目以外で見分けることのできる者も少ないが存在するのだから」
「……っ」
子ども——いや、その少女は、人間の限界に挑戦するかのごとく、大きく目を見開いた。
「さぁ、お父さんとお母さんのいる所はどこだい? お兄さんが君を送り届けてあげよう」
「……あっち」
少女は自分の住処を指さす。
少女にとって初めて感じる、男の感触だった。
ふと興味が湧いて、男の胸にこてん、と頭を預ける。
その鼓動は自身のものより遥かに速かった。男の鼓動は女と違ってここまで速いものなのか、と少女は思う。
なにせ、男というものに触れたことがないのだ。——実の父親ですらも。
生まれて初めて感じる男の感触に身を委ねながら、少女は考える。
部屋の鍵を針金で勝手に開けて外に出たことを、なんと言い訳しようか、と。
少女を母親の元へ送り届け、男は元の部屋に戻ってくる。
男は机の引き出しを開け、数枚の紙の束を取り出した。
紙は極めて高価である。それを個人で所持していることが、彼の裕福さを示していた。
その紙には、様々な線と記号が書き込まれている。一部は、丁度彼の部屋から見下ろした風景をデフォルメしたかのようになっている。そう、地図である。
男はペンにインクを流し込み、先ほど少女を送り届けた場所に1と書いた。
地図の端には、「幼女マップ」の文字が躍っていた。
これは、有名な歴史小説の導入である。
ある男が嘆いた。
幼女を傷つけて何が愛か。幼女への真なる愛とは、彼女達がいかなる時も笑って暮らせるようにすることである——。
時は皇歴1050年、相次ぐ戦乱で荒廃した神聖コントール・プラグリオン帝国(通称、神聖コンプラ帝国)では、幼女信仰が行われていた。
曰く、純粋無垢な幼女はこの世で唯一穢れのない存在であり、神の力を有する。しかし、純潔を失うと同時に神の力――神聖力——は抜け、不浄なる「オトナ」になるのだ。
唯一神イェラより力を賜り、神聖コンプラ帝国を建国し、約一万人の女性を手籠めにした初代皇帝の言葉である。
コンプラ帝国の学者は、理論研究に勤しんだ。
彼らは、神の力がいつ、どのように幼女から抜けるのか、数世代にもわたって議論した。最も有力な説は、破瓜の際に流れた血に神聖力が含まれており、血が外気に触れた瞬間に霧散するというもの。
その学説により、神聖コンプラ帝国ではある言説が広まる。
——「一万人分の破瓜の血を直接浴びた者は、神の力を得る。」
この言説を信じた者は多かった。戦乱による治安の悪化も災いし、コンプラ帝国では各地で誘拐集団が跋扈することになる。
そんな混沌とした世界にも、希望はあった。
真の信仰と愛を持つ男が立ち上がったからだ。
その名を、ロリアムール・コントール。
神聖コンプラ帝国の第九皇子である。
私は、そんな彼の功績を後世に残すため、これを記そう。
——いかなる法も社会規範も熟知し、生涯をかけて清廉を貫いた神法学者と言われるゼッタイ・マモルンが記した、『コンプラ学入門~他人からキモがられ、炎上しないために知っておくべき神法シリーズ~』における、「【神法学者】ロリアムール・コントール編」序章からの抜粋である。




