XVI.貴女の願い
「アダ……アダ……」
知っているようで、知らない声。
誰だろうと思いながら、アダはゆっくり瞼を開く。
そこはふわふわした世界だった。
アダの目の前には、小さな女の子がいた。十歳前後の少女だ。
ハーフアップにした金髪に、春の野原を思わせる若草色の瞳。
(知っているようで、知らない。何なんだ、この気持ち悪い感覚は)
少女は眉を下げて微笑んだ。
よく見て、思った。似ている、〈光明の英雄〉に。金髪もだが、顔立ちも似ているような気がした。
「アダにはね、お願いがあるんだ」
「何だ」
不思議と、アダの警戒は薄かった。いつもは警戒心が強く、あまり人に心を許さないのだが、このときは珍しかった。
アダは腰を落として、少女と目線を合わせる。
「あの子を、助けて」
「あの子?」
「うん、あの子。あの子はね、すっごく頑張ってるの、わたしのために、レクメリアのために。無理してるの。だから……止めてあげてほしいの」
少女は悲しそうに俯いた。あの子、というのは本当に頑張っているのだろう、きっと。アダに助けを求めるくらいに。
「……お前じゃ、駄目なのか」
「……駄目なの。わたしじゃ、止められないから」
少女は今にも泣きそうな顔でそう言った。そこにあるのは後悔と悲しみだ。
「わたしはね、あの子との約束を破っちゃったんだ。だから、きっと怒ってるの」
「謝らないのか」
「謝りたいけど、謝れないんだ」
そこで、初めて気がつく。この少女は、既に死んでいるのではないだろうか。
それに、何故アダの名を知っているのだろうか。
「……お前は誰だ?」
「ごめんね、言うことはできないんだ。わたしはあの子のことを踏みにじれないから」
そう言うと、世界が壊れ出した。明るい色ばかりだった世界を漆黒が侵食する。
ついには、少女をも侵食し出した。
「お、おいっ」
「ごめんね、時間みたいだ。お願いね、フェルトとルネのこと」
◇◆◇
「……っ!」
アダは目を覚ます。暑かったのだろうか、汗で寝間着が湿っていて気持ち悪い。
「……最悪の目覚めだ」
(何故、あの少女はトイフェルとルネティアのことを知っているのだろうか)
トイフェルのことをフェルトと呼ぶのは〈光明の英雄〉のみ。そして、ルネティアのことをルネと呼ぶのは、魔石獣のアレクシア。それから、一度だけ呼んでいた〈光明の英雄〉。
何か、関係があるのだろうか。
アダはベッドから起き上がって、自室を見回す。
「あー、今日は屋敷に帰る日だっけな」
共有部屋にいたのは、オティーリエだった。エルネスタはまだ眠っているらしく、掃除をしている。
「あら、アダ様。おはよう存じます。お早いお目覚めですね」
「まぁな。俺だってそういう日もある」
アダはフワァ、と欠伸をしつつそう言った。まぁ、オティーリエは掃除をしていて、こちらを全く見ていないので、問題ないだろう。
着替えて朝食を食べ、しばらく読書をしていると、エルネスタが起きてきた。
朝食の時間はすぎているので、かなりお寝坊さんだ。
「ふわぁっ、おはよう存じます……アダ」
むにゃむにゃとエルネスタは目をこすっている。非常に可愛らしい姿だ。
しばらくしてエルネスタの意識が覚醒すると、アダの顔を見てギョッとした。
「ど、どうしたんですか! その隈!」
「え……隈?」
「すごく黒いです! あまり眠れなかったんですか?」
エルネスタがアダの隣に座る。心配そうにオロオロしていた。
そして、ピタリとエルネスタがアダの額に手を当てた。
「む~ん、熱はないみたいですけど……大丈夫ですか?」
「大丈夫、ちょっと悪い夢みただけだから」
「悪い夢……どんな夢ですか?」
「いや、あんまり覚えてない」
(そういや、ルネティアとかトイフェルに何か聞こうと思ってたんだったけど、何だったっけ?)
まぁいいか、覚えていないということは大したことではないのだろう、とアダは考えることを放棄した。
「アダ、仮眠しましょう」
「え、いや、いいって」
「駄目です。悪い夢が怖いなら、わたくしが慰めてあげます」
どうしたものか。今はオティーリエがエルネスタの食事を取りに行っていて、エルネスタの暴走を止めてくれそうな者はいない。
「わっ」
エルネスタが無理やりアダの身体を倒れさせて頭を膝の上に乗せた。疲れていたアダは不意打ちに耐え切れなかったらしい。
「え、エルネスタ……!」
「駄目です、このままアダはお眠りですからね」
譲ってくれる気はないらしいエルネスタ。しかも、頭をゆったりと撫でるせいで、だんだんと眠気に襲われる。
「え、る……ね……」
そのまま、アダは眠りについた。
◇◆◇
――ぎゅるるるる
そんな音が耳元でして、アダはゆっくりと目を覚ました。どうやら、悪夢は見なかったらしい。
「……う、うぅ、アダ……っ!」
ぼんやりと顔を上げると、エルネスタが真っ赤な顔を手で隠している。
どうやら、エルネスタのお腹の音だったらしい。
「……えるねすた」
「しっ、仕方ないじゃないですか! 朝からまだ何も食べてないんですよっ」
時計を見上げると、現在は十の半刻。寝ていたのは半刻ほどだった。
「起こしてくれたら良かったのに」
「気持ちよさそうに寝てるのに、起こすなんてできません!」
「じゃあ俺の上で食べれば良かったんじゃ?」
「お顔が汚れたらどうするんですか!」
むむむ、とエルネスタはアダのことを見る。割と至近距離から見つめられているのは恥ずかしいので、アダはエルネスタに当たらぬように起きあがった。
あ、と少し寂しそうな顔をされて、少しだけ罪悪感が残った。
「……こ、今度、またやっていいから」
「ホントですかっ!?」
エルネスタにキラキラした顔で見つめられ、アダは後悔をしてため息をついた。
「言質、取りましたからねっ!」




