第七詩 異変交差(後) ─見えざる不協和音─
少し長めです。
時間は正午。太陽が真上にあるはずなのに、四人は寒気を感じていた。
ドアノブに手を掛け、扉をいざ押し開けようとするアスハ。
「……うっ。……開けるよ」
ガチャリ、となんの抵抗もなく開くドア。先程の不快感がまたも襲いかかるも、四人は何とか踏みとどまりドアを最後まで押し開ける。
古いはずの木製のドア、霊脈鉄の蝶番は、外見上の古さに見合わず静かに、物音一つ立てずに。それこそ人の出入りが頻繁である事の証左のようにただただ静かに四人を招き入れた。
廊下の先は真っ暗闇に覆われており全容が掴めない。しかし、それでも旧校舎内へと足を踏み入れる一行。
四人は意を決し中へと踏み込む。そして踏み込んだと同時に四人、特にアスハとクルミがこの空間が孕む異常性をありありと読み取る。
「……おかしいでしょ。なにこれ」
ネルが顔を顰め立ち止まっているアスハの顔を覗き込む。
「どうしたんですか?またなにか異常ですか?」
冷や汗が頬を伝うアスハ。
「……異常っていえば異常だよ、こんなの。ネルも……ルシナさんも何も感じないの?」
「……いえ、ボクは特に何も」
ルシナも同様に首を振る。
そこで最後に入ってきたクルミが心配になりアスハは勢いよく振り向く。
「クルミ!」
そこには、眉間に皺を寄せ唸っているクルミがいた。
しっぽは左右に大きくブンブンと振られている。大きな不安や不快感がある合図だ。
「……クルミ、匂いする?」
「……しない……全部、しない……変」
アスハに頭を撫でられ、少しずつ落ち着きは取り戻して来ているが、一向にしっぽの勢いは衰えない。それだけ匂いがしないというのは、クルミにとって“有り得てはいけない“ことだからだ。
ルシナがアスハの方を向かずに肩を叩き合図する。
「ルシナさん、なに」
ルシナは廊下の奥に指先を向ける。
「……ダメだ何も見えないし何も感じない。こんなこと普段じゃ絶対ありえないのに」
「……アスハ、匂い……ある。」
クルミがアスハにぴとっとくっつく
「……でも、ここ……無い。気持ち悪い」
「わたしもそうだよ。クルミもネルもルシナさんも、全員の拍は感じ取れる。だけどこの空間だけは拍が死んでる。死んでる?違うな、まるで“最初からなかった“みたいな」
それがどれだけ不可思議なことなのかわかったネルは生唾を飲み込み、目をさらにギラつかせる。
「ということは、霊脈が途切れている。ということですか?」
「途切れてる。そうだね、その表現は半分正解」
「半分……ですか」
「そう。正確には途切れた後に、強引に綴じられた。みたいな」
「……血管で言うなら血液の流出を止めるために、切った後に止める。ということでしょうか」
「うん。その認識で合ってる」
「……とりあえず、入口で止まっていても仕方ないし中を調べてみよう」
クルミはアスハの服をギュッと握りしめ、ルシナは持ってきた直剣の鞘の紐を今一度緩め直す。
二人の発した音は、暗闇の向こう側へと吸い込まれていく。
次いで、ネルが緊張の面持ちで返事を返す。
「……はい」
アスハは何かを思い出したように、クルミへと視線を向ける。
「そうだ……一応、人払いの結界符をお願い。クルミ」
言われたクルミは無言で足元へと、“認知外“と書かれた符を張り付けた。
◇
四人はまず一階を隈無く探索してみた。教職室、養護室、読書室、多目的室、応接室。
異常の元は発見できなかった。
次いで大階段を上り、二階に上がろうとしたところで踊り場のところでルシナが剣を抜き、クルミは耳を伏せ唸る。
その行動に疑問を持ったネルはルシナの顔を覗き込み、訊ねる。
「……どうしたんですか?」
ルシナはただ無言で踊り場に設置してある、“何か“の彫刻へと鋭い視線を向け続ける。
「……さすがルシナさんだね。ネルはそれ以上前に出ないでね」
頭にクエスチョンマークが浮かぶネルを尻目にアスハも彫刻から目を離さない。
耳を澄ますと、彫刻の陰から唸り声のようなものが聞こえてくる。
それはまるで獰猛な獣のような呻き声。
「…………寝てる、みたいだね」
ルシナは警戒を解かず、半歩だけ足を前に出す。
彫刻の陰にいたのは、校門のところにいた魔獣に酷似していた。
姿を確認したところでルシナは剣を、クルミは風刃符を、アスハは指を構え、それぞれ警戒度を引き上げる。
そんな中ネルは目をギラつかせ、魔術杖を構えることすら忘れ、にじり寄りそうになる。
「……寝ているのなら観測しても——」
ネルが無警戒に一歩踏み出した瞬間。
「だめ!」
クルミが引き戻そうとするが時すでに遅し、“それ“が動き出してしまった。
「動いてる!動いてますよ!」
興奮最高潮のネルの腕を掴みルシナが自分よりも後ろへとネルを投げるように引っ張り、舌打ち一つ。
アスハの位置まで投げられたネルは尻もちを着きつつ、怪我が無いようでアスハは安堵し声をかける。
「だからわたしたちより前に出ないでって言ったのに……。まぁいいや、怪我がないなら立てるでしょ」
「はい。すみません……」
彫刻の陰から姿を現した“それ“は体長2m程の体躯に針のような毛皮、尖った耳に鋭い牙、極め付きは二対の双眸。明らかに普通の動物とは違う。禍々しい姿。
「それよりも!校門のところで死んでいたやつですよ!うわぁ、調べたい」
ノソリと出てきた魔獣を研究者の目で見つめるネルを尻目にルシナが一歩踏み出し跳躍——
刹那、その針のような毛皮と接触した剣が甲高い金属音を立て弾かれる。
弾かれた勢いのまま、ルシナは空中を回転し勢いを殺しながらアスハの隣へと器用に着地する。
「っ!?嘘でしょ!?あの毛どれだけ硬いの!?」
アスハは萃めていた冷を霧散させ距離をとる。
クルミもまた風刃符をしまい飛び退く。その手にはネルを抱えていた。
「ネル!この距離でも観測できるでしょ。わたしたちの感応は死んでても貴女の観察眼は関係ない!観測して教えて!」
クルミに抱えられて、情けない姿を晒しながらも、しかめっ面をしてネルが答える。
「……仕方ないですね。本当はもっと近くで観たいですが、死んだら嫌なので我慢します」
言うとネルは魔術書を取り出し、ブツブツと詠唱を始める。
それを尻目にアスハは指示を飛ばす。
「ルシナさんは防御寄りでお願い。いなす感じで」
言われたルシナは魔獣から視線を外さずに、こくりと頷いた。
「クルミも防御符と反射符を使って脚で翻弄して」
「……了解」
クルミが動き出したタイミングで、ネルの解析が終わったのか魔術書がパタリと閉じられた。
「……これは、なんとも、形容し難いですね」
「何がわかったか教えて。考察と判断はこっちでする」
「……すっごいアバウトな言い方なんですけど“拍が絡み合ってる“んですよ」
「拍が、絡み合う!?」
「はい。なんて言うんでしょう。複製?別離?あぁこれです。“和音“」
「……つまり、最低でも二つの拍が絡み合ってるってこと?」
「そうとしか形容できないです」
「……なるほど」
アスハは暫し考え込む。
時間にして二秒ほど。
「よし!方針は決まった。クルミ、ルシナさんはそのまま防御に徹していて!こっちで何とかするから!」
反射符で魔獣を弾き返したクルミが頷く。
弾き返された魔獣は、そのままの勢いでルシナに突進していく。しかしルシナは既のところで魔獣の堅毛に剣を這わせいなす。
「ネルは魔術で援護して。あ、火は絶対に使わないでね」
「何するんですか?」
「そんなの簡単。わたしの拍をぶち込んでその“和音“を“不協和音“にしてやるんだ」
「そんなこと、可能なんですか!?」
「わたしが誰だか忘れた?第九席だよ!」
その言葉と同時にアスハが駆け出す。
体勢を限りなく低くし、左手は印を結ぶような人差し指と中指だけを立て顔の前に持ってきて、右手は後ろ手にし手のひらに灯った白光は、皓く澄み、鵠い尾を引いた。。
まるでイヌ科の獣が草原を駆けるかの如くひたすら真っ直ぐに目標へと疾駆する。
「——冷よ、萃まれ。御敵の“静“を阻め——」
アスハが左手を前方へと降ると左手の先に萃まっていた冷気が解き放たれ、前方へと扇状に広がり魔獣の動きを止めた。
クルミは自慢の脚力を活かし跳躍して回避し、ルシナは冷気すらもいなすように最小限の動きで躱していた。
「これでトドメだよ。——拍動|《打ち込み》《愛脈》——」
動けなくなっていた魔獣へと向けたアスハの右腕の光は、狙い違わず魔獣の中心へと当たり、一拍二拍、三拍目で魔獣が苦しみ出した。
「ごめんね。苦しいよね。でも大丈夫、すぐに楽になるよ」
言いながらアスハはみんなの元へと下がる。
「え、これやばくないですか?もしかして失敗したんじゃ……」
「……ううん。成功だよ。よく観てみて魔獣の拍を」
言われたネルは魔術書を開き詠唱し観察を始めた。
「…………確かに、絡み合っていた拍が解けていきますね。……すごい、こんな現象見たことない」
恍惚の表情を浮かべ、感嘆の声を漏らすネルは解放されていく拍と魔獣を最後まで眺めていた。
しばらくして、魔獣の拍が完全に個別に別れそれぞれの個体へと成って、その個体もまた淡い光に包まれ消えていった。
「……はぁ、すごすぎです。魔獣の荒みきっていた拍が優しい拍に包まれて安らかな眠りにつくように消えていく。ボクはなんて素晴らしい光景を見ることができたんでしょう」
ネルの褒め言葉に対しアスハが苦笑いで答える。
「そんなべた褒めしなくても」
そこへクルミがアスハの袖を握ってお疲れ様の意を伝える。
ルシナもアスハの目を真っ直ぐに見つめ、軽く微笑んでいた。
そのほほ笑みの意味は本人にしか分からないだろうが、アスハには「お疲れ様、さすがだな」と言っているような気がした。
「——さて、と。改めて二階の探索に行こうと思うんだけど、みんな怪我は無い?」
アスハが聞くと、クルミは無言で首を振り、ルシナは剣の手入れをしながら目線で「問題ない」と、ネルは消えてしまった魔獣を名残惜しそうにしながら首を横に振った。
「それにしても凶悪な魔獣でしたね。この先が少し不安になってきました」
「そうだね。あ、さっきの魔獣だけどただ“魔獣“って呼ぶのも分かりずらいし、“和音魔獣“って呼称しよう」
「……そうですね。……和音魔獣、言い得て妙ですね」
「わたしには苦しんでいるような、助けを求めているような感じに見えたんだけど。ネルにははどう見えた?」
「…………ボクにはただの未知で凶悪な研究対象、という感じです」
「……ブレないねぇ」
そこへ符の書き足しが終わったクルミと剣の手入れが終了したルシナが合流し、四人は改めて二階部分の探索へと向かった。
異変の根元は未だ其の実を見せない。
——それはまるで“この空間に入り込んだ人間を試している“かのように。




