奇跡に旅路を ①
「……………………」
「どうした?」
「いや、ちゃんと育てられるのかな、とか……幸せになれるのかな、とか…………色々考えちゃって、今更なんだけど」
「…………幸せになれるかどうか、その保証は出来ないよな」
「え?」
「こんな世界……いや、こんな世界じゃなくても、生まれ出た以上…………不幸は必ず付いて回るものさ」
「…………」
「だからって、幸せを得られないとは限らないだろ?だから俺達が、幸せを見付けられるように責任を持って育てよう」
「……そうだね。生まれたがってるもんね」
その言葉を口にした瞬間、私の身体の奥で小さな命が確かに息づいている気がした。
生きたいと訴える声が、確かにそこにある。
「俺もっと頑張るよ。食べ物ももっと多く取って来るし」
「うん、私も……この子が元気に生まれてくるように頑張る!」
互いに見つめ合って、微笑んだ。
不幸の中でも幸せはある、シュウジはそう言った。
確かにこの時、世界の終わりなんて言葉を忘れ、私の中には幸せに満ちていた。
こうして苦境の毎日は続くだろうけど、シュウジとこの子の3人で、幸せな瞬間を共有し続けられるだろうと。
そう思っていた。
思っていた、のに――。
Cエリアへの道の途中。
ラスタに車の番を任せ、俺は水を貯水タンクに入れる為に、川へやって来ていた。
イレイノムが水源を白化して、水無川になっている所は多い。
だから今でも流れていて、水も綺麗なこの川は貴重だ。
有り難く、水を頂戴するとしよう。
「お~冷てっ」
貯水タンクに水を汲んでいく。
どんどん冷たい川の水が貯まっていき、重みが増していく。
タンクは4つ。
アンサラーになって力が上がっているとはいえ、全部抱えて運ぶのはしんどそうだ。
でも生活には欠かせないからな、頑張って汲んで――。
「ん?」
ふと視線の端に人影が映った。
俺のいる場所とは遠く離れた川沿いに、1人の女性。
遠目ではあるが、そう俺と変わらない年に見える。
どうしてこんな所にたった1人で、何も持たずに佇んでいるんだ。
何をしにここへ、まさかただの水遊びって訳じゃあ――。
「?」
あの人、俯いたまま川に足を踏み入れている。
自分の靴やズボンが濡れることなど気にならず、ロボットみたいに真っ直ぐ歩いて。
「ッ、まさか…………!」
俺は直ちに水汲みを止め、彼女に近付くことにした。
疑念が過る。
彼女がより深く身体を水に浸からせる程、疑念が確信になり、歩みは走りへと変わっていく。
「おい!止せッ!!」
間違いない。
あの人、死ぬ気だ!
彼女は俺の声に反応して一瞬、俺を見たが、歩みは止めなかった。
無表情で、虚ろな眼。
真っ直ぐ水面を見詰めたまま、遂に胸まで川に沈めていく。
人相手に使うべきではないが、仕方ない!
槍を生成し、穂先から黒塊弾を発射する。
「きゃっ…………!」
眼前で水の柱が立ち上り、水飛沫を浴び、彼女は足を止める。
驚いて足を止めてくれると思ったよ、今の内に!
「おい止めろって!何考えてんだよ!?」
「……………………」
追いついた俺は彼女の腕を取り、川から引き摺り出す。
彼女は追い付かれたことで観念したのか、抵抗せず黙って引っ張られていた。
完全に沈んで、川に流されなくて良かった。
「はぁ、何でこんなことしたのさ?」
「…………ごめんなさい」
「いや、謝ってこられても…………俺が聞きたいのは、理由だよ」
「ごめんなさい…………」
「……………………」
自殺するからには相当思い詰めたからに違いないだろうし、理由を問い質すのは駄目か。
「君、名前は?」
「…………夕波、アサヒ」
「アサヒさんね。俺、神尾クロム…………よろしく」
「……………………」
「あ~えっとぉ…………」
「……………………」
どうしよう、会話の取っ掛かりがない。
「…………くしゅん………………!」
「ッ!」
くしゃみ、そりゃあそうか。
冷たい水に浸かってたんだ、相当冷えてるはずだ。
身体を震わせて、お腹を押さえている。
「取り敢えず俺の車に行こう!毛布とか身体を暖める物あるから!!」
「…………結構です」
「何かする気なんてないって!嫌なら俺が車から物を持って来てもいいし…………いや、放っておいたらまたするかもしれないのか……!!」
「別に、そんなこと思ってませんよ」
「あっ、そう?じゃあ――」
「親切に、預かります……」
俺は彼女の腕を支えて立たせ、車へと連れていく。
彼女は黙々と、ただ力なく足を運ぶだけだった。
川辺から、木々が生い茂る斜面を彼女に気を掛けながら上り、道の真ん中に停めた車へ戻る。
「クロム、その人は……?」
ラスタは俺が知らない人を連れて帰って来たことに、若干だが目を丸くして驚いていた。
「事情は後で話す。今はとにかく、暖めなきゃ」
俺は後部座席から毛布を引っ張り出す。
「暖めるのであれば、先ず濡れた服を脱がす方が先決だと思いますが?」
「えっ!?いや、それはそうなんだけど。じゃ……じゃあ!ラスタ、そこに防寒用の服あるから着替え…………お願い出来るか!?俺はちょっと水汲み行ってくるから!変なことしないように見張ってくれよ!!頼んだ!!」
「…………?はい、分かりました」
俺は慌てて車から離れ、再び川へ向かった。
死ねなかった。
楽になれると思ったのに、生き残ってしまった。
生きた所でいいことなんてないのに。
「貴女が何者か知りませんが、取り敢えず着替えて下さい」
「…………はい」
でも、情けなくも身体は正直だ。
防衛本能という奴か、寒い状態から一刻でも早く逃れたがっていた。
いつ死ぬか分からないような世界で、自分の体調なんか気にしたってしょうがないのに。
彼の連れの人、確かラスタと呼ばれていた。
彼女の言うとおり、私は用意された服に着替えた。
――お腹は、なるべく見せないように。
「……………………」
あぁ、暖かくて心地がいい。
そう思う自分に、嫌気が差す。
どうせ終わらせるつもりなのに、なぜ生きたいと思うのか。
情けない。
「毛布にもくるまって下さい」
「あっ……ありがとう、ございます…………」
「彼の命令に従ったまでです。それよりも、貴女――」
「ッ!?」
「…………いえ、何でもありません」
まさか、バレた?
しかし彼女はそれ以上何も言わず、ただじっと私を監視するだけだった。
追及や詮索もない。
しかし、もし気付いて彼に話されたのなら面倒だ。
一層、要らない気遣いや同情を貰ってしまいそうだから。
彼はきっと良い人だ。
でも――。
私達にはもう、何も必要ない。
水を汲み終わって車へ戻ると、ラスタが車の前で待っていた。
「あれ、どうしたんだ。彼女に何か、あったのか?」
「いえ…………ただ、気になることがあって」
「気になること?」
「彼女…………子を宿しています」
「ッ!?」
お腹の中に、赤ん坊がいる。
じゃあ彼女は赤ん坊ごと、自分の命を絶とうとしたのか。
「…………良く分かったな。そんな風には見えなかったぞ」
「着替えている最中で確認出来ました。彼女は隠そうとしていたので、追及は避けましたが…………貴方には報告しておこうと」
「……………………」
そこまで思い詰めることないじゃないか、とは言えない。
けど――。
「とにかく、彼女をCエリアへ連れていって衣食住を確保させないと」
俺達は車内へ入って、車のエンジンを掛ける。
ギアを変えてハンドルを握り、アクセルを踏み込んで車を発進させた。
「あの…………どちらへ?」
「今から集落に案内するよ。俺達も向かってる最中だったから好都合だ」
「…………まだ、あるんですね。そういう所」
両脇に並ぶ無数の木々を、次々と通過していく。
「そりゃあるさ。あそこは気の良い人達が多いから、きっとアサヒさんも受け入れてくれるはず、生きていけるよ!」
「生きていけるからって…………それが、幸せになりますか?」
「え?」
「懸命に生きたって、こんな世界じゃ…………何も報われないじゃないですか。ただ、生きてるだけです……………………」
「………………………………」
俺はフロントガラス越しに森を見据える。
木々から伸びる枝葉は光を遮り、昼間だというのに道を薄暗くしていた。
確かに、行き先は暗い。
でも木漏れ日は、ちゃんとある。
彼女にとってのそれを、俺の言葉を切っ掛けに見出だしてくれればいいのだけれど。
言葉が、上手く見つからない。
思い付いて口を開き掛けても、違うと感じて閉じてしまう。
「すいません。助けて貰ったのに、こんな言い草をしてしまって」
「いや、別に…………」
全く情けない。
「でも不思議だな。ずっと1人……で、生きてきたの?」
彼女の状態を考えれば、そんな訳ないのは分かっているが彼女のことを知るために、何も知らない振りをして質問をした。
「いえ。最近まで、彼がいましたから」
「彼?」
「はい…………イレイノムから逃げた時に偶然見つけたロッジに身を寄せて、2人で暮らしてきました」
アサヒさんの森の景色をぼんやりと眺めながら、話を続ける。
「彼は――とても優しい人で。私が怖がると、くだらない冗談を言って笑わせてくれたり、焚き火を囲んで、これからのことを話し合ったり…………」
「ロッジは古くて、雨漏りも酷くて……でも、2人で並んで座れば、それだけで安心出来たんです。でも――」
「…………イレイノムに?」
「違います。彼は私達――あ、いえ……私を残して、去りました」
脳裏で、あの記憶が鮮明に過る。
「待って!シュウジ!!」
「……………………」
「こんな夜に、どこに行くの…………?」
「悪い。お前とは、もういられない…………」
「どうして、一緒に生きようって言ってくれたじゃん!!」
「ッ、ごめん…………」
「貴方がいてくれないと、私も私達の子供も生きていけないよ……………………!」
「俺がいたら、駄目なんだ…………!!」
「待ってよシュウジ!シュウジッ!!」
「……………………」
振り返らず、逃げるように走り去る彼の姿は、私にとって忘れられぬ衝撃だった。
彼との大切だった思い出は塵に変わり、未来は見えなくなった。
最初はずっと泣き叫んだ。
ひたすら嘆き、彼への恨み節を吐いたりもした。
けど、しばらく経って悟った。
苦しいばかりの今の世界に、愛なんてものは通用しない。
過去にどれだけ愛していても現実にへし折られ、裏切るのだと。
だから、楽になりたい。
この子を産んで、いくら愛情を向けて育てても。
いずれ疎ましく思い、結局は彼のように裏切ってしまうかもしれない。
――そうなるくらいなら、最初から一緒に消えた方がいい。
その方が、この子も幸せなんだ。
「?」
「クロムが、貴方にこれを渡せと」
ラスタさんに肩を指でトントンと突かれ、何かと思いきやハンカチを手渡された。
「どうして……」
「拭き取って欲しいのではないでしょうか?貴女の目から零れているものを」
「え?」
目の下に触れると、指が濡れた。
あれ。
どうして私、涙なんか出してるんだろう。
もう空っぽだと思ってたのに。




