鈴掛け
鈴掛けの日は早朝から出掛ける事になる。
暗いうちから起き出して準備をするのだ。
寒いからとお母様が魔石に炎を宿らせた温石を持たせてくれた。
お父様が胸の内側のポケットにしまったのを見て、私も真似る。
腰のポーチにはお気に入りのハンカチ等を入れてある。
鈴の入っている手籠をお父様と私で一つずつ持つ。
お昼の軽食はお父様が背負うリュックに詰め込まれる。
「それじゃ行こうか」
お父様の声で出発となり、お母様やガスパー達使用人に見送られ外へ出て行った。
「ノア!」
森の入口で、一人寒そうに立っていたのはノアだった。
私は嬉しくなって駆け寄る。
ノアは私に少し笑いかけた後、お父様に挨拶をする。
「おはようございます。僕は見えなくなってしまったけれど何か手伝えることがあるならと」
お父様は嬉しそうに笑って、ノアの頭をポンと叩いた。
「ありがとう、ノア」
ノアはホッとしたように笑って、私の鈴の籠を持ってくれた。
「それじゃあ、いつものように鈴をつけて行こう。私の目の届く範囲にいてくれ」
「はーい」
私は元気に答える。
森で危ない目にあったこと等ないので、本当は大して気にもとめていなかった。
それよりも、また今年もノアと回れることが嬉しくて。
私は赤い鼻をしたノアに温石を取り出して渡す。
「いいよ、僕は寒くない。スピカが持っていなよ」
「うふふ。そんな赤い鼻して、寒くないなんてよく言うわね」
ノアはそれでも頑なに受け取らないので仕方なく、懐に戻す。
「あっちに、あったよね」
ノアが、少し先の木を指差す。
その木は確かに仄かに光っていた。
「ノア。見えてるの?」
私が驚いて訊くと、首を振った。
「なんとなく、毎年やってるから覚えているだけ。この木だよね」
「そうだけど」
驚いた。
私は、ただ光りを目印に何も考えずに鈴を掛けていたのに。
森の中の特徴の無い木々の中、光が見えない筈のノアは次々と光る木を見つけて、枝に鈴をかけていく。
「あなたって、凄いのね」
私が心底感心して言ったのに、ノアは何が?と自分のやっている事の凄さを理解していなかった。
「光ってなくても見つけるんですもの!」
ノアは一瞬手を止めて私を見て、何か言おうとしてやめた。
首を傾げた私に「…何でもないよ。スピカはそこの木に鈴掛けしてよ」と指示してくる。
私はよいしょと背伸びして、枝に鈴を掛ける。
「そういえば、昔、鈴掛けの途中で珍しく荒ぶった魔物が出てきたわよね。びっくりしたけど、ノアが雷の魔法で追いやってくれたから何ともなかったけど」
私は次の木を探しながら、ノアに話し掛ける。
「そんなの僕は覚えていないけど」
ノアが私を真顔で凝視する。
「あなたって、木の位置は覚えているのに、そういうことは覚えていないのね。ふふ。後でお父様に話したら、手負いの魔物が森に逃げ込んで来ていたようだって。よくやったって、あなた褒められてたじゃない」
ノアはキョロキョロと周りを見回して私の方へ駆け寄って来る。
「でもね、あの後少し思ったのだけれど」
「辺境伯の側からだいぶ離れてしまったみたいだ。急いで近くに行こう」
そう言って話途中の私の手を掴む。
「ノア?」
「その話を僕は覚えていない。昔そんなことはなかったよ。つまりは、これからおこる事じゃないの?」
「えっ」
戸惑う私を引っ張るように走り出す。
「急いで。スピカ。僕はもう魔法が使えないんだ。魔物に出会ったら…」
そこで、不自然に言葉が切れる。
足を止めたノアの前方にいたのは、真っ赤に燃える狼の様な魔物だった。
「あ」
そうよ、この魔物だった。
私達に向かって来ようとしたのを、ノアが雷の魔法で撃退したのよ。
チリチリと燃える火の粉が見える様な気がした。
あの時は少しも怖くなかった。
ノアが何も動揺せずに、雷を一つ落としただけだったから。
でも、今ノアは魔法を使えず、私達は武器になるような物は何も持っていないのだ。
燃えるような狼の魔物がこちらをじっと見ている。
ノアは私を自分の背後に押して「スピカ、僕が少しでも魔物を引き付けるから君は逃げるんだ」と言った。
「いやよ。ノアはどうするのよ。武器もなく素手で戦って魔物に勝てると思ってるの?」
ノアは魔物を向いたままこちらを見ない。
「君が逃げれればいいんだよ」
苦笑したように呟いたノアに、私は絶対に嫌だと声をあげる。
「カミーユの男は誰かを守って死ぬことが家訓だよ。知っているだろう?」
「家訓なんてどうでもいいわ。死ぬなて言わないでよ」
私達が魔物から目をそらさず話している間、魔物は炎を揺らしながら唸ってこちらを見ていた。
いつ飛びかかられるかわからない恐怖よりも、ノアを一人置いていくことの方が私には怖くてできなかった。
「スピカ。お願いだから、僕の頼みを聞いてくれ」
「ノアのわからず屋!」
私はあなたを保護する方だと思っていたのに、家訓の為に私を守るという。
私は息を吸って決意をこめて腰のポーチから青い小瓶を取り出す。
そうして、ノアの背後から前に回り込む。
「スピカ!」
「ノアは黙って見ていなさい!」
前に出た私に牙を見せる炎の魔物。
ごくりと恐怖を飲み込んで私はしゃがみ込み唸り声をあげる魔物に呼びかけた。
「ほーら、怖くないからこっちにおいで」
「スピカ!」
「ノアは動かないで!」
私はノアを声で止め、魔物をじっと見た。
できるだけ優しく。
魔物の唸り声だけが響く中、私は微笑んで魔物に両手を広げる。
「いい子だから、こっちにおいで」
本当は怖くて声が震えてしまった。
大丈夫よ。前の時から考えていたの。
ここは賢者の森に繋がる森。
魔物も動物もいるけれど、私達が、手出ししなければ相手も何もしてこない場所。
あの時荒れる魔物を前にしてノアが排除したのは正しいと思ったけれども、後になって、もしかして戦わなくて良かったのかもしれないと思ったの。
この魔物は他所で傷を負ってここへ逃げてきていた。
だから荒ぶっていたけれど。
私達が攻撃をしなければ、この子も攻撃することは無いのではないか。
私は青い小瓶を開けて、中身を手のひらにこぼした。
「これは魔力回復薬だけれど、私が作った物だから、ただの滋養強壮の液体よ。あなたの傷が少しでも良くなればいいけれど」
魔物はうなりながら近づいて来る。
「スピカ」
息を呑むノアの声。
「大丈夫よ、私達は敵じゃないわ」
魔物に言葉が通じると信じて。
「私は森に選ばれた者。おいで」
私の声に触発されたように、魔物が一飛で私の目前に来た。
そう思った瞬間、ノアが私の頭を抱えて覆い被さって来る。
だから私には見えなかったのだけれど、手のひらをピシャリピシャリと舌が二往復した感触が伝わった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
数分、ううん。
本当は数秒の話かもしれない。
魔物の唸り声は聞こえなくなっていた。
私はノアをペチペチ叩いて「大丈夫だからどいてくれないかしら?」と声をかける。
「あ」
視界が開けた私とノアは二人して声をあげる。
私達の前には、小さな子犬がちょこんとお座りをしていたのだ。
白いフサフサの毛。
けれども瞳だけは焔の様な赤。
「もしかして、あなたはさっきの魔物?」
子犬は問いかけた私にすり寄り、甘えるように私の掌をもう一度ペロリと舐めた。
信じられない思いでノアと見つめ合う。
曇り一つ無いようなピュアな瞳で子犬はこちらを見てくる。
「危機は去ったようね」
私が微笑みかけると、ノアは疲れたようにため息を吐いた。
私は構わず、子犬を抱き上げてみる。
あちこち撫でてみたけれど、傷はどこにも見当たらない。
「ノア!魔力回復薬だけど!この子の傷を治してしまったわ!傷を治すなんて凄い効果だわ!ほら、あなたも飲みなさい」
私は得意気にポーチから青い小瓶をノアに差し出す。
「スピカ」
「文句は言わせないわ。ほら、くいっと飲みなさい」
嫌そうな顔のノアに構わず瓶を口元に押し付ける。
そうして、やっぱり苦そうな顔をするノア。
「変ね。私も味見したら甘かったのだけれど」
首をひねる私に顔を背けるノア。
「今日は二瓶も飲ませるつもりだったの?」
「違うわ。レオンにも、昨日の事で謝りついでにあげようかと思ったの。甘いって言ってたから、飲むかしらって」
「レオンには甘いだろうね。明日からは僕じゃなくレオンにあげるといいよ」
「何よ!私はノアに飲ませたいの」
私とノアの言い合いに白い子犬は遊んで欲しそうに飛び跳ねるのだった。
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