あまいあまい、さとうがし
「ジレット……と、ユースティナ、シャーロット? 何してるんだ、三人で」
そう問いかけられたが、ジレットは答えなかった。いや、答えられなかったのだ。
彼女は口をパクパクさせながら、シャーロットのほうを見る。するとシャーロットは、得意げに胸を張った。その動きは、アシルにそっくりである。
「お膳立て、というやつです。今日のレッスンはこれくらいにしておきますから、きっちり自分の感情を自覚して、想いを伝えるのです。いつまでもうじうじしないこと」
「で、ですが……私は、メイドで……」
「メイドがなんですか。身分違い? 知りませんね。吸血鬼ですから、そんなものあってもなくても変わりませんし、それにクロードは爵位を持っていないんです。どうとでもできます」
シャーロットの言葉に、ジレットは二の句が継げなくなった。
(で、でも、だって……こんな、いきなり……!)
ジレットが顔を赤くしていると、ユースティナが言う。
「なに、ずっとクロードのこと、想ってたんだろ? なら、さっさと伝えないと一生無理になるぞ。人間は命は短いんだから、何事も早め早めにな?」
「あ……」
(そうだ……私、クロード様と出会った頃から、クロード様のこと、好きだったのよね……)
だから別に、いきなりではないのだ。
そう思いふと冷静になっていると、シャーロットとユースティナが音も立てないまま立ち去っていくのが見える。
「……え?」
「とりあえず、ジレット。あとで話聞かせてくれなー!」
「今日の課題が成功しないと、明日からのレッスンさらにハードになりますからねー!」
「え、ええ!?」
いつの間にか廊下の端まで行ってしまった二人を、ジレットはぽかん、とした顔をして見送ったのだ。
そうこうしている間にも、クロードはジレットのとなりに来てしまう。
彼は、中途半端に立ち上がったジレットを見て、首をかしげた。
「どうしたんだ、ジレット」
「えっ! あ、え、その……」
「なんだ、三人で茶会でも開いていたのか?」
「は、はい、そう……で、す……」
「そうか……なら私も、座らせてもらおうかな」
そう言いクロードがイスに座る。ジレットは、どうしたらいいのかわからず、だけれどこのまま立っているのも忍びなかったので、おとなしくイスに座り直すことにした。
しかし、内心は結構焦っている。
(ま、待って……落ち着きましょう……で、でも、想いを伝えるって、なにをどうしたら……)
ようやく恋を自覚した少女に、告白するという行為はハードルが高すぎる。
頭の中でぐるぐるどうしようか考えていると、クロードがふと口を開いた。
「こうしていると、屋敷に住んでいた頃を思い出すな」
「……あ……」
「ジレットとよく、二人で茶会を開いた」
「……そう……です、ね」
そのときのことを思い出したかのように、クロードが空色の瞳を細めた。
「特になんのしがらみもなかったからか……君と自由にやれていたな」
「そうですね……そうでした」
「ああ。今のように、マナーや勉強などしなくても、君と一緒にいられた。だが……きっとそれは、かりそめだったんだな。城で過ごし始めてから、それを強く思うよ」
「そうなのですか……?」
「ああ。本当に守りたいなら、隠しているのではなく、ちゃんと他者と関わって説明しないといけないのだと学んだ。それが、頑張って私のとなりに来ようとしているジレットに返せる、唯一のものなのだと思う」
そう言うクロードの表情は、今までにないくらい優しくて。
ジレットの口から自然と、言葉がこぼれた。
「……好き、です」
言ってから、何を言っているのだろうと戸惑う。だけれど、一度溢れてしまった想いは止まらなかった。
「ずっとずっと前から、好きで、大好きで、お慕いしていて……ただ、それだけなのです。私が頑張ってこれてるのも。あなた様のとなりに立ちたいと思えてるのも、全部、全部……好きだから。ただ、それだけなのです」
好き、好き、好き好き好き、大好き。
その想いが溢れて、胸がぎゅうっと苦しくなる。
見ないふりをしていたあの気持ちも。隠そうとしてきたあの気持ちも。
すべてすべて、クロードに対する想いばかりだった。
頭がくらくらする。自分の気持ちを伝えるのがこんなにも大変だなんて、思いもしなかった。ジレットは、胸元をきつく握り締め叫ぶように想いを伝える。
「でも私、そういうの分からなくて、恋とか愛とか分からなくて、気づけなくて……だけど、クロード様がシャーロット様とか、ユースティナ様とかと一緒にいるの、いやで、もやもやして、嫉妬して、でも私がそんなこと思うのはおこがましいって、そう思って我慢して、でも、だけど、でもっ、でもっ!」
「……ジレット」
最後のほうはもう、自分でも何を言っているのか分からなかった。今までたくさん耐えてきた反動だろうか。ぽろぽろと言わなくていいようなことまで言っている気がする。
(クロード様……嫌いになって、しまったかしら)
そんなことを思いながら、ジレットは壊れた機械のように繰り返した。
「好きです、好き、好き好き好き……あい、して、」
こんな言葉じゃ、今抱いている想いなんて伝わらない。
そう思ったけれど、それ以外で伝える方法が分からない。
だから、周りが見えていなかったのだ。
――ジレットの言葉を塞ぐように、柔らかいものが口に当てられる。
それがクロードの唇だと知った瞬間、ジレットの頭が真っ白になった。
瞳を溢れそうなほど丸くするジレットを眺めながら、クロードはついばむように幾度も角度を変えてキスをする。
一瞬のような永遠のような口づけが終わったかと思えば、ジレットは抱き締められていた。
そこでようやく、ジレットは我に返る。
「は、え……え?」
「分かった……分かったから、やめてくれ。……可愛すぎて、こっちの理性が危うくなる」
「……クロード、さ、ま?」
自分の顔が、耳まで赤くなっているのが分かった。
(それってつまり……クロード様も私のこと、好きだってこと……?)
どうしてもクロード自身の口からそれが聞きたくて。ジレットは掠れた声で聞いた。
「あの……自惚れても、いいのですか……?」
するとクロードは、一拍おいて深いため息を漏らす。
「自惚れるも何も……夜会のよるに、告白したつもりだったんだ。……ジレットは気づかなかったが」
「……へっ? え、あ……えっ!? も、申し訳ありません……!」
「いや、構わない。ジレットから昔の話を色々聞いて、君がそういう性格だということは、なんとなく分かったからな。でも……だからこそ、嬉しい」
もう少しかかると思っていた。
そう言われ、ジレットはきゅう、と身を縮める。涙目になりながら、か細い声で謝った。
「も、申し訳ありません……」
「いや、いいんだ。ジレットの気持ちを大事にしたいと思っていたし……私も、自分の中に恐れがあることに気づいたからな」
「……恐れ、ですか?」
すると、ジレットを抱き締める腕が少しだけ強くなった。
「……四百年前のように。ジレットを喪ったらどうしようかと、不安だった」
「……あ……」
「これ以上好きになって、喪ったときにさらに苦しくなるくらいなら……想いを伝えないほうがいいかもしれないと、私は心のどこかで思っていたんだと思う。……でも、ジレットの想いを聞いて、そんなことないんだと分かったよ」
クロードの体が、ふいに離れる。目が合った。
そのとき見たクロードの表情は、どこか色っぽくて、どうしようもないくらい甘くて。思わず、心が震える。
「好きだ。ジレット。大好きだよ……愛してる」
(あ……)
クロードの口から想いを聞いた瞬間、ジレットはクロードの言葉の意味を理解した。
『ジレットの想いを聞いて、そんなことないんだと分かったよ』
確かにそうだ。好き、大好き、愛してる。そんな簡単な言葉なのに、好きな人から聞いたというだけで胸がいっぱいになって、幸せな気持ちになる。
(私……愛されても、いいの……?)
――親にも人間にも愛されなかったのに。
(この世で一番好きなヒトに……愛されても、いいの? そんなヒトを、愛しても、いいの?)
――こんな私が?
そんな気持ちを見透かしたように、クロードが口づけを落としてきた。
先ほどは驚きすぎて固まっていたが、今回は違う。一度だけなのに、首辺りまで真っ赤になるほど恥ずかしくなった。
だけれど、どうしようもなく幸せで。もっともっと触れていたいと心が求めてしまう。
頭がくらくらして倒れそうになっていると、クロードが軽々とジレットのことを抱き上げた。
「ク、クロード様っ!?」
「今日は空いているのだろう? 先ほどシャーロットと話しているのが聞こえた」
「え、あ……は、い……」
「なら今日は、二人でゆっくりしよう。これからは、夜も一緒に寝ようか」
「……はいっ!? ダ、ダメです! 夜一緒に寝るのは、ダメです……!」
(もうすでに一度やらかしてるけど、理性があるときとないときじゃ全然違うわ……!)
必死になって首を横に振っていると、クロードが悲しそうな顔をする。
「最近あまり会えないから、夜くらいは一緒にいたい」
「あ……」
「……ダメか?」
どこか甘えた声でそう言われると、胸がいっぱいになる。
(ずるい……そんな顔して、そんな声で言ってくるなんて、ずるい……!)
好きな人にそうお願いされたら、断れなくなってしまうではないか。
ジレットはぷるぷると震えたまま、かすれた声で言う。
「わ……わかり……まし、た……」
瞬間、クロードの顔がぱっと華やぐ。見たこともない子どもみたいな表情を見て、何もかもがどうでもよくなってしまった自分がいた。
「想いを伝えていなかったから、スキンシップは控えていたんだが……これからはもっと、ジレットにベタベタできるな。楽しみだ」
「え……ええ!? あ、あの、その……お、お手柔らかに、お願い、します……っ」
(これだけでも恥ずかしくて仕方ないのに、これ以上増えるなんて悶死してしまいそう……!)
両手で顔を覆いながら言うと、クロードが笑う。
「ジレット。一つだけ言っておくが、その言葉は逆効果だぞ?」
「……へっ?」
「可愛すぎて、もっといろんな顔が見たくなる」
可愛い顔、見せて?
甘い声でそうねだられ、ジレットは唇をわななかせる。
(こ、これからどうなるのかしら、私……っ)
分からないが、今泣きそうなほど幸せだった。
ゆっくりと両手を外していくと、ちゅっとリップ音がする。
口づけされたのだと気付き、ジレットはクロードを見上げた。
「また赤くなった」
悪戯っぽい顔でそう言われ、ジレットはぱくぱくと口を開閉させる。
(クロード様の、いじわる……っ!!)
クロードの体にもたれかかりながら。
ジレットはクロードに抱えられ、部屋に戻って行ったのである。




