9(肉を食う)
竜にもなれず、蛇にもなれず、ましてや人にも戻れず、守谷正二を丸飲みした東南秋子は、漆を塗り重ねたような深く輝く黒い身体に金色の髦をたっぷりとたくわえた美しい姿となり、神社の境内でひとが来るのを静かに待っていた。首を落す段になっても暴れるようなことはなかった。
「どうやら正二は望んで食われた節がある」老婆は口だけもごもご動かし滔々と語る。「どうにも秋子をそそのかしたとか思えん。今となっては分からんがね。あんた、何か思い当たることはないかな。いや、答えんでいい。詮索しても栓無いことだ」
そして大儀そうに溜息を吐いた。「解体は手間でなぁ」
老婆の後ろに立つ大人の中に、同意するかのように頷く者がいるのを認めた。
「すまんなぁ」
老婆は云った。「あんたみたいな子供に酷なことだと思うが、どうか承知してくれんか」
了承しようにも拒否しようにも、話の行方が一向に見えず、亜希子の不安はただただ膨れる。
「難しいことでない。残りは少しでな、給食にも卸したから」
亜希子は自分の握った両手が、背中が、全身が、じっとりと汗ばむのを感じた。続きを聞かなくても分かってしまった。
引き戸が開く。
「あんたの分だ」
このにおい。
「わしらも手伝ってやるから」
油のにおい。
「その怪我では硬いものはまだ難しかろう。用意しておいたから安心するがいい」
病室にアルミの給食バットと、青いプラスチックのバケツが運び込まれた。大人たちは無言でテーブルを用意し、それらを食器と一緒に並べた。
「あんたが食えばそれで終る。全部を一人におっかぶせるわけじゃあない。ひとつ、連座って事で堪忍して欲しい」
バットの蓋を開けると、一口大の唐揚げがぎっしり入っていた。
大人たちはトングを使い、電源を繋いだフードプロセッサーの中に唐揚げを移し替え、蓋をした。スイッチを入れると刃が乱暴な音を立てながら回転する。数秒で黒いペースト状になったそれを、今度はベージュ色のプラスチックの椀に入れた。
室内に油のにおいが絡みつく。亜希子は吐き気を堪えきれず、朝食だったものと、胃液を戻した。それに涙と洟が混じって上掛けを汚した。
「これで最後だ」
老婆も自分の皿に唐揚げを取り分け、くちゃくちゃと食べ始めた。一方で亜希子の横についた中年の女が唐揚げだったそれをスプーンですくって口に寄せてきた。
「食え」くちゃくちゃ顎を動かしながら老婆が云う。顔を背けようとしたが、別の大人に頭を押えられ、むりやり口を開けさせられた。
舌の上に生暖かい塊が乗る。吐き出そうにも口を塞がれ、鼻をつままれ、苦しくて理不尽で、涙で滲んだ光景に、飲み込むまで許されないと理解した。
「吐くならバケツがある」老婆は云う。「だが食え。食い終わるまで許されない」
老婆は次の唐揚げを箸で掴み、自分の口に入れた。
「これは罰ではない」
くっちゃっくっちゃ。
「供養でもない」
くっちゃっくっちゃ。
「道理なのだ」
老婆はくっちゃくっちゃと唐揚げを食う。亜希子も洟と涙、唾液と胃液でべとべとになり、油のにおいに嘔吐きながら、ひたすら食う。食い続ける。バケツに戻してもまだまだ食う。
ただひたすら、肉を食う。
─了─